Sunday, February 28, 2010

追突事故

もちろん家族サーヴィスも忘れてません。その合間にも絶えず飛び込んでくる大小様々の仕事を片付けつつ、少しずつリプライ準備。

明日・明後日はなんと、教○課の完全なる落ち度にもかかわらず、なぜか私が一人の学生相手に授業をやるはめに…。自分に何の手落ちもなくても、こういう事態で時間と体力を浪費する。追突事故に巻き込まれたみたいな感じ。それが専任の義務だと言われればそれまでだけれど。

Saturday, February 27, 2010

はじまりはいつも雨

25日(木)、雨のち曇り。書評会の準備。嬉しく悲しい一日を一睡もせずに過ごす。

26日(金)、曇り。名古屋に向かう飛行機で仮眠。名古屋に着き、飛行機から降りるとみぞれ。名鉄の特急→市営地下鉄「八事日赤」(やごとにっせき)駅で下車すると、雨。

書評会@南山宗教文化研究所。粟津先生の切れ味鋭いコメント、丸岡先生の的確なコメント、伊達さんの充実したリプライ。私のコメントは、専門でないゴーシェの宗教論ということを考えると、あんなもん。

懇親会(浜木綿)・二次会(「元山」に出て、D. Hammett)のときは、どしゃ降り。名古屋大学の脇にある南山宗教文化研究所のロッジ(通称「ハイム」というらしい)に泊めていただき、爆睡。

これらのイベント全体を通して、研究所の皆様、宗教学研究者の皆様に大変温かく接していただきました。感謝しております。

27日(土)、目が覚めると、すっかり晴れ。目覚ましがならなかったので、飛行機はぎりぎり。帰りの電車から始めた校正を飛行機の中で続ける。福岡は曇り時々雨。家に帰ると寝てしまう危険性があるので、喫茶店で校正をほぼ完成させ、家に帰って完成。クロネコを探すも、家の近くにクロネコのあるコンビニがない!結局、遠くの郵便局で速達を出す。

書評会の「リプライ」(というほど大したものではないが)も文章化しないといけないらしいので、忘れないうちにさっそく取り掛かり、今に至る。

Wednesday, February 24, 2010

二本目

学生との勉強会が突如休みになったかと思うと、不測の事態で急遽別のイベントのピンチヒッターに立ったり。本当に何が起こるか分からない。

さて、今年二本目の校正がようやく終わり。どうしようもない外部的な理由で、とんでもなく時間のない中で出さざるを得なくなった論文なので、最後のほうに不満が残るが、まあ言いたいことは言えたと思う。

金曜日の書評会に向けて、力不足は承知の上で、準備を続ける。書評会が終わったら、土曜日、帰りの飛行機で、今年一本目の論文の校正にとりかかるつもり。

走り続けるだけ。駆け抜けるだけ。

Saturday, February 20, 2010

ハイデガーの講義(2)

ハイデガーの『古代哲学の根本諸概念』の訳者で学習院大学教授・佐近司祥子さんは、後書きにこう書いておられる。

《ところで、この入門講義の受講生は何人で、単位取得に成功したものは何人だったのだろう。[…]ハイデガーがギリシア語に堪能だったことは当然だとしても、問題は受講生である。受講生の側にもかなりのギリシア語の素養が必要だったはずである。1926年ごろの、ドイツの大学生はラテン語ばかりでなく古代ギリシア語も習得していたのだろうか。[…]

この講義原稿は、その編者が編者後記で書くところによると、「初期学級の学生と全学部の聴講者を相手に行なわれた概説講義のものである」という。言ってみれば、今日、日本の大学でほとんど見られなくなった、あの一般教養科目の一種として行なわれた哲学入門の講義だったのだろう。

それもあって、これも編者後記によれば、この種の講義に関しては、当時のベルリンの文部省がかなり内容を指定していたものらしい。だからこそ、哲学者やその時代についての情報提供を無視したがっていたハイデガーも、結局最小限の情報提供を[…]行なわざるを得なかったのだ。

ところで現在、私たちの文部省は、哲学入門の内容に口を挟んできたりはしない。大学側が、自発的に、学生に評判が悪くて受講者が少ないとか、だから経済効率が落ちるなどの理由で、哲学の講義のみならず、哲学科という看板まで下ろしていくのである。

たとえ運よく哲学の講義が残ったとしても、他の学問のお役に立てる哲学入門を目指すことが、大学と講師の間の暗黙の了解事項となっている。これは、ハイデガーの講義から一世紀近く経った今、文部省が狡猾になり、大学人は、ハイデガーのような自由を目指す気骨をもてなくなった結果のように思える。》(『古代哲学の根本諸概念』、410頁)

佐近司氏同様、「ハイデガーが、こういった一般教養科目的な入門講義においてさえ、彼独自の哲学を展開してやまなかったという、その力量を感じてほしい」と私も思う。さて、私自身はどんな哲学入門をすることになるのだろうか。

Friday, February 19, 2010

無くて済ましうるもの(ハイデガーの講義について)

四月から始まる新学期に向けて、ハイデガーの講義録を読み漁っている。前期は古代哲学全般を扱うので、例えば『全集』第22巻の『古代哲学の根本諸概念』などが参考になる。

ハイデガーを読んだこともなく毛嫌いしている人のために申し上げるが――私はけっこう読み、評価も最大限にしたうえで、それでも好きでないのであるが――、ハイデガーの講義録は面白い。純粋に面白さということでいえば、ベルクソンやフッサールの講義録より面白い。なぜか。

個々の哲学者に関するハイデガーの知識が参考になるのではない。それは、私程度の者でも、大方すでに手に入れていたものである。そうではなく、それらのマテリアル(ひいては西洋哲学の全歴史)を自分独自の見取り図に従って曲がりなりにも読み切ってしまうという力業に感心してしまう。

講義という場を使って、自分の読みを実際に検証しようとしているところも凄い。こう言うと、「学生を自分の研究のために犠牲にしている」と思われるかもしれないが、まあ講義録を読んでみてほしい。そういう印象はまったく受けない。

ハイデガーをよく知っていたアーレントは、自分が罠にかかることを見世物にし、遂には自ら〈罠=神殿〉のご本尊になってしまった狐にハイデガーを譬えたことがある。哲学史の読み替え作業という「脱構築」の、パフォーマンスとしての側面をアイロニカルに指摘したわけだが、裏を返せば、見世物としては人を惹きつけてやまない何かを持っているということでもある。

もちろん、1926年当時の大学が(一般教養用の入門講義ということを差し引いても)このレベルの講義を許したということは当然ある。当時の大学は(いずれにしても我々の時代とは比べ物にならないほど)少数者に向けて開かれた「エリート大学」である。しかし、すべての教授がハイデガー・レベルの授業を行なっていたわけではないし、行ないえたわけでもない。

戦前の東大を例にとろう。竹内洋『大学という病――東大紛擾(ふんじょう)と教授群像』(初版2001年)、中公文庫、2007年、第2章「黄色いノートと退屈な授業」のとりわけ「一ノート二十年」「半分も休講」などの節を参照。

彼の読みの独創性以外に、魅力の一部は、学生を挑発的に巻き込んでいく仕方にもあるだろう。〈無くて済ましうるもの〉が〈本質的なものとして留まるもの〉であることを「示す」その仕方に。

***

《必要なのは、まず「学ぶこと」を学び、諸々の尺度について知ることから、再びやり始めることである。単に新しい、いっそう簡便な「教科書」を採り入れることによっては、精神的堕落は食い止められない。[…]

ときおりは「本も読む」、こう言って弁解するなどとは俗物的なことである。「教養」を往々にして「統計」や「雑誌」、「ラジオ・ルポルタージュ」や「映画館」だけから仕入れてくる当今の人間、そうした雑駁きわまる純然たるアメリカ風の人間が、はたして〈読む〉(lesen)ということが何を言うか、なお知っているのか、知りうるのか[…]。

〈自分の必要とするもの〉を拠り所とするというのであれば、それは諸君の今の場合であれば、職業教育をできるだけ楽に済ましてしまうのに必要なものを追っかけるということである。それに反して、今我々が、前線にある何人もの若き同胞の場合と同様、最悪の状態に直面した時、〈無くて済ましうるもの〉に注意を払いうるならば、そのとき、一に本質的なものとして留まるものは、ほとんどおのずからのごとく眼差しのうちに入っている。

さて、ここで我々がどのような決定を下すかを示す印は、一方の者は「哲学講義」をとるが、他方の者はそうしない、というような点に存するのではない。[…]これは誰も何らかの印とか証明書で直接に確かめることはできない。ここでは誰にせよ、自分自身と、見せかけの自分と、自分がそれに向けて心構えをしているその当のものとに、委ねられている。》(ハイデガー、『根本諸概念』、1941年夏学期講義)

Thursday, February 18, 2010

3/19西山雄二『哲学への権利』@九州日仏学館

福岡近在のみなさまにお知らせです。

来たる3月19日に九州日仏学館にて、詩人・思想家ミシェル・ドゥギー氏と訳者・丸川誠司氏による講演会が行われます。また、ドゥギー氏がCIPhに深く関与していたこともあり、ドゥギー氏の思想、それを取り巻くフランス現代思想の状況をより深く理解していただくべく、講演会に先立ち、西山雄二さんのドキュメンタリーフィルム『哲学への権利』が上映されます。

哲学と制度をめぐるきわめて興味深い考察でもある――すでにこのブログの昨年12月26日付のポストで映画評を書きました――本映画の上映会から始まり、詩作と思索の間を自由に行き来するドゥギー氏の講演会まで、ぜひ足をお運びいただけますよう、お願い申し上げます。

九州日仏学館上の情報(以下に貼り付けました)
西山さんのHP「哲学への権利」上の情報
UTCP上の情報


ミシェル・ドゥギーによる朗読会&講演会+『哲学の権利』上映会
Lecture publique et conférence par Michel Deguy

日時:3月19日(金)17時
会場:九州日仏学館5F多目的ホール
フランス語による講演会(日本語通訳つき)
入場無料(要予約)
ご予約・お問い合わせ:092-712-0904(九州日仏学館)

1960年から2007年までの代表作のアンソロジー、『愛着』(丸川誠司訳、書肆山田)の翻訳出版を機に、ミシェル・ドゥギー本人が九州日仏学館に来館。自身の詩作の朗読を通し、詩や哲学的思考の間でのためらい、人生、ことばの持つ力への深い愛着などについて語ります。現代フランス詩界で最も重要な人物の一人であるミシェル・ドゥギーは、40冊を超える著作を発表し、マラルメ賞、仏国家詩人賞ほか多くの賞を受賞しています。

また講演会に先立ち、17時から映画「哲学への権利」の上映会、18時30分からはミシェル・ドゥギーと映画監督の西山雄二氏のティーチインも行いますので、どうぞご参加下さい。

17時より映画「哲学への権利―国際哲学コレージュの軌跡」(フランス語・日本語字幕、93分)
18時30分~19時ミシェル・ドゥギー氏と映画監督・西山雄二氏のティーチイン(司会:藤田尚志氏)
19時よりアンソロジー『愛着』(書肆山田)邦訳出版記念ミシェル・ドゥギー氏と翻訳者・丸川誠司氏による講演会

ミシェル・ドゥギー 略歴1930年パリ生まれ。現代フランスを代表する詩人・哲学者で、パリ第八大学名誉教授。その一方でパリの国際哲学コレージュ、作家会館の代表などを歴任。詩と思想の雑誌、『Poésie』を1977年に創刊、以降編集長を務める。著書は1959年の「銃眼」から2007年の「作業再開」に至るまで約40冊を数える。邦訳された作品は、単著『愛着』(丸川誠司訳、書肆山田刊)、『尽きせぬ果てのものへ』(梅木達郎訳、松籟社刊)共著『崇高なるもの』、『ルネ・ジラールと悪の問題』(いずれも法政大学出版局刊)。

丸川誠司 略歴早稲田大学准教授。仏現代詩研究。今回出版されたミシェル・ドゥギー著『愛着』(2008年)の翻訳者である。主な著書にLa saisie de la matière dans la poésie d’André du Bouchet, Jacques Dupin et Philippe Jaccottet (Presses universitaires du Septentrion, 1999) 、主な論文に“Penser et traduire, figurer et transfigurer”, Michel Deguy : l’allégresse pensive (2007)などがある。

映画「哲学への権利」1983年にジャック・デリダがパリに創設した研究教育機関「国際哲学コレージュ(Le Collège international de Philosophie)」をめぐる初のドキュメンタリー映画。この研究教育機関の独創性を例として、本作品では、収益性や効率性が追求される現在のグローバル資本主義下において、哲学や文学、芸術などの人文学的なものの可能性をいかなる現場として構想し実践すればよいのかが問われる。監督・西山雄二が歴代議長ミシェル・ドゥギーを含む関係者7名へのインタヴューを通じて、大学、人文学、哲学の現在形と未来形を描き出す。

公式HP:「哲学への権利」

西山雄二監督招聘に関する協力:東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」(UTCP)

Wednesday, February 17, 2010

アキレスと亀

うちの大学で哲学に目覚めてしまった奇特な学生と月に一二回、哲学の勉強会を続けている。これまでは学生に一人の思想家の概説をさせるということで、ヘーゲル、スピノザ、デカルト、ゼノン(エレアの)と続けてきたのだが、彼が元理学部で、数理的なものに興味があるということで、今度は少し深めようということになった。そこで山川偉也(ひでや 1938-)『ゼノン 四つの逆理』(講談社、1996年)を読むことにした。

私は自分の学生には語学を徹底してやってもらいたいと思っている。いずれ近いうちに
Alexandre Koyré, "Remarques sur les paradoxes de Zénon", in Etudes d'histoire de la pensée philosophique (1961), éd. Gallimard, 1971, pp. 9-35.
も読んでもらおう(彼はまだ一年生なのだ!)。私の亀の歩みに、アキレスが追いつき、追い抜くことを願いつつ…。

Friday, February 12, 2010

決め球

木曜・金曜は書類。

ここ最近(再び)読んだ本
潮木守一『フンボルト理念の終焉?』、東信堂。
潮木守一『世界の大学危機』、中公新書。
小泉義之『ドゥルーズの哲学』、講談社現代新書。
渡辺公三『戦うレヴィ=ストロース』、平凡社新書。
ゲーテ『親和力』、岩波文庫。

球種を増やすのも大事だが、それよりさらに大事なのは決め球を磨くこと。ずっと出来ずにいることかもしれない。

***どこかのスポーツ記事より。

久保とは98球の投球練習で球種と球筋を確認して“メス”を入れた。「球種が多いからといって、打者が困るとは一概には言えない。ウイニングショットを持っている方が、そうじゃない球を何球も持っているよりもいい」。決め球の重要性を説く。

Thursday, February 11, 2010

ホネット『自由であることの苦しみ』

大河内泰樹(おおこうち・たいじゅ)さんから、アクセル・ホネット『自由であることの苦しみ――ヘーゲル『法哲学』の再生』、未来社、ポイエーシス叢書 59、2009年11月をご恵贈いただいた。

私は私なりに前々から『法哲学』を結婚論の文脈で読んでいたので、さっそく少し読んでみた。

論理学と国家的視点を外して、客観的精神と人倫の概念を読み込めば、ヘーゲル『法哲学』は、相互承認論(コミュニケーション的自由)の規範的理論として、さらには社会的実践に寄り添い、時代の診断を下す病理学として、まだまだ利用価値があり、現在支配的なカント的理性法のパラダイムに十分対抗しうるものだ、ということらしい。お求めはこちらから

絶妙な距離感を保った解説を書いておられる大河内さんは私と同い年。励みになります。

2月8日(月) 自大学生との勉強会(エレアのゼノンについて)。
2月9日(火) 無事とあるイベントを終える(潮木氏の大学論二冊)。
2月10日(水) 学生相談(とうとうサークルの顧問にさせられてしまった…)・会議・打ち合わせでおしまい。

Sunday, February 07, 2010

にぎわう孤独の交錯

2月5日(金) レヴィ=ストロース@九州日仏。90人近くの方々に来ていただき、会場は超満員。お越しいただいた皆様、誠にありがとうございました。3月19日、3月27日に行なう予定の私たちのイベントのほうにも足をお運びいただければ幸いです。よろしくお願い致します。

2月6日(土) 福岡在住の若手研究者の方々との交流。お友達倶楽部や学派づくり、サロンには興味がない。空港や大学のように、「にぎわう孤独」(ドゥルーズ)に満ちた個人が行き交う関係をつくっていければいいと思う。

Thursday, February 04, 2010

夢の続き

若手研究者たちに競争させるというなら、早いうちである。三十代も半ばを過ぎた大量のオーバードクターに対して、不安定と背中合わせの「特別研究員」を少数用意することが決定的な解決策になるはずはない。若手研究者が安心して博士課程に残れるように、ただし「安心して残って当然」という実力を見極める制度を構築していくのは、今の中堅以上の学者の責任だと思う。「私たちも不安と闘ってやってきた」などというのは詭弁にすぎない。他方で、院生たちに当事者意識が薄いのも問題だ。文句ばかり言っていても何も始まらない。デモをせよとは言うまい。研究者なのだから、出来る範囲で、つまり理論的な取り組みにおいて、何かを始めたらどうか(大学問題に関する読書会だって、ささやかな理論的営為だ)。大学院の〈再〉改革のためには、まず制度への意識を研ぎ澄ますことから始めねばならない。私たち若手教員も、忙しいということを口実にしてはならないだろう。


高校指導者が1番人気=プロ野球引退後の仕事調査
1月22日5時5分配信 時事通信

 日本野球機構(NPB)が現役プロ野球選手に実施した引退後に関するアンケート結果がこのほど公表され、引退後に「最もやってみたい仕事」は高校野球指導者が24%で1位だった。「やってみたい」と「興味あり」を合わせると73%が関心を示した。
 対象は昨秋の教育リーグに参加した18~36歳の271人(平均年齢23.4歳)。引退後に不安がある選手は74%で、不安要素では「進路」が45%、「収入」が39%を占めた。
 NPBの調査によると、日本人の「引退選手」のうち、戦力外を告げられても他球団と契約できたのは07、08年は各10人。このほか、育成選手、コーチ契約、職員などでNPB内に残る割合は半分に上った。
 NPBキャリアサポート担当の手塚康二氏は「50%が残れるのは(NPBも)懐が深い」と感心しつつも、一般会社などに「なかなか選手を供給できない」 と語る。引退後の相談に来るのは2軍クラスの選手が大半だが、同氏は「一番の問題は給料。高校からプロに入るなど、社会の(給料の)相場を知らない」と話 す。
 「へこたれない力」を持つ人材が多いプロ野球経験者を「欲しい」と言う企業は多いが、引退後、一般会社への就職や自営業などの世界で再出発する元選手は、07、08年の調査では全体の約4分の1にとどまっている。


門奈が示したプロ野球選手の“引退後”

スポニチ九州[ 2007年06月27日 17:49]

 門奈哲寛(37)は現状に満足している。ソフトバンクの通訳兼打撃投手。それが彼の仕事だ。ヤンキー ス・松井秀喜(33)が1位だった93年の巨人ドラフト2位。戦力外通告後、00年の米大リーグ挑戦は不合格だったが、夢は弟分がかなえてくれた。打撃投手の時に左手にはめるのは巨人時代にかわいがったレッドソックス・岡島秀樹(31)のグラブだ。アメリカで成功する夢は後輩に託し、オランダなど6年間の 海外リーグ生活で語学力も身に付いた。珍しい“一人二役”は今や、欠かせない人材だ。

 やっぱり、野球が好きだった。門奈はそのことをかみしめながら、1球1球、ていねいに打者の打ちやすい球を投げ込んでいる。見た目以上に地味な仕事だ。だが、誇りを持ってやる。右手には海外で成功した後輩・岡島からもらった真新しいグラブが光っている。

 「みんな大変だって言うんだけど、こっちとしては一緒に行けばうまいものも食わせてもらえる。楽しんでいるよ」。

 遠征先で夕食のほとんどは“案内役”として外国人選手と一緒。メニューは決まって焼き肉。さらに彼らの気晴らしであるカラオケやダーツに深夜まで付き合うこともざらだ。だが、その環境を門奈は楽しんでいる。

  失意というより、あきらめに近い。99年オフに巨人から戦力外通告を受けた。93年ドラフト2位で日大から入団し、スクリューボールを操り1年目にはヤク ルト・伊藤智仁(現投手コーチ)と9回途中まで白熱した投手戦を演じるなど、登板33試合と活躍したが、その後は長い2軍暮らし。野球を続けることもため らったが、周囲の後押しもあり00年春、米大リーグ・パイレーツのテストを受けた。「英語が話せるようになれば仕事も困らない」。そう切り替えて前向きに なったが、結果は「不合格」だった。

 そして人生が一変する転機が訪れる。知人の紹介でオランダのプロ・リーグ入りの話が、持ち込まれ た。「英語が話せるようになるなら…」(門奈)と気軽に飛び込んだが、待っていたのはプロとは名ばかりの草野球レベルの世界だった。2年目には2ケタ勝 利、本塁打王まで獲得してしまった。その後、クロアチア・リーグも含めた6年間の海外生活で得たものは語学力だけではない。

 「家賃と食事が別で収入は15万円くらいだったけど、野球をやる楽しさはあった」。帰国後、一度は一般企業に内定ももらったが、再びわき上がる野球への情熱は抑えき れるものではない。知人からソフトバンクで打撃投手を探していると連絡が来たのは、ちょうどそんな時だった。「会社員をやるしかないかな、と思っていたけ ど、ここは1年契約でもやりたい仕事だね」。門奈は心の底からそう思っている。

 勇気をもらっている男がいる。レ軍の不動のセットアッ パーとなった岡島だ。巨人時代は94年入団だった岡島の“教育係”だった。先輩にいじめられる岡島をなぐさめたこともあった。今でもメールのやり取りをする間柄。裏方には道具の支給がないと言うと、ぽんとグラブをくれた。「正直、メジャーに行くとは思わなかった。活躍するとうれしいし、励みになるね。若い 時に飯をおごっておいて良かったよ(笑い)」。自らは果たせなかったメジャー・リーガーの夢。それを体現する後輩に自分を重ねる。

 日本 プロ野球OBクラブの調べによると、引退や自由契約になった選手が、最も身につけたい技能の1位は「語学力」で28・5%だった。太平洋を渡るだけのはずが、思いもよらず大西洋までも越えた。だが、得たものは大きい。栄光の影につきまとう“引退後”の問題。門奈の姿は一つの試金石と言えるだろう。

  ◆門奈 哲寛(もんな・てつひろ) 1970年(昭45)5月30日、浜松市生まれの37歳。天竜中―常葉菊川高―日大。93年ドラフト2位で巨人に指名 される。1年目の94年33試合に登板するが、2年目以降はふるわず99年に戦力外通告。00年春に米大リーグ・パイレーツの入団テストは不合格に終わ り、00年からはAODトルネーズ(オランダ)、ナダ・スプリット(クロアチア)に在籍した。06年からソフトバンク打撃投手、07年から通訳兼任。1 メートル78、80キロ。左投げ左打ち。プロ通算は44試合1勝3敗、防御率3・38。

 ≪母校はセンバツV≫門奈の母校・常葉菊川(静 岡)は今春のセンバツで見事、優勝を果たした。通訳兼打撃投手といっても、2倍の給料をもらえるわけではないが、ポケットマネーから20ダース(240 球)のボールを贈った。「OBは僕だけだからね。なにかしないといけないでしょう」。野球部は特待生問題など、頓挫はあったものの、先輩から贈られた白球を追い掛け、春夏連覇を目指している。

 ▼レッドソックス岡島秀樹投手 門奈さんには今年に入ってかな、道具の支給がないということで、 何かくれないかと言われたので、グラブを渡しました。使ってくれているんですか、うれしいですね。時々メールが来ているんで、やりとりはしています。同じ 左腕で、巨人時代は特に寮で一緒だったということもあり、特に気を遣っていただきました。僕が悩んだ時にもいろいろ相談に乗ってくれましたし、自分が今、 大リーグでやれている今でも感謝しています。打撃投手という仕事は大変ですし、私も裏方さんへの感謝の気持ちは忘れたくない。門奈さんの分まで頑張りま す。

Tuesday, February 02, 2010

一本目

今日ようやく一本目の論文が終了。一月末に終わる予定だったので、二日間のロス。かなり痛い。

年末年始に観たオペラDVD:「ホフマン物語」「バラの騎士」「トリスタンとイゾルデ」

最近読んでいる(読んだ)本

ノーマン・マルコム『ウィトゲンシュタイン』

大学論関係
金子元久『大学の教育力』、ちくま新書
内田樹『先生はえらい』読了

哲学史関係→授業準備の開始
内田樹『寝ながら学べる構造主義』←うちの学生には教科書としていいかもと思ったり。
内山勝利「総論――始まりとしてのギリシア」、中央公論新社版『哲学の歴史』第1巻
三浦要「エレア学派と多元論者たち」、同上。
ヘーゲル『キリスト教の精神とその運命』、白水社。
レヴィ=ストロース日本講演集、みすず書房。

記憶心理学関係→論文のため
ダウエ・ドラーイスマ『なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか』、講談社。
※これは面白い。記憶心理学に興味を持つ人にお勧めしたい。
菅原道哉「ジャン・ドレー〈記憶の階層構造論〉再考」、『imago』1991年7月号「特集:記憶――神経科学の最前線」※うーむ。まあ、ドレーを読むのが面倒くさいという人にはいいかも。読了

結婚論関係
堀越宏一『中世ヨーロッパ生活誌』、NHK出版。
上野千鶴子+信田さよ子『結婚帝国――女の岐れ道』、講談社。読了

その他、論文のためにジャネやらベルクソンやらドゥルーズやら再読。さあ次は二本目。