Thursday, January 27, 2011

悪寒

26日(水)。体調が徐々に悪化。夜、食後、悪寒と吐き気。薬を飲んで、すぐ眠る。

27日(木)
。小康状態。本問題は、次のような「変化」あり。

ROISSY INTER CHRONOPOST
Consignment received at destination country

Chronopost France
Consignment left depot Customer Service Dept.

しかし、まだ油断はできない。銀行問題も結局まだ解決していないし…。

Wednesday, January 26, 2011

講義

25日の夜、それほど遅い時間ではなかったのだが、AFの家に泊めてもらう。巨大なカテドラルが聳えていて、二階の窓から見渡せる。しばし静かに語り合って、就寝。

26日(水)。AFは朝8時半から授業だということで、7時起床。なんと哲学専攻の学部3年生向け「講義」は、4時間!8時半から12時半まで…。この学年は(ストの影響などもあり)人数が少なく10人ということもあるのか、「講義」だが、ひたすらゆっくりスピノザの『エチカ』を読み進めていくのだという。いやはや、すごい…。最初にしっかりイントロをやってから入るのかと訊くと、「いや、それをやってしまうと、学生たちが読解格子を手軽に入手して、あとは「読む」という作業をしなくなるから、マシュレのようにいきなり地道に読むという作業をさせるつもりだと言っていた。

ちなみに、私たちの間では、マシュレの評価は高い。これは直接教えを受けた者の影響だろう。地味と言われようが、無味乾燥と言われようが、平凡と言われようが、それらの非難をすべておおむね承諾したうえでも、それでも彼には魅力がある、としか言いようがない。そういうものだ。

講義の話に戻ると、気になるのは、学生のモチベーション。学生はついてくるのかと言ったら、ちゃんとついてくるよ、と。実態はどうなのか、無理を承知で、今度授業を見せてもらうことにした。昔から言っているのだが、フランスにおけるこの種の基礎的な哲学教育に関する知識とか経験を持っておくことは、自分の研究対象に関する最新情報を入手するのと同じくらい、あるいは場合によってはそれ以上に、大事だと思う。

そして、ふたたび本問題。なぜこの問題を解決するのにこれほど時間がかかるか分からないが、とにかく一日経っても何の返事もないので、大学の事務方に助太刀をお願いした。

Tuesday, January 25, 2011

日々の課題

25日(火)。 相変わらず本は止まったまま。まず、フランスの郵便局のEMS(フランスではChronopostという)のHPにあったUbiFranceの電話番号に電話。一通り説明すると、「担当につなぎます」。いかにも不慣れな新人という感じの声に不安を覚えつつ、もう一度最初から説明。すると、頼りなさ気に「ここじゃありません。ここは税関でどんな問題があったか把握した後で、その対応に対して、法的に何か措置を講じなければならないときに対応する機関で…」。そんなこと知らないよ。じゃあ、なんであなたにつながれたわけ?!ひとしきり弁明を受け、要するに、彼女もどこにかけたらいいのか知らない、と。自分でロワシー空港の税関の電話番号を調べろ、と。それでもまだ「誠実」な対応なのでいいけれど、税関相手だとそうはいくまい…。

税関の電話番号を何とか調べて、かけると、案の定、ストレスに満ちた声。こちらは外国人で、ゆっくり、理路整然と説明しているのに、初めから聞いていない。「factureをもっているか?」と聞かれ、「factureって何のfacture?たしかに、Sender's copyっていうのは持ってるけど」。「だから、factureをもってるんだな?」「まあ、factureっていうのかもね」「じゃあ、それを送ってくれ」「でも何で?自分の本なのに?」「でも、お前さっきfacture持ってるって言っただろ」「いや、だから、Sender's copyを持ってるって言ったでしょ」「とにかく、後で担当者から明日にでも電話させるから」。ガチャン。

その二分後、担当者から電話。Eメールアドレスを教えろと。教えると、その数分後に、メールが。
そこで、私の荷物は「商品の輸入」と勘違いされているということが判明。仕方がないので、自分用に使う研究書の郵送であると説明したメールを出した。

あー、もう…。

他方で、銀行のカード問題はようやく終結しそう。さっき、大学のほうに連絡があった。ふう。
こんなことであっという間に半日潰れてしまう。これが海外生活なんだよなあと思い出してみたり。

今日は夜、エラスムスの学生たちとの初顔合わせ&久しぶりにGSBに会う予定。
それまで、もう一仕事。

Monday, January 24, 2011

近況

21日(金)。夕方、試験の採点をしていると、JCGが現れた。いつものように、怒涛のように喋りまくり去っていく。私は毎週火曜日2・3時間の講義をやることに決まった。

今関心を持っている三つの軸を少しずつ進めていきたい。
1)ベルクソンとドゥルーズの対比。
2)哲学と大学。エラスムスの学生たちには特に「制度」に対して敏感であってほしいので。
3)生の哲学の延長としての「結婚の脱構築」。

23日(日)。AFと昼食。Place Saint Georgesにあるおいしいレストランでこの地方のおいしいものを。



2月10日、トゥールーズで、永野さん、平井さん、ミケル、ファン、モンテベロ(?)とベルクソン・シンポ。

2月15日、パリで、安孫子先生、鈴木先生、桧垣先生、スヨン、私の発表に
ケック、リキエ、ヴォルムス、アルノー・フランソワ、エリー・デューリングなどが応答者
になってくれる「アジアにおける現代フランス哲学」シンポ。

3月28日、パリで、西山さんのCIPhセミナーの枠内で喋らせてもらう。デリダの大部の大学論について話す予定。

詳細は時期が迫ってきたら告知します。

Sunday, January 23, 2011

手紙は必ず届く…?

出発前に大金をはたいて出したEMSがまだ届かない。日本の郵便局HPで追跡調査してみると、ロワシーの税関で18日以来ストップしているらしい。今日はフランスのポストHPで調べてみると、
Scan site:Roissy - Paris - FR
Comment:Contact with sender or consignee in progress
Consignment stand by: documents missing (invoice or customs documents)
Consignment stand by: awaiting additional information

うーむ、必要な本だけを厳選して送ったのに…。送り返されたり、ロストしたら、今回の研究滞在に甚大な影響が…。

読書三昧

21日(金)、晴れ。こっちに来たからといって大学の仕事から完全に解放されているわけではまったくない。試験の採点に追われる。

22日(土)、曇り
。週末だからといって仕事ばかりできるわけでもない。生活基盤を整えるべく、引き続き大きな買い物に従事。とても疲れる。

…さらに一昨日くらいから寒くなり、今日はとても寒い。あまりに寒いので、天気をチェックしてみた

トゥールーズの最高気温   最低気温   東京の最高気温   最低気温
16日(日)    13℃       0℃        6℃        0℃
17日(月)    15℃       3℃        10℃       1℃
18日(火)    14℃       5℃        10℃       1℃
19日(水)    10℃       2℃        10℃       3℃
20日(木)    7℃       -1℃        9℃        3℃
21日(金)    5℃       -2℃        8℃        3℃
22日(土)    1℃       -4℃        10℃       3℃

私がトゥールーズに到着したのが15日。気持ちのいい日曜のマルシェを散歩したのが16日。
うーむ、一週間経たないうちに19℃くらいの差を体験したわけか…。



それでも日本にいるときに比べて、集中的に本を読めるのはありがたい(大学の関係者の皆様に感謝!)。最近読んでいる(読み直している)本。

Jean-Claude Monod, Sécularisation et laïcité, PUF, coll. "Philosophies", novembre 2007.
私が現在、ライシテにアプローチする際に最も参考になる著者(ただし、非常に読みにくい)。「アプローチ」に関しては参考になるが、最終的な「読み」はかなり違う。この人の本は翻訳されていいと思う(私はやりませんが…)。

Jean-Louis Vieillard-Baron, La religion et la cité, édition augmentée et corrigée, éd. du Félin, coll. "félin poche", septembre 2010.
数年前に出た初版は読んだ(博論で批判的に言及した)のだが、それに新たに二編の論文を追加したようだ(訂正がどの程度に及んでいるかは、初版を持参していないので不明)。気持ちいいくらい、あらゆる歴史家・社会学者に喧嘩を売っている超反動的な本。特にゴーシェは目の敵にされている。しかし、慎重に取り組むべきテーゼもある。

《宗教なき社会は、社会なき宗教をもたらす。[…]ひたすらに社会学的な宗教概念は、宗教的事実を説明しない。すべてを社会的機能によって説明しようと望むのは、我々の時代の病である。》

この一節は吟味に値するテーゼを含んでいると思う。

Pierre Manent, Le regard politique. Entretiens avec Bénédicte Delorme-Montini, Flammarion, septembre 2010.
専門家には大切な著者だと思うが、私はあまり関心を持てなかった。

Alexis de Tocqueville, De la démocratie en Amérique, tome I, préfacé par François Furet, GF Flammarion, 1981.

トクヴィル『アメリカのデモクラシー』第1巻(上)、松本礼二訳、岩波文庫、2005年。

島薗進『宗教学の名著30』、ちくま新書、2008年。

19世紀から20世紀にかけてのフランスにおける「宗教的なもののゆくえ」について執筆するという無謀な企てを何とか遂行するべく、基本的なお勉強のし直し。

羽田正編『世俗化とライシテ』、UTCPブックレット6、2009年。
これは素晴らしい本。要点が非常にコンパクトにまとまっている。現在、UTCPのサイト上で無料ダウンロードできるのが信じられない。どこかの出版社から正式に出版して、もっと広く読者の目に触れるべき本。

Thursday, January 20, 2011

大学へ

20日(木) ようやく大学へ。12時、A.F.とメトロのEsquirol駅で待ち合わせ。久しぶりの再会を喜び、友人たちの近況を尋ねる。

大学(Université de Toulouse II Le Mirail)に着くと、さっそくMaison de la Rechercheに案内してくれる。「覚えてる?」「もちろん!」2007年に日仏『創造的進化』ワークショップをやった場所だ。

今回私が最もお世話になるであろう場所はその裏にあるPavillon de la Recherche。「ここから世界中にErasmusの情報を発信してるんだけど、味気ない建物だよね(笑)」とA.F.。ここに研究室というか、勉強部屋を与えてくれた。

彼はdoctorantsの博論計画報告会があるとかで、昼食をP.M.と食べる。いきなりドゥルーズvsベルクソンについての議論を戦わせる。ラプジャッドとか、ソヴァニャルグとか、ギヨームらのドゥルーズ解釈についても、だいたいP.M.と同意見。はっきり言って、こういう展開は大好き。世間話は最低限でいい。

昼食後、P.M.は試験監督へ――フランスの大学教授も大変だと愚痴をこぼしていた(笑)。エラスムス一期生のM.N.さんも報告するとのことだったので、少しでも聴こうかと会場へ向かったのだが、ちょうど終わったところだった。少し挨拶をして、A.F.に中央図書館と学部の図書館に案内してもらう。

A.F.が即座に手紙を書いてくれ、図書館カードがその場で発行される(本を借りられる)。ここらへん、日本のアドミニとの違いではなかろうか。日本のアドミニは通常は早いが、何につけても杓子定規だ。フランスのアドミニは通常は遅いが、コネがあるとものすごく速い。

それにしても、DEAの学生としてフランスに来たのが2000年だったから、あれから十年。生活環境も研究環境も一から、いやゼロから自分の手で作り上げねばならなかったあの頃と比べると雲泥の差だ。遠くまで来たなあ、と思うと同時に、まだ本当に何も手にしていない、と改めて実感。遠くへ、もっと遠くへ。

さて、生活環境も(ほぼ)整い、研究環境も(ほぼ)整った。あとは研究活動を開始するだけ…。

Wednesday, January 19, 2011

説明しようと思って、本を読むんです

今の大学で教えるようになってから、「分かりやすく、しかしなるべく本質的な部分を削らないで、説明する」ということに腐心するようになった。というわけで、「winwin対談 池上彰さん ニュースの本質を一生懸命つかもうとする」。興味のある方は、全部読んでみてください。下は、授業準備のときの読書姿勢と重なるところがあるなと思う部分。

説明しようと思って、本を読むんです

佐々木

月並みな質問で恥ずかしいんですけれども、お忙しいのにそんなに本を読んでいる時間っていうのは……。

池上

時間はね、こういうと大体の人に納得していただけるんですが、私は酒が飲めないんですよ。

佐々木

私も飲まないのですが、何なんでしょう(笑)。でもお酒の時間といっても、NHKの時代って、番組にもよりますけど、勤務時間がそんな短いわけでもないですよね。

池上

長いです、長いですねえ。でも行き帰りの電車の中で往復2時間あれば、本、一冊ぐらい読めますよね。勉強方法って 気がついたんですけど、なんかね、この話がわからないから理解しようと思って読んでもなかなか理解できない。あるいは時間かかるんですね。これを人に説明 できるようにするためにはどうしたらいいかって思っていろんなものを読むと、非常に理解が早いんですね。

日銀ってなんだろうかって勉強しようと思って読むと、なんかやっぱり経済学難しいでしょ。こう、時間かかるし眠くなりますよね。日銀を子どもに説明しよう、さぁ、どうしよう、銀行の銀行ってどういうことなのか、なんてやってくと、理解度が進むんですよね。

佐々木

重要なところを抜き出す力がでてくるってことですね。

池上

そうですね。目的意識を持って読むわけでしょ。自分が理解するのと、人に説明するだけ理解できるって理解度に物凄く差がありますよね。

Tuesday, January 18, 2011

アブラハム・結婚・ギャッツビー

こちらに来てから、買った本など。

ちなみに、Le Monde des religionsのサイトはこちら

最初にスーパーに行ったとき(15日(土))、地元の新聞La Dépêche du Midiの一面の隅に、

Toulouse: Le Pacs détrône le mariage (トゥールーズ:パックスが結婚を廃位する)

という文字が目に飛び込んできた。中身に何ら目新しいことはないが、détrônementという言葉は強いので、何かあったのかと思ったのだ。中見出しを見ると、

Le Pacs dépasse le mariage On se marie autant qu'il y a dix ans à Toulouse malgré l'explosion du Pacs

で、ずいぶんおとなしくなっている。さらに、記事の本体になると、

Stabilité des mariages, multiplication des Pacs

と要するに、何の新味もない記事だと確信できるタイトルに…。
まあ、これについては項を改めて。

ちなみに、写真中央の記事によれば、今フランスの労働市場でトゥールーズが熱い注目を浴びているのだそうな。



飛行機の中でThe Great Gatsbyを観たと書いたが、15日にFNACで、偶然そのフランス語新訳が出ていたのを見かけ購入。

Francis Scott Fitzgerald, Gatsby, Nouvelle traduction par Julie Wolkenstein, P.O.L, 2011.

P.O.L――私のように無知な人間にとっては、ゴダールの脚本を刊行していた出版社として記憶に残っている――のサイトをのぞいてみると、訳者のビデオ・コメントと、最初の20頁ほど試読できるようになっていた。ご関心のある方はどうぞ

なみに、フランス語ではこれまで二つ訳が出ていたそうで(1945年と1976年)、タイトルはいずれもGatsby le magnifiqueであったらしい。この「伝統的」なタイトルも、Le grand Gatsbyという、より直訳的なタイトルも採用せず、ただ『ギャッツビー』としたのは、満足いく翻訳が見つからなかったため。『ギャッツビー』愛好家たちはずっとこんな風に略してきたし、そもそもフィッツジェラルド自身、決してThe Great Gatsbyというタイトルを気に入っていたわけではなく――彼はこの作品の商業的失敗を、後にこのタイトルのせいにした――、『ギャッツビー』は候補の一つであった。彼がそうしなかったのは単に、1922年に発表されたシンクレア・ルイスのベストセラー『バビット』との混同を防ぐためであった…。

「私はこれまで他の小説を翻訳したことはないし、これからもおそらく翻訳しない。この翻訳はある出会いの結果であり、この本との唯一の恋物語の結果だから」。

Monday, January 17, 2011

日曜の午後

16日(日) 昼すぎに家に帰ってきて、買ってきたリエットをパンに塗って、簡単に昼食を済ませる。

その後、ふたたび買い物に。今度は近くのépicerieというか、ミニスーパーでちょっとした買い物。

(日曜日は基本的にほとんどの店が閉まっているが、アラブ系の人がやっていることが多い、小さな商店は日曜もやっていたり、普段の日も夜遅くまで開けていたりする。)

晩ご飯のために、charcuterieでgratin dauphinois(ジャガイモの生クリームかけグラタン)とanchois(油と酢漬けアンチョビの開き身)を購入。しかし、その他の日用雑貨を売っているミニスーパーが結局見つからず、歩いてcentreへ。

普段はバスに乗るのだが、歩いても20分くらい。というか、フランスにいると、よく歩くようになる気がする。車も自転車も持っていないのだから、まあ半ば必然なのだが…。

写真はマルシェが開かれていたサントーバン教会やその周辺のもの。

中心街まで出たのはいいものの、あまり買えるものはなく、結局こまごました物をちょっと買い、疲れ切ったので、カフェでお茶をして、退散。

カフェはキオスク(フランス語でもkiosqueという)にもなっていて、前にフランス滞在していた頃によく買っていたLe Monde des religionsを購入。私が留学していたころに創刊されたもので、その頃はまだ一ケタ台だったのに、今は45号。時間の経つのは早い…。ちなみに特集は、janvier-février 2011 no. 45: "Dossier: Abraham le patriarche".

夜は買ってきたお惣菜で簡単に済ませる。

寝る前のひとときに読書できるのは久しぶり。といっても、疲れに勝てず、すぐに寝てしまうのだが…。村上春樹の「著者初の本格的音楽エッセイ」、『意味がなければスイングはない』(文春文庫、2008年)を少し読む。

マルシェ

夕食会のときに聞いたフランス語メール表現については、こちら。夕食会が終わったのが夜11時。それからシャワーを浴びて、倒れるように就寝。

1月16日(日) 9時くらいに起床。外は昨日よりさらにいい天気。近所のboulangerieで買ってきたパンをゆっくりと食べる――以後もきわめて基本的なフランス語が出てくるが、あくまでも学生のフランス語勉強用なので悪しからず。

ジャンさん宅の「離れ」=私の仮の住まいはこんな感じ。この家のすぐ前には偶然、bananier japonaisが植えてあり、その隣にはブドウの木(蔓?)が。季節柄、どちらも枯れていたけれど。

11時ごろ、ジャン・ドミニック夫妻に連れられて、近くのマルシェへ。奥さんのドミニックさんは生物学者だそうなので、「虫なんかが太陽に向かう性質はなんというんでしたっけ?」と歩きながら質問。答えは…

héliotropique(向日性)。日曜の散歩は向日性で。

歩いていると、レンガ造りの巨大な建築群。casernesらしい。トゥールーズのそれは、ただ軍隊ではなく、légion étrangère(外人傭兵部隊)が一時的に駐留する、少し特殊な場所らしい。年々数が減少し、巨大な兵舎の大半が空いているそうだから、今年の寒波でSDFたちが苦しんでいた時、彼らに場所を開放してやればよかったのに、とドミニックさん。

15分ほど歩くと、marchéへ到着。日本でもそうなのだが、市場での買い物というのはどうも苦手だ。では、スーパーでの買い物が上手かというとそうでもないが…。

とりあえずこういうところの定番、rillettesを一瓶購入。

ああ、そうそう、日本では食べない、ウサギやハトもこちらでは食べるので、食用としてマルシェで売られている。生きたままのものも、そうでないものも…。

野菜。懐かしい名前。endive, fenouil, artichaut, etc. etc. 果物。oranges amèresなんて名前のものもあるんだなあ。おいしそうなclémentineを幾つか購入。ちなみに、写真の女性は無関係。

食べ物だけでなく、ありとあらゆる雑貨類が売っているのは、日本と同じ。飛行機に置き忘れてきたニット帽と手袋の代わりをここで購入。質はお世辞にもよさそうとは言えないけど、今はとにかく風邪をひかないことが一番。

Sunday, January 16, 2011

到着(ブラニャック空港からカラス通りへ)

朝靄に包まれたトゥールーズのブラニャック空港(aéroport de Toulouse Blagnac)に朝8時半ごろに到着。空港では大きな荷物を受け取るのに、またも運良く早めに受け取ることができた。

早い時間にもかかわらず、温厚なほほ笑みとともに出迎えてくれたのは、応用物理学者のジャン・Mさん。豊かな白髪と白い髭をたくわえた小柄な初老の姿は、まさに科学者。

12月の中旬ごろに、物理学者でエピステモローグでもあるジャン=マルク・レヴィ=ルブロン氏の講演会で通訳を務めたとき、まだ家が決まっていない、フランス側のアドミニの対応は日本側のそれとずいぶん違うように思うという話をしたら、親切にお友達を紹介してくださったのである。レヴィ=ルブロンさんも温厚そのものという感じの人だったが、ジャンさんも本当に親切な方である。なんというか、このお二方が友人であるというのが必然以外の何物でもないという感じがする。



ジャンさんの車に荷物を積み込み、彼のお宅へ。お宅はカラス通り(rue Jean Calas)。フランスの街路の名前は、たいてい歴史上有名な人物の名前がとられており、簡単な説明が添えられている。たとえば、rue Blaise Pascal, physicien du XVIIe siècleという感じ(この説明が妥当かどうかはともかく、実際そう書いてあったのである)。

Jean Calasという名前にはvictime de l'intoléranceという説明が添えられている。…とここまでで誰だか分かった人は(学部生なら)なかなかのもの。ヴォルテールが介入する「カラス事件」の犠牲者である。

(カラス事件とは…知りたい方はこちら

ジャンさんのお宅の庭の片隅に離れがあり、ここに住まわせてもらえることになったのである。離れとはいっても、二階建てで、キッチン、トイレ、シャワー完備(一階がジャンさんの研究室)。二ヶ月半という中途半端な期間の滞在で問題になるのは、meubléを探すことだが、彼らはかなりの生活必需品を揃えてくれていた。

もちろん、それでも買い足していかなければならないものはあるが、ゼロからすべて、というのとは天と地の開きがある。ただ、ひたすら感謝、である。

おなかが減っていたので、朝食をいただき、しばし歓談。その後、部屋で荷解きをして、昼前に中心街へ。昼食を済ませて、まず入ったのが、大型書店FNAC(笑)。久しぶりにフランス語の哲学書コーナーを見て、なんだかうれしくなる。と同時に、昔のように、そこにいつまでも佇んだりはしなくなった。体力も持たないし、家に帰ってやるべき仕事もたくさんある。

その後、大型スーパーへ行って買い物。留学時代の初心に帰って、小さなメモ帳を買うことにした。もう一度、分からない言葉や表現を書き留めるなどして、この機会にさらなるレベルアップを目指したい。

フランスに住んでいた時もずっと思っていたのだが、街路がいちいち大きいので、買い物に行っただけで疲れてしまう。

帰ってきて、しばし休息。夜は、奥さんのドミニックさん、娘さん二人らも交えて、歓迎の晩餐。昔はこういう機会に、よく表現をメモしていたのだが、いつの間にかしなくなっていた。今回学んだのは、à la bonne franquetteという表現。「ざっくばらんに」といった意味。ジャンさん宅を間借りしての二ヶ月半の滞在を始めるにあたって、悪くない出だしである。

パリからトゥールーズへ


パリのシャルル・ドゴール空港には夕方の5時半に到着。国際線、特に長旅の場合、ここからが長い。

まず、少なからぬ手荷物を持ち、入国審査場へ。EUの人々用のゲートと、その他一般のゲートが分かれている。もちろん、非常に混んでいるのは後者。

それが終わると、預けてあった大量の荷物を引き取りに。ここは運もあるが、たいてい自分の荷物がベルトコンベアーに乗って運ばれてくるまでにかなりの時間がかかる。

荷物をすべて持ち、よたよたと出国ゲートへ。ここから緊張感が高まる。油断はできない。空港近くのホテルが、送迎の無料バスを20分ごとに走らせているというので、そこを予約してあった。問題はそのバスがどこに発着するのかを、疲れ切った状態で探し当てること。

ここまでで既に疲れており、おまけに飛行機の中にニット帽と毛糸の手袋を忘れてきたことに気づく。寒がりの私には致命傷。…と思いきや、そんなに寒くない。「ヨーロッパに大寒波襲来!」とさんざん脅されてきたのに。うろうろ、よたよた、ようやく発見して、ホテルへ。シャワーを浴び、倒れるようにベッドへ。

しかし、こういうときというのは、えてして眠れないものだ。体は疲れ切っているのだが、頭も鈍くしびれているような感じだが…。

結局、うやむやのうちに、朝4時半ごろ目を覚ます。昨晩買っておいたパンの残りを少し食べ――日本のコンビニ文化に馴れきった学生は注意!計画的に買っておかないと、あとで痛い目を見ることに…――、6時に送迎バスへ。

CDGはデカイ。歩いて目的地へ行くだけでも一苦労。6時半ごろに手荷物検査を通過…のはずが、なぜかそこでひっかかる。新しく買ったPCケースから"substance"が検知?感知?されたというのである(笑)。ずいぶんfouillerされてから、ダッシュでゲートへ。

ところが、出発時刻を過ぎても飛行機へのバスが出発しない。飛行機に全員が乗り込むと機長が不機嫌そうに「出発時刻が遅れたのはcertains d'entre vousが遅れてきたから」という。もちろん遅刻者もいただろうが、検査が厳しかったせいでもあるのではなかろうか。

ちなみに、検査場の入口に「アメリカ政府の要望により、450ml(だったかな?)以上の印刷用インクは預け荷物でも手荷物でもダメ」と書いてあった。恐るべしアメリカ。

朝早い飛行機を楽しむ(論文に追われていない)機会はそうはないが、今回は写真を撮ってみた。こうして一時間でトゥールーズへ。

Saturday, January 15, 2011

韓国、そしてフランス


これからしばらく日記風に綴っていこうと思う。フランスやフランスでの生活に馴染みのない学生のためにごくごく基本的なことも書いていくので、悪しからず。

14日の朝7時半に出発(国際線の飛行機は2時間前までにチェックインしないといけないので)。

福岡空港には国際線のターミナルもあるが、およそ「国際線」の名に値しない貧弱さ。それでも定食屋があるのはありがたい。日本を発つ前に、かつ丼とうどんを食す。留学時代は、毎日ケバブでも、毎日カルボナーラでも平気だったが、この夏のスイス旅行では、三日目にもうアジア料理が食べたくなってしまった…。

8時半にチェックイン。ぎりぎりまで徹夜で作業をしていたので、手荷物検査・出国手続きをした後、ゲート前で爆睡。10時半すぎに出発。

12時ごろ、韓国・インチョン空港に到着。到着が遅れたのは、この日降った雪のせいらしい。

無料のWifiがありがたい。トランジットも快適に過ごせる。

ちなみに、言うまでもないことだが、日本の国際空港の「顔」である成田空港は、韓国のインチョン空港にも、シンガポールのチャンギ空港にも、完璧に負けている。日本びいきの人には申し訳ないが、事実は事実である。いつこんなにも引き離されてしまったのか…。

大韓航空も、JALやANAよりサーヴィスがはるかに充実している。彼らの意気揚々とした「右肩上がり」の調子がうらやましくも懐かしい。

昼過ぎに、今度はパリへ向けて出発。長旅の機内では、前半戦は映画。ディカプリオ+渡辺兼の最新作『インセプション』と、レッドフォード+ミア・ファロー主演の『華麗なるギャッツビー』を観た。

みんなが寝静まった後半はふたたび論文。ノートパソコンとフランス語の研究書と電子辞書を小さなテーブルの上に無理やり置くと、そこは小さな研究室。

Friday, January 14, 2011

決着(ひとまずの)

あと数時間でフランスに発ちます。今回は2か月半の滞在。目的地はトゥールーズ。エラスムスのヴィジティング・プロフェッサーとして行きます。

あと数時間で出発というのに、終わったはずの二本の論文の見直しをしています…。

1)韓国のフランス大使館が主導する日中韓台共同の
人文系雑誌に載る予定のフランス語論文。

これは仏語添削者(仏人ネイティヴ)とのやりとりをメールではなく、
あるシステムでしなくちゃいけなくて、正直とても面倒くさい。
ようやく最終段階…(あと少しで本当に終了)。

2)アメリカのベルクソン論集に載る予定の英語論文。
翻訳者問題は、結局「翻訳者としては記載せず、註に日本語から仏語へ翻訳した旨を注記」するという折衷案で合意。手直ししているので、中身もバージョンアップしている。

Monday, January 10, 2011

余波

ちなみに、これまでに私が自分の仕事を翻訳した二本のケースでは、

1)2004仏語紀要論文(査読あり)→2007英語雑誌投稿論文:論文の冒頭に「日本語既出」の註あり。ちなみに、このとき私は翻訳者の翻訳をチェックし、意見交換も交えたのだが、私の名前が翻訳者としてクレジットされることはなかった。

2)2008仏語雑誌論文(依頼論文)→2009日本語紀要論文:論文の冒頭に「仏語既出」の註あり。

今度、英語の論文集に収められる2011?論文は、日本語で書いたもの2009を翻訳して載せてよいと言われていたので――したがってもちろん、編者はその事実を知ったうえで、私の論文の掲載を承諾している――、何も断りをつけずに翻訳したのだが、今回の件で不安になってきたので、すでに最終原稿を提出した後だったのだが、急きょ掛け合ってみることにした。交渉は次の二点。

1)日本語ですでに発表された論文の翻訳である旨、断りの註を冒頭に入れること。

2)私の名前を第二翻訳者として追加すること。というのも、今回は、私は日本語論文をまず最初にかなりの程度、拙い英語に訳し、次に、完全に(すべて)、フランス語に翻訳したのである以上、たとえ最終的にちゃんとした英語にしてくれた人が「翻訳者」であるとしても、私もまた自分の原稿を「翻訳した」という事実に変わりはないからである。また、この事実が明確に記載されたほうが、先々いろんなことが生じてきたときに(特に業績のカウントに際して)ややこしいことにならない、と思ったからである。私の提案が受け入れられるとよいが、さてどうなることか。

いやはや、せちがらい世の中になってきた…。

Sunday, January 09, 2011

東京医大教授、論文を二重投稿 大学側は厳重注意

うーむ。私の仕事のスタイルからすると、微妙かつ重要な問題だ。

今までのところ、日本語と英・仏語でほぼ同内容(もちろん、毎回多かれ少なかれバージョンアップしている)の論文を刊行したことが二度あるが――そして、こういったケースはこれからますます増えていくと予想される――、それらはすべて依頼論文であるか紀要論文であり、おまけに、どちらも最初の註でその旨断っている。したがって同内容で「二重投稿」したことはない。

まず、狭義の「二重投稿」についてだが、まずい点は、すでに他の場所で発表したという事実を隠匿しているという点にあると思われる。たしかに、これは道義的にどうかという気もする。しかし、非常にフランクに言って、日本語で発表されたことがあるかどうかなど、フランス人やアメリカ人にとってはどうでもいいことであろう――自然科学系では「当時、明確な基準がない雑誌でも、日本語のオリジナル論文があることを示すことを原則としていた」らしいので違うのであろうが、フランス語の哲学雑誌でそのような「原則」を見かけた記憶がない。私が「初出」を記したのは、プライオリティの問題をはっきりさせておきたかったからである(これは日本人相手でも同じことだ)。

次に、広義の「二重投稿」のまずい点は、同じ業績の使い回し、という点にあると思われる。しかし、少なくとも人文系において、仮にほぼ同内容の論文であったとして、それを「翻訳」する労力はかなりのものだ。私は、既発表の論文の英語化・仏語化などを一つの「業績」とみなされるべきと考える。

英語の論文をフランス語に使い回したというのと、日本語の論文をそうしたというのとでは、意味が違う(いささか、日本人弁護的になるが、翻訳の労力も同じではないとさえ言いたい)。世界の哲学シーンで、日本人以外の誰が日本語の哲学論文など読むだろう。仮にいたとして、ごくごく少数であろう。したがって、今の日本の人文社会科学の「国際化」「世界標準化」を推進したいのであれば、むしろ積極的に――むろん道義的な問題はクリアしたうえで――「二重投稿」を進めるべきである(別々の業績にカウントすべきである)と考えるが、如何?

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2011年1月7日7時0分

 東京医科大学の整形外科の教授(52)が複数の英語論文について、二重投稿したり、同僚の論文に自分を筆頭筆者として加えて投稿したりしていたことが朝日新聞の調べでわかった。一部は2004年の教授選の選考で業績に挙げていた。大学側は論文2本を二重投稿と認定し、厳重注意した。日本整形外科学会も調査している。

 朝日新聞の調べでは、大学側が二重投稿と認定した2本は、04年と09年に海外の専門誌などに載った論文。このほか、03~06年に、7本の日本語論文の主要なデータを英訳して、海外誌に載せていた。こうした投稿も、二重投稿とみなす学会や科学誌も少なくない。当時、明確な基準がない雑誌でも、日本語のオリジナル論文があることを示すことを原則としていたが、7本ともその旨を明記していなかった。教授は今後、大学の助言を受けて、教室の全論文を点検、論文の修正や取り下げが必要か検討するという。

 この7本の中には、15年前のデータを再使用して、海外誌に投稿した論文もあった。90年の日本整形外科学会誌と05年のアジア太平洋整形外科学 会(APOA)の雑誌に載った論文で、特殊なマウスの関節を写した同じ電子顕微鏡写真10枚が使われていた。日本語の論文は90年以前に研究されている が、APOA誌には「00~03年に行った研究」と書いていた。この教授は「『あらためて検討した』と書くつもりが、『研究を行った』との誤訳になってし まった」と説明している。

 日本の雑誌に掲載された同僚の論文に、自分の名前を中心的な役割を意味する筆頭筆者として加えて、海外誌に投稿していた例も複数あった。その理由 について、同僚の論文でも研究には参加していたため、と説明している。一方で、共同筆者の1人は「教授の論文投稿自体、記憶にない」と話した。共同筆者か ら筆頭筆者に変わっていた論文もあった。

 教授に就いたのは04年4月。東京医大の教授になるには「英文論文が10本以上、5本は筆頭筆者」という条件が02年に加わった。二重投稿など問題のある論文9本のうち、3本は教授選考の評価対象だった。

 教員の処分を決める大学の裁定委員会は昨年6月、論文2本を二重投稿と認定。ただし、1本について、教授が事前に雑誌に取り消しを申し出ていたことを考慮して、教授への処分は厳重注意にとどめ、非公表としていた。

 教授は「英語論文はほかにも出しており、教授選のために水増ししたつもりはない。論文投稿について認識が甘かった。今後このようなことがないよう徹底したい」と話している。(杉本崇、林敦彦)

Wednesday, January 05, 2011

新年

あけましておめでとうございます。

いきなり疲れてしまってますが…。
今年も頑張りますので、応援よろしくお願いします。

研究もさることながら、教育。来年何をやろうかなといろいろ思案中。

「欧米思想史」という講義を持つことになったので、
フランス哲学史(デカルトからデリダまで)もいいし、
現代ドイツ哲学入門(フッサールからスローターダイクまで)とかでもいいし、
英米哲学史(ロックからローティまで)もいいなとか。

ただ、他の講義との兼ね合いもある
(全部の授業を完全にリニューアルすることはできない)ので、思案中。8コマ…つらい。

通年:ゼミ3つ、講義1つ
2年ゼミⅡ(ライプニッツ『人間知性新論』を読む)
3年ゼミ(結婚の脱構築)、
卒論ゼミ(哲学・思想研究)、
教職哲学(西洋哲学史+若干の東洋思想史)

前期:講義4つ
哲学入門A(古代哲学篇:タレスからプロティノスまで)、
倫理の世界(結婚の西洋哲学史)、
哲学の世界(芸術学部向け:芸術の哲学★リニューアル)、
欧米思想史A(検討中)★リニューアル

後期:講義4つ
哲学入門B(中世哲学篇:アウグスティヌスからクザーヌスまで)★リニューアル、
異文化との接触(海外留学事情)、
哲学の世界(国際文化学部向け:検討中)、
教養講座(結婚の近現代日本思想史)