Tuesday, December 31, 2013

大瀧詠一、悼む声次々

佐野元春 大滝さん悼む「日本の音楽界はひとつの大きな星を失った」

大滝詠一さん死去
 歌手の佐野元春(57)が31日、オフィシャルサイトで亡くなった大滝詠一さん(享年65)の冥福を祈った。

 佐野は「大滝詠一さんが亡くなりました。日本の音楽界はひとつの大きな星を失った。でもその星は空に昇って、ちょうど北極星にように僕らを照らす存在となった。大滝さん、ありがとう。ご冥福をお祈りいたします」と感謝をつづった。


大滝詠一さん自宅で急死 リンゴを食べている時に…死因は…

81年7月、都内のスタジオで山下達郎(左)と写真に納まる大滝詠一さん
81年7月、都内のスタジオで山下達郎(左)と写真に納まる大滝詠一さん
Photo By 共同 
 ミュージシャンの大滝詠一(おおたき・えいいち、本名=大瀧 榮一)さんが亡くなったことが31日、分かった。岩手県出身、65歳だった。

 30日に午後7時ごろ、東京都瑞穂町の自宅で倒れ病院に運ばれたが帰らぬ人となった。警視庁福生署などによると、大滝さんは当時自宅で、家族と一緒にいてリンゴを食べていたが、とつぜん倒れたという。119番通報で救急搬送する際には既に心肺停止状態だった。

 所属レコード会社によると、死因は解離性動脈瘤(りゅう)という。

大滝さん 提供楽曲は軒並みヒット「風立ちぬ」「冬のリヴィエラ」「熱き心に」

81年7月、都内のスタジオで山下達郎(左)と写真に納まる大滝詠一さん
81年7月、都内のスタジオで山下達郎(左)と写真に納まる大滝詠一さん
Photo By 共同 
 ミュージシャンの大滝詠一(おおたき・えいいち、本名=大瀧 榮一)さんが亡くなったことが31日、分かった。

 ニューミュージックの先駆者として音楽業界に多大の足跡を残した大滝さんだが、楽曲提供という場面でも数多くの名曲を残している。

 盟友の松本隆が作詞し、太田裕美が歌った「さらばシベリア鉄道」、松田聖子の「風立ちぬ」、森進一の「冬のリヴィエラ」、小林旭の「熱き心に」、薬師丸ひろ子の「探偵物語」、小泉今日子の「怪盗ルビィ」など、80年代を彩った歌い継がれるヒット曲は数知れない。

 また、フジテレビの人気アニメ「ちびまる子ちゃん」の第2作のオープニングテーマとして使われた「うれしい予感」は原作者のさくらもも子さんが大の大瀧ファンということでラブコールを送って実現している。


サンボマスター山口隆「大瀧さんそりゃないよ(泣)」思い出つづる

 ロックバンド、サンボマスターのボーカル&ギターの山口隆(37)が31日、自身のツイッターでミュージシャンの大滝詠一さんの死去に悲しみをつづっている。

 更新されたツイッター上で、次々に悲しみをつづり「嘘だ!俺は信じない!大瀧詠一がこんなに早くいなくなるはずない。俺は信じないぞ」で始まり、「大瀧さんは俺たちサンボマスターにも気さくに優しくしてくれたんだ。俺たちは晩飯おごってもらってヒップな話を聞かせてもらったんだ。いなくなっちまうなんて信じられるわけないだろ」と大きなショックを表した。

 さらに「本当に偉大な音楽家だっだ。膨大な知識とそれを血肉にする強靭な好奇心と才能。産み出される音楽はいつも真実とリズムとユーモアがあり、にも関わらずその表現の巨腕を少しもひけらかすような素振りもなかった。ご冥福をお祈りします」と追悼、最後には「大瀧さん俺としゃべると毒舌でさ(笑)。でもね、俺が毒舌で返しても笑ってんだよね。本当に最高な人だったなぁ。あー、本当にショックだよ…。大瀧さんそりゃないよ(泣)!ずっと大好きだ」とした。リンク先のブログには11年1月に一緒に写真を撮った姿が掲載されている。

 メンバーの木内泰史(37)も、「信じられない。初めてお会いしたのはQJの対談に立ち会わせてもらった時。2度目はスタジオで。そのまま食事に連れて行ってもらった。話出したら止まらなくて、何時間も話をして下さった。心よりご冥福をお祈りします」と悼んだ。


“研究家”佐野史郎 大滝さん偲ぶツイート「洒落にもならない」

 俳優の佐野史郎(58)が31日、急死したミュージシャンの大滝詠一さん(享年65)を自身のツイッターで偲んだ。

 「お正月といえば炬燵を囲んでお雑煮を食べながら歌留多をしていたものです…はっぴいえんどの『春よ来い』洒落にもならない。大瀧詠一さん、安らかに。」と哀悼の辞を記した。

 佐野のこのツイートは松本隆が作詞し、大滝さんが作曲した「春よ来い」の歌い出しの歌詞をツイートすることで、大滝さんの死を悼んだもの。

 佐野は俳優のかたわら、自身でバンドを組むなどロックやニューミュージックに精通。大滝さんが1969年から活動した「はっぴいえんど」の研究もしている。


大滝さん死去に加藤登紀子「言葉がないです」つるの剛士「信じられない」

 亡くなったミュージシャンの大滝詠一さん(享年65)に各界の著名人が追悼の言葉を寄せている。

 歌手の加藤登紀子(70)は、ツイッターで訃報に「驚きました。直接は、お会いしてないですが、、凄い人だったので」と触れ、その後「言葉がないです」とつづった。

 タレントで歌手のつるの剛士(38)は「突然の訃報、、信じられないです。。御冥福を御祈りいたします」、タレントのROLLY(50)「大滝詠一様 あなたの作られた音楽、そして歌声は永遠に色あせる事無く私の心の中で燦然と輝き続ける事でしょう。沢山の素敵な風景に魅せられ、豪華絢爛な音の洪水に浸らせて頂きました。本当にありがとうございました。謹んでお悔やみ申し上げます」と悼んだ。
[ 2013年12月31日 13:40 ]


大滝さん悼む声続々…森進一、冬のリヴィエラは「宝物のような一曲」

 ▼歌手の森進一の話 1982年に作曲していただいた「冬のリヴィエラ」は、いまも私にとって大きな宝物のような一曲です。31日夜の番組(民放で放送)でも、大滝さんの元に届きますよう、心を込めて歌わせていただきます。いまは心よりご冥福をお祈りいたします。

 ▼音楽ライターの小暮秀夫さんの話 日本語ロックの先駆者だったバンド「はっぴいえんど」の一員として活躍した後、豊富な知識をもとにユーモアあふれるセンスで独自の音楽性を確立した。米国のオールディーズや日本の歌謡曲などさまざまな音楽に造詣が深く、いわば音楽の目利き。CMソングの制作や、歌手やアイドルへの楽曲提供のほか、プロデューサーとして山下達郎さんら若い才能を発掘するなど、日本のポップミュージック界を底上げした。
[ 2013年12月31日 15:58 ]


稲垣潤一 大滝さん哀悼ツイート「素晴らしい作品、ありがとうございました」

 ミュージシャンの稲垣潤一(60)が31日、急死したミュージシャンの大滝詠一さん(享年65)に哀悼のツイートをした。

 「大滝詠一さん、信じられません。素晴らしい作品、ありがとうございました。御冥福を祈らさせて頂きます」と早すぎる死を悼んだ。

 稲垣は1985年、大滝作品の「バチェラー・ガール」をカバーし、横浜ゴムのCMソングに採用された。
[ 2013年12月31日 16:22 ]

【訃報】大瀧詠一さん死去、65歳、歌手

<訃報>大滝詠一さん65歳 歌手

毎日新聞 12月31日(火)12時3分配信
 警視庁によると、歌手の大滝詠一=本名・大瀧榮一=さん(65)が30日午後5時過ぎ、東京都瑞穂町内の自宅で倒れ、救急車で病院に搬送されたが、死亡した。目立った外傷はなく、病死とみられる。

大滝詠一さん急死 65歳 達郎、聖子プロデュース「幸せな結末」が大ヒット

スポニチアネックス 12月31日(火)11時41分配信
大滝詠一さん急死 65歳 達郎、聖子プロデュース「幸せな結末」が大ヒット
急死したことがわかった大滝詠一さん(左)写真は85年はっぴいえんど」再結成時で、大滝さんの隣は(右から)松本隆さん、細野晴臣さん、鈴木茂さん
 ミュージシャンの大滝詠一(おおたき・えいいち、本名=大瀧 榮一)さんが亡くなったことが31日、分かった。岩手県出身、65歳だった。

 30日に午後5時すぎ、東京都瑞穂町の自宅で倒れ病院に運ばれたが帰らぬ人となった。病死とみられる。

 岩手県江刺郡梁川(現奥州市)生まれ。1968年に早大に入学後、細野晴臣を紹介され、70年「はっぴいえんど」としてデビュー。自身のレコード・レーベル「ナイアガラ」を立ち上げたほか、山下達郎や大貫妙子が所属していたバンド「シュガー・ベイブ」のプロデュースなどを行った。

 81年に、シングル「君は天然色」がヒット。同曲が収められたアルバム「A LONG VACATION」がヒット「第23回日本レコード大賞・ベストアルバム賞」を受賞。松田聖子のアルバムプロデュースなどでも話題になった。

 97年には12年ぶりにシングル「幸せな結末」を発表し、フジテレビのドラマ「ラブジェネレーション」の主題歌としてミリオンセラーを達成。来年3月21日には84年3月21日発売のヒットアルバム「EACH TIME」の30周年を記念して、「EACH TIME 30th Anniversary Edition」の発売が予定されていた。


時代の先駆者だった大滝詠一さん 凝り性な“遅れて来た大物”

スポニチアネックス 12月31日(火)12時13分配信
 ミュージシャンの大滝詠一(おおたき・えいいち、本名=大瀧 榮一)さんが亡くなったことが31日、分かった。岩手県出身、65歳だった。

 大滝さんはニューミュージックの元祖として知られる。1970年、細野春臣、松本隆とともに結成した「はっぴーえんど」でデビューしたものの、先に売れたのは仲間の細野や後輩の山下達郎だった。レコード制作においての凝り性が災いしたのか、ヒットという点では今一つだった。しかし、アルバム「ロングバケーション」が大ヒット。“遅れて来た大物”と当時のメディアは紹介している。

 しかし、それ以前もそれ以後も、シンガーソングライター、作曲家、アレンジャー、音楽プロデューサー、レコードレーベルのオーナー、DJ、など多くの顔を持ち、音楽業界で幅広く活躍、足跡を残した。

 福生の自宅を改造してスタジオを作ったり、あるいは73年の「アサヒ飲料の三ツ矢サイダー」のCMでは今でこその感はあるが、当時としては初のCMソングのレコード化第1号だった。また、レコードの原盤制作をレコード会社ではなく自信のレーベルで行ったのも大瀧さんが初だった。表舞台にはあまり派手に存在せずとも、裏で貯蔵し続けた大瀧さん。だが、現在の音楽業界をリードしてきた存在だった。


大滝詠一さん自宅で急死 家族は「リンゴを食べていてのどに詰まらせた」

スポニチアネックス 12月31日(火)12時26分配信
大滝詠一さん自宅で急死 家族は「リンゴを食べていてのどに詰まらせた」
急死した大滝詠一さん(左)写真は85年「はっぴいえんど」再結成時のもので、大滝さんの隣は(左から)松本隆、細野晴臣、鈴木茂
 ミュージシャンの大滝詠一(おおたき・えいいち、本名=大瀧 榮一)さんが亡くなったことが31日、分かった。岩手県出身、65歳だった。

 30日に午後5時半ごろ、東京都瑞穂町の自宅で倒れ病院に運ばれたが帰らぬ人となった。警視庁福生署などによると、大滝さんは当時自宅で、家族と一緒にいた。家族は「リンゴを食べていてのどに詰まらせた」と話しているという。119番通報で救急搬送する際には既に心肺停止状態だった。




大滝詠一さんが急死、都内の自宅で倒れる

デイリースポーツ 12月31日(火)12時22分配信
 伝説的ロックバンド・はっぴいえんどの元メンバーでシンガー・ソングライターの大瀧詠一さんが、30日午後5時すぎ、東京都内の自宅で倒れ、病院に運ばれたが間もなく死亡したことが31日、分かった。65歳だった。病死とみられる。

 大瀧さんは、1948年岩手県生まれ。早稲田大学入学後の1970年、細野晴臣、松本隆とはっぴえんどを結成し、アルバム「はっぴいえんど」でデビューした。当時、黎明期だった日本語によるロックの草分けとして、大きな影響を与えた。

 72年にはソロアルバム「大瀧詠一」を発売。翌年、レコードレーベル「ナイアガラ」を設立。高い音楽性と都会的でユーモアあふれるセンスが支持を呼び、81年に発売した「A LONG VACATION」はミリオンヒットを記録した。

 97年に発売した12年ぶりのシングル曲「幸せな結末」は、SMAPの木村拓哉が主演したドラマ「ラブジェネレーション」の主題歌として大ヒットした。

大滝詠一、逝去。享年65歳

RO69(アールオーロック) 12月31日(火)12時36分配信
大滝詠一、逝去。享年65歳
『恋するふたり』2003年作品
大滝詠一が亡くなったことが明らかになった。享年65歳だった。

12月30日に東京都瑞穂町の自宅で倒れ、病院に運ばれたものの亡くなったと報じられている。

1948年7月28日生まれ。細野晴臣、松本隆、鈴木茂と共に結成したバンド、はっぴいえんどで1970年にデビュー。はっぴいえんど解散後ソロ活動を本格化させ、1981年発表のアルバム『A LONG VACATION』で大きな成功を収めた。

2003年発表の『恋するふたり』以降、新作の発表は途絶えているものの、2005年より「ナイアガラ不滅プロジェクト」と題した各アルバムにおける30周年記念事業を展開しており、2014年3月21日に発売予定だった『EACH TIME』の30周年記念盤で「ナイアガラ不滅プロジェクト」は終了する予定となっていた。

大瀧詠一が急逝

ナタリー 12月31日(火)12時36分配信
大瀧詠一が急逝
写真は2011年に発売された「A LONG VACATION」発売30周年記念エディションのジャケット。
大瀧詠一が逝去したことが、一部報道により明らかになった。

彼は昨日12月30日の夕方に都内の自宅で倒れ、搬送先の病院で亡くなったという。65歳だった。

大瀧は1970年代にはっぴいえんどのボーカル&ギターとして活躍し、解散後は自身のレコードレーベル「ナイアガラ」を創設。1981年発表のソロアルバム「A LONG VACATION」は日本のポップス史に残る名盤となった。その後も松田聖子「風立ちぬ」、森進一「冬のリヴィエラ」、小林旭「熱き心に」など数多くのヒット曲のプロデュースを担当。1997年には自身のオリジナル曲「幸せな結末」が月9ドラマの主題歌として大ヒットを記録した。

Tuesday, December 17, 2013

学術的近況

研究や教育の忙しさは楽しさでもある。だが、学内業務の忙しさはまったく別種のものだ。苦しく、実りのない日々のように思えてならない。けれども、そういうときでも、そういうときこそ、精進を積み重ねていかねばならないと強く思う。

というわけで、今月も連載してます。ようやく(本当にようやく…)第二部に入り、これまでの煩瑣な実証的部分からまた仮説を提示する部分になりますので、ご専門でない方にもお読みいただけるのではないかと期待しております。どうぞ引き続き応援をよろしくお願い致します。


年内に仕上げるべきもの
①09シンポ序文・原稿
②デリダ翻訳
③連載原稿

2014年
2月11日(火・祝)大学における高等教育をめぐるシンポジウム(仮称)」@京都文教大学
3月15日(土)日本における哲学思想研究の外国語によるアウトプットの現状と課題」@大阪大学・豊中キャンパス


しんどいときは、過去を振り返ってみる。

2002-2003年度:発表1つ(仏1)
2003-2004年度:発表1つ(英1)
2004-2005年度:発表2つ(英1・仏1)
2005-2006年度:発表4つ(英1・仏1・日2)
2006-2007年度:発表4つ(仏1・日3)
2007-2008年度:発表5つ(仏4・日1)、その他1つ
2008-2009年度:発表6つ(仏3・日3)、その他1つ
2009-2010年度:発表6つ(仏4・日2)その他1つ
2010-2011年度:発表8つ(仏5・日3)、その他2つ
2011-2012年度:発表2つ(仏2・日0)、その他1つ
2012-2013年度:発表3つ(仏2・日1)その他3つ
2013-2014年度:発表6つ(仏1・日5)

48の学術的発表(その他のトークイベント除く)のうち、仏25、日20、英3

ゼミや講義の情報なども一新しました。ご興味おありの方はどうぞご覧ください。