Saturday, June 30, 2012

7/1 第3回ひらめの会

元のページ

日時 2012年7月1日(日) 午後1時から午後6時まで
場所 九州大学大橋キャンパス2号館3階会議室
http://www.design.kyushu-u.ac.jp/kyushu-u/watch/campus

「デ・カルト」


デカルトは『方法序説』において、真理が確実でないときにどのように行動すべきかを論じました。デカルトによれば、世間の習慣や決まりごとに従い、 世界を変えるよりは自分自身の精神のあり方を変えるべきだといいます。この「仮の道徳」は、絶対的真理を手中にしていると思い込み、それに基づいて自らの 習慣的身体や外界を虚偽として断定的に否定するいわゆるカルト主義に対する批判となっています。

くわえてデカルトは『情念論』において、精神が外界や身体から受動的に作用を受けることを「情念」と呼び、身体がいかなる状況にあってもその状況を 一つの客観的事態として正確に認識し、それに対して能動的な手を打つことが精神には可能であるとしました。そしてデカルトは、そうした自由意志を自覚する ことにより、精神はいつでも高邁さの境地に至りうるのであり、そのようにいわば精神を訓練することも可能だと主張しました。

身体や情念をいつでも客体として精神が取り扱うことができるのは、デカルトにおいて精神と身体(物体)が実体の水準で完全に区別されているからにほ かなりません。こうしたデカルトの二元論は、現代においてさまざまな批判の的となっています。しかし依然としてデカルト的「切断」の操作は、精神分析や各 種の心理療法にも引き継がれ、今日の精神や身体の病理形態に対処する有力な手法であり続けています。

今回のひらめの会は、前回の身体論にひきつづき、身体の病理的形態、受動としての身体性(パッション)の問題を、カルト論、精神分析、器官なき身体 などの観点から論じたいと思います。それぞれの発表予定者の記事や文章を事前にお読み頂いてご参加下さい。テクストは下記の発表題名よりリンクする予定で す。(古賀徹)

話題提供の方々

武富 泰毅(元佐賀新聞記者) つくり変えられる心、マインド・コントロール

古賀徹  ドゥルーズ/ガタリの「空虚な身体」と「充実する身体」について

西見奈子 精神分析における身体―近年のクライン派理論を中心に―
九州大学大学院人間環境学府博士後期課程単位取得満期退学。2008年博士号(心理学)取得。現在、近畿大学九州短期大学准教授。精神分析学会正会 員。日本精神分析協会所属。精神分析、特にクライン派の研究および臨床をおこなう。また近年は美の概念および芸術論に関心を寄せている。一般向けの精神分 析の読書会、セミナーを時折開催。art space tetraの運営メンバー。

渡邊利夫 アレンカ・ジュパンチッチ『リアルの倫理』について(第一回) 解題:第1章~第3章
熊本県立人吉高校英語教諭。西南学院大学大学院文学研究科(国際文化)博士課程満期退学。イギリス初期近代文化、特にSir Walter Raleighについて研究。(岩尾ゼミ)

*6時半過ぎから懇親会を予定しています。参加ご希望の方は、お店に予約の関係もありますので6月25日までに石井さん(sharanoka アット gmail.com)までご連絡ください。当日の飛び入り参加も歓迎です。

Boltanski, Sabatier, Baruk

Luc Boltanski, 1er prix Pétrarque de l'essai France Culture / Le Monde Dans "Du Grain à moudre" ce 28 juin, le sociologue expose quelques axes de son dernier essai "Énigmes et complots", pour lequel il vient d'être récompensé, qui met en parallèle roman policier et État moderne.

Robert Sabatier s'en est allé C'était le doyen de l'Académie Goncourt. Celle-là même qui ne l'avait pas sacré pour ses célébrissimes "Allumettes suédoises". Le "Poulidor de la littérature" comme l'avaient surnommé certains connut un immense succès populaire à la fin des années 60 qui éclipsa le poète. Le grand conteur d'histoires était aussi une mémoire de la poésie française, auteur d'une anthologie colossale. 

Stella Baruk : la musique des mathémathiques Une fée, un phare, un veilleur pour les générations d'élèves d'aujourd'hui et de demain...., Stella Baruk est une musicienne des mathématiques. Professeur et chercheur en pédagogie, elle a voué sa vie à un combat de titan : faire en sorte que l’innumérisme recule, que la langue des mathématiques devienne une langue maternelle, pour tous !En 1973, en pleine réforme des mathématiques ...

7/7 第5回京都言語文化教育研究会

第5回京都言語文化教育研究会
2012年7月7日(土)14:00より
京都大学吉田南構内総合館101(東南棟1階)
参加費300円(お茶代)終了後に懇親会あり


談話能力習得とコミュニカティヴアプローチ:
フランスにおけるクラスルームの事例研究
木田 剛(筑波大学人文社会系)

本発表は「伝達能力の学習の逆説(paradoxe de l'apprentissage de la compétence de
communication)」を議論する。これは、一般の会話能力の養成は言語の使用、つまり会話によってなされるが、言語学習の現場での会話構造は学習のための特別なもので、一般の会話とはほど遠い説明や質問に支配される傾向にある。極言すれば,会話を学習しようと思っても、外国語教室では「会話」しない。これをフランスで一般に行なわれている外国人向けの通年フランス語の授業を実証的に調査したものを報告する。談話分析の手法を用いて語学教師のディスクールを語用論的に分類し、それが学習者の参加に与える影響を総合的に分析することによって教師がどのような話し方をすれば学習者の会話能力向上の可能性があるかを探る。

クロード・ジェルマン (ケベック大学モントリオール校)「神経言語学的アプローチ: カナダの集中フランス語教育について」(英語による発表,通訳あり)

カナダの学校制度の中で,生徒の大多数(およそ85%)が受講する第二言語としてのフランス語学習は成功を収めていない。このことはさまざまな資料から明らかになっている。これは,点滴注射さながらのエクステンシブ・コース(一日に20分から40分の授業)を受講してきた「コア・フランス語」クラスの生徒のテストを近年調査したことに基づいている。このような貧弱な成果を改善するため,英語圏の研究者と協力し,言語学習のための神経言語学アプローチとよばれるアプローチを開発してきた。
 過去15年間にわたり,ケベックを除くカナダの全州と3つの準州でこのアプローチを試行し,実施してきた。現在までに4万人以上の英語系カナダ人の児童(小学校5年生か6年生)がインテンシブ・フランス語プログラムと呼ばれているこのプログラムに参加し,成果を収めてきた。報告の第一部では,このアプローチの基本的原理を手短に紹介し,神経科学(ここでは神経言語学)の領域における近年の研究によって,第二言語学習に使用されている大半の教授法や教材の背後にある基本的な考え方がどのようなものかを示したい。後半では,インテンシブ・フランス語プログラムを簡単に紹介し,それによって得られた成果を示したい。

Saturday, June 23, 2012

絵本と大学生

今日、絵本に関する講演会を聞きに行った。なかなか興味深い話だった。

《赤ちゃんの時(1歳とか)から絵本を読み聞かせるということが広まりつつある。その頃は、読み聞かせてくれる人との絵本を介した言葉のキャッチボールが主な目的なのだが、それをやっていると、「絵本=会話のきっかけ」になってしまい、2~3歳の本格的な絵本の読み聞かせが始まる時期には、むしろその習慣が弊害になって、絵本に集中できなくなる。》

これは、90分の講義が聞けない大学生たちにも通じる話かなと思った。大学初年度に一見「インタラクティヴ」で「活発」な、しかし実は他人の話を深く理解する前に感覚的に反応してしまう対話形式の授業をやりすぎることの弊害。

《絵本の読み聞かせの主役は「絵本と子どもの対話」なので、読み手は黒子にすぎない。子どもには大人の想像を超えた想像力がある。声色はむしろその自由な飛翔を妨げる。だから、声色を使って上手に読んでやる必要はない(『三匹のがらがらどん』など、声色が有効な絵本もあるが)。浅い受け(その場での評価)を期待せず、淡々と読み聞かせてやればよい。》

大学生たちの思考力や想像力を信じきること。学生のためにと甘やかすことは必要ない。いい授業は必ず伝わると信じること。

《いい絵本を読んでもらった効果は思春期にあらわれる。》

いい授業を受けた効果は十数年後にあらわれる…と信じている。

大学でいい授業をたくさん受けたはずの大人たちが「大学では遊んでばかりいた」などと平然と口にする。小中高で学んだことも大して覚えていないはずなのに、なぜか小中高を悪く言う大人は少ない。自分たちが与えられた自由を誤用して遊んでいただけなのに、「大学では大したことは学ばなかった」などという。そのような大人に育てられた子どもが大学教育や大学教員に敬意をもって接することができるはずがない。大切なことを教えてくれる大人に敬意をもって接することのできない子どもはいつまで経っても大人にはなれない。



講演者は絵本屋さんを営んでいる方で、たくさんの絵本を持ってきて展示していらっしゃった。

聴き手は数人のお母さんたち。みんな数冊買って行かれたが、それでも総売り上げは一万円にも満たなかっただろう。

私は、小さな本を数冊買った。F.C.セイヤーズ『ウォルト・ディズニーの功罪』、母親文庫、1967年。定価210円である。

アマゾンを見てみた。古本しかなく、1000円の値がついていた。

サンプルを載せておくので、興味のある方は、出版社から直接お買い求めください。それがいい絵本とそれを守る方たちを応援することにつながります。




Saturday, June 16, 2012

論文、論文、論文…のはずが

英訳されたデジャヴ論文の英文チェックを昨日から英人同僚と始めた。お互い忙しく、時間が細切れにしか取れない。今日など午後4時半から5時少しまで、30分強だけ。ぐったり疲れた顔をしていても、辛抱強く付き合ってくれるpcに心から感謝したい。

と同時に、仏語論文にも手を入れている。完全版は(一応)完成したのだが、今度雑誌に載せてもらうのは、完全版では「いけない」のである。前半部(ベルクソンとレヴィナスにおける物質=質料性)がすでに2007年のシンポ記録として同じ雑誌に刊行されている以上、その部分は同じものを再録するわけにはいかない。いや、編者は「別にかまわない」と言ってくれているので、そのまま載せてもいいかなという気もするが…。まだ思案中。

もう一つの仏語論文は本当に困っていて、いろいろ読み直して、結論部分に根本的に手を入れたいのだが、…時間がない。なのに、最後通牒的なチェック原稿が送られてきている…。どうしよう。

そして、最後に、最長の論文が控えている。うむむ…。


なのに、学生との些細なやりとりに疲弊してしまっている今日この頃。

Bac philo 2012

Bac philo 2012

"Qui fait l'histoire ?", "Faut-il craindre le regard d'autrui ?"... Quelques heures avant l'épreuve de philosophie, "les Nouveaux chemins de la connaissance" vous proposent de réviser avec les émissions qu'ils ont rapportées de Bretagne : 8 plans détaillés, confectionnés avec professeurs et élèves.

Bac philo 2012

Les Nouveaux chemins de la connaissance vous aident à réviser !

Il y a quelques semaines, l'émission arpentait les routes de Bretagne et, de lycée en lycée, à Brest, Rennes et Lannion, recueillait auprès de quelques professeurs de philo et de leurs élèves la matière à réviser le programme du baccalauréat 2012.

au lycée Hélène et Victor Basch de Rennes © Radio France

Voici donc la deuxième série de sujets sur lesquels ils ont planché, diffusés à l'antenne du 11 au 14 juin :

Suffit-il d'expliquer le corps pour comprendre l'esprit ?

Les rapports entre le corps et l’esprit sont depuis toujours au cœur des interrogations philosophiques. Les progrès scientifiques, en particulier dans le domaine des neurosciences, conduisent aujourd’hui nombre de penseurs à adopter une solution matérialiste. L’esprit, assimilable au cerveau, ne serait en ce sens qu’une propriété de la matière.  Mais l’esprit est-il entièrement réductible au cerveau ? Existe-t-il, ce que nous pourrions appeler, une matière « spirituelle » ? L’éternel débat entre monisme et dualisme est encore loin d’être tranché…
>>> le plan et l'émission à réécouter ICI


Qui fait l'Histoire ?

L’histoire s’écrit au fil des mois, des années et des siècles. Mais qui l’écrit et de quel point de vue ? L’histoire avec un grand h est-elle uniquement le fait des grands hommes ou chacun participe t-il à part égale à la grande aventure de l’humanité ? L’Histoire et sa marche impitoyable semble souvent avancer seule, emprisonnant sur son passage les malheureux qui se trouvent sur son chemin. Les hommes sont-ils réellement les auteurs de l’histoire ?

>>> le plan et l'émission à réécouter ICI


La morale est-elle nécessaire à la vie des hommes en société ?

La morale, affaire de mœurs et de codes, permet de définir implicitement des règles de vie en société. Un monde sans morale serait-il donc synonyme d’un univers barbare « sans foi, ni loi » ? D’aucuns considèrent pourtant la morale comme un carcan étouffant, une condamnation des passions humaines, dont il est important de se libérer. Qu’est-ce que la morale ? Les hommes peuvent-ils vivre ensemble hors de toute morale ?
>>> le plan et l'émission à réécouter ICI


Faut-il craindre le regard d'autrui ?

« L’enfer, c’est les autres », écrivait Sartre. L’homme, animal social par excellence, a en effet parfois bien du mal à supporter la compagnie de ses semblables. C’est là tout le paradoxe de l’ « insociable sociabilité » de l’homme. En société, l’homme est en permanence soumis au regard et jugement d’autrui. Quelle est la place de ce regard dans la constitution de l’identité du sujet ? Ce regard lui-permet-il de prendre acte de son altérité vis-à-vis d’autrui ou a-t-il au contraire un effet miroir ? Comment vivre sous le regard d’autrui ?
>>> le plan et l'émission à réécouter ICI


Autres sujets diffusés au mois d'avril :
- Une communauté politique n'est-elle qu'une communauté d'intérêts ?
- Obéir, est-ce renoncer à sa liberté ?
- Peut-on être heureux dans un monde injuste ?
- La culture nous rend-elle plus humains ?

Monday, June 11, 2012

道 (続・或る論文の運命)

2012年4月4日付で「或る論文の運命」という話をした。

あれから、

2012年5月8日のメール
Stage 3 (of 4): Author corrections have now been received by the publisher. We are making your corrections and preparing to publish your article. If your journal article is published EarlyView (online ahead of being assigned an issue), please understand that there may be a short delay from when your corrections are received and when it is published online.


修正したいならしてもいいよ(でもできるかぎり早く)とのことだが、もう疲れた。だいたい見直そうにも、校正すべきPDFも送られてこない(編集用サイト上にもない)。


そして、2012年6月6日のメール

Stage 4 (of 4): The issue containing your article is now published online.

というわけで、ようやく出版されました…。目次も挙げておきましたが、

アメリカの大陸系哲学の大物のJOHN SALLIS、中堅どころのDAVID WOODやTED TOADVINE(今回の編者)、私と同じ若手のALIA AL-SAJIなど、皆数年前のCollegiumで顔を合わせた人たちで、懐かしいです。
そこに、ここ数年で名前を知ることになったLÁSZLÓ TENGELYIやÉTIENNE BIMBENETなどのヨーロッパ人哲学者がいて…。彼らと名前が並ぶのはやっぱりうれしいですね。
派手さはありませんが、これからも自分なりの道を歩いていきたいと思っています。

SJP, 50th anniversary Special Issue: "Continental Philosophy: What and Where Will It Be?" (2012)


The Southern Journal of Philosophy (University of Memphis),
     50th anniversary Special Issue: "Continental Philosophy: What and Where Will It Be?", Vol. 50,
no. 2, 2012.


Editor’s Note  STEPHAN BLATTI

Introduction: “Continental Philosophy: What and Where will it be?” (p. 171-179)  TED TOADVINE

1. What Is Continental Philosophy?

The Heading of A Problem (p.180-190)  SIMON GLENDINNING

In the Future Philosophy will be neither Continental nor Analytic but Synthetic: Toward a Promiscuous Miscegenation of (All) Philosophical Traditions and Styles (p. 191-205)   IAIN THOMSON

Continental Philosophy: Back to the Future (p. 206-219)   DAVID WOOD

Continental Philosophy: Thinking the Corporeal with the Political (p. 220-233) ROSALYN DIPROSE

The Self and the Others: Common Topics for Husserl and Wittgenstein (p. 234-249) SARA HEINÄMAA

University with Conditions: A Deconstructive Reading of Derrida’s “The University without Condition” (p. 250-272)   HISASHI FUJITA

Hegel’s Legacy (p. 273-284)   ROCÍO ZAMBRANA

2. Continental Thinking to Come

Levels and Figures in Phenomenological Analysis (p. 285-294)   ROBERTO J. WALTON

New Phenomenology in France (p. 295-303)   LÁSZLÓ TENGELYI

Taking Stock of Phenomenology Futures (p. 304-318)   SHAUN GALLAGHER

To have done (truly) with Metaphysics (p. 319-328)   ÉTIENNE BIMBENET

Reflections on the Legacy and Future of the Continental Tradition with Regard to the Critical Philosophy of Race (p. 329-344)   KATHRYN T. GINES

The Elemental Turn (p. 345-350)   JOHN SALLIS

When Thinking hesitates: Philosophy as Prothesis and Transformative Vision (p. 351-361)   ALIA AL-SAJI

Sunday, June 10, 2012

エラスムス

6月9日(土)エラスムスの授業第2回目:教室が確保されておらず、バタバタしたが、何とか開始。
10時すぎから12時半まで。先週の復習(ECベルクソンと前期レヴィナスにおける物質=質料性)を丹念にやった後、晩年のベルクソンと後期レヴィナスにおける記憶の問題に入る。

学生から図式論について解説してほしいという要望があり、急遽午後の授業のレジュメをつくりかえる。どのみち昼ご飯は食べないつもりだったので、12時半から14時まで授業準備。

で、14時から16時半まで、第3回の授業。なんと15時半くらいまで、記憶論の話。その後、図式論の話30分。休憩10分を挟んで、最後の30分ほどをベルクソンとドゥルーズの対決に充てた。

ベルクソンとレヴィナスについては、私に可能な限り精密に、かつ大胆に解説できた。学生たちもおおよそ満足してくれていたようで――授業後はぐったりした顔してたけど…(笑)――、こちらとしてもやりきったという充実感がある。

しんどいけど、ベルクソンとドゥルーズについて、やっぱりあと2~3回くらい詳しくやりたかったなあ。

Saturday, June 09, 2012

6/16 マーティン・ジェイ氏公開講演会「アフター・ジ・エクリプス― 後期批判理論における理性の光」

マーティン・ジェイ教授(Prof. Dr. Martin Jay)公開講演会

タイトル: アフター・ジ・エクリプス ― 後期批判理論における理性の光
(After the Eclipse: The Light of Reason in Late Critical Theory)


日時:2012年6月16日(土) 午後2時より

場所:早稲田大学戸山キャンパス34号館355教室
      (東京メトロ東西線早稲田駅下車徒歩10分)

通訳 桑名映子 (聖心女子大学准教授)

聴講自由。事前申し込みなどの必要はありません。

講演および質疑には日本語の通訳がつきます。


マーティン・ジェイ教授(カリフォルニア大学バークレー校)

1973年に画期的なフランクフルト学派研究『弁証法的想像力』
を刊行して

以降、つねに学界をリードしてきたヨーロッパ現代思想史研究の泰斗。日本 

語訳のある著作としては他に『アドルノ』『永遠の亡命者たち―知識人の移   

住と思想の運命』『マルクス主義と全体性』『力の場―思想史と文化批判の

あいだ』『世紀末社会主義』『暴力の屈折―記憶と視覚の力学』など多数。  

再び上京

昨日から再び東京に来ていて、今からエラスムスの2回目と3回目の授業をやってきます。

昨日はm先生の授業にお邪魔して、したい質問をいろいろできたので、とてもよかったです。ご迷惑だったでしょうね…。すみません。 いや、もっとレヴィナスのテキストを手に詳しく質問したかったのですが、また別の機会に(笑)。

昨日はその後、a先生とh出版のgさんと出版会議。そして、エラスムスの授業準備。

Tuesday, June 05, 2012

6/8 ウェブの哲学

La prochaine séance du séminaire interne du Ciepfc aura lieu le vendredi 8 juin et accueillera 
Philippe LACOUR et Alexandre MONNIN à propos de l'alternative :
       "Logique ou ontologie du Web?"

Salle Pasteur, 17 heures, 45 rue d'Ulm.

Les textes en pièce jointe seront discutés.

Le séminaire est ouvert à tous.

6/12 JE「概念と直観」

CONCEPT ET INTUITION

Journée d’étude du séminaire « Philosophie française et philosophie analytique »

12 JUIN 2012 - Ecole normale supérieure, Amphithéâtre Rateau (45 rue d’Ulm)
PROGRAMME
MATIN
9h45 : Introduction
10h-13h
- Pascale GILLOT (ICI, Berlin) : « Externalisme et philosophie du concept : la question de l’antipsychologisme »
- Jean-Philippe NARBOUX (Université de Bordeaux 3) : « Le rapport à soi-même : Evans critique de Sartre »
- Philippe LACOUR (Centre Marc Bloch, Berlin / Ciepfc) : « Granger et Ricoeur : deux réceptions "existentialistes" de la philosophie analytique »

APRES-MIDI
14h30-18h30
- Raphaël MILLIERE (ENS, Paris) : « Analyse conceptuelle et analyse formelle : le cas des modalités »
- Pierre LIVET (Université de Provence) : « Quand le concept a des problèmes que l’intuition n’a pas : le cas des connaissances vagues »
- Francis WOLFF (ENS, Paris) : « Intuition ou concept ? Le problème de la réalité du présent »
- Elie DURING (Université de Paris Ouest) : « La durée bergsonienne au prisme de la métaphysique analytique »

Programme général du séminaire
Organisation : Élie During, Frédéric Fruteau de Laclos, Jean-Michel Salanskis

6/9 Séminaire d'Anne Sauvagnargues


DELEUZE et GUATTARI : d’un mille et unième plateau


La prochaine séance aura lieu 
le 9 juin 2012, 
salle Pasteur 
à l'ENS, 45 rue d'Ulm



Après avoir travaillé l’an dernier sur les ritournelles,  nous poursuivons cette année le travail autour des sémiotiques des Mille plateaux en explorant l’œuvre de Guattari, tout spécialement Les trois écologies et Chaosmose.
Nous lirons ainsi, selon le principe de connexion et d’hétérogénéité, outre Mille Plateaux,
De Félix Guattari : La révolution moléculaire, Paris, Recherches, coll. « Encre », 1977, rééd. UGE, coll. « 10/18 », 1980 ; Les Années d’hiver 1980-1985, Paris, Barrault, 1986 ;Cartographies schizoanalytiques, Paris, Galilée, 1989 ; Les trois écologies, Paris, Galilée, 1989 ; Chaosmose, Paris, Galilée, 1992 avec Toni Negri, Les nouveaux espaces de liberté, Paris, Dominique Bedou, 1985 ; avec Suely Rolnik, Micropolitiques, 1986, tr. du brésilien par Renaud Barbaras, Paris, Les Empêcheurs de penser en rond, 2007.
Et de Gilles Deleuze : L’Image-mouvement et L’Image-temps (Minuit, 1983 et 1985) ;Foucault, Minuit, 1986 ; Le Pli, Minuit, 1988.
Contact : Anne Sauvagnargues  -  asauvagnargues@gmail.com

Programme des séances 2011-2012
Les séances ont lieu le samedi de 14h à 17h, à l’ENS rue d’Ulm

22 octobre 2011, salle Celan
5 novembre 2011, salle des Résistants
3 décembre 2011, salle Histoire
7 janvier 2012, salle Celan
4 février 2012, salle Celan
3 mars 2012, salle Celan
31 mars 2012, salle Cavaillès
12 mai 2012, salle Celan

[本]のメルマガ

私は「[本]のメルマガ」の愛読者である。別に読書狂というわけでもない私が勧めたところで何のオーセンティシティもないわけであるが、みなさんにも購読を勧めたい。

今号(vol. 467)から二つほど抜粋を。

大島なえさんの「神戸発、本棚通信」の第七七回・「海鳴り」が聴こえる

***

編集工房ノアは、関西では知る人ぞ知る有名な小出版社だ。会社は大阪にあり、全国でささやかに本が配本されているが、根強いファンも多くいる。売れ筋無視したような「うちはこんな本しか出さない」オーラが出た本ばかり作っている。関西でもノアの本を置いている書店は、限られているし私は、いつも海文堂書店のノアの棚で新刊をさがすのだが、今回すこし意外な事件があった。

 それはノアのPR誌「海鳴り」が年一冊ぐらいで発行されるのだが、その「海鳴り」24号が出た、読んだ。とネットで紹介しているのを読んで、いそいそと元町へ出て〔…〕、いつも置いてある場所を見ても見あたらない。〔…〕すごく、がっかりした。この「海鳴り」は、他の大手出版社の「波」や「本」、「ちくま」と人気作家が名を連ねるPR誌も、勿論マメに手に入れて読むけれど、ノアのはおよそPR誌と言うよりもミニ文芸誌に近い。必ずある新刊の宣伝文などひとつも無い。社長もかなり頑固で変わっていると噂だが、「海鳴り」も同じくそんな香りがするミニ冊子なのは確かだろう。無いとなると、読みたくなるし、しばらく待っていても連絡が無い。他で手に入る書店と言えば、京都の三月書房しか思い浮かばない。

 そうしていると偶然、うまい具合に京都へ出かける用事ができた。これはやっぱ「海鳴り」が呼んでいる~と勝手に思い込んで、五月の終わり頃に三月書房へ一年ぶりに訪問し、どれも欲しくなる本の棚に目うつりしながら、選んだ一冊の本をレジに差し出して買い、出してくれなかったので「海鳴り」ありますか、と聞いてようやく最新号をゲットした。ああよかった。

***

売れ筋無視の出版社、いいですね。他方で、徹底して読者を意識して、好評を博しているウチタツについて、「忘れっぽい天使」さんの「声のはじまり」の第67回:「わかりやすさ」の秘密─内田樹『街場の読書論』より。
 
***
 
人文書の棚を担当している書店員なら、フランス文学者内田樹(1950年生まれ)の新刊の情報を掴んだ時点で、目立つ場所の平台を確保しておこうと考えるものである。それくらい彼の本は売れる。宮台真司や東浩紀と並んで、ビジネス書並みの売上げが期待できる数少ない人文系の著者と言えるだろう。
 
〔…原文を読んでいただきたいので、大幅に省略…〕
 
 「ウチダ棚」はその名の通り、自著に対してコメントした章である。『街場のアメリカ論』では、「素人にはできるが、玄人にはできないことがある」「それは『素人の素朴な疑問にとことん付き合う』ことである」と前置きした上で、この本を、19世紀に卓越したアメリカ論を書いたトクヴィル(つまり
今のアメリカに関しては素人)を「想定読者」として書いたと告白する。そして、何と、トクヴィルとの(もちろん仮想の)対話を展開していく。何とも芸達者。だが、単なるユーモアに終わらずに、彼独自のアメリカ論の骨子が簡明に説明し直されているのがさすがである。この「誰誰を読者として想定して書く」ことの意義は、他の箇所でも強調されている。相手がいて交通がある─読み書きの基本に立ち返らせてくれる啓蒙家・内田樹。
 
〔…原文を読んでいただきたいので、大幅に省略…〕
 
通読して感じることは、著者の主張は、どんな話題に触れようと、見事に一貫しているな、ということ。彼は常に、相手を問題にした言葉を書いている。ユーモアを交えながら(冗談ばかりの時もあるが)、実はひどく真剣に相手と対面した語りを連ねているのである。これは、彼が武道家であることとも関係しているのかもしれない。文字通りの「真剣」で読者に対しているのだ。〔…〕読者はもちろん不特定多数なのだが、その見えない一人一人の顔を、想像力でもって懸命に見ようとしている。〔…〕内田樹の「わかりやすさ」の秘密は、こうした態度に根ざすのだと思う。 

6/5 「華氏451」「火星年代記」のSF作家レイ・ブラッドベリ氏が死去

「華氏451」「火星年代記」のSF作家レイ・ブラッドベリ氏が死去

シネマトゥデイ 6月7日(木)4時18分配信
「華氏451」「火星年代記」のSF作家レイ・ブラッドベリ氏が死去
拡大写真
レイ・ブラッドベリ氏 - Dan Tuffs / Getty Images
「華氏451」や「火星年代記」などでお馴染みのSF作家レイ・ブラッドベリ氏が91歳で死去した。彼の娘であるアレキサンドラ・ブラッドベリが発表したことで明らかになった。

SF作家レイ・ブラッドベリ氏は、1938年から4年間に渡り新聞の販売をしながら数々の雑誌に投稿。そして、ヘンリー・ハースとの共作「振り子」が スーパー・サイエンス・ストリーズに掲載されたことでプロに転向していた。その後、1947年に短編集「黒いカーニバル」で作家デビューし、さらに「火星 年代記」で一躍世間に名を馳せた。

その後、1947と48年に2度もO・ヘンリー賞を受賞し、1954年にはアメリカ芸術文学協会賞も手中に収めている。映画では1953年に執筆した 「華氏451」が、フランスのフランソワ・トリュフォー監督によって映画化され、さらにジョン・ヒューストン監督がメガホンを取った『白鯨』の脚本も担当 した。今のところその死因については明らかにされていない。ご冥福をお祈りいたします。 (細木信宏/Nobuhiro Hosoki)

レイ・ブラッドベリが死去 「火星年代記」「華氏451度」

ITmedia ニュース 6月7日(木)1時14分配信
米報道によると、SF作家レイ・ブラッドベリが6月5日に死去した。91歳だった。

火星への人類移住を描いた叙情的な作品「火星年代記」(1950年)や、本の所持が禁止された社会を通じて情報統制や文化破壊を警告した「華氏451度」(1953年)などの名作で知られる。

現代のテクノロジーには批判的な面もあり、2010年には「デジタル書籍化のオファーを受けたが、Yahoo!には『地獄に落ちろ』と言ってやったよ」などとインタビューで答えていた。

Monday, June 04, 2012

仕事リスト

週末の学会で、さまざまな先生方、編集者の方々とお話ししているうちに、あるべきバランスが感じられてきた。もちろん今までどおり教育もきちんと行なっていくが、車の両輪としての研究もしっかりやっていかねば。
・a災厄仏語論文の仕上げ(今週末)

・aB&D政治仏語論文の仕上げ(今週末)

・tデジャヴ英訳論文の英訳チェック(来週末まで)


・kB&D科学邦語論文の完成(7月初旬)

・自著の完成(8月に集中)

・n大学論邦語論文の執筆(9月末)

・aBとF仏語発表(11月末)

・nD翻訳(12月末)

・n災厄シンポ仏語発表(3月)

・結婚論WS(5月)

・レトリックWS(5月)

以上のお仕事は昨年までにすでにお引き受けしてしまっていたもので、その後は今年度中のお仕事は一切お引き受けしておりません。私のような者にお声掛けいただきましたのに、せっかくのありがたいお申し出をお断りしてしまった方々には大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。

来年4月以降のお仕事は…ふたたび体調を崩さない限り、できるかぎり積極的に検討させていただきますので、よろしくお願い致します。体調が安定せず、自分でももどかしいのですが、ご理解いただければ幸いです。

Sunday, June 03, 2012

週末

6月1日(金)エラスムスの授業1回目。ゆっくりとベルクソンとレヴィナスの基礎知識を確認しながら、前期レヴィナス(『全体性と無限』まで)の大筋を理解するための鍵が「物質(質料性)」であること、ベルクソンの『創造的進化』と読み合わせると、両者の理解それぞれにとって生産的であることを説明する。1時間くらい延長した。

次回は、後期レヴィナス(『存在の彼方』を中心とする)の大筋を理解するための鍵が「記憶(記憶を絶したもの)」であること、ベルクソンの『二源泉』と読み合わせると、興味深い諸点が出てくることを説明する。その後、ベルクソンとドゥルーズの対比に入る。もっと時間があるといいのだが。。

6月2日(土)学会。朝9時半から会議。10時過ぎからBB研にてnさんのご発表。いつもながら面白いです。 12時まで。その後、大急ぎでご飯を食べ、12時半からk書房のsさんと自著の打ち合わせ。ふだん大学では研究とかけ離れた世界に身を置いているだけに、とても励まされました。どうもありがとうございました。

午後1時。今回は特別ということもあり(後で知ったが、学会50年の歴史でt大での開催は初だったらしい)、挨拶から出席して聴こうと思っていたのだが、当日同時間に同じt大でエラスムスの学生ワークショップがあり、これはこれで、sさんの言うとおりévénement historiqueなので、ぜひ少しでも出てあげねばと2時まで参加。コンパニョンの講演の半分以上を聞き逃してのことなので、学生の皆さん、大目に見てください。

コンパニョンの「フランス文学は役に立つ」、蓮実御大のフロベール講演、そして学会の重鎮の先生方によるフランス文学研究の来し方を語る座談会。

6時から懇親会。8時から二次会。いろいろな方と再会できて楽しかった。まるでいろんな時期の同窓会のようだった。

明けて3日(日)学会二日目。朝10時からWS。バタイユのセクションは2時間に強者5人。多すぎです。まあ、「今の研究は小粒に見える」っていうのはいつの時代も言われることだと思うけどね。でも、そういう叱咤を真正面から受け止めて、前に進んでいくということが大事だと思います。

これが伸びに伸びて、12時35分終了。昼の部は12時50分から開始。ひどいですよ。いつも頭を悩ませるのがどれを聴きに行くか。今回はクンデラ、バルト、レヴィナス、クノー、マンディアルグについてのご発表を聴きました(質問はいつものごとく、発表をよりよく理解できるようにという趣旨でさせていただきました)。

総会、どんなに簡潔にやっていっても、長すぎます。どうしたらいいんでしょうか…。