Saturday, February 26, 2011

nさんの一カ月

その後、y君が順調に育っていけば、次はこんなことが待っているかもしれない。

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お返事いただきありがとうございます。フランスは22日までおります。
ヴッパータールとルーヴァン・ラ・ヌーヴでのjournées d'étudesに参加した後、
27日にはまたトゥールーズに帰ってきます。
その後、3月 1日にはまた離れますが、3月9日から14日にもトゥールーズにおります。
その後日本に一時帰国します。日仏哲学会での発表のためです。
またfさんのトゥールーズ滞在中にお会いする機会があれば幸いです。

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こういう枠をはみ出た人たちとともに研究上の仕事をしていきたい。
小さな枠の中でのくだらない争いやもめごとはもうウンザリ。

Friday, February 25, 2011

y君の一日

指導学生のy君が近況を送ってくれた。はるかに有力とされる大学の学生と比べても、まったく見劣りはしないだろうと思う。

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僕はというと、継続的に毎日少しずつベルクソンとドゥルーズを読み進めています。

それと勉強というか趣味に近いですが、最近狂ったように読み耽っているのがカフカですね。
今もちょうど『失踪者』を読んでいたところです。
X月X日の懇親会でXX先生とお話した時から興味を持ち(フッサールとカフカで研究しているそうです)、それからほぼ毎日読んでいます。

語学の方は週に1回XXの先生でドイツ留学していた方にドイツ語を教えてもらいつつ、フランス語の方はXX先生に質問に行きながら長文のテキストを反復してやっています。
ギリシア語もいよいよ長文に移り、週一で勉強会を継続しています。
英語とラテン語は1日15分は触れるようにしています。

課題図書は残り2冊と順調ですが、詩の方はまだ30程度しか覚えられていないので、3月は少し多めに時間を割こうかと思っています。

〔課題図書とは、私がいない間、毎週一冊、『クール・デウス・ホモ』とか、『告白』とか、岩波文庫の哲学書を読破するよう指示していたことを指す。フランス現代思想マニアなどになってほしいわけではないので、分析哲学も含め、広く哲学の世界を知ってほしい。また、毎週一つ、フランス語の詩を暗唱するよう指示していた。「言葉」の重要性を強調しながら、実践面ではてんで言語を重視していない哲学者が日本には多すぎるからだ。〕

こんな感じで生活しているためかは分かりませんが、春休みに入って5キロ痩せました(笑)

後、すでに伺っているかもしれませんが、h先生がやっている勉強会に参加させてもらっています。
現在は時間論をやっているところです。

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あと、予備校講師とヘビメタミュージシャンの顔もあって、私も毎日頑張っているつもりだが、とても彼にはかなわない…(笑)。彼が周りの学生にいい影響を与えてくれることを望むばかりだ。

みなさんも、こんな若手(まだ学部2年生!)に刺激されて、それぞれの現場で頑張ってくださいね。暗いことばかり多いけれど、光もある。

Thursday, February 24, 2011

ダンス、ダンス

人生にはいろいろなことが起こる。いいことも、大変なことも。

Dance, Dance, otherwise, we are lost. Pina Bausch

ピナ・バウシュのタンツ・テアターをヴェンダースが撮った映画が2月24日から公開されているらしい。

踊り続けるだけ。

Wednesday, February 23, 2011

3/28CIPhセミネール「デリダの大学論を読む」

3月24日にまず西山雄二さん(首都大学東京)がお話しされた後、28日に私がしゃべります。

"Université conditionnée - une lecture critique de L'Université sans condition de Derrida" suivi de
"Déconstruction de l'Université - une lecture du Droit à la philosophie de Derrida" (titre provisoire)
dans le cadre d'un séminaire "L'Université comme architecture (ir)rationelle de la philosophie" organisé par Yuji Nishiyama
du Collège International de Philosophie (CIPh)
Le 28 mars 2011 (18h30-20h30) Centre Parisien d'Études Critiques (Salle 1, 37 bis rue du Sentier, 75002 Paris, France)

来年は西山さんと佐藤嘉幸さんのコンビでおやりになるそうです。楽しみですね。そちらもぜひご参加ください。

Saturday, February 19, 2011

ヨイトマケのカント――ルブラン『カント主義なきカント』

よく目につくもの(メルロのQuarto一巻本とか、レヴィナス全集第2巻とか)は私が紹介するまでもなく、それぞれの専門家が紹介されるであろうから、ここでは、目につきにくい(かもしれない)著作を紹介しておこう。

Gérard Lebrun, Kant sans kantisme, études réunies et éditées par Paul Clavier et Francis Wolff, éd. Fayard, coll. "Ouvertures", avril 2009.

これまでにもこのブログで何度か言及してきたが(2007年4月3日の項、2007年12月18日の項)、ルブラン(1930-1999)と言えば、フランスの哲学者なら誰でも知っているのが、彼のカント論である。
Kant et la fin de la métaphysique, Armand Colin, 1970; Le Livre de poche, 2003.

もう少し知っている人は彼のヘーゲル論も知っている(この間のパリ・シンポで
質疑の際に私が言及したのはこの著作である)。
La Patience du concept. Essai sur le discours hégélien, Gallimard, coll. "1972.

最後に、数年前に出た遺稿がある。
L'Envers de la dialectique. Hegel à la lumière de Nietzsche, texte établi, annoté et présenté par Paul Clavier et Francis Wolff, Seuil, coll. "L'Ordre philosophique", 2004.

この最後の本は、バディウとカッサンの叢書L'Ordre philosophiqueから出たが、冒頭に挙げた最新刊を出したcoll. "Ouvertures"もバディウとカッサンの叢書であり、ジジェク『パララックス』などの他に、フランソワ・ヴァールの著書も出している。

というか、我々にとって重要なスイユ社の人文系出版物を考えるとき欠かせない人物であるヴァールのこの二冊目の著書(Le Perçu)が騒動の発端だったのである(詳しく知りたい人はこちら)。

ルブランは長い間、ブラジル・サンパウロ大学で教えていた。フェルナン・ブローデルやレヴィ=ストロースも行った大学使節の際に、フランスによって創設された哲学講座であった。ブラジルの哲学界における彼の影響の大きさについては、ブラジルを代表する哲学者ベント・プラドの証言がある(PDF)。

現代の活力ある思考を紹介するはずの、デリダやジジェクやアガンベンなら断簡零墨でも欲しがる日本の雑誌に、彼らの論考を載せてもらうよう頼んだことがある。何の返答もなかった。Wikipediaでも、仏語・スペイン語・ポルトガル語でしか紹介がないのだから、仕方ないのであろう。別に日本人だけが流行を追っているわけではない。

流行を追うのが悪いとは言わない。しかし、思考の力を持つものを(流行という基準以外に)自分の目で見分けられないのは悲しいことだ。

Blaise Pascal. Voltas, Desvios et Reviravoltas, ouvrage inédit en français, traduction commencée par François Zourabichvili en collaboration avec Diogo Sardinha.

バルバラ・カッサンがルブランを再発見し、ズラビシュヴィリが彼のパスカルに関する著作を翻訳しようとした身振りを心にとどめておこう。



私がブラジルでシンポに参加していた間も、よくルブランの話を聞いた。彼の巨大な論文集がフランス語でなく、ポルトガル語(ブラジル語)で出ているのは皮肉な話である。ルブランはヘーゲル論を最後にフランス語での出版を(ほぼ)やめてしまった。

ポール・クラヴィエ(Paul Clavier コスモロジー関係で何冊かの著書がある)も、フランシス・ヴォルフ(Francis Wolff 著書に『アリストテレスと政治』。マシュレとともに叢書の編者)も、ルブランの弟子なのであろう。背表紙に、ルブランは「フランス最大の哲学史家の一人」であるだけでなく、哲学的思考の最も生き生きとした部分をすくい取る名手である、とある。

哲学者と哲学史家の区別など取るに足りないことなのかもしれない。ルブランやセリスやマルケを読んでいるとそう思わされる。

背表紙を大雑把に訳しておこう。

《ジェラール・ルブランを一度も読んだことのない人に対して、彼はフランス最大の哲学史家の一人であったという説明で満足していてよいものであろうか?たしかに間違ってはいない。だがそれでは、ルブランが実際に行なったことや、彼の仕事から今なお汲み取られる愉しみを理解してもらえないリスクがある。ルブランは、哲学書の生成史を揶揄していたし、教義体系もさほど重視していなかったからである。彼は、親切な教科書が「プラトン哲学」とか「カント哲学」、「合理論」とか「経験論」と呼ぶものを警戒していた。ジェラール・ルブランにかかると、思想は生き生きしたものとなる。その思想は限界まで推し進められ、その思想家にしか辿りえなかった道のりが追体験され、未だ聴きとられたことのない問いに耳を傾けることを知るようになる。

ジェラール・ルブランを読まねばならない。彼を読むと、「近代」を代表する思想家カントは、これまで哲学史が教えてきたよりずっと豊かで、刺激的で、創意に富み、周囲の風景を一変させ、困惑させ、要するに、はるかに「モダン」な哲学者であることが分かるであろう。体系の人目につかぬ片隅、諸問題が現れてくるその場面、諸概念が生成してくるまさにその瞬間、解決が提示される光景、そして新たな深淵が口を開き、新たな哲学的冒険が開始される地点を扱わせたら、ルブランの右に出る者はいない。

読者は必ずや、質・量ともに驚くほど豊かな情報と、大胆なショートカットに魅了されることであろう。ここにはハッタリも、まとまりのない思いつきも、威圧するためだけの博識もない。ルブランは徐々に、しかし集中的に話を継いでいく。「ほんの何気ないこと」から出発して、概念的な話の糸を紡いでいく。読者はしばしば思いもかけない道をたどって、カント思想の大伽藍、あるいはむしろその建設現場ツアーへといざなわれるであろう。

ルブランとともに読むカントとは、したがってカント主義なきカントである。カントの書いたものを文字通り「読み」、それを通して哲学したいと願う人々にとってのカントがここにいる。》


この本に関する書評としては、
『リベ』2009年4月30日付の記事「カントという「物自体」を読むルブラン」
Eric AESCHIMANN, "Le Kant à soi de Gérard Lebrun", le 30 avril de La Libération.

ピエール・ロザンヴァロン率いるオンライン雑誌La vie des idéesの2009年10月28日付の記事「諸概念の忍耐」
Antoine Grandjean, « La patience des concepts », La Vie des idées, 28 octobre 2009.

Friday, February 18, 2011

仏語論集『ゲーテと自然哲学』 Mai Lequan (ed.), Goethe et la Naturphilosophie

当初は2007年刊行予定だったそうだが、現在は2011年7月12日刊行予定であるらしい。論集に参加している友人が嘆いていた。もちろん色彩論・光学論も興味深いが、今の私には『親和力』論が最も関心を惹く。

Goethe et la Naturphilosophie
préface de Bernard Bourgeois
Coordination éditoriale de Mai Lequan
Editions Klincksieck, collection « Germanistique » 11, 2007, 320 pages, 29€
ISBN : 978-2-252-03635-8

Présentation de l'éditeur:
Alors que la dimension proprement philosophique de l'oeuvre de Goethe est souvent méconnue, le présent volume tente de redonner toute sa place à la philosophie goethéenne de la nature, dans les rapports complexes qu'elle entretient avec les Naturphilosophen de son temps (Kant, Hegel, Schelling, Hölderlin, Novalis etc.) ainsi qu'avec les savoirs scientifiques d'alors (en biologie, météorologie, chromatologie etc.). Goethe réfléchit en philosophe sur les différents domaines de la nature (tant organique qu'inorganique), fondant même une nouvelle épistémologie, au confluent de la science, de l'art et de la littérature.

Sommaire:
Préface de Bernard Bourgeois
Avant-propos de Mai Lequan

Première partie. Les principes de la Naturphilosophie goethéenne
"En quoi la Naturphilosophie de Goethe est-elle proprement philosophique?", par Laurent Van Eynde
"De l’usage du canon esthétique dans les sciences naturelles chez Goethe et ses présupposés philosophiques", parNicolas Class
"Goethe, notes sur une épistémologie alternative : forme, image et vision", par Jean-Jacques Wunenburger
"Goethe, la querelle de l’Académie royale des sciences de 1830 et la Naturphilosophie allemande", par Jean-Michel Pouget

Deuxième partie. Goethe et le vivant
"Goethe et la question du déterminisme. Les concepts goethéens en biologie et en physiologie : épigénèse et préformisme, déhiscence et métamorphose", par Didier Hurson
"La lecture hégélienne de la Métamorphose des plantes : type originaire, métamorphose, unité de la vie", par Laurent Mérigonde
"Goethe, Oken et la théorie vertébrale du crâne", par Stéphane Schmitt

Troisième partie. Goethe, phénoménologue de l'inerte inorganique : du minéral à la lumière
"Goethe et la géologie", par Jean Lacoste
"La météorologie selon Goethe : phénoménologie descriptive, esthétique et vie tellurique", par Mai Lequan
"La chromatologie goethéenne : Goethe, naturaliste et phénoménologue", par Maurice Elie

Quatrième partie. La nature humaine selon Goethe et la loi naturelle des affinités : entre philosophie, art et littérature
"Image de l’homme, image de la nature et affinités dans le roman de formation goethéen", par Jean-Marie Paul
"L'amour entre dilettantisme et sagesse : un parcours autour des affinités électives", par Marco Rampazzo-Bazzan
"Goethe et la gastronomie", par Gonthier-Louis Fink

Thursday, February 17, 2011

近況

うーむ、あっという間に時間が過ぎていく。

今年に入って今まで、
論文:1本新たな日本語論文を仕上げ、フランス語論文と英語論文の校正を終えた。
シンポ主催&発表:パリで一つとトゥールーズで一つ。

これから 論文:1本新たな日本語論文と、フランス語論文の校正と、遅れまくっている仕事をやる予定。
セミナー:トゥールーズで三月上旬から三週連続で。パリで三月末にynさんと一緒に一つ。
シンポ主催&発表:福岡で4月と6月に一つずつ。

1)事典項目日本語…(8月末締切)→鋭意努力しています…。
2)09シンポ原稿仏語…(9月末締切)→完成に一歩近づく。
3)11/17大阪・結婚論シンポ仏語原稿(なんとか終了)
4)11/20福岡・結婚論シンポ仏語原稿(なんとか終了)
5)英語ベルクソン論文集・原稿校正(少しだけ良くなって終了)
6)12/26「大学と哲学」研究会予習(なんとか終了)

7)田母神先生科研・論文英語化に向けて再検討(12月下旬)(直したかったが、結局そのまま提出)。
8)鈴木先生COE・デジャヴ原稿仏語論文化(12月下旬)(企画自体が持ち越し)。
9)仏語雑誌掲載論文の仏語校正(1月末締切)(少しだけ良くなって終了)。
10)ライシテ・シンポ依頼論文(日本語)執筆(1月末締切)(インフル+書籍届かない最悪の状況下で脱稿)。
11)2/10パリ・シンポ「アジアにおける現代フランス哲学」原稿(まあまあの出来で終了)。
12)2/15トゥールーズ・シンポ「ベルクソンとその諸用法」原稿(ほんの少しだけ良くなって終了)。
13)白水社・政教論文(2011年2月末締切)
14)トゥールーズ大「エラスムス・ムンドゥス」三週連続セミナー
15)3/28パリ・CIPhセミナー原稿
16)仏語ベルクソン論文集のために論文バージョンアップ(3月末締切
17)第三回「福岡でフランス哲学を!」シンポ開催(4/23)
18)松葉氏著書書評(5月末)
19)福岡シンポ開催(6/)
20)英語雑誌・依頼論文執筆(2011年8月末締切)
21)ベルクソン&ドゥルーズ科学論(2011年12月末締切)
22)デリダ翻訳(2011年年末締切)

Wednesday, February 16, 2011

ポスター


まあ、「スシキング」というネーミング並みの(笑)、微妙なポスターだけど、
2007年以来(あのときはゴダール・グループの技術者だったと思うけど)、
どなたかがわざわざ作ってくれたので、感謝してご紹介。

Tuesday, February 15, 2011

追加情報

15日のシンポ、最後の最後でモンテベロが参加してくれることになって、うれしい限り。
彼と「ドゥルーズか、ベルクソンか」の議論をガチでできることをとても楽しみにしている。

15/02/2011 Journée "Bergson et ses usages"

Journée "Bergson et ses usages"

Journée d’étude internationale EuroPhilosophie – Université de Toulouse – 15 février

image

Journée organisée par Hisashi Fujita (scholar boursier EuroPhilosophie) et Arnaud François (coordinateur local EuroPhilosophie à l’Université de Toulouse)

Université Toulouse II-Le Mirail, Maison de la recherche, salle D 31

15 février 2011, 9h-18h

9h : Hisashi Fujita (Université Kuyshu Sangyo, Japon) : « Désir et joie : deux philosophies politiques de la vie (Deleuze ou Bergson II) » (titre provisoire)
10h : Su-Young Hwang (Université Hallym, Corée du Sud) : « L’évolution et la contingence : l’évolutionnisme de Bergson en comparaison avec R. Dawkins et S. Jay Gould »
11h : pause café
11h30 : Yasushi Hirai (Université de Fukuoka, Japon) : « Les événements changent-ils ? Bergson contre McTaggart »

13h : déjeuner

14h30 : Takuya Nagano (Kumamoto National College of Technology, Japon) : « L’arithmétisation bergsonienne de la durée : pour une confrontation de sa philosophie avec la relativité »
15h30 : Paul-Antoine Miquel (Université de Nice-Sophia-Antipolis) : « Épistémologie non fondationnelle et métaphysique de la nature »
16h30 : pause café
17h : Pierre Montebello (Université Toulouse II-Le Mirail) : sur Bergson et Deleuze (titre à préciser)
17h45 : discussion générale

voir également le site des Nouvelles philosophiques.

Saturday, February 12, 2011

【報告】パリ・シンポ「アジアにおける現代フランス哲学」

今回のシンポジウム(正確に言うとJournée d'études)は、CIEPFC(現代フランス哲学国際研究センター)とEUroPhilosophie(エラスムス・ムンドゥス)の共同企画である。

アルノー・フランソワと私のco-organisationであるが、プロジェクト自体にゴーサインを出し、ENSのSalle Dussaneという非常にいいところ――2007年のベルクソン・ワークショップの第一セッションが開催された場所。アルノーは「君が発表した場所だね」と懐かしく思い出してくれた――を用意してくれたヴォルムス教授に感謝したい(ENSの哲学部門のサイト上でも宣伝してくれていた!)。また、企画の成立に奔走してくれたアルノー・フランソワに、co-organisateurとして本当に感謝している。

一つ目は、檜垣立哉先生(大阪大学)による「ドゥルーズにおけるバロック的時間の理論に向けて」。本当は「賭博の哲学」でお願いしていたのだが、諸種の事情があったようで変更になり、とても残念。ドゥルーズの時間論と、西田の時間概念、ベンヤミンの歴史概念は交錯しうる、というお話。

討論者カミーユ・リキエも、「これは日本というヨーロッパから遠く離れた視点を持つことによってしかできない発表」と誉めていたし、エリー・デューリングもいい質問――ベルクソンに対するバシュラールの批判に見られるような、非連続性をどう考えるのかという問題は、この三人の時間概念に共通している気がす る――を放ってくれていた。

二つ目は、鈴木泉先生(東京大学)による「リトゥルネロとポップ音楽」。ドゥルーズ哲学において音楽、次いでリトゥルネロ(反復)概念が占める位置を厳密に再構成した後、ポップ音楽における「リフ」のもつ役割の分析が要請される地点まで。具体的な分析に踏み込む一歩手前で終わってしまったのが残念。

討論者エリー・デューリングは、スティーヴ・ライヒのギターのリフを使った作品を聴衆に聴かせてくれ、何が問題となりうるのかを具体的に感じさせてくれた。そのうえで、「作品」概念について――いいリフと悪いリフがあるのか、あるとすればどのように――質問した。アルノー・フランソワはディープ・パープ ルのSmoke on the Waterとデューク・エリントンの「A列車で行こう」におけるリフを取り上げ、ロックとジャズにおけるリフの持つ意味合いの違いについて質問した。

三つ目は、安孫子信先生(法政大学)による「コント『実証哲学講義』におけるパスカルの三回の登場」。デカルトは(批判されるべき)「先駆者」としてコントによってたびたび名指されているが、パスカルはほとんど登場しない。しかし、ブルデューに至るまで「社会的なものの思想家」としてフランスの思想界で取 り上げられるパスカルがおり、フランス社会学の淵源にいるコントにとってパスカルは無視できない存在である。

討論者フレデリック・ケックは、デカルト的「進歩と秩序」の、つまりは「実証主義」を合理主義の枠内で取り上げる旧来のコント像ではなく、パスカル的社会 的なものの思想家コントを描きだそうという野心的な試みを評価。ヴォルムス氏は、パスカルに対して、デカルトを「プレ・モダン」と分類する安孫子氏独自の解釈の意味について質問した。

四つ目は、スヨン・ファン先生(韓国・Université Hallym)による「コンディヤック、メーヌ・ド・ビラン、ラヴェッソンにおける自然発生性(spontanéité)から意志(volonté)への 移行」。18世紀末のディドロら唯物論的な動きと並行して、生命のまさに生命的な部分に着目した研究。

討論者クレール・マランは、フランスでも数少ないラヴェッソンの専門家であり、ヴォルムスともsoinに関する現代医学的・治療的観点から共同研究を行なっている人物。現代医学との関係について質問。ヴォルムスは、単なる受動性と見られていたものの中にすらも、自然発生的・意志的努力があるというフランスのある種の伝統を思い起こさせてくれたと指摘した。

最後に、藤田尚志(九州産業大学)による「結婚の形而上学とその脱構築」。結婚に関しては人類学的・社会学的・政治経済的・文化的・フェミニスト的・ポス コロ的研究はあっても、哲学的観点からはあまり見られない。この「結婚における哲学的な居心地悪さ」をもたらしている現代的な歴史動向と切り結ぶために は、アクチュアルな現状の分析ではなく、古典的で形而上学的ですらある諸概念を脱構築する必要があると強調。「契約」「優先性」「個人性」の三概念をデリ ダ、アドルノ、ドゥルーズとともに分析することを試みた。

討論者ジョゼッペ・ビアンコは、発表の中でフーコーに言及しつつ、積極的に活用しなかった理由を尋ね、ドゥルーズを活用することで、現代的な結婚の要請――安定性と流動性の両立――に効果的・実質的な政治的介入をもたらしうるのかと問うた。エリー・デューリングは「積極的に主張しうる定理は何か」、ヴォルムスは「キェルケゴールについてなぜ語らないのか」質問した。

このシンポジウムは近々、ENSのサイトで録音が公開されると聞いている。関心がおありの方はぜひどうぞ。



主題が「アジアにおけるフランス現代哲学」ということで、聴衆は少なめ。来てくださったのは、日本人留学生の方々、日本関係のフランス人、および今回の関係者という感じだった。いかに日本で知られている先生方であっても、フランスでまったくの無名である以上、これは致し方ない。「非関係者」であれ、「関係者」であれ、聴きに来てくれたごくわずかな人々が、発表や議論自体を――発表だけそこそこよくてもダメである。議論ができなければ。このことは強調しておく――心底 「面白い」「またぜひ聴きに来たい」と思ってくれるようになるまで、努力を続けていかねばならない。

そのためには、内容はもちろん、発表の長さや発表の仕方――発音の聞き取りやすさ、話の組み立て――など、すべてにおいて高いパフォーマンスを目指す必要がある。

今回、聴きに来て下さった方々がどう考えるにせよ、私たちはベストを尽くしたと思っている。それでも、まだまだ足りないことは自分が一番痛切に感じている。これからもさらなる進歩を目指して精進していきたい。まだ何も手にしてはいないし、まだ何も始まってはいない。

さて、次は15日のシンポ。

Thursday, February 10, 2011

10/02/2011 La Philosophie française contemporaine en Asie

LA PHILOSOPHIE FRANCAISE CONTEMPORAINE EN ASIE

Jeudi 10 février 2011

Centre International d’Étude de la Philosophie Française Contemporaine (CIEPFC) et Master Erasmus Mundus EuroPhilosophie

LA PHILOSOPHIE FRANCAISE CONTEMPORAINE EN ASIE

Journée d’étude internationale organisée par Hisashi Fujita et Arnaud François

École normale supérieure

Jeudi 10 février 2011, 9h-17h30, salle Dussane


PROGRAMME

Matinée : présidence : Frédéric Worms

9h : ouverture, par Hisashi Fujita et Arnaud François

9h15 : Tatsuya Higaki (Université d’Osaka, Japon) : « Le temps du pari – la contingence et la vie » (répondant : Camille Riquier)

10h15 : Izumi Suzuki (Université de Tokyo, Japon) : « Philosophie de la ritournelle : Deleuze et la pop music » (répondant : Élie During)

11h15 : pause café

11h45 : Shin Abiko (Université Hoseï, Tokyo, Japon) : « Les trois apparitions de Pascal dans le Cours de philosophie positive » (répondant : Frédéric Keck)

13h : déjeuner

Après-midi : présidence : Shin Abiko

14h30 : Su-Young Hwang (Université Hallym, Corée du Sud) : « Le passage de la spontanéité à la volonté chez Condillac, Maine de Biran et Ravaisson » (répondante : Claire Marin)

15h30 : Hisashi Fujita (Université Kuyshu Sangyo, Japon) : « La métaphysique du mariage et sa déconstruction » (titre provisoire) (répondant : Giuseppe Bianco)

16h30 : discussion générale.

voir également le site des Nouvelles philosophiques.

Friday, February 04, 2011

ヨーロッパ大学の未来

De : antonio negri

For more information, see the site of Edu-Factory: http://www.edu-factory.org

Dear Friends,

Next weekend (11-13 February), there will be a conference here in Paris on European university struggles which will see the participation of many groups and collectives from England, Italy, Spain, Russia, Slovenia, etc.. The discussion will talk about the crisis of the university within the context of the global political and economic crisis and will critically examine various prospectives of reform. In this sense, the discussion will aim at creating a autonomous political alternative to the capitalist management of the European university.

We hope you can participate and that you will circulate this invitation.

Cordially,

Antonio Negri

Thursday, February 03, 2011

若書き

私が昔(2003年)書いて放り出していたものが、知らないうちに引用されているのは、うれしいような、恥ずかしいような。この「論文」に関しては、見知らぬアメリカ人から突然メールをもらったり、いろいろなことがあった…。いつかちゃんと書こうと思っているうちに、時間はあっという間に過ぎていく。若手研究者の皆さん、ご注意を。

Wednesday, February 02, 2011

英語論文

メンフィス大学が出している老舗の雑誌The Southern Journal of Philosophyが、来年2012年で創刊50周年を迎えるとかで、何号かにわたって大規模な祝賀的特集を組むらしく、そのうちの一つ - "Continental Philosophy: What and Where Will It Be?"に書かないかとしばらく前にお誘いが来て、興味のあるテーマだったので引き受けることにしていたのだった。締め切りは9月1日。

大陸哲学の未来…。外してもいいから、思いきり何か独創的なものでいくか。それとも、おとなしめでいくか。迷うことはない。前者で行くに決まってますね(笑)。

今まで二度、英語の論文を出したが、それらはいずれも仏語から誰かに翻訳してもらったものだったので、今度こそ拙くても自分の英語で書くぞと決意(でも時間がなくなってきたら日和るかも…)。

さっきsubmitの仕方を説明してくれるメールが届いた。権利関係の書類など、本当に煩瑣だ。英語で書くというだけで面倒くさいのに…。

そのメールにその号の執筆者リストと思しき人々の名前があって、メンツを見てびっくりしている。もちろん比較的若手も混じっているが、いわゆる「世界標準」な比較的若手ばかりである。どうして私の名前が入っているのだろう?あの人とか、この人とか、他にいくらも適任な人がいるような気が…。うーむ、誰が推薦してくれたんだろうか…?

ダウン

あれからダウンしてしまった…。かなりの熱が出て。いまも体調不良。
少し良くなってきたかと思うと、次の症状が現れるの繰り返し。
気分の浮き沈みも激しい。

その中で、論文を一本どうにかこうにか終らせ(本当にダメダメ)、
大学の仕事をし続けていた。