Monday, October 27, 2014

11/22 シンポジウム「環境と経済を両立させるのは誰か――環境問題の起源と持続可能な発展の担い手」@南山大学社会倫理研究所

下記情報いただきましたので、掲載しておきます。

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2014年10月27日

各  位

                                                南山大学社会倫理研究所


             「ガバナンスと環境問題」研究プロジェクト成果報告シンポジウム開催のお知らせ


 下記のとおりシンポジウムを開催致しますのでご案内申し上げます。皆様のご参加をお待ちしております。

                                                  記

■テーマ:環境と経済を両立させるのは誰か――環境問題の起源と持続可能な発展の担い手

■日時: 2014年11月22日(土)13時30分~17時00分

■会場: 南山大学 名古屋キャンパス ロゴスセンター 1階ホール
        アクセス → http://www.nanzan-u.ac.jp/Information/navi/nagoya_main.html?38_0_0

■登壇者:斎藤 修(さいとう・おさむ)(一橋大学名誉教授)
     植田和弘(うえた・かずひろ)(京都大学大学院経済学研究科教授)
     マイケル・シーゲル(Michael Seigel)(南山大学社会倫理研究所教授)
     篭橋一輝(かごはし・かずき)(南山大学社会倫理研究所研究員)

■趣旨:
 地球温暖化や森林破壊、生物多様性の喪失に代表されるように、現代の環境問題は深刻化の一途を辿っています。環境危機が叫
ばれ始めてから長い年月が経ちましたが、環境問題の解決に至る道筋がいまだに見出されていると言い難いのはなぜでしょうか。
 その大きな理由として、環境問題を包括的に捉える視点の欠如が挙げられるかもしれません。これまで環境問題は個別の問題と
して把握され、それぞれに対症療法的な対策が実施されてきました。しかし、そのようなアプローチでは環境問題への事後的・
場当たり的な対応しか得られません。さらに、環境問題は経済や社会の問題とも複雑に絡み合っているため、狭い視野で環境問題
の解決を目指すことが、かえって予期せぬ別の問題を引き起こす可能性もあります。環境問題に適切に対処するためには、より広
い視点から環境問題を引き起こしている原因とメカニズムを見極め、それらに包括的に対応するための施策とその担い手について
考えていくことが欠かせません。
 このような問題意識の下で、南山大学社会倫理研究所では、現代の環境問題の起源とその有効な対策を探るためのプロジェクト
として、2009年に「ガバナンスと環境問題」研究プロジェクトを立ち上げ、2012年からは3年間、経済と環境問題の関係性にテー
マを絞って、国内外の研究者との議論を重ねてきました。
 本シンポジウムは「ガバナンスと環境問題」研究プロジェクトのこれまでの成果を素材としつつ、資本主義システムがもたらす
負の側面を適切に制御し、環境と経済を両立させるのは誰か、そのためにはどうすれば良いかということを、皆さんと一緒に考え
たいと思います。

■プログラム・講師紹介はこちらをご覧ください → http://www.ic.nanzan-u.ac.jp/ISE/news/141027.html

■主催: 南山大学社会倫理研究所

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参加費は無料です。
出席なさる方は事前に下記までご連絡をいただけましたら幸いです。当日参加でも結構です。

≪お申込・お問い合わせ先≫
南山大学社会倫理研究所
E-mail: ise-office@ic.nanzan-u.ac.jp

Sunday, October 26, 2014

近況

21日(火)
2限:授業(デカルト)、昼休み:DVD上映会『三銃士』、4限:学生対応2人、出版関係メール、出版社M書房の方来訪、「うちの学生に本気で買わせようと思ったら、フォントから考えてください」とか、出版話とか。授業の後処理、次の授業準備。5限:教務委員のお仕事(海外留学系授業の単位認定をどうするかについての会議)6時半まで。書類整理7時半まで。こんな疲れ切った後に研究なんかできるわけない…。

職員さんと喋っていて、大学教員のハンパない忙しさについて、あまりに理解がないことに改めて気づかされる。「だって自宅研修日があるじゃないですか」だって?!そのほとんどが大学に来て仕事(研究ではない)してるでしょう…。が、しかし、それでも、淡々と仕事…。

22日(水)
覚えているのは、朝から深夜3時半まで仕事していたということ。

23日(木) 
10時過ぎから懸案事項。【事務】
10時半から11時20分まで打ち合わせ。【事務】
11時20分から12時まで学内重要業務【事務】
12時から13時まで打ち合わせ【研究】・その間、学生2人来室(サークル関係と授業関係)【教育】
13時から14時半まで授業準備【教育】
14時半から16時過ぎまでニーチェに関する講義【教育】
16時過ぎから18時までフロイトとベルクソンに関する講義【教育】
18時から19時まで授業関連DVD上映会【教育】
19時から21時半まで論文校正【研究】
(帰宅)
23時半~24時半、授業資料整理【教育】

現在の仕事
・海外留学系授業を単位認定にするか評価にするかの調整【事務】
・来年度学部・学科授業の担当者決定【事務】
・来週の授業準備・MP作成【教育】
・北大シンポのタイトル、概要100字【研究】
・某大学非常勤更新のための業績書類作成【教育】
・某科研のための業績書類作成【研究】
・九哲シンポ論文校正【研究】
・09シンポ序文【研究】
・今月の連載【研究】

Thursday, October 23, 2014

11/24 国際シンポジウム「大学教育の国際化とは何か」@京大

京都大学人間・環境学研究科学際教育研究部主催
国際シンポジウム「大学教育の国際化とは何か」

趣旨
 グローバル化の加速する現代世界において,留学生は年を追うごとに増加し,研究者の交流も年々活性化している。これに加えて,大学ランキングの隆盛は大学教育の市場化に拍車をかけている。今や大学の国際化は教育者,研究者だけではなく,政財界の注視の対象ともなっている。
 これに加えて,ヨーロッパでは1999年のボローニャ宣言にもとづき,欧州高等教育・研究空間が創設され,大学の国際化が進行している。しかしながら,この一連の大学改革は大学人に当惑をもたらしている。いったい大学の国際化とは,大学が外部の圧力を受けて進めざるを得ない現象なのだろうか。これは特に大学における言語という課題に現れている。大学は外国からの学生,教員,研究者を受け入れるために,どの言語を選択すべきだろうか。そこにはどのようなメリットやデメリットがあるだろうか。大学のキャンパスでは,1つの言語だけを優先させるべきなのだろうか。それとも多言語主義を実践すべきだろうか。いずれの場合であれ,国語にどのような地位を与えることが望ましいだろうか。
 言い換えると,グローバル化の時代において,大学はどのような言語政策を選択することで,学生の要望をかなえると同時に,高度な教育研究のレベルを確保することができるだろうか。大学の国際化とは,単に財政や経営の問題だけではない。これは,言語や文化の位置づけに関わる課題であり,コミュニケーションや教育言語にも関わる課題でもあり,その役割や地位を問いただすものでもある。
 京都大学では,外国人教員100人計画に代表される大学の国際化が進みつつあり,さらにスーパーグローバル大学のかけ声も踊っている。しかし英語による授業の開講だけが国際化を意味するのか。この教育により国際化は進展するのか。そもそも大学の国際化とは何を意味するのか。
 大学の国際化について,高等教育政策について寺島隆吉先生の見解を披露していただく。それをうけて,ヨーロッパの視点,英語とフランス語を事実上の公用語とするモーリシャスなどのケースを振り返り,京都大学の国際化を問い直す。

日程11月24日(月)15時より
京都大学人間・環境学研究科棟地下大講義室
挨拶 京都大学人間・環境学研究科研究科長 高橋由典
司会 西山教行(京都大学)
基調講演(15:10-16:00)
寺島隆吉(元岐阜大学,国際教育総合文化研究所)「大学教育の「国際化」は「創造的研究者」「グローバル人材」を育てるか」
指定討論者:ジャン=クロード・ベアコ
司会:塩塚秀一郎(京都大学)
休憩(16:00-16:15)
シンポジウム(16:15-18:00)
講師
ジャン=クロード・ベアコ(フランス,パリ第3大学名誉教授,京都大学客員教授,言語教育学,欧州評議会言語教育政策顧問)「言語政策の当事者としての大学の責任とはなにか」
クロード・トリュショ(フランス,ストラスブール大学名誉教授,言語教育学,日仏会館招へい研究者)「高等教育の英語化についてーその動機,結果,代案,展望」
ラダ・ティルヴァッセン(南アフリカ,プレトリア大学教授,日本学術振興会短期外国人招聘研究者,言語教育学)「大学の国際化と英語化は同じ意味か?」
大木 充(京都大学)「京都大学の国際化とは何か」
司会:多賀 茂(京都大学)
日本語とフランス語による討論,同時通訳付き
参加費 無料

Tuesday, October 21, 2014

10/26, 11/1, 11/15 佐賀大学公開講座 「世界の芸術文化 第一回:近現代ドイツの芸術運動」

佐賀大学の後藤先生よりブログで告知してほしいとのご依頼を受けましたので、お知らせします。近隣のご関心のある方、ぜひどうぞ。


佐賀大学公開講座
「世界の芸術文化 第一回:近現代ドイツの芸術運動」
無題

「第1回 私たちの生活を変えたバウハウス・デザイン」
講師:古賀 徹(九州大学芸術工学府 准教授) 
日時:2014年10月26日(日)14:00~15:30
会場:佐賀大学美術館1階スタジオ

「第2回 時間芸術と空間芸術 レッシング芸術論の現代的意義」
講師:後藤 正英(佐賀大学文化教育学部 准教授) 
日時:2014年11月1日(土)14:00~15:30
会場:文化教育学部1号館2階102教室

「第3回 苦難の時代を生きる ナチス台等期のドイツの芸術家たち」
講師:佐々木奈美子(佐賀大学美術館 学芸員)
日時:2014年11月15日(土)14:00~15:30
会場:文化教育学部1号館2階102教室

司会:吉住磨子(佐賀大学文化教育学部 教授)、後藤正英

お申し込み・お問い合わせ先

Monday, October 20, 2014

11/28 講演会「非配偶者間人工授精(AID/DI)における子どもの出自を知る権利」@南山大学

2014年10月20日

各  位

                                                南山大学社会倫理研究所


              2014年度南山大学人文学部人類文化学科鈴木貴之ゼミ学生企画講演会のお知らせ


 下記のとおり学生企画講演会を開催致しますのでご案内申し上げます。皆様のご参加をお待ちしております。


                                                  記


■日時: 2014年11月28日(金)17時15分~18時45分

■会場: 南山大学 名古屋キャンパス R棟3階 R31教室
        アクセス → http://www.nanzan-u.ac.jp/Information/navi/nagoya_main.html?15_5_5

■演題: 非配偶者間人工授精(AID/DI)における子どもの出自を知る権利

■講師: 加藤 英明(かとう・ひであき)(DOG(非配偶者間人工授精で生まれた人の自助グループ))

■講演趣旨:
非配偶者間人工授精(DI)は匿名の第三者からの提供精子を用いた不妊治療で、1949年以来全国で1~2万人が生まれています。
両親は子どもに事実を話さないように指導され、嫡出子として扱われた子どもたちは出自の事実を知ることができませんでした。
現実には出自を秘密にする前提に無理があり、突発的に事実を知り、両親からの裏切りやアイデンティティの喪失を感じる子ども
が後を絶ちません。第三者の提供精子を用いることの意義、その事実を子どもに伝えないこと、提供者の情報が管理されていない
ことなどDIには多くの問題点があり、本来の当事者であるはずの生まれてくる子どもの保障がされていません。この講演会では、
現実の問題点と今後何が必要とされているかについてお話していただきます。


■講師紹介:

加藤英明

《略歴》
2004年 横浜市立大学医学部卒業
2006年 横須賀共済病院臨床研修医終了
2010年 横浜市立大学附属病院
2013年より現職(横浜市立大学附属市民総合医療センター感染制御部)

《専門領域》
感染制御学・臨床感染症学

《著作・論文》
非配偶者間人工授精で生まれた人の自助グループ・長沖暁子編著 『AIDで生まれるということ』萬書房、2014年(共著)


■主催: 南山大学人文学部人類文化学科

■後援: 南山大学社会倫理研究所

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参加費は無料です。
出席なさる方は事前に下記までご連絡をいただけましたら幸いです。当日参加でも結構です。

Thursday, October 16, 2014

10/24 Elie DURING: Qu’est-ce qui n’existe pas ?

Philosophie française et philosophie analytique
au XXe siècle

Séminaire

République des Savoirs (USR 3608) - Ciepfc
Ireph (EA 373) - Université Paris Ouest Nanterre

Salle Pasteur
Ecole normale supérieure
45, rue d’Ulm – 5e Paris


PROGRAMME 2014


Vendredi 24 octobre 2014
17h-19h

Elie DURING (IREPH, Université Paris Ouest Nanterre)
Qu’est-ce qui n’existe pas ?
La question de l’inexistence (distincte de celle du néant ou du non-être) traverse toute la philosophie française contemporaine, selon différentes modalités et sous différents vocables : l’imperceptible, l’indiscernable, la différence évanouissante, l’inexistant de la situation, le non-donné, etc. Deleuze, Derrida, Badiou, Lyotard : chacun reconnaîtra les siens. Une double généalogie kantienne (critique de l’argument ontologique, table du rien) et hégélienne (doctrine de l’existence ou « être-là ») permet de comprendre la persistance de ce thème et ses principales variations. De son côté, la métaphysique analytique hérite d’une procédure d’identification des engagements ontologiques par le moyen de la quantification existentielle, identification qui se paie d’une réduction ou d’une élimination des positions d’inexistence : ce traitement abrasif trouve sa première formulation chez Russell (1905), avant d’être repris par Quine (en mode méta-ontologique) dans son célèbre article de 1948 « On what there is », avec pour effet principal une polarisation de l’attention sur le problème des objets inexistants. À la question « Qu’est-ce qui n’existe pas ? », il faut répondre résolument : « Rien ». Nous voudrions engager un dialogue oblique entre les deux traditions pour dégager les conditions d’une pensée de l’inexistant qui ne soit pas d’emblée indexée à la catégorie d’objet. Deux pistes seront explorées en priorité : la théorie frégéenne du sens (réfractée dans les œuvres de Deleuze et de Lyotard) et la doctrine des modes d’existence(Souriau).

Vendredi 5 décembre 2014
17h-19h

Denis FOREST (IREPH, Université Paris Ouest Nanterre - IHPST, Paris)
Qu’appelle-t-on « épistémologie française » ? Réflexions sur Canguilhem et les philosophies de la tradition analytique
Dans leur introduction au recueil L’épistémologie française 1830-1970 (Puf, 2006), Michel Bitbol et Jean Gayon écrivent : « L’épistémologie française est le nom d’une tradition de pensée délibérément hétéroclite qui a toujours affirmé, sinon l’unité théorique, du moins la solidarité de problèmes que d’autres traditions tendent à dissocier ». « Tradition de pensée », l’épistémologie française se définirait par une famille d’œuvres et des figures marquantes, mais aussi par une manière de procéder (ou de ne pas procéder) qui serait différente de celles qu’on rencontre en particulier dans le monde anglo-saxon. Deux questions sont alors : la différence entre les méthodes est-elle nécessairement une différence entre les thèses défendues par les philosophes de chacune de ces traditions ? Et s’il y a un moment historique de l’épistémologie française, ce qui fait l’identité de celle-ci est-il de nature à l’opposer à d’autres types de philosophie d’une manière persistante, ou seulement à une certaine date, l’évolution ultérieure des traditions et des pratiques hors de l’espace français révélant que les différences ne doivent pas toujours être substantialisées ?  J’aborderai ces questions en revenant sur trois problèmes centraux de la philosophie de Georges Canguilhem, la question de la relation entre philosophie des sciences et histoire des sciences, le statut du mécanisme en biologie, et la question de la santé en philosophie de la médecine. A une époque, la nôtre, où la philosophie des sciences a plus d’une fois redécouvert l’histoire des sciences, où le mécanisme est interrogé à nouveaux frais, et où des positions proches de celle de Canguilhem sont exprimées en philosophie de la médecine dans la langue de la philosophie analytique de l’action, nous pouvons relire Canguilhem en veillant à éviter les illusions rétrospectives, mais aussi les guerres de tranchées qui n’ont plus lieu d’être. 

Organisation : Elie During, Frédéric Fruteau de Laclos, Jean-Michel Salanskis

Wednesday, October 15, 2014

10/18 シリーズ懇話会「3.11以後何が問われているのか」第6回@南山大学社会倫理研究所




■日時: 2014年10月18日(土)15:00~

■会場: 南山大学 名古屋キャンパス R棟3階 R32教室
        アクセス → http://www.nanzan-u.ac.jp/Information/navi/nagoya_main.html?15_5_4

■第6回テーマ: キリスト教と科学技術:原発問題をキリスト教はどう考えるか

■シリーズ趣旨:
2011年3月11日の東日本大震災とそれに続く福島第一原発事故は、日本に住む人々に大きな衝撃を与えました。それから3年を経て、表
面上は、3.11以前の社会とそれを根底で支えてきた価値観が復帰しつつあるようにも見えます。しかし、3.11以後私たちに突き付けら
れた様々な問いは、今もなお厳然として私たちの前にあり、依然として私たちからの応答を待っているのではないでしょうか。本年度
は、3.11以後を考えるシリーズ懇話会第二弾として、「キリスト教と科学技術」、「科学の予見の不確実性と社会」、「市民・行政・
リスク」という三つの観点に連なるさまざまな研究者をお招きし、共に考えていきたいと思います。
 *すでに実施したシリーズ懇話会については、講演録として閲読いただけます。
  http://www.ic.nanzan-u.ac.jp/ISE/japanese/publications/book/2013shinsai-book.pdf

■演題: 原発と原子力の神学――テクノロジーの視点から

■講師: 栗林輝夫(くりばやし・てるお)(関西学院大学法学部 教授)

■講演趣旨:
日本のキリスト教は原発問題にどのような姿勢を取ればいいのか。その手掛かりを得るべく、今回は神学者の栗林先生をお招きして、
「技術の神学」の観点から20世紀の原発と原子力開発を論じていただきます。要旨は以下の通りです。

まずキリスト教がテクノロジーをどう観るのかを聖書/神学的に要約した後、前半で、中世以降に、西洋の技術発展の根にキリスト教
の「神の国」の黙示録的期待があること、それが原子力開発の初期に繋がることを述べる。後半では、キリスト教の原発擁護論をポ
ラード、ティヤール・ド・シャルダンに、反原発の神学論をエリュールに、また科学技術とキリスト教を「棲み分け」る中立論をプロ
テスタント神学者のバルトに読んでそれぞれ解説した後、討議・質疑応答に入りたい。

■コメンテーター: マイケル・シーゲル(南山大学社会倫理研究所 教授)

■講師紹介:

栗林輝夫(関西学院大学法学部 教授)

《略歴》
1948年東京生まれ。国際基督教大学、東京神学大学大学院修士卒。
1976~85年アメリカ、西ドイツ、スイスに留学。Ph.D. (ニューヨーク・ユニオン神学校)。
グラデュエイト・セオロジカル・ユニオン(カリフォルニア・バークレー)客員。
四国学院大学を経て1993年より現職。元関西学院大学キリスト教と文化研究センター長。

《専門領域》
組織神学

《原発関連の著作・論文》
『原子爆弾とキリスト教』(日本基督教団出版局、2008年)。
「原発と神学」(『原発とキリスト教』、新教出版社、2011年)。
『原子力発電の根本問題と我々の選択』(北澤宏一と共著、新教出版社、2013年)。
「核開発とキリスト教」(『富坂キリスト教センター紀要4』、2014年)など。


■主催: 南山大学社会倫理研究所

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参加費は無料です。
出席なさる方は事前に下記までご連絡をいただけましたら幸いです。当日参加でも結構です。

≪お申込・お問い合わせ先≫
南山大学社会倫理研究所
〒466-8673 名古屋市昭和区山里町18
Phone: (052)832-3111(内線3413,3414) Fax: (052)832-3703
E-mail: ise-office@ic.nanzan-u.ac.jp
HP: http://www.ic.nanzan-u.ac.jp/ISE/index.html




第8回社会倫理研究奨励賞 応募受付中(↓)

Monday, October 13, 2014

今日も仕事

自分の仕事をやろうと思っていたら、複数論文(しかもフランス語)の査読--そう、時には海外から論文査読の依頼が来たりもする。。--、科研の計画書の共同執筆である。

第一線で活躍していらっしゃる方々は、みんなどうやって切り抜けてるの!?と常々疑問と讃嘆の念でいっぱいだ。

Saturday, October 11, 2014

10/16-17 L’Homme neuronal, trente ans après

L’Homme neuronal, trente ans après

Colloque organisé par Michel Morange, Francis Wolff, Frédéric Worms
Centre Cavaillès / Ciepfc  (USR 3608)

Dès sa parution en 1983, L’Homme neuronal de Jean-Pierre Changeux a fait date par son objet, par le programme de recherches qu’il proposait, et par les débats qu’il a suscités. Le but de ce colloque interdisciplinaire est, trente ans après, et en présence de J.-P. Changeux, de prendre la mesure de cet événement, d’un point de vue tout à la fois historique, philosophique, et scientifique. Quel était le contexte et comment ce livre l’a-t-il marqué ? Comment le programme de recherches a-t-il accompagné la place croissante des neurosciences dans la philosophie et la société contemporaines ? Quel est aujourd’hui l’état des lieux scientifique et philosophique ? Telles sont les questions qui seront abordées par les intervenants issus de différentes disciplines.

PROGRAMME

Jeudi 16 Octobre 2014
Ecole Nationale Supérieure de Chimie de Paris
Amphithéatre Friedel, 11 rue Pierre et Marie Curie
Ière partie : Le contexte
14H00 : Ouverture du Colloque par M. Marc Mézard, Directeur de l’Ecole normale supérieure
14H15 : Présentation des deux journées par les Organisateurs
14H30 : Michel Morange (République des Savoirs, ENS) : Le contexte scientifique
15H15 : Michel Imbert (Laboratoire des Systèmes Perceptifs, ENS) : Les années 1980s : années merveilleuses pour les neurosciences ?
16H00 : Pause café
16H30 : Lionel Naccache (Institut du Cerveau et de la Moelle épinière, CHU Pitié-Salpêtrière) : Lire L’Homme neuronal aujourd’hui
17H15 : Francis Wolff (Département de Philosophie, ENS): Les enjeux philosophiques du tournant neuronal
18H00 : Frédéric Worms (République des Savoirs, ENS): L’homme neuronal ou le cerveau humain ? Les enjeux de la naturalisation dans le moment du vivant

Vendredi 17 Octobre
Salle Dussane, Ecole normale supérieure, 45 rue d’Ulm
IIème partie : Le projet
9H30 : Anne Fagot-Largeault (Collège de France) : De L’homme neuronal à Du vrai, du beau, du bien : Changeux le kantien
10H15 : Alain Ehrenberg (CERMES3, Université Paris Descartes) : Voir le monde à travers son cerveau ou la biologie de l’esprit comme forme de vie
11H00 : Pause café
11H30 : Pascale Gillot (Philosophies Contemporaines, Université Paris 1) : La question du « lieu cérébral » de l’esprit : réductionnisme physicaliste et internalisme dans L’Homme neuronal

IIIème Partie : Etat des lieux
14H00 : Yves Agid (Institut du Cerveau et de la Moelle épinière, CHU Pitié-Salpêtrière): Bases « neuronales » ou « cellulaires » des comportements ?
14H45 : Denis Forest (Université Paris Ouest Nanterre) : La « Bastille du mental » est-elle prise ? L’homme neuronal et le développement de la neuro-imagerie depuis 1983
15H30 : Céline Surprenant (Collège de France): Les « sciences du cerveau » au Collège de France jusqu’à L’homme neuronal
16H15 : Pause café
16H45 : Réponses et conclusions par Jean-Pierre Changeux