Thursday, August 29, 2013

9/15 ネットワーク日本哲学「愛をめぐる対話」@キャンパスプラザ京都

合同ゼミをしている宮野さんからお知らせがまいりましたので、告知しておきます。ご関心のある研究者の方はぜひどうぞ。

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お世話になっております。
福岡大学の宮野です。

人文系、とくに哲学思想系の学問を取り巻く状況が日増しに厳しくなっているなかで、
なにか微力ながら、出来ることはないのか。
このような厳しい状況で、日本哲学が果たす役割とは何なのか。
そんな問題意識をもったメンバーが集まり、ささやかな半歩を踏み出すために、
ネットワーク日本哲学という名前で研究会をはじめることになりました。

今日は、研究会の第一回会合についてご案内させていただきたく、メールをいたしました。
日程、内容は以下の通りです。

ネットワーク日本哲学 第一回研究会
(日時) 2013年9月15日(日)13時30分〜
 (場所) キャンパスプラザ京都 第三演習室
(プログラム) 『愛をめぐる対話』
佐藤啓介(聖学院大学准教授) 「倫理とその彼方の間としての愛 —キリスト教思想の視点から」
宮野真生子(福岡大学准教授)「奪う愛の行方近代日本精神史の可能性」

何から何まで初めてのことばかり、わからないことだらけで、手探りでスタートする研究会です。
ただ、その分、敷居は低く、間口は広く、中堅/若手の研究者がそれぞれジャンルに囚われずに議論する場所になれればと思っています。
広く関心のある方に声をおかけいただければ幸いです。
添付したのは、第一回研究会用に作成したチラシです。ご参考までに。

Tuesday, August 27, 2013

9/21, 25 セバー氏講演会「痕跡-顔-表徴:デリダ、レヴィナス、リオタール」「リオタールとテクノサイエンス」

明治大学大学人文研総合研究講演会

フランソワ=ダヴィッド・セバー氏(コンピエーニュ工科大学教授)

痕跡‐顔‐表徴:デリダ、レヴィナス、リオタール

日時:9月21日(土)、16:00-19:00

場所:明治大学駿河台校舎リバティタワー8階1086室


リオタールとテクノサイエンス

日時:9月25日、16:00-19:00

場所:明治大学駿河台校舎リバティタワー15階1156室


使用言語はフランス語、通訳あり、聴講自由、予約不要


フランソワ=ダヴィッド・セバー氏:1967年生まれ、現在、フランス、コンピエーニュ工科大学教授。現在、気鋭の哲学者としてフランス内外で最も注目されている人物のひとりで、著書に『レヴィナス』(2000年)、『限界の試練』(2001年、邦訳法政大学出版局)、『テクノサイエンスとは何か』(2010年)などがある。

Sunday, August 25, 2013

心の大衆漢方(3)生きづらさの理由

必ず(1)から読んでもらいたい。引き続き加藤氏の著作から。



性格的な問題、という点について一言しておこう。神経質に仕事を進めていく人は往々にして、人から「仕事のできる人」と見なされやすく、またしばしば自分のことをそのようにナルシスティックに勘違いしている場合がある。だが、よく考えてみてほしい。彼らはそうしないと「生理的に落ち着かない」からそうしているに過ぎないのだ。小さい犬ほどせわしなく動き、よく吠え威嚇する。大きい犬ほどのんびりしている。だからといって、別に小さな犬が悪いわけでもなければ、大きな犬が悪いわけでもない。それは種族的な違いなのであって、そんなことは仕事の本質に関係しないことがほとんどである。私たちはよくよくこの事実を認識しておくべきだろう。



燃え尽き症候群の人は、いつもにこにこして周りのあらゆる人にあわせようとして、嫌いな人にまで好かれようと絶望的な努力を繰り広げる人である。こういう人は、努力の仕方も、努力すべき場所も相手も間違っている。

この種の人が生きづらいのは決してその人が悪いのではないが、すべて周囲が悪いわけでもない。この種の人は、自分が何をしたらよいのか、本当は自分が何をしたいのか分かっていない人である。きずな喪失の人は、そういう人に吸い付いて骨まで、というか魂を、しゃぶり尽そうとする。

きずな喪失の人は、自分のしたいこと、なすべきことがはっきりしている人のところへは行かない。彼らは、自分が本当は不安でたまらず、からっぽな人間であることを見抜く人を本能的に嫌う。

燃え尽きの人は、きずな喪失の人が近くにいる場合、自分がその餌食になりやすい傾向をもっていることを意識すべきだし、きずな喪失の傾向をもつ人は、自分が相手を過剰にコントロールしようとしすぎていないか注意すべきである。蛇とカエルがもし一緒にいないといけないのなら、「蛇ににらまれたカエル」のような事態を招来しないよう、互いになるべく近寄らない、可能なかぎり接点を持たないことである。

それを認識していないと、燃え尽きの人は、生涯にわたって人からいいように扱われてしまう。

「生きるのがつらい」と言っている人は、「今の人間関係の中で生きるのがつらい」のである。「こんなに一生懸命やっているのに、どうしてこんなに苦しいことばかりなんだろう」と思ったら、ほぼ間違いなく、今の人間関係にどこか異常なところがあるのだ。

特に職場などでは、誰と付き合うかまでコントロールできるわけではない。嫌な上司や同僚とでも調子を合わせて付き合っていかざるを得ない。だが、「誰と付き合うか」は変えられなくても、「どう付き合うか」は変えられる。そしてこれは努力に値することである。

燃え尽き症候群の人にとって、きずな喪失症候群の人を見分けること、彼らの生態や性質をしっかり知っておくことは決定的に重要である。山に暮し山菜を食べて日々を送らざるを得ない人にとって、毒キノコを見分けること、その生態や性質をしっかり知っておくことが、命にかかわる重大事であるのと同じである。

Saturday, August 24, 2013

心の大衆漢方(2)きずな喪失症候群と燃え尽き症候群

必ず(1)から読んでもらいたい。引き続き加藤諦三氏の『「あなたを傷つける人」の心理』から。



人には利用する人と利用される人がいる。もちろんそれ以外の人もたくさんいる。厳密に「本質的理解」に近づけて言えば、利用する人とされる人という風に二人が構造化される磁場が発生することがある。

加藤氏が「きずな喪失症候群の人」と呼んでいるのは、利用する人、支配する側のひとのことであり、「燃え尽き症候群の人」と呼ばれているのは、利用される人、ずるい人にいいようにやられる人のことである。

カレン・ホーナイは、人が不安なとき、三つの対応を取りうると述べている。迎合、攻撃、ひきこもりである。このうち、迎合と攻撃は正反対であって(大雑把に言えば、陽性転移と陰性転移である。引きこもりは無関心に当たる)、不安なときに攻撃的対応をするのが「きずな喪失症候群」、迎合するのが「燃え尽き症候群」である。

〈きずな喪失〉と〈燃え尽き〉、前者が悪人で、後者が善人、ということではない。正確に言えば、「カップリングが悪すぎた」のである。

エーリッヒ・フロムの分類を借りれば、前者がとるのが、他人から奪い取ることによってのみ満足する「搾取的構え」、後者がとるのが、それをひたすら認容する「受容的構え」であるが、フロムはどちらも不安に対する「非生産的な構え」つまり不毛な姿勢だとしている。

受容的構えがなければ、搾取的構えは、その本領を発揮しえない。いくらゴルフボールが転がっても、穴がなければ、カップインすることはない。



きずな喪失症候群の人は、仲間と一緒に登った山で遭難したときに「お前が悪い」と仲間を責める人である。そしてそこにたまたまダイヤモンドが見つかると、今度は「オレが発見した」と主張する人である。自分が怪我をした時には、「こんなところに、こんなものがあって、けしからん」と周囲の環境を責めるのに、周囲の人が怪我をすると、その人の不注意を責める人である。

このタイプの人は、一見仕事ができるように見えても、強がっているように見えても、実は「自分は周囲からどう見られているか」「どう評価されているか」、心はいつも不安である。そしてその不安を解消するために、支配しやすい「カモ」や「飼い犬」を手元に置きたがる。

この種の人々は、さりげなく相手の弱点を探り、相手を支配しようとする。隙あらば自分が得意な分野に相手を巧みに引っ張り込み、そこで勝負することを余儀なくさせておきながら、相手が自分に感服し、「指導」してくれたことを感謝しないと相手を責める人である。

このタイプが相手を非難、攻撃するのは、不安の感情処理のためである。したがって、攻撃され支配される側の態度に問題があるというよりは、もっぱら攻撃する側の感情に問題がある。これは性格的な問題である。この種の人々は、感情処理の方法として、攻撃的になる。常時不安なため、常に仮想敵を探し、その相手を攻撃している間は異様に生き生きとしている。

この攻撃には二種類ある。毒蛇的な、実にハードで野蛮な攻撃と、毒キノコ的な、ソフトで陰湿な攻撃である。前者は見えやすく、同情もされやすいが、後者は見えにくく、同情されにくい。「あんたが好きで従ってるんでしょ」と言われやすい。

だが、だからこそ、いじめは容易にはなくならないし、ハラスメントは容易に解決されえないのである。離婚の原因となるDVやアルコール依存など、あらゆるアディクションの問題はおそらくここに起因する。

きずな喪失症候群の者は、毒蛇型であれ、毒キノコ型であれ、燃え尽き者を見つけるといじめ、自分の要求を通す。結果として通るかどうかは別にして、強引にでも通そうとする。そのことによって「愛の要求」と見紛うばかりの「支配・服従関係」を確立し、自らの不安を打ち消そうとするのである。

一見従順に「教育」されているかに見えて、実は屈従させられている燃え尽き者には、自分の要求を通すという姿勢はない。常に譲ってしまう。燃え尽き症候群には、別の性格的な弱みがある。それは、「とにかく相手に認められたい」という点である。燃え尽き症候群は相手と取引しないが、きずな喪失症候群は巧みに取引に引きずり込む。

会うとすぐ、どんな犬にでも自分の腹を見せて仰向けに寝そべる犬がいる。完全服従の意味である。気立てが優しく、誰にでも愛想がよく、観ていて決して気持ちは悪くないが、そんな生き方をしていたら、いつか痛い目に合うのもまた確かである。なぜなら、相手が手持ちのカードをすべて見せて「勝負する気はありませんよ」と言っているのに、「さあゲームの始まりです」などと言って喜んでいる人が世の中には確実にいるからである。

Friday, August 23, 2013

心の大衆漢方(1)毒蛇と毒キノコ

「大衆漢方」という言葉があるとずっと思っていたのだが、どうやらネットで検索する限り、存在しないらしい。でも、まあ要するに、科学的な効能のほどは確かではないけれど、昔から効くと言われていて、今でも割とよく飲まれている、そういう漢方薬のことである。

人間は極度につらいとき、何でもいいからすがりたくなる。不満があるとき、他人に訊いてもらって、ただひたすら「うんうん、そうだね。君は何も悪くないよ」と言われたい時がある。その時必要なのは、ただひたすら訊いてあげることである。的確なアドバイスはあまり必要ではない。アドバイスを言ってもいいが、しっかり受け止められることを期待してはいけない。それはそうだ。流血の大惨事になっている患者に対して、「科学的な止血方法を教授してやっているのに、どうして聴かないのだ」などと言ってみても、詮無いことだ。

時々卒業生がやってきては、いろんな話をしていく。会社で上司や同僚にパワハラ・セクハラを受けているとか、結婚してすぐ離婚したとか。

そういう時はもっぱら聴いてあげようとするのだが、本当は、もう少し冷静になってから、自分と周囲の関係を見つめ直してもらいたい、その時のためのアドバイスをしたいと思う。でも、その場で言ってみてもあまり効果がない。だから、ここに書いておく。いつか心に届けばいいなと思いながら。

ここで処方するのは、大衆漢方である。依拠するのは、加藤諦三『「あなたを傷つける人」の心理』(PHP文庫、2005年)だ。通俗心理学やマニュアル本の愚は十分に理解しているつもりである。けれど、目の前で苦しんでいる人に、いずれは本格的な治療(=より本質的な理解)を受けてもらいたいと願いつつも、ひとまず当座の苦しみを癒す何かが与えられれば、それはそれで悪いことではないとも思う。



アメリカ発信の俗流心理学の言葉で「毒のある人(toxic people)」という言葉があり、最近では、フランスでもずいぶん流通している。日本でも「毒親」などの言葉を見かけるようになった。近親者や周囲の人々を心理的に汚染し疲弊させる人々のことである。

毒蛇は見るからに気持ち悪く、怖い。だが、毒キノコはどうか。何の前提知識もない子どもにとって、ある種の毒キノコはカラフルで、食べたくなるかもしれない。ある種の毒キノコは、ごく普通のキノコの外見をしているが、猛毒である。

小さい子どものころから毒キノコはいる。子どもの遊びで目隠しをして、その子を回す遊びがある。Aという毒キノコの子どもが、Bという淋しがり屋の子どもに「遊んであげようかー」と言う。淋しがり屋のBは淋しいから遊んでもらえるのがうれしい。そこでCやDやEと皆で一緒に遊びだす。Bは目隠しをされて右に回され、左に回され、吐くまでやられる。

(精神的にきついときに、仕事に精を出すことで忘れようとする場合がある。その時、一緒になって仕事をしてくれる上司や同僚はありがたい。実際以上に献身的で、頼もしく見えるだろう…。)

吐くのを見て、CやDやEは、驚いて逃げだす。そこで一番Bを回して気持ち悪くさせたAという毒キノコの子どもは逃げない。逃げないで何と言うか。「誰がやったの、たぶんXXじゃない?ひどいよねー」と吐いているBに言う。

いじめられたBも、幼稚園の先生も、ひょっとすると毒キノコ自身も、毒キノコを「いいひと」と思い込んでしまう。本当にBをいじめたのは毒キノコAなのである。しかし怒られるのは、CやDやEである。あるいは、事実を告げて「あの人はそんな人じゃない!」とか「そうかもしれないけど、いいところもたくさんあるのよ!」と逆ギレされるのは、FやGやHである。

実はこれは一つの典型的ないじめの構造なのである。いろいろのところに名前の出てしまうような毒蛇タイプのいじめっ子は、実は踊らされた子どもにすぎない可能性がある。本当に悪い、毒キノコタイプのいじめっ子は、いじめっ子としてどこにも名前が出ない。本当にいじめながらどこにも証拠を残さない。

加藤氏は、毒蛇タイプを「愚かなきずな喪失症候群」、毒キノコタイプを「ずる賢いきずな喪失症候群」、そしてその餌食となるタイプを「燃え尽き症候群」と呼ぶ。


Tuesday, August 13, 2013

近況(7月末-8月上旬)

7月28日(日) 大学オープンキャンパスで朝から夕方まで進学相談。その後、昨年の『緑子』上映関係者と会食。

7月29日(月) 仏文学会WS報告執筆→明け方に終了。

7月30日(火) 午前中:各種調整、昼休み:教務関連打ち合わせ、1時~2時:試験監督、2時~3時:学生指導、3時~4時:試験監督、4時~6時すぎ:引き続き話し合い、打ち合わせ。7時~:日仏学館関係者と会食。

7月31日(水) 一日中採点。その合間にも教務関連、試験関連のメール対応絶え間なく。試験の採点を一科目分済ませ、8月2日くらいに締め切りの九哲予稿に取り掛かる。

8月1日(木) 午前中―昼:教務・試験関連、2時:学生対応、3時~4時:試験監督、4時~:試験採点

8月2日(金) 原稿執筆。某氏の快気祝い。

8月3日(土) 原稿執筆。小学校の父親懇親会。これが案外、「小学校教育における理想の《評価》とは何か」などについて意見交換していたりするのだな。。

8月4日(日) 原稿執筆。ハラスメントについて考える会。

最近、牟田和恵さんの『部長、その恋愛はセクハラです!』(集英社新書、2013年6月)を読んで、ハラスメントとは何かについて認識を――おそらくはごく基本的な認識を――深めようとしている。

全部必要に迫られてとはいえ(そして、どれも楽しかったとはいえ)、1週間に5回の飲み会はつらい。。

8月5日(月) 朝11時~12時:会議その1、1時~2時:会議その2、2時~3時:会議その3、3時~4時:試験監督、4時~5時:会議その4、5時~6時:翌日勉強会資料準備、帰りのバスでも乗り合わせた職員・教員の方々と打ち合わせをして、しまいには疲労で体がビリビリしてきました…。その後徹夜で、勉強会の準備を仕上げる。

8月6日(火) 勉強会@福大、朝10時~:第1部、午後1時半~:第2部、懇親会。

8月7日(水) 爆睡。午後、だるい体を引きずって、学生対応、教務関連打ち合わせ、重要な話し合い。

8月8日(木) ようやくすべての大学業務から(少なくとも強制的に大学に出勤させられることから)解放された。一日だるい。ほんの少し採点。

8月9日(金) 体が依然だるい。少し執筆。ほんの少し採点。

8月10日(土) 体が依然だるい。少し執筆。ほんの少し採点。

8月11日(日) 採点また一つ終わらせる。疲れる。

8月12日(月) 書類整理、メール。来年2月くらいに、京都の某大学で、大学教育について話すことになるかも。


①09シンポ原稿(すぐ)
②自著原稿(8/15)
③九哲予稿作成(8/19)
④テスト採点(8/19)
⑤重要書類作成(8/22)
⑥デリダ翻訳
⑦13シンポ原稿

イベント
9/29 哲学教育@九哲会
11/06-8 ベルクソン・シンポ@パリENS
2014.02 大学教育@??大
2014.03 外国語での哲学アウトプット@阪大


Monday, August 05, 2013

10/10 ジュスティーヌ・ラクロワ講演会《憲法愛国主義とその批判》

以下の情報をいただきましたので、告知させていただきます。

ジュスティーヌ・ラクロワ (Justine Lacroix)教授 ブリュッセル自由大学・政治哲学
「憲法愛国主義とその批判」

*日本語通訳付

2)日程
2013年10月10日(木)16時~18時

3)会場
慶應義塾大学三田キャンパス南館地下4階 2B41教室
http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html の【13】の建物です。

4)資料の準備の関係で,ご出席を希望の方は, 山元までご連絡をいただければ幸いです。

5)主催 慶應義塾大学フランス公法研究会

Thursday, August 01, 2013

【ラジオ】狂えるエルサとアラゴンの隠れ家

Fins de mois difficiles chez Elsa Triolet et Louis AragonFins de mois difficiles chez Elsa Triolet et Louis AragonAu sud de Paris, un ancien moulin a abrité l'amour et l'écriture d'Elsa Triolet et Louis Aragon. Mais, prise en tenailles entre les ministères de la Culture et de l'Economie, l'avenir de cette "maison des illustres" inquiète. Visite et reportage.

【ラジオ】ヴェルレーヌの「独房的に」

"Cellulairement" de Paul Verlaine par Pierre Brunel
"Cellulairement" de Paul Verlaine par Pierre Brunel
Rassemblant, sans doute après sa sortie de prison, les poèmes qu'il avait écrits pendant son incarcération à Bruxelles (du 11 juillet au 24 octobre 1873) puis à Mons (du 25 octobre 1873 au 16 janvier 1875), Paul Verlaine avait prévu le titre Cellulairement. C'est ainsi qu'il se présente sur le manuscrit réapparu en 2004, acheté par l'État et conservé au musée des Lettres et Manuscrits – ...

【ラジオ】子どもサマーキャンプの未来

Nature
Les Colonies de vacances
Les Colonies de vacances
Quel avenir pour les colonies de  vacances ? On se pose la question ce soir car le modèle économique et théorique des colonies est un peu vacillant. Vous avez peut-être entendu parler du rapport parlementaire paru le 10 juillet dernier. Ce rapport d'information sur "l'accessibilité des jeunes aux séjours collectifs et de loisirs", dirigé par le député PS de Loire-Atlantique, Michel Ménard ...