Tuesday, January 28, 2014

連載第9回

アップされました。よろしければご覧ください。

実に地味な思索ですが、まあ、それが自分の道だと思って、しっかりやっていきたいと思います。

Sunday, January 26, 2014

【クリップ】攻めるお笑い、守るお笑い

スタッフに誓約書も!! テレ朝・加地Pが明かす“淳、結婚”の舞台裏~2014年のバラエティ界にも言及

オリコン 1月25日(土)9時10分配信
スタッフに誓約書も!!  テレ朝・加地Pが明かす“淳、結婚”の舞台裏~2014年のバラエティ界にも言及
バラエティ制作の舞台裏を明かす加地倫三ゼネラルプロデューサー
 『ロンハー』『アメトーーク!』の総合演出を務め、日本のバラエティ番組をけん引する存在である、テレビ朝日・加地倫三ゼネラルプロデューサー。2月1日に放送される、同局で活躍する9組の司会を一堂に会した特番『一夜限り!! バラエティ司会者芸人 夢の共演スペシャル!!』の演出も手掛ける。そんな加地氏に昨年の“大勝負”となったロンブー淳の結婚の舞台裏、さらに新たな地殻変動が起きると予見する2014年のバラエティ界についても言及した。

【特集】加地Pインタビュー「芸人の本音を引き出したい」

■なぜ事前に“淳、結婚”をPRしなかったのか?

――まずは昨年の“加地倫三ワークス”を振り返ってみると、やはり『ロンハー』での淳さん結婚発表が大きかったなと思いますが?
【加地倫三プロデューサー】そうですね。やっぱり大きかったですね。その後の反響も含めて。

――さすがだな!って思ったのは、放送前に一切告知をしなかったことです。普通なら視聴率を考慮して事前告知しますよね?
【加地】普通だったら……しますよね(笑)。

――でも、加地さんは事前の告知を一切しなかった。改めて加地さんって“テレビの力”をとことん信じている人なんだなぁって思いましたよ。
【加地】いやいや。あの~、単純に数字(視聴率)が好きではないと言いますか(笑)。もちろん良いと嬉しいんですよ。 嬉しいんですけど、そのために大事なモノを捨てるようなことはしたくないというか……まぁ、カッコつけて言えばですけど(笑)。

――いや、なかなか出来ることじゃないと思います。
【加地】テレビの基本って…これはバラエティに限らずですけど、「いかに視聴者を驚かせるか?」なんですよ。その原点に立ちかえるのなら、(淳の結婚は)事前に言わないということなんです。これは視聴者だけでなく、演者も驚かせたいということでもあるんですよ。ジュニアがどんな顔するんだろう?って想像するだけでおかしくてしょうがない(笑)。結婚発表の瞬間はジュニアの顔だけ見てましたよ。

■関係者全員に誓約書!! 超極秘裏に進められた淳の結婚

――でも、今の時代って、ネットやSNSの普及によって、“テレビで驚かせる”ことが本当に難しいじゃないですか?
【加地】そうですね。直ぐに情報が漏れちゃいますからね。

――漏れないように放送に漕ぎ着けられたのは、通称“加地機関”と呼ばれる少数精鋭チームでやってきたからなんでしょうね。
【加地】なんか悪そう(笑)。でも、ホント5人くらいでずっと動いてましたからね。情報が漏れないよう、収録したテープを保管する倉庫を別で借りたり。僕らがカメラ持って準備しているのをADが「今日ロケあったかな?」みたいな顔で見ているんですよ。それを欺くのに苦労しましたねぇ(しみじみ)。

――ホント“敵を欺くにはまず味方から”を実践してますね(笑)。
【加地】言うつもりはなかったけど、ポロっと(情報)を漏らしちゃったりすることはどうしてもありますからね。だから関わった人全員にも誓約書を書かせたんですよ。

――そこまでしたんですか!
【加地】はい。僕が筆ペンで「今回の企画を一切漏らさないことを誓います」って書いて、企画に関わった方全員の署名をもらって。だから、淳のご両親やお嫁さんのご両親にも当然書いてもらいました(笑)。

――アハハハハ! それ、維新志士たちの血判状に近いですね(笑)。
【加地】それぐらいしないと、やっぱり言っちゃうんですよ。とはいっても、どこかで漏れることは覚悟していたんですよ。そうなった場合はしらを切り通して“噂レベル”で落ち着かせておこうと話はしてましたね。

■加地氏が今一番気になる気鋭のテレビマンとは!?

――因みに他局で最近観て刺激になった番組などはありますか?
【加地】『世界の果てまでイッテQ!』や『うわっ!ダマされた大賞』の演出をやっている日テレの古立(善之)くん。一度対談させてもらったんですが、彼の考え方は凄いなぁって思いますね。僕よりも5歳くらい年下ですが。彼は大人から子供まで楽しめる番組を作ることが出来て、なおかつしっかりと数字という結果も出せる。

――確かに幅広い層から支持されることって本当に難しいことですもんね。
【加地】だけど、全く守りに入ってない。激しいリアクション芸だったりメチャクチャなこともやってるんですよ。イモト(アヤコ)をヒマラヤに登らせるって、凄い無茶なことなんですよ。あれは最大のリアクション芸ですね。凄すぎちゃってバラエティという枠を超えてますもん。この間の特番を観たあと、興奮して古立くんにメール送っちゃいましたよ!

■今後のバラエティの方向性がこの1年で決まるような気がする

――最後に2014年の展望を聞かせて下さい。
【加地】展望ですか……うーん。今年は例年以上に凄く大事な年だなって思います。今後バラエティがどっちの方向に向いていくのかが、何となく今年決まるんじゃないかな!? って思うんです。これはあくまで僕の肌感覚ですけど…。

――今年が新たな分岐点になると。
【加地】そんな気がします。だから、自分の中では気を引き締めて取り組まなきゃって思いますね。新しいものが生まれるか、その逆か……この1年で決まるような気がします。去年や一昨年と同じことをやっていたら皆さんにそっぽを向かれてしまうかもしれません。

――そういう意味で、2月1日に放送する『バラエティ司会者芸人 夢の共演スペシャル!!』を演出するのも良いタイミングになりますよね。
【加地】そうですね。勉強させてもらいます……あ! ひとつ勉強という部分で思い出したんですけど、今回の特番の第1部でテレビ朝日の歴代バラエティを振り返るので、過去の番組映像を改めて観たんですけど、勉強になりましたねぇ(しみじみ)。「あぁ、今のテレビにはこういう面が足りないな」とか、「今はこういう手法は使わないけど、これを使えば若手が出てこれるな」とか色々な発見があって。

――それは規制の過程で失った“足りなさ”ではないということですね?
【加地】その通りです。自主規制という部分で失ってしまった手法も勿論あるんですけど、そこは削らなくてもいいのに!っていう面も一緒になくなってしまった。ライブラリー映像を改めて観ただけでもこの特番をやって良かったなって(笑)。

――失われた手法を、今どのように活かすか? ですよね。
【加地】意外と5年くらい前の映像を観ても失われてしまった手法ってあるんですよ。だから映像観ながら「あぁ忘れてたな、この感覚」って。最初は違和感があっても、それを継続することで常識になることってあるじゃないですか? で、その流れの中で自分も無意識に常識に囚われてたなって。

――つまり、加地さんが自身の番組で提示した“違和感”も、現在ではスタンダードになってしまった。その新たなスタンダードの中では加地さん自身も“常識人”になっていたと。
【加地】だから、今はもう一回“原点”に戻す作業が必要だなと思っていますね。

Thursday, January 23, 2014

【クリップ】どこまでも紳士なアーセン・ヴェンゲルが頑なに拒んだ“ある儀式”

どこまでも紳士なアーセン・ヴェンゲルが頑なに拒んだ“ある儀式”

アーセナルの監督アーセン・ヴェンゲル。その佇まいから容易に想像できるが、彼はどこまでも紳士である。会った人を一度で虜にしてしまう魅力がある。そんなアーセンがプレミアリーグで拒んでいる“儀式”があるという。
2013年07月29日
text by 東本貢司 photo Asuka Kudo / Football Channel

約束の時間に遅れて来たヴェンゲルだが…

ヴェンゲル・コード
好評発売中の『ヴェンゲル・コード』(リチャード・エヴァンズ著・東本貢司訳)
 拙訳『ヴェンゲル・コード』(リチャード・エヴァンズ著)の冒頭近くに、ごく最近のアーセン・ヴェンゲルの言葉を引用したこんな一節がある。
「プレーヤー同士が実際に話もできないようでは最高レベルでのプレーには絶対に到達しない。ハイレベルなコミュニケーションがあって初めて高度なダイナミズムが生まれる」
 この原文を読んだ瞬間、わたしは思わず膝を打っていた。そして、苦笑した。“あの程度の体験”が「ダイナミズム」とはさすがにおこがましい。だが、少なくとも、わたしが彼の人柄にほだされ、以後彼の言う事に耳を傾けたいと欲したことは紛れもない事実だ。
 日本が初めてW杯本大会に出場した1998年、その開幕から約4か月前の2月のことである。当時アーセナルがトレーニンググラウンド、およびそのクラブハウスとして使っていたロンドン郊外の小さなホテルで、わたしは初めてヴェンゲルと対面し、言葉を交わした。
 あるプロジェクトでヴェンゲルにインタヴューの約束を取り付けていた数人のグループに同行、そのスーパーバイザー兼通訳補佐としてである。
 会見場所に指定されたホテルのダイニングルーム別室で待っていたわたしたち一行の前に、約束の時刻を一時間弱遅れて姿を現したヴェンゲルは、まず謝罪の言葉を口にした。
 が、次の瞬間、“飾り気”一つないテーブルの上を一瞥した彼は、さっと立ち上がるとすぐ近くの厨房に通じる仕切り戸に近寄り、声高に人を呼んだ。そして、純白のシャツの袖をまくりあげたヴェンゲルの影の向こうに現れた給仕らしき女性に、彼が語気鋭く浴びせたささやき声を、わたしは聞き逃さなかった。
「君たちには、わたしの大切なゲストをもてなすという発想すらなかったのかね!」
 そして再び、眉間に深いしわを寄せて彼はわたしたちに頭を下げた。しばらくして運ばれてきたのは……ヴェンゲルたってのオーダーによるミネラルウォーターだった。

一度会っただけの相手に披露した驚くべきマジック

 それからちょうど3か月後、わたしは別の同行者とともに再び同じホテルを訪れていた。その翌日に行われるFA決勝、ニューカッスル戦に向けてのアーセナルの記者会見に参加するためである。
 会見開始までの空き時間、ホテルの中庭をそぞろ歩き、ほれぼれとするような颯爽たるスーツ姿のデニス・ベルカンプやトニー・アダムズの姿を遠目に愛でなどしていたところ、ふと気づくと、数十メートル先から手を上げてこちらに向かってく長身の紳士がいる。
 誰あろう、ヴェンゲルその人だった。思わず後ろを振り返ったが、それらしき人影はない。そのときのわたしの表情、仕種たるや、至極滑稽なものだったに相違ない。
 まさか一度きりの機会を覚えてくれていたとは、そして、そんな離れた距離からわたしを認めてくれたなんて―――ぎこちなく照れ笑いをしながら返礼を返すわたしに、その直後、ヴェンゲルはさらなる驚きのマジックを披露したのだからたまらない。
 満面の笑顔で手を差し出したヴェンゲルは、次の瞬間、悪戯っぽくわたしをねめつけた。
「やあ、しばらく。でも、いつの間に髪に青い色を入れたんだね?」
 あるアドバイスを真に受け、遊び心で白髪の部分にのみ色が出るヘアマニキュアにわたしが“手を染めた”のは、その2か月前のことだったが、その間、誰一人として気づいた(ないしは指摘した)人はいなかった。それを初めて、アーセンの口から聞くとは。
 一瞬呆然としたが、それでも何とか「申し訳ない、赤と白じゃなくて」と、下手なジョークを絞り出したわたしの肩を、アーセンはくすくす笑いながらその長い腕がぐいっと伸ばしてポンと叩き、こうのたまった。
「おやおや、君が仮にチェルシーやエヴァートンのファンだとしても、わたしと君の間に何か変化が起こるはずもないだろう。違うかね?」

ブリティッシュフットボール界独特の“儀式”

ヴェンゲル・アーセン
アーセン・ヴェンゲル監督【写真:工藤明日香(フットボールチャンネル)】
 それがヴェンゲルという人だ。常に人を見ている。その印象を記憶にとどめ、理解しようとする。わずかな変化も(美点も瑕疵も)見逃さない。そして、彼なりの最適な言葉をひねり出し、彼なりの最善の対応をひねり出す。それこそが〈コード〉のベーシックであり、彼を慕い畏怖する人々(プレーヤー)の脳に訴えるコミュニケーション術なのだろう。
 その極意中には当然、あえて言葉を伴わせないケースもある。「無言」もまた重要なコミュニケーションテクニックの一つなのだから。それに関連して、イングランドを誰よりもよく理解し、その礼儀、マナーに敬意を示すヴェンゲルが、これまで頑なに拒んできた、あるブリティッシュフットボール界独特の“儀式”がある。
 おそらくは紳士協定の証しとしてであろう。ゲームが始まるまでのほんの一時、ホームの監督がビジターの監督をスタジアム内の自室に招き、ワインやカクテルをふるまって談笑するという、いわば自由裁量に基づく習慣がある。
 当然、これから行われる試合に関することは一切話題にされない。あくまでも、政治経済や互いの家族についてなどの四方山話を通じて「友情」を確かめ合い、それとなく健闘を誓い合うのである。
 殊に、“この業界の古顔”のサー・アレックス・ファーガソンはこのひとときをこよなく愛し、最大の好敵手ヴェンゲルにも「とびきり上等のワインを用意して」再三招待の意を伝えたが、つれなくされるばかりだった―――と自伝の一節に書いている。
 たぶん、理由はごく単純に、ヴェンゲルにとって「筋が通らない」ことだからだろう。公の場ならともかく、閉ざされたプライベートな空間(それも“敵”の懐)で二人きりの時間を過ごすことは道義に反する、と。それもまた彼の為人(ひととなり)に違いない。
 ならば、いつの日か、揃って“しがらみのない自由の身”になったとき、この二人の老兵がほろ酔い気分で愚痴を叩き合うシーンを、是非、覗き見してみたいものではないか。
【了】

Wednesday, January 22, 2014

【クリップ】モウリーニョとは圧倒的な差が。マンU低迷を招いた指揮官の人間力

モウリーニョとは圧倒的な差が。マンU低迷を招いた指揮官の人間力

フットボールチャンネル 1月21日(火)12時13分配信
カギとなる人心掌握術
 ともに1963年生まれの50歳だが、味方の選手のプレーに一喜一憂し、選手とともに戦っているかのように、サイドライン上で飛び跳ねていたポルトガル人闘将の隣で、モイーズはじっと腕組みをし、やや猫背の姿勢で神経質そうに試合を覗き込んでいた。

 そして自軍の選手がミスを犯すと、すぐさまダッグアウトに振り向き、自分の欲求不満をぶつけるような険しい口調でコーチ陣に何かを言う。

 このレベルのチームになると、戦略面よりマン・マネージメント、つまり掌握力が監督の成功の鍵になるといわれるが、この日のモウリーニョとモイーズの後ろ姿を比較して、その監督としての人間的魅力の差は明らかだった。

 どっちが優れているかはあえて記す必要もないだろう。この監督の資質の差が、ドルトムント時代から続いていた香川真司の欧州リーグ連続優勝記録を「3」でストップさせる最大の原因になるのかも知れない。
森昌利


リアルな数字『3.5倍』にまでなった解任オッズ。モイーズ監督はなぜマンUを“常勝”気流に乗せられないのか?

2013年12月10日
text by 森昌利 photo Kazhito Yamada / Kaz Photography

今季にない“攻めだるまモード”

リアルな数字『3.5倍』にまでなった解任オッズ。モイーズ監督はなぜマンUを“常勝”気流に乗せられないのか?
前監督であるファーガソンに対し香川も昨季「こんなに怒る人だとは思わなかった」と話す【写真:Kazhito Yamada / Kaz Photography】
 今季のマンチェスター・ユナイテッドの試合を観ていてまず痛感するのが、ギアが変わらないということだ。ギアが変わるというのは、プレースピードが上がるということ。昨季までのマンチェスター・ユナイテッドは、このメリハリがものすごいチームだった。
 凡庸な前半だったと思っても、後半は選手が見違えたように動きはじめた。プレーのテンポが如実に上がり、相手のDFを崩しはじめる。一度ゴールを決めてしまえば、試合はそこまで。そこからは“赤い悪魔”と化したマンチェスター・ユナイテッドが次々とゴールを奪って、最終的には大勝。そんな試合ばかりだった。
 まるで喧嘩神輿を見ているような攻撃。わっしょいわっしょいと、攻めだるまになる。1点や2点相手がリードしていても、一度マンチェスター・ユナイテッドがこの“攻めだるまモード”になったら止められない。最後には必ず勝利を握った。
 ギアを変えたのは、間違いなくファーガソン監督だった。
 ハーフタイムには有名な「ヘアードライヤー・トリートメント」(熱風療法)と呼ばれる叱咤激励があった。
 香川も昨季「こんなに怒る人だとは思わなかった」と話し、ファーガソン監督と過ごした凄まじいハーフタイムを述懐しているが、前半でミスを犯した選手、やる気が見えなかった選手は、烈火の如く激怒したスコットランド人が鼻先まで顔を近づけて来て、この世で考えられる最悪の罵倒の言葉とともに、叱咤されたという。
 
 そのファーガソン監督は、昨年、アメリカのハーバード大学の講演会でこう述べていた。「マンチェスター・ユナイテッド監督に就任した際、絶対に自分より上の存在をクラブ内に作ってはならないと、そう決意した」と。

ファーガソンが築いた絶対王政

 そんな燃えるような誓いを立てて、45歳のスコットランド人がマンチェスター・ユナイテッドにやって来た。そしてその後、26年間の監督生活を通じてこの言葉を実践し続けた。
 この禁に触れたものはことごとくクラブを去った。2003年のディビッド・ベッカムがその最も有名な犠牲者だろう。
 まさしく帝王的な存在だった。そんなファーガソン監督の叱咤がどれだけ効果的だったことか。もちろん、前監督が希代のモチベーターだったことは否定しない。しかし、その背景として、サポーターが「クラブにとって誰よりも重要な人間」と忠誠を誓い、オーナーのグレイザー一家さえも足元にひれ伏した“絶対的監督”という立場があった。
 ロナウドを例外(しかし、個人的にはマンチェスター・ユナイテッドに残っていればさらなる栄光に包まれた可能性はあると思う)にして、ファーガソン監督にクラブを追われたスター選手の大半が、かつての輝きを取り戻すことなく静かに消えていった。その事実が闘将の神通力をさらに強めた。
 こんな監督の下なら、文字通り選手も死ぬ気でプレーしたことだろう。もちろん、ハーフタイムに怒りの標的になるのはまっぴらだったに違いない。こうしたファーガソン監督の存在が、マンチェスター・ユナイテッドの選手達に大量のアドレナリンを放出させた。
 一方モイーズといえば、マンチェスター・ユナイテッド監督に就任以来、印象が変わった。エヴァートン監督時代はもっとぴりぴりして、取っ付きにくい存在だった。
 昨季の開幕戦、香川のプレミア・デビュー戦だったモイーズにひとつ質問した。「マンチェスター・ユナイテッドの新加入選手の印象は?」と。すると気難しい狐のようなとがった顔をしたスコットランド人は、「マンチェスター・ユナイテッドが獲ったんだから、いい選手なんだろう」と、気のない返事を返したものだ。
 翌日の日本の新聞はこのコメントで、「敵将も香川を『いい選手』と褒めた」という記事を作っていたが、正直その答え方は「そんなこと俺の知ったことじゃない」というものだった。
 ところがマンチェスター・ユナイテッドの監督に就任してから、モイーズの対応は変わった。かなり友好的になったと思う。

前監督の返り咲きオッズは現実的な数字の“6.5倍”

 しかし優勝できなかった6年間で、40代後半だった精力的な闘将は、酒やギャンブルに溺れたスター選手を一掃すると、チームに規律をもたらし、自分が絶対的な影響力を持つ若手をどんどん起用した。
 ベッカムは、子供時代から愛したマンチェスター・ユナイテッドを追われるように去ったが、その後もことあるごとにファーガソン監督を「父親的な存在」と呼んで慕った。それは黄金時代にチームを支えた大半の選手が抱いた思いだっただろう。
 彼らは闘将をサッカー上の父親として慕い、恐れたのだ。
 ファーガソン監督は、1992年にFA杯を優勝し、解任すれすれの状態を脱すると、翌93年、「プレミア」として生まれ変わった英1部リーグを制し、その後20年間に渡る黄金時代を作った。
 一方モイーズの場合は、ファーガソン監督とは真逆の状態でマンチェスター・ユナイテッドの監督を引き継いだ。同郷であるグラスゴーの大先輩監督は、全てを勝ち取っていた。クラブ・サッカー史上、監督として、まさしく史上最高の成績と栄光に包まれて引退。そんな大監督に忠誠を誓ったサポーター達は、後任監督も勝って当然という意識でいる。
 そんな環境で、表向きには昨季優勝した戦力を渡されたが、前監督が“強い父親”として選手に絶対服従を強いた人間関係と、クラブの意思決定における絶対的な権限までは引き継いでいない。
 ホーム2連敗でモイーズの解任オッズはがくんと下がった。年内の解任は5倍。今季一杯では3.5倍。そしてファーガソン監督の返り咲きオッズは6.5倍だという。これはかなり現実味を帯びた倍率だ。
 ということは、少なくとも英ブックメーカーは、モイーズには“6年間の無冠は許されていない”と考えていることが分かる。
 それどころか、アストンビラ(15日A)、ウエストハム(21日H)、ハル(26日A)、ノリッジ(28日A)と続く下位チームとの対戦でひどい取りこぼしがあれば、あっと驚く更迭もあると見ている。
 その最悪の事態を避けるには、まずはモイーズがエヴァートン時代の気難しい戦略家に戻り、現在のボスが誰なのか、選手に思い知らせる必要があるのではないだろうか。
【了】

モイーズもいずれ追随する?! マンU前監督ファーガソンはなぜ批判されなかったのか?

マンチェスター・ユナイテッドの前監督アレックス・ファーガソン。チームの調子が上がらない時期もあったが、批判は驚くほど少なかった。27年の長期政権の裏に隠された、ファギー流メディア統制術に迫る。
2013年12月06日
text by 鈴木英寿 photo Kazhito Yamada / Kaz Photography

たとえBBCでも徹底抗戦

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カップを掲げる有終の美を飾ったファギー【写真:Kazhito Yamada / Kaz Photography】
「彼の最後の会見で、我々メディアは拍手をするのだろうか?」
 マンチェスター・ユナイテッドの試合を数多く取材してきた『タイムズ』紙のチーフライター、オリバー・ケイ記者はアレックス・ファーガソン退任を前に、そう寄稿している。
 何しろ、このスコットランド人指揮官のキャリアは、英国メディアとの戦いの連続だったのだ。メディア関係者の多くが、「彼と親しい記者はいない」と証言しているほどに。
 ルールを守らない記者は問答無用で出入り禁止(ただし、時限措置が多く、たいていは2週間程度の“イエローカード”)。
 また、相手がたとえ国営放送BBCであっても、とことん戦った。
 2004年、BBCは『父と息子』というドキュメンタリー番組において、ファーガソンが息子のジェイソン(選手代理人)への利益誘導を行っていると報道。これに激怒したファーガソンは、2011年8月の和解まで、BBCのインタビューを一切受け付けなかった。
 プレミアリーグの試合後の記者会見も常にボイコット。地元記者たちは、プレスラウンジのTVに映るインタビュー(スカイ、クラブ公式TV)の映像を拾い、翌日の記事の素材にしている。
 なぜ、ファーガソンはそれほどまでの緊張関係を取材者に強いたのか。

まるでマフィアのボス。恐怖政治でメディア支配

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記者のつかみ方はまるでマフィアのボス?【写真:Kazhito Yamada / Kaz Photography】
 一説には、記者陣に「心理戦」を仕掛け、自らに好意的な報道を促したとの見方もある。他監督とのマインドゲームはあまりにも有名な彼一流の心理戦術だが、日常的に接するメディア陣にもそれを仕掛けていた、という見立てだ。
 メディアの過剰な批判報道により、パフォーマンスを落とすクラブはこれまで数多く存在した。それゆえ、フットボール報道がエンターテイメントとみなされるサッカーの母国では、なおのこと、メディア管理がそのまま重要なチーム管理術になると言える。
 試合前の会見はファギーにとっては、一歩たりとも譲歩できない鉄火場だったのである。
 オールド・トラッフォードの会見場に現れた指揮官は、赤ら顔で登場。まずは会場の記者陣をひと睨み。席につくと憮然とした表情で一問一答に応じる。そして、突如として表情を崩すとジョークで笑いをとる。
 そして、再び憮然とした表情。質問が一通り終わり、指揮官が会場から去ると、隣に座った地元記者から「今日は機嫌が良かったな……」との安堵のつぶやきが聞こえてきた日もあった。
 その“つかみ方”はまるでマフィアのボスのようであった。
 とはいえ、ファーガソンは過去に行った記者の出入り禁止措置に対し、個人的な感情は一切なかったと語っている。そう、すべてはチームの勝利のための戦略だったのだ。
 そのことを地元記者たちも理解していたからこそ、クラブの練習場であるカーリントンでの最後の試合前会見では、すべての記者が万雷の拍手でこの名将を送り出したのだろう。
【了】

Tuesday, January 21, 2014

【クリップ】「愛」とは「過去を振り返ること」 意外と知らない漢字の成り立ち

「愛」とは「過去を振り返ること」 意外と知らない漢字の成り立ち

漢字の形にはワケがある たとえば「色」という字に隠されたエッチな起源とは? (KAWADE夢文庫)
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小学校1年生で、初めて学習するのが「漢字」。国語の教科書で紹介する漢字の隣には、その成り立ちを教える小さな絵。自然の姿や形を写し取ってつくられた漢字の奥深さに、感動を覚えた方も少なくはないでしょう。
今年10月に、Amazon Kindle版が発売された書籍『漢字の形にはワケがある』は、漢字の成り立ちや秘められた意味を紹介しています。
■「父」 古代の父親は怖かった?
「父」は右手に斧、またはムチを持って、叩いている姿を表した形。当時の中国では、家長である父が、斧やムチを掲げて家族を統率していました。ちなみに、「斧」の原字は漢字の「父」です。家庭内の立場が弱くなってしまった日本のお父さんには、考えにくいことなのかもしれません。
■「母」 母性の象徴
「女」の中に、母性を象徴する「乳房」を意味するふたつの点を加えた形が由来です。
■「友」 手に手を添えて助けあう
右手を上に突き出した「又」が、2つ並んだかたちが由来となった「友」。つまり、「友」は「二本の手」を示した漢字で、手に手を添えて助けるという意味を持っています。そこから、現在の「友だち」という意味が派生しました。
■「順」 頭を下げて従うこと
「順番」や「従順」などに使われる「順」。「川」と「頁」に分けることができます。「川」が表すのは、水が高いところから低いところへ流れるように相手の言葉や意向に「逆らわずに従う」という意味。「頁」が表すのは、「人が頭を垂れて、ひざまずいている」形。つまり「順」は、「川の流れのように頭を下げて従うこと」を意味します。
■「愛」 過去を振り返ること
「旡」「心」「夂」の組み合わせによる「愛」。「旡」は人間が後ろを向く姿、「心」は人間の心、「夂」は人の足を表します。つまり、「愛」とは「人がゆっくり歩きながら後ろを振り返ろうとする心情」を表した漢字なのです。
■「恋」 揺れる心
「恋」の旧字体は「戀」。「絲」は糸がもつれる様子、「言」はけじめを意味します。この下に「心」をつけると、「もつれた心の糸を解くことのできない状態」を示す「戀」になります。
漢字は「知識と知恵の宝庫」。漢字を生んだ人間の創造力に、思わず感嘆してしまいそうです。

Monday, January 20, 2014

【クリップ】フランスで反アマゾン法が成立!? 日本はどうなる? 配送料問題で佐川・ヤマトも困惑

フランスで反アマゾン法が成立!? 日本はどうなる? 配送料問題で佐川・ヤマトも困惑


2013.12.25


 フランスで"反アマゾン法"と呼ばれる法律案が国民議会(下院)で可決した。あとは元老院(上院)での承認を待つばかりだが、優先権は国民議会にあるのでほぼ成立間近というところだ。
 この"反アマゾン法"というのは、すべてのインターネット書店に対して、送料無料で書籍を提供することを禁ずるというものだ。フランスにはラング法という書籍の値引きを5%以内と定める法律がある。値幅再販とも呼ばれているのだが、リアル書店であってもネット書店でも5%を超えて割引き販売することは禁じられているのだ(日本では一部業種に独占的に認められる再販制度があり、基本的に値引きはできない)。
 アマゾンなどのネット書店は、これまで定価から5%を値引きした価格で、かつ送料無料で顧客に書籍を提供してきた。原則的に値引き販売できない日本でも送料無料のサービスは行っている。それは、送料無料はサービスの一環であって、小売業者の販売価格を縛る再販制度には引っかからない、そう考えられているからだ。
 しかし、フランスはその上をいく理屈を出してきた。この送料無料がラング法の抜け穴をかいくぐって書籍を不当に安く販売している行為とみなしたのである。そして、送料無料の販売を禁じる、ラング法修正案を可決させた。
 なぜフランスでは、こんな多少強引とも思えるこの理屈がまかり通ったのか?
 筆者は、たまたま来日していたフランスの出版社社長に聞くと、「フランスの書店、とくにナンバーワンチェーンの『フナック』が熱心にロビー活動を行っていたからだろう。フランスでも書店の売り上げは落ちて、アマゾンの売り上げが上がっている。フナックも書籍の売り上げがアマゾンに追い抜かれるギリギリのところまできていた」とその背景を語っていた。
 フランスでも書店経営は、厳しくなっているそうだ。その結果からか、給料が安いなどの理由もあり、今では好んで書店業に就く人はめずらしいという。こうした一般書店の経営を苦しめているひとつの原因がアマゾンの急成長にある。フランスでは、一般書店での顧客シェアの奪い合いが起こり、閉店が続出しているのだという。そこで、一般書店を保護するために、この法律がつくられたというのが実態のようだ。
 果たして、日本で同様の運動が起きたとしたら、どうなるのだろうか? 「創業100年の老舗書店が閉店」などという報道が珍しくなくなってきた書店の苦境に同情して、世論はこうした法律に賛成してくれるのだろうか。おそらく現実には、そこまで甘くはないだろう。むしろ反対に「書店業界のエゴである」とか、「再販制度に守られた書店の保護法案は、消費者をないがしろにしている」などとバッシングを受けるだけだろう。
 一方で、こんな法律を可決させるほどにフランス人が感じている、アマゾンの脅威とは何なのだろうか?
「将来的には本屋はなくなるだろう」と前出のフランス出版社社長は危惧する。しかも「本屋だけでなく、あらゆる小売り業の経営が厳しくなっていく。それほど、ジェフ・ベゾス氏(アマゾン社長)は世界中の商売にとって危険な人物。できる範囲で対抗した方がいい、まだできるうちに」と真顔で訴えていた。
 大げさに思えるが、決して笑い話でもなさそうだ。
 アメリカではアマゾンに対抗できる書店は、ボーダーズが倒産した今、もうバーンズ&ノーブルしか残っていない。しかし、「同社の株が安く売られている」などと言われ倒産の噂話もチラホラ出ているという。電子書籍の世界でも、アマゾンのホールセールモデル(価格決定権はアマゾンが持つ)に対抗したアップルと大手出版社のエージェンシーモデル(価格決定権は出版社がもつ)は司法省による民事訴訟の結果、反トラスト法違反とされた。日本においても、書籍・雑誌売り上げでアマゾンは、リアル・ネット書店に関わらず断トツである。もはや、出版業界は、アマゾンに依存しなければ売り上げが維持できないところにまできてしまったのだ。
 さらに、それ以外でもアマゾンにとって優位な状況が世界各地で作られようとしている。
 送料無料のサービスをめぐっては、日本でも問題が起こった。今やネット通販では送料無料が当たり前のようになっているのが現状だ。しかし、配送費の大幅な引き下げ問題で佐川急便がアマゾンとの取引を止めたことは記憶に新しい。
 今はヤマト運輸と取引しているが、以前、ヤマト運輸にいた元幹部の話が忘れられない。「モノがA地点からB地点まで運ばれているのだから、送料無料はあり得ない。それは配送業そのものを否定することだ」と。
 いわずもがな配送業務は対価の発生する作業である。流通事業者の心情を察すれば、送料を無料にするというのは、送料の分だけ値下げして読者に提供する行為であると主張するフランスの理屈もわからないではない。
 しかし、ひとつだけ言えることがある。フランスの方が日本よりまともに、書店という業種を残そうと考えていることだ。日本には残念ながらまだそこまでの危機意識がない。というのも、電子書籍を販売する際に、アマゾンや楽天koboなどの海外事業者は消費税が非課税となっているのに、日本の業者が電子書籍を販売すると消費税がかかってしまう。こんなことすらすぐ是正できない。そんな政府が、書店という業種を本気で残そうなんて思っているはずがないのである。
(文/佐伯雄大)

Monday, January 06, 2014

【クリップ】演歌 形変わらぬため「今の日本人の心に添わない」との指摘も

演歌 形変わらぬため「今の日本人の心に添わない」との指摘も

2013.12.30 07:00

 演歌歌手・北島三郎(77才)の紅白“引退”のニュースは大きな衝撃をもって受け止められ、北島の存在感と日本人にとっての紅白、そして演歌の力を改めて考えさせられた。演歌は、聴き手にも生きざまを求める。人生の機微を味わうことで演歌の世界により入っていけるのだ。
 北島を“兄さん”と慕う演歌歌手・前川清(65才)は最近、それを強く思うという。
「若いうちは感じなくても、仕事に就いたり、数々の出会いと別れを繰り返し、人生経験を重ねることで体感として歌詞の意味を理解できるようになっていく。私には、29才になる娘がいるんですが、最近、ぼくの『花の時・愛の時』(作詞・なかにし礼)を“いい歌”と言ってくれるようになりました」(前川)
 前川自身も『花の時・愛の時』を歌っていた30年前は、「また逢えるのに、今すぐに逢いたくて」という歌詞の意味がわからなかった。
「『花の時・愛の時』は、恋愛の歌詞ですが、65才になってさまざまな人の死という別れを経験して、この歌詞がグッとしみるようになりました。さっきまで会ってた人は、もしかしたら、もう二度と会えないかもしれない。そんな大切な人を思いやる気持ちが込められていると思います」(前川)
 年を重ねると演歌がよくなる理由は、人生経験を重ねることで、それまで見えなかった人間の業が見えてくるからなのだ。社会心理学者の碓井真史さんもこう話す。
「演歌で歌われるのは、故郷、酒、恋、失恋、結婚、親子、別れ、死、涙といったもので、若いころには、よくわからないものばかりです。人生経験を積むうちに、これらを深く味わうことができるようになり、演歌が好きになるのでしょう」
 現代は情報過多社会とよくいわれる。テレビのバラエティー番組にはテロップがあふれ、スマホで簡単に何でも調べることができる。
 1月1日発売予定の北島の新曲『人道』の作詞を担当し、千昌夫(66才)の『北国の春』など多くの演歌を手がけてきた作詞家のいではくさんは、聴き手が好む歌詞の傾向が変わってきたと指摘する。
「若い年代層であればあるほど、情報を詰めこまないと、聴き手が感情移入しにくい。あれもこれも説明してあげないといけない。行間を埋める想像力がない。社会に出て、人との関係に悩んだり、つらい思いをして投げやりになったり、そういう出口の見えないトンネルでもがき苦しむ体験は、人として成長するために大切なものです。だけど、今は世の中全体が、そういうことを体験しにくい社会になっている。だから、演歌の良さがわからない人が増えているのでは」
 年齢を重ねても、演歌を自分の歌として受け止められない。『創られた「日本の心」神話』(光文社新書)著者で、大阪大学大学院文学研究科准教授の輪島裕介さんは、演歌の社会における位置が変わってきているのかもしれないと指摘する。
「日本人の心を表現する仕方が変わってるのに、演歌の形はあまりにも変わってない。かつて北島さんが歌った、ふるさとや農村は、そのままの形では今の日本人の心に添わない」
 現在は、『会いたくて 会いたくて』などリアルな女心を歌う西野カナ(24才)の歌が、ギャル演歌と呼ばれている。
※女性セブン2014年1月9・16日号

Sunday, January 05, 2014

【クリップ】演歌好きの米国歌手「五木ひろしはプリンスそっくり」と断言

演歌好きの米国歌手「五木ひろしはプリンスそっくり」と断言

2011.03.05 07:00


「演歌+ソウルでエンソル、演歌+ブルースでエンブル。僕の演歌はリズミカル。老若男女に受け入れられる曲だと思います」
 褐色の大男が演歌をR&Bのリズムにアレンジし、情感たっぷりに歌いあげる。もともとアメリカの軍人だったというフレディー・スネディコー(49)は、今では神戸の型破りなシンガーソングライターとして知られている。
 フレディーが海軍の一員として横須賀基地に赴任したのは1981年。除隊後は帰国予定だったが、音楽仲間から「日本はバブル! キミの演奏技術ならいっぱいお金をもらえる」と引き止められた。東京でもんたよしのりらのバックでギターを演奏し、1993年頃から仕事の場を神戸に移した。彼が語る。
「1995年の阪神淡路大震災で被災して、僕は怪我もなく無事だったけど、友人を亡くし、大好きな神戸の街が倒壊していく様子も目の当たりにした。でも、あの地獄から復興し今では昔以上にきれいな神戸に戻った。僕にとって神戸はマイタウン。ずっと神戸に住みたいと思うようになりました」
 神戸に腰をすえて音楽活動を開始。演歌と出会ったのは2005年。妻の実家が経営する健康ランドの余興として洋楽を演奏していたところ、お客さんから「演歌も歌って」といわれて歌い始め、次第に演歌の魅力に取りつかれていった。
「演歌は自然に日本語で感情が乗せられる歌です。その演歌がお年寄りにしか聴かれていないのは悲しい。新しい演歌のジャンルを作れば若者も聴いてくれると思って『エンソル』や『エンブル』を作りました。そもそも演歌はR&Bのリズムに近い。例えば、五木ひろしの感情を込めてコブシをきかせる歌い方はプリンスにそっくりなんです。決して意外な組み合わせではない」(フレディー)
 代表曲『関西空港』にノックアウトされる人が“圧倒的多数”だ。
【プロフィール】
フレディー●1962年1月、アメリカ・アラバマ州生まれ。父親が音楽プロデューサーという音楽一家に育つ。1981年に海軍の一員として来日し、除隊後はKANやもんたよしのりらのバックバンドを務める。2007年から『エンソル』などのCDを自主制作で販売。神戸を中心に歌手活動を続けている。
撮影■谷口圭一
※週刊ポスト2011年3月11日号

Saturday, January 04, 2014

【クリップ】鉄道発達と反比例し演歌衰退 リニア開通で演歌滅亡の危惧も

鉄道発達と反比例し演歌衰退 リニア開通で演歌滅亡の危惧も

2013.12.28 07:00


<国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった>
 ノーベル賞作家・川端康成も『雪国』で綴ったように、鉄道は、日本の四季折々を肌で感じられる乗り物だった。明治学院大学教授で、鉄道事業に詳しい原武史さんはいう。
「例えば、北海道で5月に函館本線に乗れば、桜が咲き、春紅葉も見られ、その向こうには、まだ雪の残る駒ケ岳や羊蹄山が眺められる。そんな四季折々の自然をダイレクトに味わえるのが鉄道の魅力なんです」(原さん・以下「」内同)
 だが、1964年に開通した東海道新幹線を皮切りに、山陽、東北と日本各地で新幹線が開通。現在、交通インフラは50年前と比べて、格段に便利になっている。
 原さんは、この便利さこそが、演歌を衰退させたと指摘する。例えば、石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』(作詞・阿久悠)。別れを決意した女がひとり、上野から夜行列車に乗り、吹雪の中、連絡船で北海道を目指す歌詞だ。
 発売は1977年で、もちろん東北新幹線はまだ開通していない。上野から青森まで12時間半。そこから連絡船で津軽海峡を渡ることさらに4時間。函館まで実に16時間以上を要する長旅だった。
「そんな不便な時代だったからこそ、多くの人があの歌に共感しました。でも今は、鉄道連絡船が廃止され、ほとんどの人が飛行機を利用するようになった。その感覚しか知らなければ、あの歌の良さはわかりません」
 歌詞に登場する「海鳴り」という言葉は、凍てつき荒れ狂う津軽海峡の冬と主人公の心象を想起させ、続く「こごえそうな鴎」に、聴く者は、愛する人と別れ、寂しさと哀しみに震える自分自身を重ね合わせる。
 車窓から流れる風景、そこに横たわる時間と浮かんでは消える感慨──それらが一体となってあの歌の世界観を醸成しているのだ。
 だからこそ、原さんは、交通インフラの発達と反比例して、ますます演歌が衰退するのではないかと危惧している。
「十数年後には、リニア新幹線が登場する。品川~名古屋間の8割以上はトンネルで、景色も見えない。リニアが開通したら、演歌は滅亡してしまうかもしれません」
 2013年12月20日には、『津軽海峡・冬景色』に登場する上野・青森間の寝台特急の廃止が決まった。日本人の情緒を育んできた古き良き昭和の思い出が、またひとつ消える。
※女性セブン2014年1月9日・16日号

Friday, January 03, 2014

【クリップ】八代亜紀「ロックやポップ歌手は表現者、演歌歌手は代弁者」

八代亜紀「ロックやポップ歌手は表現者、演歌歌手は代弁者」

NEWS ポストセブン 2013年12月31日(火)16時5分配信
 今年の紅白歌合戦では北島三郎が大トリを務めるが、1979年と1980年の2年連続で紅白の大トリを務めた“演歌の女王”八代亜紀(63才)が当時を振り返りながら、演歌の魅力を語ってくれた。

「『雨の慕情』は、1980年のレコード大賞もいただきました。授賞式では、8000人のお客さんの前で、“雨々ふれふれ♪”を振りつけしながら、みんなで大合唱したのを覚えてます」(八代・以下「」内同)

 1980年以降も、石川さゆり(55才)『天城越え』(1986年)、島倉千代子さん(享年75)『人生いろいろ』(1987年)、美空ひばりさん(享年52)『川の流れのように』(1989年)と、日本人なら誰でも口ずさめるヒット曲が演歌から続々と生まれた。それは今のように100万枚売れても聴いたことのないような流行とは違う。子供から大人までが最後の歌詞まで歌えるようなものだった。

 演歌は、よく「日本人の心」といわれる。その所以のひとつは、聴いた人が「自分だけの歌」と思えるからだろう。

 そのため、演歌歌手は、ロックやポップの歌い手とは違う、別の力が必要とされている。八代が言う。

「ロックやポップは自分の思いを伝える“表現者”だけど、演歌は“代弁者”なんです。聴いてくれる人の心を大切にして、その情念、呼吸、息遣いをつかんで離さないように歌い上げる。だから、言葉のひとつひとつをきっちり伝えなければならない。演歌は、ごまかしがきかないんです」

 そう言うと、八代は、本誌記者の前で、「つらいよ」という言葉を2通りの方法で表現してみせた。ひとつは、思いっきりつらそうな声で、もうひとつは、優しく労わるような声で。

「悲しい歌を悲しい気持ちで歌うと人は引いてしまう。でも、少し明るく歌うことで、逆に心の奥に響くんです」

※女性セブン2014年1月9・16日号