Friday, November 27, 2009

大学の無関心、無関心の大学

大学に就職し、辞令をもらってから、半年以上経った。包み隠さず言えば、その間、大学について考えることが極端に減った。就職が決まるまでは、あんなにも大学をめぐる問題に対する哲学者たちの反応の鈍さに憤慨し、自分はそうなるまいと思っていたのに、である。

大学のグランド・デザインに直結する今回の事業仕分けですら、恥ずかしながら、新聞で読んだ程度で、詳しく調べることはしなかった。もちろん言い訳はいくらでもできる。体調がすぐれない中で、私は私なりに教育と研究に全身全霊を傾けているつもりである。だが、そういうことが問題ではないのだ。



無邪気な無関心(研究・教育が忙しいので…)、怠惰な無関心(自分はもう「一丁上がり」だし関係ないから)、ニヒリズム(どうせそんなこと知ったって…)は、政治的去勢の裏返しである。また逆に、ポスドクという不安定な状況にいることを強いられているにもかかわらず、大学問題を理論的に考察しようとせずに、ただルサンチマンを養殖しているだけの人々(「なんであの程度のやつが就職できて、自分が…」)も問題である。大学就職後の無関心と、就職前の無関心、大学の人文科学研究は二つの無関心の挟み撃ちに遭っている。

理系の著名な科学者たちが声を大にして発言していることはメディアでも伝わってきた。おそらくメディアが伝えていないだけで、文系の著名な科学者たちも積極的に発言しているに違いないが、私は寡聞にしてあまり知らない。



仲間が、とりわけ優秀な仲間がいて、共に考えるよう誘ってくれるというのはとても幸せなことだ。現在、UTCPを中心に幅広い活躍を続けている西山雄二さんは、大学と人文科学の問題をここ数年、哲学的な仕方で追究されてきた方だ。

彼が最近書いた二つの小文と一部抜粋をご紹介しておきます。
【現場報告】大学の未来像 ― 行政刷新会議「事業仕分け」
私的関心に引きつけると、会場では人文社会科学に限定した議論もなされた。人文社会科学系の研究者は研究教育の必要性を語る言葉をもつように促されている が、さらに高等教育の政策論まで見据えた展望や論理を磨き上げることも大事だ。私たち人文社会科学系の研究者は学問と社会をつなぐ言葉や理念をどの程度 もっているだろうか。大学に対して経済合理主義的な評価がなされる現実を前にして、私たちの現在と未来を包み込むような説得的で実効的な理念をどの程度 もっているだろうか。

国家と人文学――「新しい教養」の行方
最後のセッションだけあって、質疑応答は白熱し、「評価をどう考えるべきか」「国家との関係において大学とは左翼的なものであるのか」「フィクションの権利の危険性をどう考えるのか」といった質問が相次いだ。なかでも、「日本でも韓国でも一部の大学のみが国家から資金援助されて、残りの大多数の大学や学生 は貧しい状態で喘いでいる。この格差を私たちはどう考えるのか」という問いが印象的だった。大学論に必要なことは、大学が多種多様な現実で構成されていることを自覚し、モノローグ的な「私の大学論」の誘惑に陥らないことである。大学に関係する者はまず自分の限定的な立場を自覚することで、大学を批判的な公共空間として創造することができるだろう。


「自分の大学」のことを考えようとしている人はたくさんいる。自大・自学部・自学科・自専攻の維持・発展(弱小私立大学の場合には、その前に「生き残り」)を願って、大変な役職を引き受け、煩雑な委員会活動を誠実かつ真摯にこなし、大学の運営に携わっておられる方々はたくさんいらっしゃる。それはそれでとても大切なことだが、それはごく限定的な自己防衛本能にすぎないとも言える。

「大学というものそのもののありようはどうなのか」という問いになると、とたんに腰が引けてしまう。あの無邪気な常套句「大学なんか潰れても哲学(文学研究)はやっていける」は、実は思想的な弱腰の裏返しにすぎない。「大学なんか潰れても自然科学はやっていける」などと言っているまともな自然科学者がどこにいるだろう。はっきり言ってそれは「核戦争で文明が破壊され尽くしても、人間は生き残る」というのと同程度の真理性しかもたない。

哲学が真理の探究であると同時に、真理を探究する者をどう育成するかという教育の問いでもあり、制度をめぐる政治的な問いでもあるというのは自明のことだ。哲学・教育・政治の三位一体である。この三つ組がアクチュアリティへの対応・適応を越えて、反時代的なものに自らを高めねばならない(何度でも言うが、反時代的とは反動的・保守的ということではない)。

問題はここにある。「無関心」とは端的な無関心だけを指すのではない。表面的には(自分の意識としては)大学に関心をもっている「自己保存欲」、アクチュアリティに追従しているにすぎない右往左往の対応もまた、病根の深い「無関心」なのである。

大学をめぐる問題は、大学の中のこの広義の「無関心」と闘い、大学人に自覚を促しつつ(これがとても大変な作業であることは重々承知したうえで)、大学の外や周囲にいる人々と共に考えていくのでなければならない。

絶えず頭をもたげ、優勢を占めようとする自分の「無関心」と闘い続けること。

Thursday, November 26, 2009

『思想』12月号「ベルクソン生誕150年」


『思想』12月号「ベルクソン生誕150年」が発売されました。

小規模の特集はともかく、本格的な特集としては、1994年以来になると思います。

ベルクソン研究を外へと開いていこうとする興味深い鼎談、力の入った論文の数々、現時点でのベルクソン研究の到達点が概観できるサーヴェイや研究書誌もあります。

ぜひお買い求めください。詳細内容はこちら

Sunday, November 22, 2009

ジャネのために(pour Janet)

シンポは無事に終わった。バタブラ研(と一部で呼ばれているらしい)と同じ日にぶつかってしまうというアクシデントを差し引けば、むしろ予想以上の集客だったと言える。来ていただいた皆様、本当にどうもありがとうございました。

フロイト-ラカン愛好者でない者を見つける方が難しいフランス現代思想業界で、「死んだ犬」扱いされているピエール・ジャネからアンリ・エーへと至る流れ――ごく広い意味での「ネオ・ジャクソニスム」の系譜――に光を当てた、このような反時代的シンポの重要性はもっと強調されていい。

ちなみに、このシンポのために、俊英と評判の高い立木康介氏の「シャルコー/ジャネ」(中央公論新社版『哲学の歴史』第9巻所収、2007年)も読んだが、かなりがっかりした。
《実際、ジャック・ラカンによるフロイトの再解釈は、このエレンベルガーの見方に真っ向から対立している。「無意識は一つの言語として構造化されている」というラカンのテーゼは、エレンベルガーによってもっぱら「パトスの復権」として読まれたフロイト的無意識を、徹底的に理性の側に取り戻すことに成功した。逆に、この点でもベルクソンと通じ合う知的雰囲気をもつジャネが、しばしば宗教的なものへの関心の強さを窺わせているところを見れば、むしろ彼のほうがロマン主義的な感性への親和性をもっていたのではないかと疑わずにはいられない。》
俊英と評判の高い人がこんな凡庸なことを書いてはいけない。三つある。

まず、エレンベルガーの『無意識の発見』のように、あえて挑発的図式化を意識的に引き受けた史的著作に対して、実に無邪気にそれを再転倒してみせる感性を疑ってしまう。フロイトはロマン主義者でなく、啓蒙主義者である?事実誤認だと言っているのではない。フロイトが啓蒙主義者なのだとすれば、彼の啓蒙主義はいかなる特徴をもつのか、大切なのはそれを簡潔にであれ言うことであり、さらに大切なのは、仮にジャネがロマン主義者なのだとすれば、いかなるロマン主義者であるのかを言うことではないのか。教科書的な腑分けを単純にひっくり返してみせること自体に大した意味はない。理論的な争点だけがそのような操作に意味を与えうるのである。むしろ違う形で形成されたフロイトとジャネの「科学主義」の共通点と差異にこそ焦点を当てるべきだったのではないのか。

フロイトの啓蒙主義自体が問題となっているのに、「実際、ジャック・ラカンによるフロイトの再解釈は」とほとんどオートマティスムのようにラカンを引き合いに出してしまう初歩的な論理的ミスもさることながら、フロイト主義隆盛への単純なカウンター(エレンベルガー)に対して単純に流行を(しかも、よりにもよって最も凡庸なラカン像を)対置してみせる批判的=批評的意識のなさは痛々しい。「徹底的に理性の側に取り戻すことに成功した」などと書くようでは、ラカン派はやはりドグマティックと言われても仕方がない。繰り返すが、重要なのはいかなる理性の側に取り戻したのか、である。

次に、ロマン主義/啓蒙主義の図式にのっとったまま、単にフロイトを擁護するだけでなく、返す刀でジャネをばっさりと斬り、しかもその凶刃で、付近にいたベルクソンまで手にかけてしまう無思慮さも法外である。「ベルクソンと通じ合う知的雰囲気をもつジャネが、しばしば宗教的なものへの関心の強さを窺わせている」ことをジャネのロマン主義とフロイトの啓蒙主義の分岐点に据えたいらしい立木氏は、フロイトの数多くの宗教論・オカルトへの言及を完全に忘れているように見える。仮に、ジャネもフロイトもともに「しばしば宗教的なものへの関心の強さを窺わせている」が、両者の関心のもち方、方向性は完全に異なる、といった論旨が展開されるのであれば、まだしも百歩譲ってこの一節を好意的に解釈しようとできるが、後続の文章の中にそういった記述は残念ながら見出されない。

理性と非理性の単純な境界線、単純な価値評価を踏み越えたところにこそ、まずそのごく基本的な理論的意義が認められるべきフロイトを、是が非でも単純な「理性の側」に奪取しようとするその姿勢がまさにフロイト的でない。ドゥルーズの論文集のタイトルをもじって言えば、「批判的かつ臨床的」な視点からフロイト(およびラカン)とジャネ(およびベルクソン)の関係が論じられる中で、ジャネの可能性の中心が簡潔にであれ示唆されることを期待していた読者が目にするのは、ジャネとベルクソンの微妙な関係というごく基本的な事柄すらわきまえない、セカンドハンドの資料から書きあげられた匂いの濃厚な文章である。

最後に、この文章の最大の問題点は、シャルコーやジャネへの愛がほとんど感じられないことである。「本当はフロイトかラカンについて書きたかったのに…」という感じが全編に溢れていて、読む者を辛くさせる。不憫なシャルコーやジャネのためのみならず、立木氏自身のためにも辛くなるのである。まさか誤解もあるまいが、シャルコーやジャネを絶賛する文章でなければ、と言っているのではない。ただ、「そんなに魅力のない対象だと思っているなら、なぜ執筆を引き受けたのか」と読者に思わせるような文章を立木氏ほどの人物が書くべきでないと言っているのである。幾ら才能があっても、いや才能ある人だからこそ、こういうものを書いてはいけない。死者のためにも、読者のためにも、自分自身のためにも。いかに歪んだ愛でもいい、愛ある対象について人は書くべきだ。

「歪んだ愛」ということで言いたいのは、例えば、ドゥルーズが「敵について書いた唯一の著作」と認めるカント論のように、明白な理論的争点を上品な形で(死者が悲しまないような仕方で)提出するのならばそれはよい、ということである。日本の思想業界は論争を好まない。特に、亡くなった先生や友人などの著作やテーゼでも反駁されようものなら、大変な騒ぎである。だが、それでは思想は発展しないだろう。愛は媚を売る「やさしさ」とは違う。

「ジャネのために」書かれたものを読みたい方は、上記シンポの報告書が公刊されるはずですので、そちらをご覧ください。

Monday, November 09, 2009

記憶と実存~フランス哲学と精神医学、そして文学~

11月21日(土)1時より、明治大学駿河台キャンパスにて行なわれるシンポの宣伝です。

明治大学ネオ・ジャクソニスム研究会連続シンポジウム
「記憶と実存~フランス哲学と精神医学、そして文学~」

第一回 ベルクソンとジャネ 


「「差異と反復」の前夜 ─ メーヌ・ド・ビラン:努力とオートマティスム」
 合田 正人 (明治大学)

「ジャネとネオ・ジャクソニスム : 創造と過去保存の心理学をめぐって」
 田母神 顯二郎(明治大学)

「ジャネとベルクソン」
 松浦 宏信(リール第三大学)

「ベルクソンとドゥルーズ : デジャ・ヴュの問題をめぐって」
 藤田 尚志 (九州産業大学)

日時
11月21日(土) 13:00~17:30
会場
明治大学駿河台校舎リバティータワー LT1084教室



私自身の発表は、ベルクソンとドゥルーズにおけるデジャヴについて、先日のセッションでエリーが喋った側面と自分が話したコメントを自分なりの視点でまとめ直し(もちろんエリーの承諾はとってあります)、さらに一歩進めるつもりです。先日のエリーとのセッションに来られなかったという方も是非どうぞ。

なお、第二回は12月5日(土)の予定だそうです。

Sunday, November 08, 2009

受賞

2009年11月7―8日、仏文学会@熊本大学に参加してきた。フランス文学からはますます遠ざかる一方なのだが、中世文学から現代文学・思想に至るまで、たまにこうして勉強させてもらえるのはいいことだと感謝している。哲学だけでなく、他領域に実際に関わっていることは重要だと感じる。

学会でしか会えない友人(afさん頑張ってくださいね)、二次会以後にしか会わない知人(笑)などと会えるのも本当に嬉しいこと。

さて、あまりいいことのない最近だが、朗報が。

2010年度学会奨励賞に選ばれた。仏文学会は巨大組織だ。各支部からの推薦で4名候補者が選ばれ、それぞれ三名の専門家に審査を委嘱した結果、二人の受賞者のうちの一人として私が選ばれたとのこと。素直に嬉しい。

これに驕ることなく、弛まぬ精進を続けていく所存です。これまでお力添えをいただいた方々に厚く御礼申し上げますとともに、これからもご指導ご鞭撻を賜りますようよろしくお願い致します。本当にありがとうございました。

Saturday, November 07, 2009

新生児の泣き声にも“訛り”(クリップ)

ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト11月 6日(金) 16時15分配信 / 海外 - 海外総合

生まれたばかりの男の子の赤ん坊(資料写真)。新生児の泣き声には、訛りに似たイントネーションがあり、自分の母国語と同じような“メロディ”で泣くという研究が2009年11月に発表された。

 新生児は子宮の中で言語を覚え始め、生まれたときには既にその言語特有のアクセント、いわば“訛り”のようなものを身に付けているという研究が発表された。

 胎児は耳で聞くことで言語に慣れていくという見解は特に目新しいものではない。誕生直後の新生児が複数の異なる言語を耳にすると、ほとんどの場合、母親の胎内で聞こえていた言語に最も近い言語を好むような態度を示すことが複数の研究で既にわかっている。

 ただし、言語を認識する能力と発話する能力とはまったく別のものである。

 ドイツ、ビュルツブルク大学発話前発育・発育障害研究センターのカトリーン・ヴェルムケ氏が率いる研究チームは、フランス人とドイツ人各30人、計60人の健康な新生児の泣き声の“メロディ”を調査した。

 ただしヴェルムケ氏によると、このメロディ、つまりイントネーションは、厳密に言えばアクセントとは異なるという。アクセントとは、単語の発音の仕方に関連するものだ。

 一般的に、フランス語を母国語とする人は語尾を上げ、ドイツ語を母国語とする人は逆に語尾を下げるということが知られている。また、メロ ディ(話し言葉のイントネーション)が言語の習得において決定的に重要な役割を果たすということもわかっている。「ここから、新生児の泣き声の中から何ら かの特徴があるメロディを探すというアイデアを思いついた」とヴェルムケ氏は明かす。

 今回の研究に参加した新生児の泣き声のメロディは、胎内で聞いていた言語と同じイントネーションをたどっていた。例えば、フランス人の新生児は泣き声の 最後の音が高くなった。「胎児や乳幼児がメロディを感じ取り再現することから、人間の言語習得の長いプロセスが始まることは明らかだ」とヴェルムケ氏は語 る。

 また今回の発見で、言語の発達プロセス以上のことが明らかになる可能性もある。「乳幼児の泣き声などの発声をさらに分析すれば、人間の祖先がどのようにして言語を生み出したのかという謎の解明にも役立つかもしれない」。

 この研究結果は2009年11月5日発行の「Current Biology」誌に掲載されている。

Matt Kaplan for National Geographic News

Wednesday, November 04, 2009

訃報

10月29日に五代目三遊亭円楽、11月1日にレヴィ=ストロース逝去の報があったばかりですが、11月3日、『ベルクソンの霊魂論』(創文社、1999年)の著者・清水誠さんがお亡くなりになったとのことです。謹んでご冥福をお祈り致します。