Thursday, July 21, 2011

哲学、老いも若きも

《若いからといって哲学するのを遅らせてはならない。年老いたからといって哲学に倦むことがあってはならない。なぜなら、魂の健康を目指すのに誰も時期尚早とか、機を逸したということはないからだ。

まだ哲学する時ではないとか、その時期はすでに去ったと言う人は、幸福に向かう時節がまだ来ていないとか、もはやその時はないと言う人と変わらない。それゆえ、老いも若きも哲学しなければならない。

老いては、かつて起こったよきことどもに感謝することにより、清新な生気を取り戻し、若くしては、未来への恐れを克服することにより老成するために。》エピクロス、『メノイケウス宛書簡』

Monday, July 18, 2011

7/20現代ヨーロッパのイスラムフォビア

南山大学の森千香子と申します。
7月20日(水)に下記のイベントが開催されますので、よろしくお願いいたします。
また周りに関心のありそうな方がいらっしゃる際には、転送いただければ幸いです。
それではよろしくお願いいたします。
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ドキュメンタリー上映 +パネル・ディスカッション

現代ヨーロッパのイスラムフォビア

近年のフランス社会を揺るがしている問題のひとつに、いわゆる「スカーフ問題」がある。すなわち、政教分離を国是とするフランスの公立学校において、ムスリム女学生のスカーフ着用を認めるべきか否かをめぐる論争である。1989年にパリ郊外の中学校で起きた最初の論争以来、繰り返し議論がなされてきたが、2004年に制定された「公立学校におけるこれ見よがしな宗教シンボル着用の禁止法」(通称「スカーフ禁止法」)をもって、「決着」したかと思われた。だが、その後もイスラームのスカーフをめぐる議論は事ある毎に蒸し返され、現在もなお燻り続けている。

「スカーフ問題」とは、いったい何か?

また、論争の背景には、いかなる問題が隠れているのか? 

この企画では、ジェローム・オスト監督の長編ドキュメンタリー『スカーフ論争~隠れたレイシズム』(Un racisme à peine voilé2004)を上映し、この15年にわたる論争の背景を探るとともに、911以降、ヨーロッパ全体に拡大するイスラムフォビア(反イスラム感情)について、パネル・ディスカッションを行う。

プログラム:

1)ドキュメンタリー・フィルム上映

「スカーフ論争――隠れたレイシズム」(本邦初公開)

 監督:ジェローム・オスト監督(フランス/2004年/カラー/76分/日本語字幕付き)

   字幕制作Global Studies Film Works

2)パネル・ディスカッション

「現代ヨーロッパのイスラムフォビア」

 パネリスト:内藤正典(同志社大学)  見原礼子(同志社大学)

森千香子(南山大学)   菊池恵介(同志社大学)

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主催:同志社大学一神教学術センター

同志社大学グローバル・スタディーズ研究科

共催:同志社大学神学部・神学研究科

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日時:72017002000

会場同志社大学室町キャンパス

寒梅館 1階 ハーディー・ホール

○京都市営地下鉄烏丸線

「今出川駅」下車、2番出口より徒歩2分

Friday, July 15, 2011

本棚を整理する「意味」

付け加えておくのを忘れた。私がいるのは、地方の・小さな・私立大学であることを忘れないでおいてもらいたい。大学院が事実上ないに等しい、そのような状況下にあって、学生に、アルバイトではなしに、蔵書の整理をすることの「意義」を理解してもらい、「同意」してもらうことがどれほど大変なことか。例外的なことか。

「勉強」というもの自体に疎外感を覚えている学生が圧倒的多数の大学において、研究の面白さを、それでもなお、伝えようとすることの難しさ。

うちの大学のみならず、最近は学生も教員もとりわけtrustとfriendlinessを混同しやすい。
(この件については、2009年12月4日の項を参照していただきたい。)

ゼミでお菓子を振る舞ってみたり、飲み会で学生との親近感をアピールしてみたり、なんとか学生を勉強のほうへ向けようと必死である。その気持ちは痛いほどよく分かる。私たちはそれほどまでに瀬戸際に追い詰められている。

だが、私は自分に禁欲を課す。絶対に物では釣らない。仲良さ(friendliness)でも釣らない。仲良くなってから勉強させるのではない。彼らが自分から勉強してはじめて、先生に少し近づける可能性が与えられるのだ。

私はこれまで三年間、一度も学生と飲みに行ったことがなかった。一度も彼らの勉強ぶりに満足したことがなかったからである。今年初めてゼミの打ち上げに行くことにした。彼らはライプニッツの『モナドロジー』という難物に、それぞれなりのレベルでかなり頑張って食らいついたと思う。一学期間で30節までしか進まなかったが(笑)、モナド論をプラトンの想起説と比較し、アリストテレスの質料形相論と比較し、曲がりなりにも哲学書を「読む」という経験を共有できた。だから私は、打ち上げを提案した。教師と学生のあるべき関係とはそのようなものだ。

このゼミが私にとってのみならず、私の大学にとって、地方の小さな私立大学にとって、どれほど貴重なものか、敷かれたレールに順調に乗ってきた人々には分かるまい。

Tuesday, July 12, 2011

本棚を整理する

先月ようやく研究室に新しい書架を入れたので、本格的な蔵書・書類の整理に着手しているのだが、相次ぐ移動、本の大きさによる配置の導入によって、分類は混乱状態に陥ってしまっている。

そこで、蔵書に関して、学生さんたちにパソコン入力、本の並べ替えを手伝ってもらうことにした。もちろん、「有志」の学生さんたちに十分に趣旨を説明したうえでのことであって、アルバイトなどではない。

なぜか?私がやったほうが早いに決まっているし、効率的でもあるが、大して私の勉強の役には立たない。しかし、これから勉強をしていきたいと考えている学生さんにとっては、かなり有用だろうと思ったからである。

ゾラという著者名をアルファベットでどう書くのかという初歩的なところから始まって、フランス語の著書名は?生没年は?出版社は?フランスでの出版年と日本での出版年は?翻訳者名は?などなど、基本的な項目を入力してもらい、できるかぎり年代別、ジャンル別に本棚を再整理してもらう。

フランスやドイツや英米の哲学、宗教、政治、科学、芸術などなど、和洋あわせてかなりの量になるが、こういった地道な作業を手入力でやることで、例えばフランス文学史(および日本における翻訳の歴史)の流れが頭に入る。私の頭の中の「思想・文学地図」が、学生たちにとって具体的に実感される形で、つまり本棚をただ眺めているだけでは分からない実感を(多少なりとも)伴ったものとして、可視化されることになる。

昔は理屈付けを与えられることなく理屈抜きで「研究室」の命令としてやらされ、私たちは自分でその意義を見出したものだったが、最近はきちんとした理由を示し、学生たちの完全な合意を得たうえでやることが重要である。

「学生を体よく使っているだけ」という批判もあると思うが、このような作業は、勉強を続けていきたい学生にとって大切だと思う。

Monday, July 11, 2011

生産的な議論のために

昨日(7/10)、日仏学館@恵比寿で、第二回人文社会科学系若手研究者セミナーがあり、
私と同世代の優秀な研究者がそれぞれ素晴らしい発表をされた。

特に、ナンシーの政治的存在論に関する発表について一言しておきたい。論旨の明快さ、結論のつけ方には工夫の余地があるとしても、非常に重要なテーマに取り組んだ意欲的な発表でよかったと思う。

ただ、ああいった場――学会発表ではなく、一般に開かれたセミナー――では、単純化を恐れずに、論旨を明確化していったほうがいいということはある。現代思想に詳しい人ばかりではないし、むしろ現代思想に反感を持つ人もいるし。

そういった人たちに向けていかに語りかけるかということも考えて、研究を続けて行かれるとよいのではないか。

(ただし、単純な発表をせよ、ということではない。現代音楽の作曲家が、作品発表の場を与えられたら、思い切って自分のすべてをぶつければよい。聴衆に妥協する必要など一切ない。ただ、その後の聴衆との議論で、明快な論理で自分の作品を擁護できる必要はある、ということだ。デリダも会の性質に合わせて言葉や戦略を選んでいたとはいえ、嘆かわしい妥協を是とはしなかったはずだ。)

たとえば、伊達さんがおっしゃっていた、FuretやGauchetといったいわゆる「現代思想」系からは少し離れた人たちの議論も視野に収めることで、より豊かで、現代思想系の人以外にも通じる議論を発展させられる。

伊藤さんの「ナンシーの言説における歴史性の欠如」への批判についても、
伊達さんの「神の死以前との対比」(あるいは哲学と政治はギリシアで創始された云々まで含めて)
に関する提案についても、カストリアディスなどを参照するとまた違った回路が開けるかもしれない。



私はあの会議のメンバーたちに、現代思想系の議論の生産的な部分を知ってほしいし、また現代思想の専門家たちには、上記のような議論を加味してほしい。それが互いのより豊かな議論につながるのではないだろうか。

脱構築的な論理が単なる韜晦であるという意見にはまったく賛同しないが、かといって私は現代思想系のジャーゴンや論理に「乗っかる」だけで新しい何かが見えてくるとは思っていない。

生産的な議論のために、自分の限界を乗り越えること。

Wednesday, July 06, 2011

7/10人文社会科学系若手研究者セミナー@日仏会館(恵比寿)

来る7月10日、日仏会館にて「人文社会科学系若手研究者セミナー」が行なわれます。以下に案内文を貼り付けます。詳しくは日仏会館のホームページを参照してください。http://www.mfjtokyo.or.jp/ja/component/eventlist/details/115.html

多くの方々のご来場をお待ちしています。 伊達聖伸

私も参加する予定です。hf

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今回の若手研究者セミナーは、バタイユ研究でジャン=リュック・ナンシーの『イメージの奥底で』(以文社、2006)の共訳者である大道寺玲央さん、マラルメ研究でLa fête selon Mallarmé : République, catholicisme et simulacre(Paris, L’Harmattan, 2009、『マラルメによる祝祭―共和国・カトリック・虚像』)の著者である熊谷謙介さん、ブランショ研究で『文学のミニマル・イメージ―モーリス・ブランショ論』(左右社、2011)の著者である郷原佳以さんに報告していただき、イマージュ論と政治、また世俗の宗教としての文学を背景とした自由な相互啓発の会にしたいと思います。ふるってご参加ください。それぞれの論者は発表が45分、討論15分を予定しています。

13h30 開会 三浦信孝・廣田功

13h45 大道寺玲央(中央大学)「J.-L. ナンシーにおける民主主義の存在論」

14h45 休憩

15h00 熊谷謙介(神奈川大学)「マラルメの『現代性』」

16h00 休憩

16h15 郷原佳以 (関東学院大学)「ミシェル・ドゥギーの『commeの詩学』序説―60-70年代隠喩論争」

会場:日仏会館5階501会議室

Tuesday, July 05, 2011

建築と哲学(授業用メモ)

概論
・原沢東吾『都市と建築の哲学』、相模書房、1972年。

・アンドリュー・バランタイン『一冊で分かる 建築』(西川健誠(けんせい)訳)、鈴木博之解説、岩波書店、2005年。

・川向正人(かわむかい・まさと)『境界線上の現代建築――〈トポス〉と〈身体〉の深層へ』、彰国社、1998年。

建築論の歴史
・ハンノ=ヴァルター・クルフト『建築論全史I――古代から現代までの建築論事典』(竺覚暁(ちく・かくぎょう)訳)、中央公論美術出版、2009年。※古代から18世紀まで

・ヘルマン・ゼルゲル『建築美学』(吉岡健二郎訳)、中央公論美術出版、平成15年。
 第1章:ウィトルウィウス、アルベルティ
 第2章:シンケル、ゼンパー
 第3章:内容美学(カント、フィッシャー)
 第4章:連想理論(T. フェヒナー)
 第5章:感情移入理論(リップス、ヴェルフリン)
 第6章:シュマルゾー、ブリンクマン
 第7章:ヒルデブラント

・『ウィトルーウィウス 建築書』(森田慶一訳註)、東海大学出版会、1979年。
レオン・バティスタ・アルベルティ『建築論』(相川浩訳)、中央公論美術出版、昭和57年。

・四日谷敬子(しかや・たかこ)『建築の哲学――身体と空間の探究』、世界思想社、2004年。
※ハイデガーの空間論、ヘーゲルの建築論

・中村貴志訳・編『ハイデッガーの建築論――建てる・住まう・考える』、中央公論美術出版、平成20年。
※ハイデガーの講演論文の翻訳とコメンタリー

・磯崎新+浅田彰『Any:建築と哲学をめぐるセッション1991-2008』、鹿島出版会、2010年。

・クラウス・ベック=ダニエルセン『エコロジーのかたち――持続可能なデザインへの北欧的哲学』(伊藤俊介・麻田佳鶴子(かづこ)訳)、新評論、2007年。