Thursday, March 31, 2011

原発人災のおりですが、いや、だからこそのWINC4月例会のご案内です。

お知らせの転送です。
hf

***

WINC参加者のみなさん。

3月11日の大震災のもと で、 みなさんはご無事ですか。

知り合いやご家族に被災さ れた 方がいらっしゃったりしないでしょうか。

被災地からの報せを聞くだけで、胸がつぶれるような思いがいたします。
まして、直接に被害にあわれた方々の心の傷みはいかばかりでしょう。
かける言葉も見つかりません。
 
震災に加えて、
さらに人災としての大規模原発事故が降りかかってきています。
いたずらな不安ばかりが先走るのは危険ですが、
マスコミには、
この事故が原発行政の転換に結びつかないようにと、
東電のひもつき原発推進派ばかりがコメンテーターとして登場させられ、
あけすけに言説の選別と誘導が行なわれているのを見ると、
空恐ろしいものを感じます。
今回の事故の意味をどのように受けとめられるのか、
この危機を、原発政策の転換に結びつけることができるかどうか、
早晩、この市民社会の力量が問われることになるはずでしょう。
 
ところで、次のWINC四月例会の予定についてですが、
率直に申し上げると、
はたしてそのまま開催可能かどうか、一度は頭を抱えました。
しかし、何人かで話し合っているなかで、
むしろ孤立して狼狽しているよりも、
事態を掘り下げる機会をしっかり持とうではないか、ぜひやろうという結論にいたりました。
それどころか、四月例会のテーマとしてもともと考えていた1950年代論の本来の文脈と、
現在の原発事故が突きつけている思想的課題とが実は深く連関している、

という確信を持つようにもなりました。
だから、
原発人災事故のおりにも関わらず、ではなく、
事故のおりだからこそ、次回例会のお知らせを差し上げ、参加を呼びかけます。
 
つまり、4月16日には予定どおり、
河出書房新社から公刊された鳥羽耕史さんの『1950年代――記録の時代』を課題図書として、
WINC例会を行ないます。
ただし、冒頭でまず、
NHKの1994年のドキュメンタリー映像

原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略』(44分)を見ることにします。
これは、まさにいまの原発災厄の起源が、戦後の読売争議や50年代の平和運動の破壊のなかに

あることを
見事に明らかにした作品です。
これをみなさんと共有し、またそれを橋渡しとして、
鳥羽さんの新著が提示する1950年代論のアクチュアリティまで考えてみます。
 
「1950年代の発見と再定義」は、ここ二、三年、重要な主題として浮上してきています。
ブームと呼んでしまうと語弊がありますが、谷川雁や『サークル村』の再評価、
さまざまなサークル雑誌やサークル詩の発掘と復刊、『現代思想』の「特集=戦後民衆精神史」の登場、
そして間近に迫った『人民文学』そのものの復刊などが続いており、
間違いなくこれらの成果があいまって、

1950年代という時代についての見通しが顕著に豊かになりました。
 
今回は、鳥羽さんの、ある意味では実に生真面目な新著を手掛かりとして、
なぜ1950年代が問題であるのかを正面から論じてみる機会としますが、
そこにさらに原発事故の意味を掘り下げるという文脈が、
複雑に絡み合ってくるはずです。
 
提題者のひとりは、
一連の動きの「工作者」でもある
元『現代思想』編集長の池上善彦さんにお願いしました。
池上さんからは、
まさに原発事故も含めた2011年の世界大の状況を見据えつつ、
50年代論の「世界史的意義」について論じるぞ、という予告をいただいています。
もうひとりの提題者は、
松田道雄論などで注目されている若手の論客、

和田悠さんがお引き受けくださいました。

また、著者である鳥羽
耕史さんご本人がお越しになり、

お二人の提題に対してリプライしてくださる予定です。

具体的には以下のようになります。

*********************************

 《WINC四月例会 1950年代論の意義と射程とその切実さ》

■ 日時 2011年  4月 16日(土)午後2時から

■ 場所 東京外国語大 学海 外事情研究所 研究講義棟四階 427

   ※ 東京外国語大学の住所は「府中市朝日町3-11-1」です。

    西武多摩川線 (中央 線武蔵境駅にてのりかえ)多磨駅下車徒歩4分

    あるいは、京王 線飛 田給駅下車北口からの循環バスで5分、

    「東京外国語大 学 前」下車です。

    どちらも少し間 引き されているとはいえ、問題なく動いています。

心配な方は、

東京 外国語大学のホームページ上の案内図を参考にしてくださ い。

   URLは、

http://www.tufs.ac.jp/access/tama.html

    です。

■ 課題: 鳥羽耕史 『1950年代――「記録」の時代』(河出ブックス、河出書房新社、2010年)

参考映像: 原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略』(NHK、44分)


■ 
提題者: 池上善彦 さん (失業者、元『現代思想』編集長)
 
         和田悠さん(学振特別研究員、地域社会文化運動「板橋茶論」事務局長、

社会学/社会思想研究)

■ リプライ: 鳥羽耕史さん(早稲田大学、近現代文学)

なお、4月16日は土曜日ですから、計画停電はありませんが、
会場の東京外国語大学では、いずれにしても暖房は入りません。
天候次第ではすこし厚着をして、ぜひともお集まりください。
 

WINC運営委員会)

Tuesday, March 22, 2011

3/24, 3/28 哲学と大学・パリ編

3月24日(木)18:30-20:30
場所:Centre Parisien d'Études Critiques, 37 bis rue du Sentier, 75002 Paris
国際哲学コレージュ・セミナー
西山雄二(首都大学・東京)
“L'Université comme architecture (ir)rationelle de la philosophie”

28日(月)18:30-20:30
藤田尚志(九州産業大学)による発表“Université conditionnée”(仮題)

原発続報

地域によって、個人によって温度差があり、西日本では日々の生活に追われ、早くも忘れ去られようとしている感もあります。また、被害を受けた地域では、生活再建に向けて、原発どころではないというところもあるかと思います。

ただ、中長期的にみた場合、やはり原発情報、原発災害に対する基本的な知識は大切だと思いますので、それをなるべく多くの方々と共有していきたいと思っています。

というわけで、続きはこちら

Sunday, March 20, 2011

WHOのHP上での声明

http://www.who.int/hac/crises/jpn/en/index.html

19 March 2011 -- WHO is not advising general restrictions on travel to Japan. However, travellers should avoid travel to the areas most affected by the earthquake and tsunami because of disruptions to essential services, such as transport and electric power, and the ongoing disaster relief activities. WHO is providing answers like this to the general public's frequently asked questions concerning exposure, food, shelter and individual protective measures on the radiation incident in Japan.

トゥールーズからの黙祷

3月18日(金)夜6時半から、トゥールーズのキャピトル広場において、黙祷(rassemblement silencieux)が行なわれ、約300人の人々が集いました。


L'hommage aux sinistrés du Japon

rassemblement

Moment de recueillement hier soir sur le parvis du Capitole./Photo DDM, Xavier de Fenoyl
Moment de recueillement hier soir sur le parvis du Capitole./Photo DDM, Xavier de Fenoyl
Moment de recueillement hier soir sur le parvis du Capitole./Photo DDM, Xavier de Fenoyl

Quelque 300 personnes ont participé, hier soir, à un rassemblement silencieux, au Capitole, afin de manifester symboliquement leur soutien aux sinistrés du Japon.

Le rassemblement très digne hier place du Capitole soir était organisé à l'initiative de l'association culturelle Midi Pyrénées Japon. Dans l'assistance on note la présence de Pierre Cohen, maire de Toulouse, et de nombreux élus du conseil général et régional qui ont témoigné un peu plus tôt dans la journée, leur soutien aux sinistrés du Japon. Pierre Haymard, consul honoraire du Japon à Toulouse, est aux premiers rangs. Et puis, il y a ces anonymes, émus, qui témoignent leur grande tristesse, perlée d'inquiétude. Comme Toshiko qui vit en France depuis sept ans avec son mari et leurs enfants. Toshiko a toute sa famille au Japon. Elle est originaire de Hamamatsu, une ville proche du Mont Fuji, très sismique. « La terre tremble encore tous les jours. Un autre tremblement de terre est toujours possible. J'ai aussi beaucoup d'amis à Tokyo dit Toshiko. Là-bas, les aliments commencent à manquer. Il y a des coupures électriques fréquentes. C'est aussi difficile de faire ses courses que de retirer de l'argent dans les banques car les ordinateurs ne fonctionnent pas et il peut y avoir des erreurs informatiques. Cet été, j'irai chercher mes parents pour les vacances afin qu'ils profitent de leurs petits-enfants ».

Noe Mishimura est étudiante en espagnol et en art du spectacle, du théâtre et du cinéma au Mirail. Ses grands parents vivent à Fukushima et son grand frère vient de rentrer à Nagoya. « Le peuple japonais est un peuple très fort. Là-bas, personne ne montre sa souffrance, dit-elle. Le soutien moral que les étrangers nous apportent est très important. Je ne veux pas céder à la tristesse. Je veux être une digne représentante de mon pays ».

Saturday, March 19, 2011

原発災害に関するWHO・IAEA声明

大変な事態が続いています。

学会・研究会での海外からの研究者招聘、近日のものはすべて中止で致し方ないとして、もう少し先の微妙な時期のものはどう判断すべきか、彼らとどう話し合うべきか迷っておられる方々も多いのではないかとお察しします。

そもそも話し合おうにも、十分な判断材料がない。一方で、努力はしているのでしょうが、日本政府・東電が十分な情報を迅速に出しているようにも思われず、特にここ数日、メディアが――峠を越えたという印象を与えたいのか、直接被害にあっていない人間の災害への関心・緊張はそれほど長く続かないのか――、情報を正確に、十分な量、迅速に伝えていないように思われます。

他方で、海外(少なくともフランス)の政府は、自国の(原発をたくさん抱えている)状況との差異化を図りたいのか、国民に最大限の配慮をするために故意に被害を大きめに見積もっているのか、いずれにしてもメディアはフランス国民にとっての重大な関心事への注意を喚起したいのか、非常に深刻なバージョンを伝えているように思われるからです――その後、こちらも注意の程度はやや薄まりつつあります。

そんな中、WHOとIAEAから現時点での原発事故のリスクに関する重要な声明が出されました。詳しくはこちら

もちろん海外研究者招聘にあたってポイントとなるのは、「現時点」ばかりでなく、「これから起こること」なので、直接の説得・交渉材料にはなりませんが、少なくとも錯綜している情報を落ち着かせる契機にはなるのではないかと期待しています。

Thursday, March 17, 2011

滋賀での受け入れについて

こちらです。

関西における被災者受け入れ先の募集

詳細はこちらを。

原発続報

すみません、遅れましたが、原発続報、再開しました。

(21)以降です。

Tuesday, March 15, 2011

月曜ゼミ

今日は1時半頃に開始。6時半まで5時間。

最初の2時間は、ベルクソンとドゥルーズについて。
ズラヴィシュヴィリやジジェクを引用しながら進めたが、
最初の一時間は、ドゥピュイの近著に基づいて
「カタストロフィ」について話した(近頃ずっと、彼やヴィリリオのことを考えていた)。
Jean-Pierre Dupuy, Pour un catastrophisme éclairé, éd. Seuil 2002; repris depuis dans la coll. "Points essais".
ベルクソン研究者は知っておかねばならないが、
この本はベルクソンの「可能的なものと現実的なもの」などに基づいて、
独自のカタストロフィ論を展開している。
その後、ベルクソンとドゥルーズの「出来事」概念の差異について話した。

「アクチュアリティ(時代)と切り結ぶ」というとき、
反時代的(イナクチュエル)な手法を取らねばならない。
反時代的とは時代に背を向けるということではなく、
時代の流れに乗らないということである。
要するに、「流れに棹差す」という語の
正統的な用法と流布している誤った用法の間で戯れなければならないわけだ。

後半は、まず一時間、ベルクソンの人文学論から、
「有用性」概念の刷新を目指すという話。

最後に、ロシア人の学生、中国人の学生の発表とそれに関する議論に2時間。
それぞれの国における哲学と大学(ないし制度)の関係の歴史・実情を話してもらい、
自分なりに哲学的な分析を試みてもらった。

中国人(香港人)の彼は、ドイツ観念論・超越論哲学と現象学の専門家なので、
超越論哲学の観点から見る教育の重要性、とりわけ「自己発生」(auto-engendrement)
の概念を軸に、カント、フィヒテの教育論などを引用しつつ語ってくれた。

明日の朝、Guillaume Sibertin-Blancと急きょ、ゼミをやることにした。
彼がStéphane Legrandと書いたフランスの知的状況の制度的批判についての本と、
デリダの『条件なき大学』に関する読解を行なう予定である。

困難な状況下でも、日本の人文学が頑張っているところを見せないといけない。

Monday, March 14, 2011

セミネール月曜

トゥールーズにいる日本人で私の哲学のゼミに興味のある人は、
今日の13時に、ミライユのA225に来て下さい。

Sunday, March 13, 2011

原発続報

引き続き重要と思われる情報を転載しています。哲学者の方々にも、そうでない方々にも等しく読んでおいていただきたいことです。

全体的になるべく読みやすくなるように文章の区切りなど手を加えてみました。時々刻々の情勢分析以外の、後から読んでも役立つと思われる項目には――もちろん情勢分析の中にも後から読んで思考の役に立つ部分は多々ありましたが――タイトルを付しています(たとえば【英語による情報収集】など)。

特に被曝防御マニュアルの部分は、地域に関わりなく、皆様ご一読されておくことをお勧め致します。

批判と支援

憂うべき甚大な被害の現状を見れば当然のことですが、すでにスポーツの試合やエンタメの公演が相次いで中止になっているとの情報がマスコミから流されています。私のほうには、学術的な講演の中止や、海外研究者の来日中止・延期(の検討)の情報が入ってきています(フランスやイタリアの大使館は旅行者に避難勧告を出しているようです)。

これは地震・津波や、原発関連の被害(被曝)などに対する複合的な漠然とした怖れなのでしょう。もちろん彼らの気持ち(自然発生的な恐怖・本能的かつ合理的な警戒感)は分かりますし、人命がかかった問題である以上、こちらとしても絶対に大丈夫などと簡単に安請け合いできるわけもありませんが、裏方として準備してきたという側面から見ると正直かなり残念な気持ちです。



ネット上で交わされている大量の言葉のやり取りの中に「天災か人災かの議論や政府批判は後回し。まずは救助・支援だ」という言葉が数多くありました。たしかに不毛な水掛け論をしている場合ではありません。しかし、「批判」か「支援」かは明らかに不毛な二者択一です。

原発問題がまだ終わっていない(それどころか深刻化している)以上、政府の一挙手一投足に注目することは当然のことですし、(別に日本に限らず)「大本営発表」というものに対するごく常識的な警戒感があれば、政府筋ではない複数の情報源からさまざまな情報を得て自分なりに判断し、場合によっては、彼ら政府の行動に対して、言論で「批判」し、方向修正を促そうとするのも当然のことです。

それを人に放棄させる権利は誰にもないでしょうし、自ら放棄することはカントの言う「敢えて賢かれ(自分の頭で考えよ)」の啓蒙精神を放棄していることになるでしょう。

政府の言動を注視するというのはごく健全な市民精神です。それを「監視」とネガティヴにのみとれば、あとは「黙従」しかなくなるでしょう。それは健全な「批判」を偏執狂的な「非難」と取り違えることです。

「批判」か「支援」かではなく、「支援」につながる「批判」、「批判」と緊密に結びついた「支援」が今大切であるように思います。

(ヤフーのサイトに「東北地方太平洋沖地震に関するチェーンメールなどへの注意について」というページがあり、「チェーンメール、電子掲示板、ミニブログなどで誤った情報が流れて」いるので、「報道や行政機関のWebサイトなどの信頼できる情報源で真偽を確かめ、これらのチェーンメールなどに惑わされないように」、また「チェーンメールを転送することはいたずらに不安感を煽ることにつなが」るので、「チェーンメールを受取った時は、速やかに削除して転送をやめ」るように勧告されています。これは総務省の勧告でもあり、妥当な勧告でもありますが、誤った情報であるかないかは一人一人が自分の責任において判断するほかはなく、事実そうやって判断しているのではないでしょうか。私たち一人一人の思考の力を基本的に信頼し、と同時に、互いに対する健全な批判精神を保ち続けることを奨励するのでなければなりません。)

国際シンポ「エコソフィー」(ドゥルーズ=ガタリ的環境哲学)

こんなときにちょっと気が引けますが、地球環境問題を考えるという、ある意味ではきわめてタイムリーすぎる主題とも言えます。ドゥルーズやガタリを「アクチュアル」に使う一つのやり方ではあると思います。

Colloque international « Écosophie »

Mercredi 16 mars 2011, Jeudi 17 mars 2011 : Université Paris Ouest Nanterre La Défense, Salle des colloques, Bâtiment B

Vendredi 18 mars : INHA, Salle Vasari

Sous la direction scientifique de Manola Antonioli

Contact : antonioli.manola@wanadoo.fr

Site : http://pagesperso-orange.fr/ecosophie/

Entrée libre, dans la limite des places disponibles

Institutions partenaires :

v Équipe « Esthétique » de l’EA HAR 4414, Histoire de l’art et des représentations, Université Paris Ouest Nanterre La Défense

v Équipe de recherche « Éthique, Technologies, Organisations, Société » (ETOS), Institut Télécom/ TEM Research

v Institut National d’Histoire de l’Art (INHA)

Programme

Mercredi 16 mars 2011 – Université Paris Ouest Nanterre La Défense (Nanterre)

Matin

Présidente de séance : Manola Antonioli

Écologie urbaine et géographie

9h00 : Manola Antonioli (philosophe, Équipe « Esthétique » de l’EA HAR 4414, Histoire de l’art et des représentations, Université de Paris Ouest Nanterre La Défense)

Ouverture du colloque

9h15 : Thierry Paquot (philosophe, IUP, Université Paris XII)

« Quelle(s) urbanisation(s) pour l’écologie ? »

10h00 : Chris Younès (philosophe, École d’architecture de la Villette-GERPHAU)

« Corythmes et écosophie urbaine »

10h45-11h00 : PAUSE

11h00 : Anne Querrien (sociologue et urbaniste, directrice de la rédaction de la revue Multitudes)

« La ville durable en Europe »

11h45 : Stefania Bonfiglioli (philosophe, Université de Bologne-Italie)

« Nature et identité humaine : le concept de paysage entre géographie et philosophie »

12h30-14h00 : DÉJEUNER

14h00 : Frédéric Astier (philosophe, MSH Paris Nord), Alice Cartier (historienne, « Centre de recherches en histoire du XIXe siècle » et MSH Paris Nord), Anne Legrand (musicologue, MSH Paris Nord)

« Territoires, art et politique dans les contestations noires américaines autour de 1968 »

14h45 : Hervé Regnauld (géographe, Université Rennes 2)

« La pensée spatiale de Peter Sloterdijk »

15h30-15h45 : PAUSE

Environnement et politique

Président de séance : Hervé Regnauld

15h45 : Pierre Zaoui (philosophe, Université Paris VII)

« Comment inventer un catastrophisme écologique joyeux ? – Relire Guattari »

16h30 : Fabrice Flipo (ingénieur et philosophe, Equipe de recherche ETOS, Institut Télécom/TEM Research)

« La décroissance : une pensée anti-moderne ? »

17h15 : Augustin Fragnière (philosophe et spécialiste de l’environnement – Institut des politiques territoriales et de l’environnement humain, Lausanne)

« Liberté et écologie : amis ou ennemis ? »

18h00-18h30 : DÉBAT ET CONCLUSION DE LA JOURNÉE

Jeudi 17 mars 2011 – Université Paris Ouest Nanterre La Défense

Écologie entre droit et philosophie

Présidente de séance : Anne Sauvagnargues

9h00 : Hicham-Stéphane Afeissa (Philosophe, Collège International de Philosophie)

« Politique, idéologie et sémantique dans la deep ecology d’Arne Naess »

9h30 : Pierre-Antoine Chardel (philosophe, Equipe de recherche ETOS, Institut Télécom/TEM Research & CERSES, CNRS / Université Paris Descartes)

« Écosophie et écoéthique : lecture croisée de Félix Guattari et de Tomonobu Imamichi »

10h00 : Marie-Angèle Hermitte (juriste, Ecole des Hautes Etudes en Sciences Sociales – Paris)

« La nature comme objet de droit »

10h30-10h45 : PAUSE

10h45 : Christiane Vollaire (philosophe)

« Esthétique industrielle versus théologie »

11h15 : Bernard Andrieu (philosophe, Université de Nancy)

« L’écologie corporelle est-elle une philosophie ? »

11h45: Jean-Philippe Pierron (philosophe, Université de Lyon)

« L’imagination environnementale. De l’esthétique à l’éthique de l’environnement »

12h15 : Valérie Marange (philosophe et psychanalyste, Paris)

« Gregory Bateson : penser avec son corps »

12h45-14h00 : DÉJEUNER

L’animal et l’animalité

Président de séance : Hicham-Stéphane Afeissa

14h00 : Anne Sauvagnargues (philosophe, Université Paris Ouest Nanterre La Défense)

« Ritournelle et devenir-animal »

14h30 : Anne Dalsuet (philosophe)

« Quel droit reconnaître aux animaux ? Le problème du bien-être animal »

15h00-15h30 : Questions du public

15h30-15h45 : PAUSE

15h45 : Karen Houle (philosophe, University of Guelph, Canada)

« Devenir-animal et devenir-végétal »

16h15 : Isabelle Autran (sociologue, responsable d’édition des Presses Universitaires de Paris Ouest)

« La constitution de l’animal : contre la réification et l’utilitarisme »

Éthique environnementale

Présidente de séance : Anne Dalsuet

16h45 : Gérald Hess (philosophe, Faculté des géosciences et de l’environnement, Université de Lausanne – Suisse)

« Vers une éthique intégrative de l’environnement »

17h15 : Baptiste Lanaspèze, écrivain et éditeur, directeur de la maison d’édition Wildproject

« L’éthique environnementale de J. Baird Callicott »

17h45-18h30: Questions du public et conclusion de la journée

Vendredi 18 mars 2011 – INHA

Esthétique et imagination environnementales

9h00 : Roberto Barbanti (philosophe, Université Paris VIII), Silvia Bordini (historienne de l’art, Université La Sapienza-Rome), Lorraine Verner (historienne de l’art, École supérieure d’art de Rueil-Malmaison)

« Art, paradigme esthétique et écosophie »

9h30 : Laurent Keller (photographe et architecte ; Agence « Photo Vista » - Lyon)

« Les représentations photographiques du cadre de vie : paysage, architecture, urbanisme »

10h00: Alain Engelaere et Francine Garnier (artistes)

« Création sur site : façonner un paysage »

10h30 : Christian Sorg (artiste peintre)

« Le promeneur de la Sierra »

11h00-11h15

11h15 : Bruno Heuzé (journaliste, Paris)

« Signalétiques sonores : une autre écologie des espaces »

11h45 : Aliocha Wald Lasowski (philosophe, Université Catholique de Lille)

« Le piano écosophique : Schumann, Fauré et Guattari »

12h15-13h00 : Questions et conclusion du colloque

引き続き原発続報

こちらに引き続き続報を載せています。

Saturday, March 12, 2011

原発続報

こちらを見て下さい。友人N君からの転送メールです。

地震

今、日本で大変な地震が起こっているとフランスでも大々的に報道されています。
みなさまのご家族やご友人ともどもご無事であることを心よりお祈りしております。

原発情報はこちらです。

Thursday, March 10, 2011

ハンガリーにおける哲学者迫害について

すでに村上靖彦さんも呼びかけておられましたが(村上さんのブログ1月29日の項、また3月3日の項を参照)、私もささやかながら。

「哲学と大学」の関係を考えるということは、こういった問題を考えることでもある。

「哲学と大学」研究会メンバーでもある大河内泰樹さんのお知らせより。



昨年政権交代の起こったハンガリーで、アグネス・ヘラーら前政権に近いとされる「リベラル派」「左派」の哲学者が政府やメディアによる攻撃にさらされています。やや詳しい情報はこちらを見てください。

http://www.soc.hit-u.ac.jp/~okochi/hungary.html

この件について、このたび北海道大学の高幣先生、金沢大学の丸山先生と声明文を発表することにしました。そこでこの声明文に賛同いただける方の署名を集めています。以下のサイトのフォームに記入することで署名ができるようになっています。

https://ssl.form-mailer.jp/fms/f4072aad141717

つきましては、関係する学会・研究会・個人など各方面に署名の呼びかけをしていただけましたら大変ありがたく存じます。未だ状況は厳しく、我々にできることはわずかですが、少しでも多くの者が、この件について関心を持っているということをハンガリー政府に対して示すだけでも、意義を持つと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

大河内 泰樹

Wednesday, March 09, 2011

頂きもの(フランス編その2)

Paul-Antoine Miquel, Le vital. Aspects physiques, aspects métaphysiques, éd. Kimé, coll. "Philosophie en cours", janvier 2011.

私 は前からミケルのエピステモロジーは面白いと言っているのだが、日本ではイマイチ理解されていない。ちなみに、エピステモ系の人たちと言うのは、やはり エピステモ系という独特の雰囲気――率直さ、気取らない感じ、飾り気のなさ、あっけらかんと議論できる感じ――を持っていて、私はとても好きである。ミケ ルもそういう一人であるが、彼が私に書いてくれた「献辞」に似たようなことが書いてあって笑ってしまった。背表紙を大雑把に訳しておくと。

《本書は生命的なものに関する一つのテーゼを主張しようとする。それは、〔「生命」と「生物」を区別し、前者を哲学者に、後者を科学者に割り振るのが通例 となっているが〕生命的なものに取り組むのは哲学者というのは単純に間違っているということである。科学者が必要な仕事をした後でなければ、哲学者にはこ の問題に関して何も言うべきことはない。

この主張をさらにラディカルに展開してみれば、生命的なものには物理的な諸側面があるということになる。こうして一つのパースペクティヴが描き始められ る。生命的なものの問いに取り組むにはまず、意識の観点は根源的なものではないということを受け入れる必要がある。見かけに騙されないようにしよう。すべ てが意識の言葉から始まるわけではないのだ。

すべては、ある一つの身振り、ある一つの体系化しようとする身振りから始まる。その体系化的な身振りこそが科学のそれであり、その身振りは私たちを意識の 世界の外へと押しやる。つまり、意識(conscience)の世界と科学(science)の世界の間を行き来するこの転倒の動きを解釈することなく、 それに耳を傾けることなしに、生命的なものを理解することなどできはしないのである。こうして新たな自然の形而上学が生まれ始める。もはや存在者(一般) の存在(一般)ではない、ある存在者のある存在についての哲学が。》

Paul-Antoine Miquel, Maître de Conférences HDR à l'Université de Nice, est notamment l'auteur de Comment penser le désordre ? Fayard, Paris, 2000. Biologiques du vieillissement, en collaboration avec Ladislas Robert, Kimé, Paris, 2004. Bergson ou l'imagination métaphysique, Kimé, 2007. Qu'est-ce que la vie ? Paris, Vrin, 2007. Biologie du XXIe Siècle, évolution des concepts fondateurs, Dir P A Miquel, Préface de Noble, De Boeck, 2008.

Tuesday, March 08, 2011

頂きもの(フランス編)

Henri Bergson, Ecrits philosophiques, édition critique réalisée par Arnaud Bouaniche, Elie During, Arnaud François, Frédéric Fruteau de Laclos, Frédéric Keck, Stéphane Madelrieux, Camille Riquier, Ghislain Waterlot et Frédéric Worms, PUF, coll. "Quadrige", janvier 2011.

今年は死後70年ということで(?)とPUFは謳っているけれど、要するにベルクソンの校訂版の刊行作業が完結したということで、2011年はまたもや大々的なベルクソン・イヤーになる模様。この本は絶版になって久しいMélangesから主要な論文・書簡を抜き出し、研究的な註を付したもの。索引も充実していて便利である。

また、『精神のエネルギー』と『思考と動くもの』から幾つかの論文が単体として校訂を付して刊行された。
たとえば、

Henri Bergson, La conscience et la vie, édition réalisée par Arnaud François, PUF, coll. "Quadrige", janvier 2011.

アルノー・フランソワの丹念な仕事ぶりを知る人には、彼の手になる校訂版はすべて「買い」であることは言うまでもない。

ごく厳密に言えば、これらの単体バージョンと既刊の論文集バージョンでは註や序文に若干の異同があるようである(まったく同じものもある)。



一つ強調しておきたいのは、ヴォルムスのéditorialな功績である。私は自分の研究を展開することばかりが学者の仕事であるとは思わない。優秀な若手を集め、校訂版を作るという地味な作業を課すことで、彼ら一人一人を「プロデュース」するとは言わないまでも――彼らは一人一人実力を持った若手であり、そんなものを必要とはしていない――、長期的に見て必ずや「肥やし」となる仕事を与え、彼らの仕事の「作法」を厳しく縛るのではなく、ごくゆるやかな縛りをかけて、あとは彼らの自発性に任せ、彼らの活躍を「後押し」しする。それも立派な仕事である。

ドゥルーズは哲学史的研究を非難したと思われているが、彼が非難したのは、「従属の脱個人化=脱個性化」であって、「愛の脱個人化=脱個性化」ではない。

日本のベルクソン研究の現状はどうだろうか。マラルメ研究の大家による個人全訳は、それはそれでよいと思う(私はいかなる翻訳も、質さえ保証されれば、刊行されればよいと思う)。だが、これでまた、近年の学問的な達成が反映された、学術的な校訂版全集が一歩遠のいたことだけは確かであろう。

Monday, March 07, 2011

頂きもの(日本編)

いろいろな方々から、さまざまにいただきものをしておりました。
つい機会を逃しておりましたが、幾つかまとめてご紹介させていただきます。

西山雄二『哲学への権利』、勁草書房、2011年2月。

伊達聖伸『ライシテ、道徳、宗教学――もうひとつの19世紀フランス宗教史』、勁草書房、2010年11月。

前者は「哲学と大学」関係で、後者は「宗教的なもの・政治的なもの」関係で、お二人の活動、程よい距離感で見てきたと思います。溢れる情熱、パワフルな行動力、目配り、気配り、努力にいつも感心させられてきました。その成果が奇しくも同じ出版社、同じ編集者から。どちらも私たちと同世代の若手研究者のエネルギーに触れられる作品として、自信を持ってお勧めできます。

宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』、岩波新書、2010年4月。

ヘンドリック・ド・マン『社会主義の心理学』(川口茂雄訳)、柏書房、2010年4月。

前者は、現代の日本社会をフランス現代政治哲学の観点からきわめて鮮やかに、しかもきわめて分かりやすく読み解いて見せる好著。後者は、今ではほとんど忘れ去られてしまった感のある、しかしながら初期リクールやティリッヒなどに大きな影響を与えた、20世紀前半の思想家の翻訳という地道で好感のもてる労作。どちらも私の「政治的なもの」に関する考察を深めていくうえで大変参考になりました。

Sunday, March 06, 2011

ドゥルーズと音楽(追加情報)

Deleuze et la musique – Un séminaire nomade

Mercredi 9 mars 2011 – ENS Paris – Salle Dussane

19h-21h: ECOUTES ET PROJECTIONS


I - 19h-20h 30 : Les cours de Gilles Deleuze

Introduction Pascale Criton et Anne Sauvagnargues : à propos des cours et en référence à la posture expérimentale et « collective » proposée et argumentée par Deleuze dans son article « En quoi la philosophie peut servir à des mathématiciens ou même à des musiciens – même et surtout quand elle ne parle pas de musique ou de mathématiques ».

1) Ecoute: La ritournelle et le galop : cours du 20 mars 1984

2) Extrait d’un Interview de Félix Guattari (France Culture)

3) Extraits du cours de Gilles Deleuze de juin 1987 (film de Marielle Burkhalter)

Echanges avec le public


II – 20h 30 - 21h : Extrait de « Qu’est-ce que l’acte de création » Conférence à la Fémis (1987)

Saturday, March 05, 2011

パリ・ブランショ・コロック

Université Paris-Ouest Nanterre La Défense

(Salle des colloques, Bâtiment B)

Organisation : Manola ANTONIOLI - Alain MILON, AVEC LE SOUTIEN DE LEA 4414 HAR-CREART-PHI

La collection « Résonances de Maurice Blanchot », Presses Universitaires Paris Ouest


9, 10 et 11 MARS 2011, COLLOQUE INTERNATIONAL : LES ROMANS ET LES RECITS DE MAURICE BLANCHOT

Université Paris-Ouest Nanterre La Défense

(Salle des colloques, Bâtiment B)

Organisation : Manola ANTONIOLI - Alain MILON, AVEC LE SOUTIEN DE LEA 4414 HAR-CREART-PHI

La collection « Résonances de Maurice Blanchot », Presses Universitaires Paris Ouest

PROGRAMME

MERCREDI 9 MARS 2011

• 9h00 - Ouverture du colloque par Manola ANTONIOLI et Alain MILON

• 9h30 - Françoise Collin (Paris) : « Le mystère de la narration »

I PENSER LECRITURE

Président de séance : Arthur Cools

• 10h15 - Anne SAUVAGNARGUES (U. de Paris Ouest) : « Blanchot et la

pensée du dehors : la figure du récit »

11h00-11h15 – Pause

• 11h15 - Laura MARIN ( U. de Bucarest, Roumanie) : « D’une voix

absente, mais qui parle là »

• 12h00 - Renato BOCCALI ( IULM, Milan, Italie) : « La parole aveugle.

L’apocalypse ou le moment spectral dans l’écriture de Blanchot »

12h45-14h00 Déjeuner

II LE ROMAN E(S)T LE RECIT

Président de séance : Renato Boccali

• 14h00 - Pierre MADAULE (Paris) : « L’événement du récit »

• 14h45 - Antoine PHILIPPE (U. de Porto Rico) : « Le roman est le récit »

14h45-15h00 – Pause

• 15h00 - Solange GIL (U. de Barcelone/Paris 3) : « Négation totale du

récit ou le récit contre la mort ? »

• 15h45 - Alain MILON (U. de Paris Ouest) : « Merleau-Ponty/Blanchot :

dialogue sur l’acte de nomination entre La Prose du monde et Thomas

l’Obscur »

16h30-17h30 : Débat final et conclusion de la journée

JEUDI 10 MARS 2011

III LES ESPACES NARRATIFS

Président de séance : Éric Hoppenot

9h00 - Arthur COOLS (U. d’Anvers) : « L’imaginaire au singulier. La

vitre, l’escalier »

9h45 - Hugues CHOPLIN (UTC) : « La logique des espaces dans l’écriture

blanchotienne »

10h30 - Gary D. MOLE (U. Bar-Ilan, Israël) : « Le dernier entretien : la

pensée épuisée et l’épuisement du sujet »

11h15-11h30- Pause

IV LATTENTE LOUBLI

Président de séance : Gary D. Mole

11h30 - Eric HOPPENOT (U. de Paris IV) : « Genèse de L’Attente l’oubli »

12h15 - Rosanna CUOMO (U. de Naples, Italie) : « L’attente l’oubli.

L’écriture en éclats »

13h00 -14h30 : Déjeuner

V LA MORT ET LE MOURIR

Président de séance : Hugues Choplin

14h30 - Yue ZHUO (U. de Yale-USA) : « Le papillon de nuit et la rose :

Bataille et Blanchot autour de L'Arrêt de mort »

15h15 - Caroline SHEAFFER-JONES (U. New South Wales, Australie) :

« La rencontre : L’Instant de ma mort de Maurice Blanchot »

16h00 - Claudine HUNAULT (Paris) : « L’Instant de ma mort »

16h45-17h30 : Débat et conclusion de la journée

VENDREDI 11 MARS 2011

VI LETRANGE ET LETRANGER

Président de séance : Maxime Decout

9H00 - François BREMONDY (Institut d’Etudes Judiciaires, Tours) : « Le

don de vision étrange. Étude du Très-Haut »

9H45 - Tomas SWOBODA (U. de Gdansk, Pologne)

: « L’œil obscurci »

10h30-10h45 Pause

VII UNE ECRITURE ET UN SUJET FRAGMENTAIRES

Président de séance : Caroline Sheaffer-Jones

10h45 - Hanna BALINT (U. de Budapest, Hongrie) : « Les modalités de

l’écriture fragmentaire »

11h30 - Maxime DECOUT (U. de Lyon 2) : « Maurice Blanchot : Je ou

comment s’en débarrasser »

12h15 - 13h00 : Clôture du colloque par Alain MILON

Friday, March 04, 2011

séminaire "Deleuze et la musique"

Deleuze et la musique
un séminaire nomade #6

8 et 9 mars 2011
Paris 4 / ENS (Paris)

A l'École normale supérieure (ENS) 4
5 Rue d'Ulm 75005 Paris -
Métro 7, Censier-Daubenton
Salle Dussane
Deleuze s’est intéressé à la musique en philosophe, et, si la musique n’a pas fait l’objet d’un ouvrage spécifique, celle-ci occupe néanmoins une place privilégiée dans sa pensée.
Comme il s’est tourné vers le cinéma, la peinture ou la littérature pour élaborer sa philosophie, la musique est pour lui l’occasion d’une rencontre spécifique avec les champs opératoires propres au musical. On en repère les effets dans son œuvre avec, par exemple, les notions de multiplicités spatiales et temporelles, de codage et de transcodage, de pensée par diagrammes ou d’affects.
Au cours de ces journées itinérantes, nous proposerons un état des lieux de l’approche du musical par Gilles Deleuze, domaine qui n’a pas encore fait l’objet d’une recherche approfondie en France. En effet, il a très souvent fait référence au corpus de la musique contemporaine, largement convoqué de Berg à Messiaen, de Boulez, Berio, Xenakis à Cage et Steve Reich.
C’est d’ailleurs à l’ensemble des signaux sonores et à leur expression dans l’espace et dans le temps qu’il porte une attention renouvelée.
Nous examinerons, dans un mouvement croisé, l’impact de ces outils de pensée sur la recherche et la création contemporaine en musique. Il s’agit, non seulement de se demander comment Deleuze s’inspire et s’instruit de la pratique musicale qui lui est contemporaine, mais aussi de montrer quelle incidence les lectures de ses textes ont sur la création, la musicologie, l’esthétique musicale, l’ethnomusicologie, les techniques et les technologies...
Le séminaire contribuera à établir le contexte historique, à explorer les références musicales, à élucider les rencontres avec la musique, dans l’œuvre du philosophe, mais aussi à parcourir ces interférences entre musique et philosophie, avec les inflexions et tensions qui s’en dégagent pour la musique aujourd’hui.

Mardi 8 mars 2011 I ENS-Paris Université Sorbonne-Paris IV
Steppes : la voix et le territoire

Coordination: Jérôme Cler

La ritournelle, ses différents modes de déterritorialisation, vocale, instrumentale, la nomadologie, les devenirs-mineurs: par quelles étonnantes coïncidences les ethnomusicologues, dans leur pratique,
rencontrent-ils les textes de Gilles Deleuze? Lui-même n'aurait-il pas trouvé dans l'ethno- musicologie un appui non moins pertinent que dans la tradition européenne de composition? Nous cheminerons de l'ethos à l'œuvre, de la voix au territoire, marquerons les rythmes.

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9 h 30 Accueil
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10 h
Jérôme Cler

Danseurs, plateaux et montagnes : quand les textes de Deleuze viennent à la rencontre d'un terrain d'ethnomusicologue

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10 h 45
Jean During

Nomades et sédentaires – Lisse et strié, l’exemple de l’Asie Centrale

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11 h 45
Édouard Fouré Caul-Futy

Territoires et devenirs-femme de la vocalité

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14 h

Richard Pinhas/Bruno Heuzé

Dialogue

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14h 30
André Bernold/Jérôme Cler

Dialogue

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15h
Bruno Heuzé

Steve Reich, musique et territoires en mouvement
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16 h

Élie During

« Interface » : singularités musicales

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16 h 45

Pierre Sauvanet/Élie During/Bastien Gallet

Rencontre

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17 h 30 Table ronde