Sunday, October 30, 2011

10/29 シンポ全日程無事終了!

最終日は、福岡。PBJとしては初の東京・京都以外での開催で、聴衆がどれくらいになるのか心配していた。雨の影響だろうか、聴衆は期待していたほど多くはなかった。平均して十数人~二十人弱。午前午後を合わせて、三十人くらいだったろうか。いろんな事情を勘案すると、人数としてはそれほど悪くはなかったのかもしれないが、地元九州からの専門家(フランス思想・文学研究者)の参加の少なさにはかなり失望した。福岡でやることにはやはり意味がないのかと挫けそうになる。もちろん負け戦は覚悟の上、未来への先行投資だと、たとえ一人でも学生が目覚めてくれればそれでよいのだと、常に自分に言い聞かせてはいるけれど…。



第5セッションは「戦争・技術・抵抗」について。

とりわけ神秘主義と機械主義の関係が集中的に取り扱われた。

この関係が相補的であるとして、各項に対してどれくらいの重みをもたせるのか、
相補関係を弁証法的に見るのか、どちらかに還元するのか、
研究者の間でも意見がかなり割れるところである。

第6セッションは「記憶の政治学」と題していたが、
言語やイマージュの問題に関して、ブアニッシュと合田先生の発表が呼応し、
純粋記憶のもつある種の「力」について、 合田先生と私の発表が共鳴していたように思う。

総合討議では、私が引用したハイデガーのカタストロフ論とベルクソンのそれとの比較をめぐって、
そして、哲学はカタストロフといかに向き合えるのかについて、かなり突っ込んだ議論がなされた。


***

まずはすべてのプログラムを大きな支障なく終えられて、ホッとしております。

内容的にも、もちろん皆様いろいろなお考えがおありでしょうが、総じて質の高い、密度の濃い議論ができたのではないかと喜んでいます。まずは発表・司会に携わっていただいた方々にお礼申し上げます。

翻訳チームなしにはこのような一般に開かれた会を催すことは不可能です。私自身何度も翻訳に理解を助けられましたし、今回シンポを聴きに来てくれた私の学生などは翻訳のおかげで少し理解することができたと喜んでおりました。本当にタイトな日程にもかかわらず、見事な訳文に仕上げていただけたことにも、深くお礼を申し上げます。

会場設営やコピーなど非常に細々とした裏方の仕事をお手伝いいただいたすべての方々、学生さんにも深くお礼を申し上げます。みなさんのお力なしでは、このような大きな会を催すことは不可能でした。

そして、何よりも、会場に足をお運びいただいたすべての聴衆の方々に感謝いたします。「話す」ということは「聴く」ということに先行されているからです。
こうして第一年目のシンポは終わりました。もちろん成功ばかりではなく、課題もたくさん見つかっています。来年以降、シンポをするとしても、やり方を大きく変えざるを得ないかもしれません。この点に関しては、科研のメンバーで集まって話し合いたいと思っています。

しかし、ともあれ、今はほっと一息つきたい気分です。みなさんの心のうちにそれぞれなりの充実感があることを祈りつつ、まずはお礼のみにて。
hf

Thursday, October 27, 2011

10/27 シンポ二日目無事終了!

今日は京大にて、常時30-40名いてくださっただろうか。
とりわけ私たちのプロジェクトを初期から支えてくださっている研究者の皆さんや
若い研究者の皆さんにお越しいただけた。

ただ、宣伝は、時間は短かったにせよ、かなり打ったつもりなので、
その意味では課題が残る。k先生やs先生のご助言を勘案しつつ、
次回以降、私たちのプロジェクトも、新たなフェーズに移行していく時なのかもしれない。

さて、第3セッションは「動的宗教とカタストロフ」について。ヴォルムス対杉村先生という、ある意味では今回のシンポの白眉の
対決であった。日本人でもここまでできるのだと、とても誇らしい気持である。

ヴォルムス氏はカタストロフを「それを蒙った者が「なぜ私たちが」と不公平・不正の感情を抱いてしまう全面的な破壊」と定義した上で、それに対するベルクソンからのありうべき二つの回答を示した。ベルクソン『二源泉』は愛の一元論に見えるという点で少なくともキリスト教的な色彩を持つとみられるが、実際には正義は複雑な様相を示しており、愛と正義の関係、キリスト教とユダヤ教の関係を問い直す必要がある。

他方で、杉村氏は、レヴィナス・アンリ・デリダといった「神学的転回」以後のフランス現象学の中の宗教哲学を、「無力な神」へのしかしながら徹底的な依存によって特徴づけ、神秘家の中に能動性を見てとるベルクソンとの中間地点にナベールを置く。ここでは、愛と力能との関係によって、人間と神との関係が計られることになる。

第4セッションは「神秘主義の諸問題」。岩野先生、ギラン、ケメックスの三者とも、生の過剰(sur-vie)をその否定的な相関項から逆照射する、という視点を選ぶ。岩野先生は、バタイユとの比較をとりわけ「死」の観点から、ギランは、神秘主義を科学技術の観点から、そしてケメックスは、動的宗教と呼びかけによる信頼と、静的宗教や仮構機能による保障の観点から『二源泉』を読み直した。

岩野先生とギランの発表はある意味で対をなしており、二人の暗黙の終わりなき対話を夢想できる。ヴァテルロ氏は、神秘家精神こそが機械化を招くと言ったが、アナーキーな神秘家観をもつバタイユの研究者である岩野氏は、はたしてベルクソンの創設的でポジティヴな神秘家観をどう捉えるのか――私は岩野氏のバタイユからするベルクソン読解がきわめて豊穣なものに映ったことを特に強調しておきたい。また、岩野氏はベルクソンの神秘家理解の根底にはキリスト教的ヴィジョンがあると言ったが、『二源泉』の校訂者であるギランは、これに対してどう応答するのか。

興味は尽きないが、これをもって、私たちは、政治・戦争・技術の問題を取り扱う第三日@福岡へと移る。東京・京都と連続して付き合って下さった方々も数名いらっしゃった。ぜひ我々との「哲学の旅」を福岡まで続けて頂ければ幸いである。

Wednesday, October 26, 2011

10/26 シンポ情報

これまでに掲載したシンポ講演者プロフィールなどで欠けていた部分も、毎日少しずつ更新していますので、ご興味おありの方はチェックしてみてください。

それからシンポ三日目10月29日(土)の会場である九州産業大学へのアクセス・学内地図ですが、

JR鹿児島本線

  • 博多駅から上り普通電車で約15分、「九産大前」駅下車/徒歩約1分
  • 小倉駅から下り普通電車で約60分、「九産大前」駅下車/徒歩約1分
  • 特急・快速利用の場合は「香椎駅」下車

西鉄バス

  • 天神バスセンター(1番のりば)から都市高速経由で約20分
  • 天神中央郵便局前から(18Aのりば)から都市高速経由で約15分
    「産業大学南口」下車/徒歩約2分

車・タクシー

  • 博多駅から都市高速経由で約15分
  • 天神から都市高速経由で約15分
  • 福岡空港から都市高速経由で約20分

場所は15号館の103号室です。

http://www.kyusan-u.ac.jp/map/campus.html