Saturday, March 30, 2013

妬み深く、怠惰で、幼稚

最新号である『ベルクソン年鑑』第6号を、ついに実質的に日本人でジャックしてみせた。たぶん、業界以外の人々にとっては、ささやかすぎる成果と見えよう。業界内にさえ、そのことの破格さが分からない人々はたくさんいる。だからこその閉鎖性である。

もちろん村上隆ほどではないとして、私たちも2007年以来、西洋哲学研究の国際的なネットワークの「ルールを学んで二枚舌で頑張る」ということを地道に積み重ねてきた。

基本的にきわめてヨーロッパ中心主義的な体制にどうやって制度的に風穴を開けるか。日本の研究の存在を知らしめ、その意義を実質的に(外交辞令でなく)認めさせるか。『ベルクソン年鑑』第6号の序文を見てもらえれば、彼らの現状認識がはっきりわかるはずだ。

と同時に、日本の西洋哲学研究のあまりに貧相な二者択一――海外組(流行りの思想家の薄っぺらい本を訳し、訳者解説を書いて名前を売り、のしあがっていくというキャリア)か、国内組(強固なギルド組織の中で、地道にこつこつ訓詁学を積み重ねていくか)――に入らない道をいかに切り開いていくか。外国語で哲学をする国際的な研究基盤を「制度」としていかにつくっていくか。私たちはそれを考え、実現しようとしてきた。

国際シンポで言えば、私たちは旧来の「大哲学者(ないし旬の流行哲学者)を呼んでお説拝聴」式ではなく、「仲間として議論できる研究者たちと共同作業をする」式を続けてきた。もちろん、日本に紹介して意味のある海外研究者を選び、海外に紹介して意味のある日本人研究者を、ベストのマッチングでセッションに組み込む。ほとんどの人にその組み合わせの妙が分からないとしても、それなりの精度でやってきた。

エラスムス・ムンドゥスは、ヨーロッパと日本の哲学教員が、東京で、フランス語で、世界中から選抜されてきた学生たち(および日本の意欲ある学生たち)に哲学の授業を行なうという制度である。私たちはもっと日本の学生たちがチャレンジ精神をもって臨んでくれることを期待している。そのための制度である。

国際シンポなどお祭り騒ぎでしかない。エラスムス・ムンドゥスなどヨーロッパの文化政策のお先棒担ぎでしかない。そういった冷ややかな見方がずっとあったし、今もあるだろう。だが、「彼ら」のように、自分たちは何も新しいチャレンジをせず、隙あらばケチをつけてやろうと、一言居士然として見せることにいったい何の意味があるのだろう。それは「反時代的」ではなく、単なる「反動」にすぎない。

プロジェクトの最終年、私たちは守りに入るのではなく、さらなる攻めに転じる。パリで日本人主体の国際シンポジウムを開くのである。数字的にはおそらく惨敗するだろう。一昨年、福岡で苦い経験をしたように…。けれど、それでもなお、私たちは前進し続けなければならない。

以下に並んでいるのは、「経済」や「資本主義」、とりわけ「制度」を非難し決別宣言して事が済むと思っている哲学者に聴かせたい言葉ばかりである。面白かったので、全文を元のサイトでぜひ。


村上隆(下)「クールジャパンはアホすぎる」

「未来国家・日本」が抱える大問題


日本はSFの管理社会そのまんま

――日本は「未来国家」だと指摘していますが、どういう意味でしょうか?
悪い意味でです。民主化を超えたスーパーフラットな監視社会が自然発生的にでき、そのストラクチャーは草の根ゆえに強固です。成功者を妬み、引きずり下ろし、失敗をあざけり笑い、楽をしたいと思い、だらだらと生きている者たちが心の平静を保つ。
国家債務が限界を超えても、その責任を取ろうとするコンセプト1つ出てこず、大衆は文句を言い続けながら怠惰な生活を留保し続けられると信じている。(…)
――世界で勝つためにも、まず戦勝国のルールを学ぶべきだと提唱しています。
え?そんなこと言ってないです。コンテンポラリーアート界を牽引しているのは、戦勝国のアメリカとイギリスです。だからそこを学べと言っているわけであって、曲解してしまうとダメですよ。
(…)今も欧米が経済のルールを作り、改変するダイナミズムを持っているので、マイノリティがいくら頑張っても、搾取はある程度行われてしまう。それをしょうがないと思ってあきらめるか、ルールを学んで二枚舌で頑張るかのどちらかしかないですね。
マイナーな国々でも、独自のルールに誇りを持ち続けています。その国にフィットさせるためには、言語を習得するといった技術面だけでは不十分です。「相手が何を望んでいるか」を集中して考えれば、ピピッとそのフュージョン(融合)の勘所がわかるではないかと思います。
上隆(むらかみ・たかし)
アーティスト。カイカイキキ代表

1962年、東京生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。世界のアートシーンに新しいコンセプトを提案したSUPERFLATプロジェクトは6年をかけてロサンゼルス、パリ、ニューヨークを回り、ラストとなった「LittleBoy」(NY ジャパンソサエティ/2005 年)はニューヨークの美術館開催の最優秀テーマ展覧会賞を受賞。08年、TIME マガジン<世界で最も影響力のある100人> に選出。主なコラヴォレーションにルイ・ヴィトンや六本木ヒルズ、カニエ・ウェストがある。代表的な展覧会はベルサイユ宮殿での個展「MURAKAMI VERSAILLES」(2010年)。実写映画『めめめのくらげ』シリーズやアニメ作品「6HP」など映像監督としての作品も公開されていく。

――ビジネス分野で、注目しているリーダーはいますか?

(…)先日、ある成功者の新刊本を読みました。ある章で、僕の大好きなホリエモン(堀江貴文)を批判していました。(…)日本がダメになった理由は、ああいった特異点の登場を、嫉妬の対象に仕立て上げ、経済の仕組みの欺瞞を暴くところまで到達出来なかったことだと思うので、なんか日本の経済人は、自分がよけりゃ、仕組みの歪みにまで着手するガッツがないんだなぁ~と、けっこうあきれています。で、成功譚と批判とは、おそまつです。構造改革を行う者こそ、真のリーダーであるんです。
(…)スティーブ・ジョブズの評価点は、資本主義というものを<ものづくり>に引きずりこんだことです。
日本は、<ものづくり>はすばらしいのに、資本主義に負けてしまっているわけです。だから、経済、資本主義が何かということを、もっと学校が徹底して教えるべきですよ。結局、商いをもっとリスペクトするような社会構造を作り、「商いは文化だ」という認識を浸透させないと、日本の文化は成長しません。

欲求のレベルがすごく幼稚

日本では、お金持ちになった人が、バカみたいに外車や改造バイク、複雑な時計を買ったり、芸能人と結婚したりしてしまう。それは、ブランドだからという理由において、決定している。自分の人生哲学はないわけです。他人の目を気にし続けている。欲求のレベルがすごく幼稚なわけです。
だから、儲けたおカネをどう使うかを、学校で教えたほうがいいと思う。経済的に成功したロールモデルのような人がたくさんいて、その人たちの生き方を学校で勉強するようになるといいのではないでしょうか。(…)
――最近は、政府による「クールジャパン」の政策を批判しています。
アホですよ。アホすぎて話にならない。今や、官僚になっていく人材も地盤沈下を起こし、憐れなグダグダな失態を世間に晒しています。ネットに上がっていた「クールジャパン」のビジネスストラクチャーのマトリックス図は、大学生のレポート以下でした。そんな複雑で可能性の低い事業に税金が使われていく様は、数十年前の原発村の起源発生を見るようで、虫酸が走ります。
そんな複雑なことはしないで、集英社、小学館、講談社のビック3をまとめあげ、東京に世界に冠たる、漫画博物館を造るべきです。ビック3をまとめあげるというまとめ方に、特別免税制を敷いて、美術館制作を民間に一時任せる。「ロード・オブ・ザ・リング」を造ったときのニュージーランドのとった政策にアイデアをもらっています。つまり、ハリウッドからの資金には課税せず、すべてを製作費に回したという離れ業。そのために、ニュージーランドへの観光旅行は増え、かつ、今やニュージーランドはハリウッドを超えるクリエーティブなスタジオを保有するにまで激変しました。そういう離れ業を行えるのが官ではないかと。今回の「クールジャパン」のファンドの旗振りはナンセンスです。

百歩下がって、アイデアを出すとすれば、コミコン(米カリフォルニア州で開かれる漫画など大衆文化のコンベンション)などで、国際的な漫画、アニメの賞で日本人が受賞するよう、ロビー活動をすべきです。海外で「やっぱり日本人のやっていたことは正しかったんだ」と認められるような、上手なコミュニケーションを促進する縁の下の力持ちを造り上げることです。
政府は、「AKBをシンガポールに持っていった」とか「われわれは漫画の味方ですよ」といったアピールをしていますが、正直、国内でも海外からでも、そうした行動に賞賛は皆無であるという事実に着目するべきです。
日本には、高松宮殿下記念世界文化賞などいろいろな賞があって、外国人に賞を上げています。それは国際交流としてはいいことです。ただ逆に、国際社会の中で、日本人が評価されるという舞台もあるはずです。そういう国際的な賞を、たとえば、任天堂のゼルダを創った宮本茂さんが受賞するといった例を作らないとまずい。日本人が日本人を表彰する自画自賛では駄目です。
とにかく無責任な日本人をゆとり教育が大量発生させてしまった後始末を、多くの気概ある日本人がアタックせねばならない。それを言いたかったとも言えるのです。
(撮影:尾形文繁)

フランスにおけるピルの現状

昨年フランスでは結婚について大規模な議論が巻き起こった。
今年フランスではピルについて混乱が生じている。
だが、忘れないでおこう。日本はそのはるかに後方を、しかも後ろ向きに進んでいる…。

ピルの歴史も知らない者が生の哲学について語るべきではない。

Sciences
Les pilules contraceptives avec Israël Nisand
avec Israël Nisand, Professeur de Gynécologie Obstétrique à l’Université de Strasbourg (Unistra) et Chef du Pôle de Gynécologie obstétrique au CHU de Strasbourg.

レフェリー辞退

某国のとある国際的な哲学雑誌のレフェリーを頼まれた。光栄なことであり、知的責任を果たさねばと一週間思い悩んだ。

が、今年はもうすでに十分疲れている。

教育では、授業が前期だけで9つ(同じものは一つもなく、語学の授業もない)。エラスムスでの講義も馬鹿にならない労力。学内業務は○×委員や△□の代表、様々な事務作業。学会では学会誌編集委員。研究では、いろいろな著書・論文・翻訳。シンポやWSでの発表。国際シンポのみならず、学会の開催準備もあるし…。

というわけで、レフェリーを引き受けるべきだとは思ったが(主題もまさに私が引き受けるべきものだったが)、昨日丁重にお断りをした。第一線で活躍されている方々は、皆さんもちろん私等よりはるかに重い職責を果たされつつ軽々と活躍されているので、やっぱりすごいと尊敬の念を新たにします…。


本に少しでも邁進せねば!

Friday, March 29, 2013

【クリップ】就活解禁、4年生の4月に

喜ばしい一歩前進である。だが、よく指摘されているとおり、問題は、「新卒採用」という日本企業の神話であり、大学の近年の「就職」重視戦略である。何度でも言う。企業は速やかに新卒採用偏重をやめ、キャリアに応じた柔軟な採用戦略に舵を切ったほうがよいし、大学はキャリア支援を自らの体制の中に適切に位置づけるとともに、社会や企業に対して、自らの存在意義を明確に発信していくべきである。

現今の、特に私立大学には、「キャリアサポート」「キャリアデザイン」「キャリア戦略」なるものを過剰に重視することで、少子化で先の見えない学生数確保につなげたいという思惑が見える。大学進学を考える高校生、その親たちが、大学を選ぶ際の指針として、「就職率」なる数値に注目する傾向が高まって久しいため、大学側も、そのような「ユーザー」の目線を意識し、「早期からのキャリア教育」をメニューとして用意するようになってきているのである。

だが、高校生やその親が「就職率」を基準に大学を選ぶこと、現今の大学が「新卒で就職させる」ことを自らの至上命題とすることは、本当に理に適っているのだろうか?

1.就職率より離職率のもつ意味を考えるべき

まず、きちんとした現状認識をもつことから始めよう。七五三現象」という若年者の早期離職現象がある。厚生労働省の「新規学卒就職者の在職期間別離職率の推移」によれば、中卒の7割、高卒の5割、大卒の3割が、3年以内に辞めている。

こういうとすぐに「最近の若者は…」といった声が聞こえてきそうだが、実はほぼ二十年近くこの数字は変わっていない。その前の十年ほどを遡っても、数パーセント低い程度で、劇的な変化はない。離職率の変化は、「学生の多様化も要因の1つではありますが、就活年度の求人倍率に大きく左右されていることが分かります。求人倍率が高いと早期離職率は低く抑えられ、求人倍率が低いと早期離職は高くなる、というわけです」という指摘があることも言い添えておこう。

《離職理由では、企業と学生の「ミスマッチ」を指摘する声が多くあります。求人倍率が高ければ、学生は多くの選択肢の中から企業を選ぶことができます。そのため、結果的に「ミスマッチ」が解消され、離職率が低くなるのでしょう。
この「ミスマッチ」解消のために、大学でもさまざまな取り組みが行われています。しかし、どんなにマッチング精度を高めても、3割程度の早期離職はなくならないのではないか。そう考えています。
新卒採用は、仕事経験のない求職者(学生)を仕事能力で評価するという矛盾した採用です。彼らが語る言葉や態度からさまざまなサイン読み取り、仕事能力の有無をイメージし、判断しなくてはなりません。それは、学生側にも言えることです。どれだけ入念に企業を調べたとしても、入社後のリアリティショックを完璧に回避することは難しいでしょう。
入社後、互いの価値観や能力を確認し合う一定期間に、一定数の離職者が発生する。それは、新卒採用の構造的宿命のように思います。》(ちなみに、このコラムの執筆者平野恵子さんのエッセイにはうなずかされるものが多かった。一読をお勧めしておく。)
ここから出てくる素朴な疑問は、「3割が3年以内に辞めてしまうものに、大切な大学4年間を費やしていいのか」である。「4年間」と書いたのは、大学によっては、入学してすぐに「キャリア教育」がスタートするからだ。

したがって、キャリア教育は重要であるし、行なうべきだと思うが、その位置づけを見誤ってはならない。大学の基本はあくまでも学術的な教養教育および専門教育である。

2.マークシート式テストで「社会人基礎力」は測れるのか?

もちろん、大学在学時のあらゆる就職活動が無意味だというのではまったくない。就職を意識して、身だしなみや振る舞い、言動、礼儀や社交を変えていくことは大切だし、就職しようとする会社について調べ、自分のアピールポイントを探し、それらすべてを一つの「戦略」にまで高めていくことはとても意味のあることだと思う。

だが、大学がキャリア支援と称して行なっているものの中には、就職関連会社が開発した記号式のテストを受けさせること、その対策として模擬試験を受けさせることが少なからぬ比重を占めている。試験の内容はと言えばたいていは、試験さえ終わってしまえば、日常生活で決して使うことのない小手先の暗記物である。

大学で行なっている教育は役にたたないと批判する人々が、キャリア支援のためのSPI試験対策を称揚するのは矛盾している。そういう人々には、SPI試験がいかなる意味で、学生たちがこれから数十年を生き抜いていくために、大学の通常の教育以上に役に立つのか説明してもらいたい。

基本的な知識の欠落を補うというその限りで、SPI試験にも一定程度の意味はあると思うが、それ以上のものではない。つまり全国の大学がこぞって血道を上げるようなものではない。一部の「人気企業」が面接業務を簡略化するため以外に、本当に日本の若者の教育と雇用に役立っているのだろうか。

もちろんこの問いは、センター試験にも向けられる。マークシートで大学で必要な「活きた知性」は測れるのか?そうでないなら、答え自体は見えなくとも、答えを出すべき方向性はもう見えている。

3.大学の存在意義

ここで最後にもう一度強調しておくが、以上のエッセイは、大学におけるキャリア支援に反対しているのではない。むしろ逆で、大学の中にキャリア支援を適切に位置づけるべきであり、そのためには現在進行中の事態に対するもう少し冷静な原理的考察が必要だと言っているのである。

いずれにしても、就職活動を大学の存在意義の根幹に据えるのは重大な方向性の誤認である。就職説明会があるからという理由で学生が授業を休むことを承認したり、SPI試験をゼミ活動に強制的に取り込ませようとするのは、大学にとって大切なものを見失っていると言わざるを得ない。

早晩辞めるかもしれない会社にとにかく就職する(させる)ために、大学を選ぶ(選ばせる)のは間違っている。大学は、4年間かけて、就職活動をしたり、就職活動のための小手先の暗記を必死にやる場所であるべきではない。

大学は、就職した会社が倒産しようが、そこから早期離職しようが、その後数十年の残りの人生を心豊かに生き抜いていけるように準備をするための場所であるべきではないだろうか。

大学は単なる「会社に入るための入り口」ではない。そうでもありうるが、それが目的ではない。「豊かな教養と市民としての自覚をもった人間」を育てること、それが目的である。

日本の社会においてその意義を大きく見損なわれているのは、「心豊かに生きる」というときのその「豊かさ」の質である。大学はそこにおいてこそ真の貢献をするのだ。



就活 4年生4月解禁 政府、経団連に憲章改定要請へ

産経新聞 3月28日(木)7時55分配信
就活 4年生4月解禁 政府、経団連に憲章改定要請へ
大学(学部)卒業者の就職先産業別構成の状況(写真:産経新聞)
 政府は27日、大学生の就職活動の解禁時期を現在の3年生の12月から、4年生の4月に変更するよう経済界に要請する方針を固めた。具体的には、経団連に対し会員企業に早期採用の自粛を呼びかけている「倫理憲章」の改定を求める。就職活動に奪われていた時間をキャリア育成や専門教育に振り向け、即戦力となる社会人を育てる狙いがある。6月にまとめる成長戦略にも反映させる。

【大学ウオッチャー大予想】“氷河期”でもお買い得な30大学

 現在、大学の新卒生を対象にした企業説明会や会社訪問の解禁は3年生の12月となっている。これを4年生の4月に遅らせ、面接や筆記試験の選考については4年生の8月以降とする。平成27年度入社の採用からの実施を目指す。大学3年生が就職活動に追われることで、大学生の学力低下が起きていると指摘されている。春に海外留学から帰国した学生が国内企業の採用試験に間に合わないなどの問題も出ていた。文部科学省幹部は「現状では学生生活の1年半近くを就職活動に使うことになる」としている。

 政府の産業競争力会議(議長・安倍晋三首相)や「若者・女性活躍推進フォーラム」(座長・甘利明経済再生担当相)でも大学3年生からの就職活動が問題視され、対応が検討されていた。政府は、教育再生実行会議で就職活動の後ろ倒しを生かした人材育成強化策も議論する予定だ。キャリア教育、留学支援を予算措置も含めて検討し、留学生数(約5万8千人)の12万人への倍増を目指す。公務員採用試験の時期も見直す方針だ。ただ、外資系企業は経団連の「倫理憲章」に縛られないほか、大手企業の後に採用が本格化する中小企業にとっては人材確保の期間が狭まるという課題が生じる。

【用語解説】経団連の「採用選考に関する企業の倫理憲章」

 経団連が会員企業に早期採用の自粛などを呼びかけた自主的取り決め。就職活動の過熱化を是正するため、平成23年に解禁時期を2カ月遅らせ3年生の12月に改定した。正式内定日は改定前から4年生の10月以降。

Thursday, March 28, 2013

Katia Genel, "Autorité et émancipation. Horkheimer et la Théorie critique"

リール時代の友人の博論が本になったので、宣伝しておきます。この間パリの本屋で偶然見かけて買ったのですが、その後、たまたま日本に私的に来るというので、連絡がありました。日程が合わず会えないことになりましたが、いずれ今度は公的に来日し、講演でもしてもらえればと思っています。今はパリ第一大学で教えているようです。


Autorité et émancipation |  Katia Genel
Horkheimer et la Théorie critique


Genre : Philosophie
Collection : Critique de la politique
Grand format  | 448 pages.  | Paru le : 06-02-2013  | Prix : 25.00 €

GENCOD : 9782228908443  | I.S.B.N. : 2-228-90844-4
Editions : Payot

L'autorité et l'autoritarisme font l'objet d'une réflexion constante, bien que souvent inaperçue, dans ce qu'on a appelé "l'école de Francfort". Des années 1930 aux années 1940, elle est présente dans les écrits de l'ensemble des penseurs de la première génération : Horkheimer, Adorno, Fromm, Marcuse, Pollock, Löwenthal, ou encore Benjamin, Neumann, Kirchheimer. En analysant les phénomènes de servitude volontaire, de soumission à un chef, d'autorité dans la famille et dans la culture de masse, tels qu'ils se manifestent sous leurs yeux, les théoriciens critiques s'intéressent en fait aux différentes formes que peut prendre l'intériorisation de la domination sociale. Leur critique de l'autorité fait apparaître les facteurs psychiques, sociaux et politiques qui assurent la reproduction d'un ordre social irrationnel et barrent la voie à l'émancipation.
Prenant les écrits de Horkheimer comme point d'entrée dans le problème de l'autorité, l'ouvrage de Katia Genel étudie l'ensemble des débats menés par les théoriciens de l'Institut de recherche sociale. A travers le thème de l'autorité, traité tout au long de ces années de manière interdisciplianire, se dessine ainsi un visage de "l'école de Francfort" différent de celui que l'on a coutume de présenter. Ces analyses éclairent la thèse d'une connivence entre raison et domination présente dans la Dialectique de la raison ; elles constituent en un sens le laboratoire de la théorie de la domination qui s'y trouve développée, et en montrent toute la complexité.
Comment penser la transformation de la société quand la psychanalyse nous dévoile des êtres pulsionnels attachés à l'irrationalité de l'ordre existant ? Quels sont les facteurs  politiques et juridiques qui entravent ou au contraire favorisent l'autonomie psychique des individus ? Et quelle est la possibilité même de la critique lorsque l'autoritarisme affecte la pensée et que la théorie elle-même perd toute autorité ? C'est à partir de cette triple perspective qu'il convient de repenser les conditions de l'émancipation.

【ラジオ】1932年フランスのある若手女性教員


Institution
Lucette, jeune professeur
Lucette, jeune professeur
Des lettres et des photos décrivent les premières années de Lucette, jeune professeur, à Arras dès 1932... Dans une série sur les fonctionnaires, "la Fabrique de l'histoire" raconte les femmes et les enseignants de l'entre-deux-guerres, leurs différences et points communs avec aujourd'hui.
Histoire des fonctionnaires 2/4 15
26.03.2013 - 09:06 
« Le charme du plaisir intellectuel, c'est qu'il est solide »
Lucette Lejeune, lettres d'Arras (1932-1938)

Un documentaire de Stéphane Bonnefoi, réalisé par Véronique Samouiloff

Lucette Lejeune © MARTINE SONNET
La petite histoire de ce documentaire s'ouvre en 1987, lorsque Martine Sonnet hérite, d'une tante qu'elle ne connaît pas, d'un corpus de 73 lettres et d'un collier. L'historienne refuse le collier mais accepte les lettres, centrées sur les six premières années d'enseignement d'une jeune professeur du collège de jeunes filles d'Arras : Lucette Lejeune. Martine Sonnet, touchée par la singularité de cette correspondance, attendra la disparition des deux sœurs de Lucette pour partir à sa recherche...
Sous le vernis d'une jeune fille provinciale de 21 ans qui écrit à sa « chère maman », affleure le portrait d'une enseignante pleinement engagée dans sa profession. Ambitieuse, Lucette s'inscrit dès sa première année de cours à l'épreuve de l'agrégation masculine de lettres. Elle est alors la seule femme de l'académie de Lille.
Lucette, qui n'ignore rien de la difficile condition des femmes diplômées de son temps, est prête à demeurer célibataire pour parvenir à ses fins...


Avec Martine Sonnet, historienne et parente éloignée de Lucette, Marlaine Cacouault, sociologue, spécialiste des femmes professeurs, André Chervel, historien de l'enseignement et Adeline Liébert, professeur agrégée de lettres au lycée Gambetta d'Arras.

Lecture des lettres de Lucette Lejeune : Bernadette Appert.
Merci au théâtre d'Arras, à la Voix du Nord et à l'Avenir de l'Artois.

Production : Stéphane Bonnefoi
Réalisation : Véronique Samouiloff
Prise de son : Yann Fressy et Thomas Robine
une lettre de Lucette Lejeune à son père et à sa soeur (17 octobre 1932) © MARTINE SONNET
le collège de jeunes filles d'Arras dans les années 1930 © DR

























Lucette Lejeune © MARTINE SONNET
Lucette Lejeune © MARTINE SONNET
Thème(s) : HistoireEducationInstitution

UN APPEL A LA CANDIDATURE POUR BOURSES D'ETUDES SUISSES ( 2013-2014 )

PAR L'INTERMEDIAIRE DE LA COMMISSION FEDERALE DES BOURSES ETRANGERES
(CFBE-SUISSE) , LE SECRETARIAT D'ETAT A L'ETUDE ET A LA RECHERCHE DE LA
CONFEDERATION LANCE UN APPEL A LA CANDIDATURE POUR 500 BOURSES D'ETUDES
SUISSES AU TITRE DE L'ANNEE ACADEMIQUE 2013 - 2014 CES BOURSES SONT
DESTINEES AUX RESSORTISSANTS DES PAYS
DE LA CATEGORIE A
(pays industrialisés européens, et extra-européens)
ET CEUX DES PAYS DE LA CATEGORIE B
( pays en developpement, du tiers monde et extra - européens).

ELLES DOIVENT LEUR PERMETTRE DE POURSUIVRE LEURS ETUDES, DE PARFAIRE LEURS
CONNAISSANCES POUR LES TRAVAUX DE RECHERCHES DANS LES DOMAINES AUXQUELS
LES UNIVERSITES SUISSES ACCORDENT UNE ATTENTION PARTICULIERE.

SPECIFICITE DE LA BOURSE

- PAR L'OCTROI DES 500 BOURSES ETUDES EMPLOIS, LA CONFEDERATION SUISSE
ENTEND FACILITER L'IMMIGRATION AUX PERSONNES DESIREUSES DE POURSUIVRE
LEURS ETUDES ET D'OBTENIR DES DIPLOMES D'ETAT SUISSE.

- LES CANDIDATS RETENUS AU TERME DE LA SELECTION DE CANDIDATURES SERONT
INSERES OUTRE LEUR ETUDE DANS LES SECTEURS SENSIBLES DE LA VIE ECONOMIQUE
ET SOCIALE DE LA SUISSE :
( santé, droit, diplomatie, communication,finance, énergie, industrie,
transport, agriculture..).

CETTE OPTION DE LA CONFEDERATION SUISSE VISE A DONNER UNE APTITUDE
PROFESSIONNELLE AUX BOURSIERS POUR POUVOIR TRAVAILLER S'ILS LE DESIRENT EN
SUISSE A LA FIN DE LEUR FORMATION.

DUREE DE LA BOURSE

LES BOURSES COUVRENT LA PERIODE D'UN CYCLE DE FORMATION OU AU MAXIMUM SIX
(06) SEMESTRES .

FRAIS DE VOYAGE

LES BILLETS D'AVION ALLER-RETOUR ( PAYS DE PROVENANCE -GENEVE) , SONT PRIS
EN CHARGE PAR LA COMMISSION FEDERALE DES BOURSES ETRANGERES.

CONDITIONS PREALABLES A LA CANDIDATURE

EN REGLE GENERALE, LES CANDIDATS AUX BOURSES ETRANGERES SUISSES DOIVENT:
- AVOIR AU MAXIMUM 18 ANS a 45 ANS ;
- COMPRENDRE ET PARLER CORRECTEMENT L'UNE DES LANGUES D'ENSEIGNEMENT EN
SUISSE
( ESPAGNOL, ALLEMAND, ANGLAIS, ITALIE, FRANCAIS) ;

- AVOIR UN DIPLOME EQUIVALENT AU BREVET D'ETUDE DE PREMIER CYCLE
D'ENSEIGNEMENT, AU BACCALAUREAT OU AU BREVET D'APTITUDE PROFESSIONELLE DES
PAYS DE L'UNION EUROPEENNE.

PROCEDURE DE SELECTION

- RETIRER AUPRES DE LA COMMISSION FEDERALE DES BOURSES ETRANGERES
SUISSEs(CFBES)LE FORMULAIRE DE DEMANDE DE BOURSE VIA

A LEUR ADRESSE EMAIL: cfbesavis@ovi.com

- REMPLIR ET ENVOYER PAR PIECE JOINTE LE FORMULAIRE.

- LA COMMISSION FEDERALE DES BOURSES ETRANGERES FERA ETUDIER VOTRE DOSSIER
PAR LA REPRESENTATION SUISSE DELEGUEE
DE VOTRE ZONE ET CATEGORIE DE PAYS.
- LES CANDIDATS RETENUS RECEVRONT UNE ATTESTATION DU SECRETARIAT D'ETAT A
L'ETUDE ET A LA RECHERCHE POUR NOTIFICATION DE LA BOURSE.

LES CANDIDATS DESIREUX DE PARTICIPER AUX BOURSES D'ETUDES 2013 - 2014
DOIVENT RETIRER LEUR FORMULAIRE A REMPLIR AUPRES DE LA CFBES:

A LEUR ADRESSE EMAIL: cfbesavis@ovi.com

DATE LIMITE DE DEPÖT DES DOSSIERS

LA DATE LIMITE DE DEPÖT DES DOSSIERS EST PREVUE POUR LE
30 AVRIL 2013. CEPENDANT, LA COMMISSION FEDERALE DES BOURSES ETRANGERES
SUISSEs(CFBES) SE RESERVE LE DROIT DE CLOTURER L'OCTROI DES BOURSES A
CONCURRENCE DES BOURSES DISPONIBLES.

LE PRESIDENT DE LA COMMISSION FEDERALE
DES BOURSES ETRANGERES SUISSES

Wednesday, March 27, 2013

【ラジオ】ジャン=マルク・ロベール死去

Littérature Française
Décès de Jean-Marc Roberts, éditeur, écrivain et homme rare
L'éditeur et romancier Jean-Marc Roberts, patron des éditions Stock, est mort ce lundi à l'âge de 58 ans, des suites d'un cancer. Le Journal de la Culture évoque ce soir cette figure du monde littéraire français avec les témoignages de Vassilis Alexakis, qu'il publiait, et l'éditrice Teresa Cremisi.

Tuesday, March 26, 2013

ドイツ観念論関連の仏語文献


La philosophie romantique allemande

aux éditions Vrin

Le mouvement romantique, qui se développe en Allemagne de la fin du XVIIIe jusqu’au milieu du XIXe siècle, s’accompagne d’une réflexion proprement théorique qui embrasse toutes les sciences, la philosophie, la littérature, les différents arts, en particulier le théâtre, la peinture et la musique, et qui a eu pour effet de définir un mode de penser et de vivre original qui a fait la preuve de sa fécondité jusqu’à notre époque.
Né et se développant dans le contexte de crise et de critique qui secoue la philosophie postkantienne, le romantisme allemand élabore des tentatives de solution qui lui sont propres, mais à l’intérieur desquelles nombre de différences, voire de divergences, s’affirment peu à peu. Loin d’être d’un seul bloc, ce mouvement de pensée, de littérature et d’art renferme une diversité de thèmes et de thèses dont font état aujourd’hui les ½uvres publiées, les manuscrits désormais édités, autant que les commentaires spécialisés.

1. A titre de présentation générale du romantisme allemand et de ses aspects majeurs, on consultera l’étude de synthèse, exhaustive et d’une grande clarté, d’André Stanguennec, La philosophie romantique.

2. Sur l’origine et la constitution de ce mouvement, nous recommandons l’étude de Ernst Benz, Les sources mystiques de la philosophie romantique allemande, ainsi que le texte de Johann Georg Hamann, Aestetica in nuce. Métacritique du purisme de la raison pure et autres textes dont le sous-titre est on ne peut plus explicite sur la finalité du mouvement.
Surnommé « Le mage du Nord » et attiré par l’irrationnel et le langage mystique ou prophétique, Hamann se lie d’amitié avec Johann Gottfried Herder, sur lequel il exerce une grande influence, ainsi que sur Jacobi, mais également sur Goethe, Hegel et Schelling

3. Évolution des idées : après avoir été l’un des pères de l’idéalisme allemand, Friedrich Heinrich Jacobi s’attaque méthodiquement au rationalisme et à l’idéalisme allemands sous toutes leurs formes. De cet auteur, on peut lireDavid Hume et la croyance. Idéalisme et réalismeSur l’entreprise du criticisme de ramener la raison à l’entendement, et de donner à la philosophie une nouvelle orientation ou encore Des choses divines et de leur révélation qui déclencha une polémique avec Schelling, dont on trouve la réponse dans Une autre querelle de l’athéisme Schelling répond à Jacobi. Ceci dit, Jacobi, comme Hamman se présente comme une figure constitutive de la critique de la métaphysique classique, dont l’influence n’aura pas été moins déterminante pour la pensée de Fichte, Schelling, Hegel ou Kierkegaard.

4. Le mouvement romantique allemand développe un grand intérêt pour la philosophie de la nature – c’est notamment le cas de Schelling et de Goethe mais également de Hegel – qu’il est utile de relever, même si le développement postérieur de la science naturelle a conduit à contester le bien-fondé des théories développées.
Voir les textes de Schelling, Du rapport des arts plastiques avec la nature et Exposition de mon système de philosophie. Sur le vrai concept de la philosophie de la nature; ceux de Hegel, Philosophie de la nature (Encyclopédie des sciences philosophiques, II) et Formes principales se rattachant à la philosophie fichtéenne (Leçons sur l’histoire de la philosophie, tome 7); l’écrit De la relation entre la philosophie de la nature dont l’auteur – Schelling ou Hegel – continue à être discuté et Schlegel, La philosophie transcendantale. Introduction. Philosophie de la philosophie. Schlegel qui avait développé un goût certain pour la littérature et forgé ainsi une théorie de la poésie romantique très influente se tourna ensuite vers la philosophie et le mysticisme.
On trouvera dans les études suivantes les commentaires indispensables: Laurent Van Eynde, La libre raison du phénomène. Essai sur la Naturphilosophie de Goethe, Maurice Elie, Lumière, couleurs, nature. L’optique et la physique de Goethe et de la Naturphilosophie et Hegel et la philosophie de la nature, sous la direction de Jean-Louis Vieillard-Baron et Christophe Bouton.

5. Plus connu est l’intérêt des romantiques allemands porté à la Révolution française. August Wilhelm Rehberg, qui étudie la philosophie à l’université de Göttingen de 1774 à 1777, rédige pour l’Allgemeine Literatur-Zeitung environ 165 compte-rendus d’ouvrages sur le sujet, parus dans la « France révolutionnaire », et lui-même réfléchit et conceptualise l’événement.
On lira également le texte de Fichte, Lettres et témoignages sur la Révolution française.

6. Sur des questions plus littéraires, Vrin propose également :

La philosophie romantique allemande

André Stanguennec

Vrin, 2011, « Bibliothèque des Philosophies », 978-2-7116-2317-4, 224 p., 24¤
Les textes du romantisme allemand font l’objet de nouvelles éditions et traductions (épistémologie, herméneutique, esthétique générale, théorie de la littérature, philosophie politique) attestant la rigueur proprement conceptuelle de ce mode de philosopher que des interprétations françaises (Béguin, Ayrault, Brion) avaient centré sur une esthétique psychologique.
Cette étude entend montrer que le « philosopher romantique allemand » s’avère rigoureux et fécond pour notre (post)modernité, tout en interrogeant la réalité effective d’une « philosophie » romantique allemande. 
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Les sources mystiques de la philosophie romantique allemande

Ernst Benz

Vrin, 1987, « Bibliothèque d’Histoire de la Philosophie », 978-2-7116-0063-2, 156 p., 23¤
La philosophie existentialiste allemande semble condamner la philosophie de l’idéalisme de Fichte à Schelling avec une sévérité analogue à celle dont les théologiens de l’école dialectique usent à l’égard du mysticisme chrétien, et l’édition des ½uvres de Jacob Boehme préparée en 1813 par Franz von Baader, ami de Hegel et de Schelling, eut à affronter l’opposition très vive des adhérents du rationalisme traditionnel, hostile à un élément mystique révolutionnaire. Les mystiques sont pourtant les patriarches de la spéculation allemande : W. Dilthey souligna la continuité de tradition entre la mystique allemande du Moyen Âge et la philosophie idéaliste allemande, H. Maier redécouvrit la ligne de communication directe qui mène de Maître Eckhart à Fichte, Schelling et Hegel. Les études réunies dans le présent ouvrage cherchent à approfondir ce thème en évoquant les différentes sources littéraires du mysticisme chez les philosophes romantiques et en présentant quelques penseurs principaux de la théologie mystique européenne. La renaissance du mysticisme allemand du haut Moyen Âge de Maître Eckhart, la théosophie de Jacob Boehme, la spéculation visionnaire de Swedenborg, les traces de la tradition cabbalistique chez Friedrich Christoph Oetinger, la découverte de la mystique indienne, sont présentés comme autant d’inspirations qui se manifesteront dans la philosophie de l’histoire et de la nature de Hegel et Schelling. 
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Aestetica in nuce
Métacritique du purisme de la raison pure et autres textes

Johann Georg Hamann

Traduction et notes par R. Deygout, préface de S. Majetschak, Vrin, 2001, « Essais d’Art et de Philosophie », 978-2-7116-1475-2, 160 p., 23¤
L’entrée en écriture de Johann Georg Hamann en 1758 constitue l’une des incitations les plus importantes de la poésie et de la philosophie du XVIIIe siècle finissant. Mais elle est également l’un des phénomènes les plus méconnus de cette époque à laquelle s’est bien consacrée par ailleurs la recherche philosophique et littéraire. Pour Hegel, encore, Hamann s’était placé « au centre du problème de la raison », qu’il appréhendait « sous la forme de la langue ». Hamann s’oppose à une philosophie rationaliste et un Esprit des Lumières qui prédomine au milieu du XVIIIe siècle et insiste avec véhémence sur l’ancrage linguistique et par là même socio-historique de la pensée.
Ce recueil de textes choisis rassemble les écrits les plus importants de Hamann et présente ceux de ses textes qui s’opposent à Kant. 
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Sur l’entreprise du criticisme de ramener la raison à l’entendement, et de donner à la philosophie une nouvelle orientation
suivi de la Lettre à Fichte

Friedrich H. Jacobi

Introduction, traduction et notes par P. Cerutti, Vrin, 2009, « Textes & Commentaires », 978-2-7116-2243-6, 192 p., 22¤
L’essai de F. H. Jacobi Sur l’entreprise du criticisme de ramener la raison à l’entendementouvre la voie à une compréhension différente du moment idéaliste et à une lecture alternative, aussi éloignée des interprétations phénoménologiques que néokantiennes, de laCritique de la raison pure et des pensées qui en sont issues. De tous les commentaires que les contemporains de Kant ont pu donner de la première Critique, il est, malgré diverses incompréhensions, l’un des seuls qui conservent encore aujourd’hui une pertinence. Avec laLettre à Fichte, dont il est le prolongement, il offre en effet une première élaboration philosophique du concept de nihilisme. Le diagnostic qu’il établit doit alors se comprendre non seulement comme le point d’aboutissement des querelles théologico-philosophiques qui, à la fin du XVIIIe siècle, ont mis aux prises la philosophie de la religion et la théologie spécula tive, mais aussi comme un jugement qui engage à lui seul tout l’avenir du postkantisme. Écrits au moment de la querelle de l’athéisme et contemporains de la formation des grands systèmes idéalistes, ces deux textes constituent un document irremplaçable pour qui veut comprendre le devenir de la philosophie moderne : après l’injonction de Jacobi à affronter directement la question du néant, jamais plus une philosophie ne pourra faire l’économie de ce problème. 
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Des choses divines et de leur révélation

Friedrich H. Jacobi

Introduction, traduction et notes par P. Cerutti, Vrin, 2008, « Textes & Commentaires », 978-2-7116-2140-8, 256 p., 29¤
Des choses divines et de leur révélation est le testament philosophique de son auteur, Friedrich Heinrich Jacobi. La première évaluation d’ensemble du postkantisme et des grands systèmes idéalistes qu’il y propose détermine encore l’image que nous pouvons nous faire de la philosophie classique allemande. La querelle qu’elle a déclenchée et la réponse outrancière que lui a apportée Schelling, blessé par la critique du naturalisme que développe la deuxième partie de l’ouvrage, en font le document le plus précieux dont nous disposions pour interpréter les débats qui, durant les premières décennies du XIXe siècle, ont mis aux prises la philosophie de la religion et la théologie spéculative. La discussion des rapports du réalisme et de l’idéalisme religieux, de la révélation de la raison et de la doctrine positive que Jacobi développe d’abord en réponse à Matthias Claudius, puis lors d’un dialogue avec Friedrich Schlegel, non seulement éclaire cette lecture de l’histoire de la philosophie à l’heure de l’avènement du nihilisme, mais permet aussi de comprendre ce que l’auteur entend par ce « vrai rationalisme » qu’il oppose aux philosophes de son temps. Elle donne ainsi à celui qui fut l’un des pères de l’idéalisme allemand en même temps que son critique le plus acerbe l’occasion de préciser une dernière fois les rapports de la raison et de l’entendement, question qu’avec Kant, il fut l’un des premiers à poser à la pensée moderne. 
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Une autre querelle de l’athéisme
Schelling répond à Jacobi

F.W.J. Schelling

Introduction, traduction et notes par P. Cerutti, Vrin, 2012, « Textes & Commentaires », 978-2-7116-2423-2, 256 p., 26¤
Le Monument de l’écrit sur les Choses divines est le dernier livre que Schelling ait fait paraître. Non seulement il figure parmi ce que la littérature polémique compte de plus splendide, mais il constitue le point d’orgue de la dernière des trois grandes querelles qui ont marqué l’essor de l’idéalisme allemand. En développant l’idée que le mouvement de la science doit prendre la forme d’un développement de soi de l’objet même, l’ouvrage prépare les Âges du monde et constitue le point de basculement vers ce que Schelling appellera la philosophie positive.
Une présentation de textes inédits en français de Friedrich Schlegel et Victor Cousin complète ce volume. Elle montre que la caractérisation polémique de Jacobi à laquelle procède son adversaire n’interdit pas de voir en lui non seulement le premier témoin, mais un acteur à part entière du développement de la philosophie classique allemande. 
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Du rapport des arts plastiques avec la nature

F.W.J. Schelling

Introduction, traduction et notes par P. Cerutti, Vrin, 2008, « Textes & Commentaires », 978-2-7116-2140-8, 256 p., 19¤
On a dit à juste titre du Discours sur les arts plastiques de Schelling qu’il était la chose la plus parfaite qui soit venue sous sa plume. Il est vrai que le brillant exposé que le philosophe présente le 12 octobre 1807 devant l’Académie des Sciences de Munich est le seul de ses textes dont on puisse affirmer qu’il accomplit l’idéal d’un jugement sur l’art qui soit en même temps une ½uvre d’art. En montrant comment l’½uvre surgit des profondeurs de la vie pour devenir une authentique manifestation de l’absolu, il offre un prolongement original à la méditation sur la nature que Schelling développe depuis ses débuts philosophiques.
Depuis que lui est apparue la lumière de 1801, ce dernier entend en effet faire de la philosophie de la nature le fondement d’une métaphysique concrète sur laquelle appuyer toute une vision de l’histoire. Son effort pour transformer la métaphysique en une véritable science et pour l’ouvrir sur la vie et sur le mouvement de la société dans son ensemble, le conduit à en faire une notion immédiatement politique : sans elle, rien de grand ne serait apparu dans le monde. Le Discours sur les arts plastiques se rattache ainsi, par les réponses qu’il apporte au problème de la culture, aux deux autres brefs essais, Sur l’essence de la science allemande et la recension d’un ouvrage de Niethammer, dont on trouvera ici une traduction. 
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Exposition de mon système de philosophie
Sur le vrai concept de la philosophie de la nature

F.W.J. Schelling

Introduction, traduction et notes par E. Cattin, Vrin, 2000, « Bibliothèque des Textes Philosophiques », 978-2-7116-1453-0, 192 p., 26¤
L’année 1801 est pour Schelling celle de l’auto-affirmation. Avec l’Exposition de mon système de la philosophie, il se libère définitivement de l’idéalisme transcendantal de Fichte et risque la tentative d’une fondation métaphysique de la philosophie comme philosophie absolue de l’absolu. Surmontant l’opposition de la philosophie transcendantale et de la philosophie de la nature, et moyennant une critique radicale de la subjectivité, Schelling élève la philosophie à l’idéalisme absolu.
Ses deux plus grands lecteurs, Fichte et Hegel, ne s’y sont pas trompés, l’un pour en refuser la possibilité même, l’autre pour en saluer l’esprit : l’Exposition est pour tout l’idéalisme allemand le livre de son tournant spéculatif. 
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Philosophie de la nature
Encyclopédie des sciences philosophiques, tome II

G.W.F. Hegel

Introduction, traduction et notes par B. Bourgeois, Vrin, 2004, « Bibliothèque des Textes Philosophiques », 978-2-7116-1654-1, 768 p., 50¤
Cette deuxième partie du Système, la Philosophie de la Nature, a longtemps fait l’objet de critiques sévères : qualifiée par Duhem de « rêve d’un dément », De Gandt y a vu la manifestation du « carnaval de la pensée spéculative » dont l’Allemagne romantisante, rejetant l’entendement et sa rigueur, donnait le triste spectacle. La présente édition nous invite à une nouvelle lecture de ce texte majeur, sinon à sa réhabilitation.
Inscrite dans un vaste courant illustré en Allemagne par Herder, Novalis, Baader, Goethe, Fichte, Schelling, la philosophie hégélienne de la nature est originairement spirituelle, elle élabore une pensée de la nature comme anticipation de l’esprit. De même que l’Incarnation du Dieu chrétien médiatise l’accomplissement religieux de la transformation spirituelle du monde, la Philosophie de la Nature de l’Encyclopédie des Sciences Philosophiques donne son vrai sens au triomphe du savoir absolu. 
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Symphilosophie
Schlegel à Iéna

Denis Thouard (éd.)

Vrin, 2000, « Bibliothèque des Textes Philosophiques », 978-2-7116-1558-2, 224 p., 33¤
En reconstituant dans sa cohérence le projet encyclopédique de Friedrich Schlegel (1772-1829), ce livre replace le romantisme dans le contexte philosophique de la naissance de l’idéalisme. Celui-ci n’aurait pas su, à ses yeux, penser le langage, et avec lui la dimension de l’échange et de l’histoire. La symphilosophie, en revanche, s’inspire d’une réflexion sur la philologie, de la philosophie du langage, de l’herméneutique et de l’essai d’une reformulation dialectique de la philosophie transcendantale. Au-delà des “fragments”, c’est dans le cours de Philosophie transcendantale donné à Iéna en 1800-1801 que Friedrich Schlegel expose sa pensée de façon quasi systématique à partir des trois propositions suivantes : toute vérité est relative; tout savoir est symbolique; la philosophie est infinie.
En annexe du volume, on trouvera la traduction de la Philosophie transcendantale(Introduction – Philosophie de la philosophie) et d’aphorismes de 1800-1801. 
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La libre raison du phénomène
Essai sur la Naturphilosophie de Goethe

Laurent Van Eynde

Vrin, 1998, « Essais d’Art et de Philosophie », 978-2-7116-1366-3, 304 p., 35¤
Goethe poète? Certes, mais cela signifie très vite : « seulement poète ». Notre Goethe n’est pas philosophe à proprement parler, mais il est ce poète qui s’est aussi voulu homme de savoir et qui, dans toutes les dimensions de sa démarche créatrice, fut fidèle à un idéal que, pour notre part, nous considérons comme fondamentalement philosophique : éclairer l’humanité sur elle-même afin de l’aider à se construire dans la conscience aiguë de son sol et de son but, de sa nécessité et de sa liberté.
Nous pensons que la démarche philosophique a un sens – aujourd’hui plus que jamais, car la philosophie peut encore avoir le mérite de répondre à l’urgence du temps par une réflexion dont le caractère transcendantal l’affranchit des circonstances de l’historicité pour mieux ouvrir à cette histoire qu’il nous revient de construire dans la raison et la responsabilité à l’égard de notre condition humaine. Or la pensée de Goethe est à même de défendre les intérêts de la raison. 
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Lumière, couleurs, nature
L’optique et la physique de Goethe et de la Naturphilosophie

Maurice Elie

Vrin, 1993, « Mathesis », 978-2-7116-1118-8, 210 p., 33¤
Avec Goethe et les Naturphilosophen du XIXe siècle (ici, principalement Schelling, Hegel et Schopenhauer), on assiste à une tentative de réappropriation d’un domaine, celui de la lumière et des couleurs, qui, depuis le XVIIe siècle au moins, avait été objet d’étude physico-mathématique. Et, au-delà de cet objet particulier, c'est une autre vision du monde, une autre philosophie, non mécaniste, et même une autre « science », que Goethe et les philosophes de la nature allemands ont voulu opposer à la science de type newtonien. Les auteurs ici étudiés ont en commun l’idée d’une genèse des phénomènes naturels, qui doivent être compris dans leur devenir, dans un processus d’ensemble de la nature. Le présent travail ne voudrait donc pas se limiter à la polémique de Goethe et des philosophes de la nature contre l’Optique newtonienne, mais présenter leurs propres conceptions de la lumière et des couleurs, de la natur e, et de la science de la nature. 
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G.W.F. Hegel

La différence entre les systèmes philosophiques de Fichte et Schelling

Traduction de B. Gilson, Vrin, 1986, « Bibliothèque des Textes Philosophiques », 978-2-7116-0912-3 , 226 p., 23¤
La philosophie de Hegel a « réussi »; trop bien, peut-être, car Hegel a trop critiqué « l’entêtement individuel » afin d’exprimer ce que « chacun porte en lui »; mais nul autre n’aurait su l’exprimer avec autant de raison. Avant lui Fichte, avec lui Schelling ont « fait époque ». Pris en eux-mêmes, ces deux philosophes sont importants. De plus, ils font l’objet de la première ½uvre publiée par Hegel. A propos des critiques de Reinhold, Hegel oppose Schelling à Fichte dans la différence. L’essai sur la philosophie de la nature reprend cette opposition, mais une controverse s’est élevée : qui l’a écrit, Schelling ou Hegel? 
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Recherches sur la Révolution française

August Wilhelm Rehberg

Introduction, traduction et notes par L.K. Sosoe, Vrin, 1998, « Bibliothèque des Textes Philosophiques », 978-2-7116-1375-5, 208 p., 29¤
« Qui sont donc ceux-là auxquels on s’empresse d’attribuer une part de la souveraineté et qui devront décider de l’opportunité d’introduire une nouvelle Constitution? Une masse de gens qui consacrent toute leur vie aux durs travaux manuels, qui n’ont reçu aucune formation intellectuelle ou en ont reçu très peu, et qui n’en sont pas capables en vertu de leur situation; une masse de gens qui, certes, sont des êtres raisonnables et moraux, dont l’entendement, la raison et la moralité ont néanmoins une portée très limitée […]. » Telle est la vision que se faisait A.W. Rehberg de la démocratie et de la souveraineté du peuple qu’il rejette en faveur de l’Ancien régime. Car, pour lui, même si l’histoire de ce dernier est faite d’injustices, il vaut mieux les accepter plutôt que de vouloir changer la société civile ou y rétablir la justice. Une telle tentative ne peut conduire qu’à la destruction « comme enFrance où l’on a supprimé la légitimité des droits traditionnels des différents états ». 
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Lettres et témoignages sur la Révolution française

J.G. Fichte

Introduction, traduction et notes par I. Raddrizzani, Vrin, 2002, « Bibliothèque des Textes Philosophiques », 978-2-7116-1559-9, 304 p., 35¤
Tout l’arc de la production fichtéenne est sous-tendu par l’effort de décrypter le chiffre de la Grande Révolution de 1789 et d’en conjurer l’échec. Le lecteur pourra reparcourir les différentes étapes de la complexe relation amour-haine que le philosophe allemand a entretenu avec la France, au fil de ce recueil qui réunit pour la première fois l’ensemble des jugements qu’il a portés sur la France et les Français (comprenant quelques inédits), depuis son vigoureux engagement au service des idéaux révolutionnaires jusqu’à son virulent engagement anti-napoléonien.
Par-delà l’intérêt historique ou anecdotique que l’on peut concevoir à examiner la position de celui que l’on peut à juste droit qualifier de « philosophe de la Révolution » par excellence, se profile un intérêt proprement philosophique : derrière la question de la cohérence de la lecture par Fichte du drame qui s’est joué au tournant du XIXe siècle, c’est la consistance de la philosophie de l’histoire et de sa conception de l’articulation entre la théorie et la pratique qui est en cause. De plus, comme les blessures ouvertes par la Révolution ne sont pas encore refermées, le diagnostic qu’il a prononcé sur les insuffisances des principes qui l’ont guidée ne peut laisser indifférent. 
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Textes esthétiques
Grâce et dignité et autres textes

Fr. von Schiller

Introduction, traduction et notes par N. Briand, Vrin, 1998, « Essais d’Art et de Philosophie », 978-2-7116-1362-5, 200 p., 31¤
Ce sont en tout dix textes, dont beaucoup étaient devenus introuvables depuis longtemps, qui sont rassemblés ici dans une nouvelle traduction, tournant autour de la grâce, du sublime et du pathétique. La réflexion esthétique de Schiller est largement tributaire de laCritique de la faculté de juger de Kant; elle lui emprunte ses principaux concepts. Mais par son souci de leur découvrir de nouveaux champs d’application, Schiller a contribué à leur ouvrir de nouveaux horizons et à démontrer ainsi la fécondité de ce texte, central s’il en fut, pour le premier idéalisme allemand. 
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Traité sur la Fable

G. E. Lessing

Texte allemand, introduction, traduction et notes par N. Rialland, Vrin, 2008, « Essais d’Art et de Philosophie », 978-2-7116-1878-1, 224 p., 27¤
« De tous les genres poétiques, celui sur lequel je m’étais le plus attardé était la fable. Cette lisière commune à la poésie et à la morale a toujours fait mes délices. J’avais lu à peu près tous les fabulistes anciens et modernes, et relu les meilleurs plus d’une fois. J’avais réfléchi à la théorie de la fable ». Lessing livre dans les Traités sur la fable publiés en 1759 les résultats de sa réflexion selon un triple mouvement polémique, théorique et pratique. Tout en n’ayant de cesse de dénoncer le modèle français de la fable (La Fontaine, La Motte, Batteux) et ses imitateurs (Bodmer et Breitinger), il propose une théorie du genre empruntant ses concepts à la métaphysique wolffienne et fondée sur l’examen minutieux des fables des Anciens (Ésope et Phèdre). Herder a pu écrire à son sujet qu’il s’agissait, « sans conteste, de la théorie la plus rigoureuse et certainement la plus philosophique jamais consacrée à un gen re poétique depuis le temps d’Aristote ». ¼uvre méconnue en France, ce texte manifeste aussi le souci que peut avoir un écrivain de perfectionner sa propre pratique par la réflexion théorique, sans pour autant l’y soumettre complètement. Lessing avait accompagné ses Traités de Fables et ne voulait pas qu’on les juge séparément. Cet ouvrage regroupe les deux aspects de son ½uvre, pour la première fois en français depuis 1764. 
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L’ironie romantique
Compte-rendu des Écrits posthumes et correspondance de Solger

G.W.F. Hegel

Introduction, traduction et notes par J. Reid, Vrin, 1997, « Bibliothèque des Textes Philosophiques », 978-2-7116-1304-5, 144 p., 25¤
En 1828, Hegel consacra un compte rendu important à la publication des Écrits posthumes et correspondance du regretté collègue Karl Wilhelm Ferdinand Solger. C’est l’occasion de passer en revue « les deux crises de la littérature allemande » : le Sturm und Drang et le premier romantisme allemand. Hegel retient l’échec d’un philosophe sérieux qui a saisi le contenu spéculatif sans pouvoir le communiquer.
Il explique cet échec par la forme d’expression ironique que Solger emprunte afin de véhiculer ce contenu. Le projet ultime d’Hegel consiste à montrer que la seule expression adéquate à la vérité spéculative est un langage qui est lui-même la vérité objective. On y aperçoit l’affirmation radicale de sa théorie du logos : le discours engendre le monde dans lequel il se fait entendre.
Hegel s’y révèle capable de justifier et d’affermir son système dans et par la critique. 
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Esthétique
Manuscrit inédit de Victor Cousin

G.W.F. Hegel

Introduction, traduction et notes par A.-P. Olivier, Vrin, 2005, « Bibliothèque des Textes Philosophiques », 978-2-7116-1757-9, 160 p., 17¤
Le manuscrit découvert à la Bibliothèque de la Sorbonne est la seule source en français du cours d’esthétique de Hegel. Le cahier ne mentionne aucun nom, mais les traces de l’écriture de Victor Cousin atteste que celui-ci en était le possesseur et le destinataire.
La comparaison avec les autres sources manuscrites montre que se texte se rapporte au cours donné à Berlin pendant le semestre d’été 1823, prenant la forme d’un abrégé. L’accent est mis sur la structuration du discours et la dimension systématique, distinguant cette version condensée de l’édition traditionnelle de l’Esthétique.
Le texte constitue également l’exemple exceptionnel d’une traduction hégélienne réalisée du vivant du philosophe. L’enseignement de Hegel, inédit en son temps, se trouve ainsi restitué pour la première fois au public francophone sous sa forme originale. 
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Schleiermacher
Communauté, individualité, communication

Denis Thouard

Vrin, 2007, « Bibliothèque d’Histoire de la Philosophie », 978-2-7116-1911-5, 288 p., 33¤
La pensée de Friedrich Schleiermacher part du souci d’articuler l’exigence d’individualité aux différents ordres de communauté, de l’amitié à la société, à travers la prise en compte systématique de la communication. En présentant sa formation jusqu’aux Discours sur la religion de 1799 et aux Monologues de 1800, l’ouvrage introduit à la problématique centrale de sa philosophie, qui se constitue dans une relation critique aux thématiques de l’Aufklärung, du romantisme et de l’idéalisme allemand.
L’anthropologie des Lumières est remise en question par l’expérience de la religion comme ouverture radicale à l’Univers, « sens et goût de l’infini ». Ce renversement implique également une critique de l’idéalisme naissant, fondant toute pensée sur la conscience de soi, comme du primat romantique de l’esthétique. Schleiermacher entend honorer à la fois la finitude et l’activité humaine comme invention de soi. C’est en pensant ensemble le décentrement du sujet et l’affirmation d’une éthique individuelle que Schleiermacher définit sa position philosophique. Le rôle de la communication est alors central : en reliant le soi aux autres, elle participe directement à la constitution d’une communauté différenciée en elle-même. La transformation des concepts de communauté et de sujet, passés au crible de l’individualité, aboutit à la promotion de la communication comme étant l’un de ses opérateurs essent iels. 
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