Tuesday, June 30, 2009

いろいろな成功

私が今行なっている教育にはどんな意味があるのか。そのことを考え続けていきたい。


アーセナルのベンゲル監督「成功にはレアル・マドリーとは違う切り口もある」

スポーツナビ - 2009/6/30 11:07

 アーセナルのアーセン・ベンゲル監督は仏紙とのインタビューで、レアル・マドリーからの監督就任要請を断り、アーセナルの描く将来のプロジェクトに賭けた理由を明かした。

「レアル・マドリーは(スター選手の獲得により)スペクタクルなサッカーを目指している。だが、チームの成功には別の角度からの切り口もある。若手選手を 登用しながら、クラブ独自の確固たるスタイルを築き上げるというやり方だ。わたしは『若いチームとともにプロジェクトを遂行する』というアーセナルの哲学 を選んだ。わたしの喜びは、“自分の好むサッカーを体現すること”であり、このチームで最終目標を達成したいと思っている」

 ベンゲル監督は一方で、レアル・マドリーが移籍市場の相場を超える金額でクリスティアーノ・ロナウド、カカを獲得したことについては理解を示した。
「彼らへの支出が異常な金額に見えるのは分かるが、投資する者としては、将来的な収益源として試算してのことだろう。時には道徳面からの意見を無視し、収益性の観点から物事を見る必要もある」

 とはいえ、ベンゲル監督は「相次ぐ選手獲得は戦術面でのリスクにもなりかねない」との見解も示した。
「レアル・マドリーの場合、さまざまな要素がうまく機能すれば対戦相手に大きなダメージを与えることができるだろう。だが、3人以上の選手を一度に獲得することは戦術面でのリスクを負うことにもなる。とりわけ、不確定要素が多い(ゴール前の)ゾーンで悪影響が出がちだ」

(C)MARCA.COM

Thursday, June 25, 2009

アウグスティヌス読書リスト

結婚論は、ヘーゲル、キルケゴール、フーリエと来て、いよいよマルクスである。

が、某出版社のゴリ押しにおされ、準備時間を大幅に削られてしまう(怒・怒・怒)。

哲学史は、新プラトン主義を終え、いよいよ中世哲学へ。今回はアウグスティヌス。アウグスティヌスには結婚論も教育論もあるのだが、今回はオーソドックスな全体像を描きたい。と当初思っていたのだが、山田晶と服部英次郎に惹かれて、「アウグスティヌスと〈女性〉」の話から、愛(カリタス)の理論が中心になってしまった。ドゥンス・スコトゥスを捨てて、アウグスティヌスをもう一回やることにした。

毎回最初に少し復習をやるので、次回は、まずアレントの『アウグスティヌスの愛の概念』を使って復習してから、もう一つの代表作『神の国』の思想を取り上げることにしよう。

1.まず「キリスト教哲学」なる概念について。

Etienne Gilson (1884-1978), Introduction à la philosophie chrétienne (1960), 2e éd. précédé de la présentation de T.-D. Humbrecht o.p., Vrin, 2007.

ジルソンの旧著『中世哲学の精神』(服部英次郎訳)上下巻、筑摩叢書、1974‐1975年の要約という印象である。主張は『存在と本質』以来変わらない。賛同するかどうかはともかく、読ませる文章。

クラウス・リーゼンフーバー『中世思想史』(初版2002年)改訂・増補版、平凡社ライブラリー、2003年。
リーゼンフーバーは無味乾燥。ただびたすら知識のために苦痛をおして読む。

中川純男ほか編『中世哲学を学ぶ人のために』、世界思想社、2005年。
第1部第2章「愛の思想」(松崎一平)、同第3章「キリスト教哲学」(脇宏行)をざっと読んだ。

中川純男「総論:信仰と知の調和」、『哲学の歴史』第3巻(中世)、2008年、19‐33頁。
中川氏60歳。
もう少しコンパクトかつソリッドに(深く突っ込んで)まとめられるはず。

山田晶(1922-)「中世における神と人間」、『岩波講座 哲学』第16巻(哲学の歴史I)、1972年。山田氏50歳。哲学史における「中世」には三つの解釈がある、と氏は言う。

1)中世哲学=スコラ哲学(Stöckl, Grabmann, de Wulfらの説)
2)中世哲学=キリスト教哲学(Gilsonの説。中川氏もこれ)
3)中世哲学=「すでにキリスト教以前、イスラエルの宗教思想がギリシア哲学と交渉をもちはじめて以来、新しい原理の元に形成されていった哲学の歴史」(ユダヤ人の思想家ヴォルフソン)

山田氏は何と3を選ぶ。

《この見解は、内容的に「中世哲学」を把握するのに最も適当であると思われる。事実、スコラ哲学を理解するために、単に教父の伝統のみならず、アラビア、ユダヤの哲学者たちの深い影響を看過できないように、教父の哲学そのものが、それに先立つユダヤ人の哲学の伝統を無視しては十分に理解されえない。このように「中世」をイスラエルの宗教思想とギリシア哲学との出会いによって新たに生じた哲学的問題の展開の歴史とみることによって、スコラ哲学と教父哲学とを含むいわゆるキリスト教哲学のみならず、中世にそれに並んで発展するユダヤ教とイスラム教の哲学の伝統も、いわば一つの「中世哲学の相のもとに」理解される道が開かれるであろう。》

リベラは、中世における相互作用は認めるとしても、この「起源」についてどういうだろうか?イスラムの影響にどの程度触れるか、時間の関係上、難しいところである。

2.当時の時代状況およびアウグスティヌスの生涯

ローマ関係の書物はすでに幾つか挙げた。

さらに、青柳正規(あおやぎ・まさのり 1944‐)『ローマ帝国』、岩波ジュニア新書、2004年。
東西ローマ帝国分割統治の地図は使える。

ピーター・ブラウン(1935-)『アウグスティヌス伝』(出村和彦訳)、上下巻、岩波書店、2004年。
アウグスティヌス関連地図としては一番見やすい。

アダルベール・アマン『アウグスティヌス時代の日常生活』(東丸恭子訳)、上下巻、リトン、2001年。
第1部第4章「都市の家庭」は結婚論に有用。


3.アウグスティヌス(ラッセル、シャトレ、熊野、貫、原典はもちろん)

トレルチ(Ernst Troeltsch, 1865-1923)『アウグスティヌス――キリスト教的古代と中世』(西村貞二訳)、新教出版社、1965年(2008年復刊)。

トレルチ、実に久しぶりに買ってみた。岩波文庫を学生時代に買って以来である。が、正直苦痛。

服部英次郎(1905-1986)『アウグスティヌス』、勁草書房、思想学説全書、1980年。

特に第六章「人間と愛」がよかった。
「アウグスティヌスの愛の説について語ることは、彼の教え全体にわたることになるかと思う。それほどまでに、愛はアウグスティヌスの思想全体に中心的な地位を占め、それほどまでに、彼の神と人間についての説はすべて愛につながっている」。

エティエンヌ・ジルソン+フィロティウス・ベーナー『アウグスティヌスとトマス・アクィナス』(独語原書1954年、服部英次郎+藤本雄三訳)、みすず書房、1981年。

「キリスト教哲学」に関する膨大な書物から二人の部分だけ抜き出したもの。先の服部さんの「カリタス」記述はごく大雑把な描写で終わっていた。そこにさらに一歩踏み込んでくれている。さすがジルソン。

宮谷宣史(よしちか 1936‐)『アウグスティヌス』(初版1981年)、講談社学術文庫、2004年。
このシリーズの非常な長所である「索引」がないのがとても残念。時間のない私のような読者には苦痛。

中川純男(1948-)「アウグスティヌスとキリスト教神学」、『新岩波講座 哲学』第14巻(哲学の歴史1)、1985年、267‐291頁。中川氏37歳の時の論文。これら御大の間に挟まれるとつらいですね。

山田晶(1922‐2008)『アウグスティヌス講話』、新地書房、1986年。講談社学術文庫版(1995年)は未見。1987年の大仏次郎賞受賞作である本書は、アウグスティヌスの青年時代を放蕩無頼だったとする通説を『告白』の鋭い読解によ り覆し、「子供までもうけて離別した内縁の女性こそ、アウグスティヌスに最も大きな影響を与えた人物」と説く。第一章「アウグスティヌスと女性」は、私の結婚論に使える。

ハンナ・アーレント『アウグスティヌスの愛の概念』(原書1929年 千葉真訳)、みすず書房、2002年。
とても興味深い。

中川純男・松崎一平「アウグスティヌス」、中公『哲学の歴史』、同上、81‐190頁。

共同作業の弊害がむしろ出ているような気がする。伝記的部分と思想概説部分にかなりの重複感がある。

Wednesday, June 24, 2009

大学淘汰

危機感のない大学教員、とりわけ、「大学などなくなっても、自分は哲学を続けていく」などとのたまう――その発言自体は好ましいし勇ましいが、現実はそれほど甘くはないだろう――有力大学の哲学教員たちには分かるまい。

学生の募集を停止した幾つかの大学のなかには、私の友人もいる。彼はどうするのだろうか。

p.s.ひとまずそんなに落ち込んでいないようで安心しました。とはいえ、事態は予断を許さないでしょうが…。

***

始まった「大学淘汰」 聖トマス大「敗戦の弁」 

(連載「大学崩壊」第11回/募集停止続々)
6月21日15時5分配信 J-CASTニュース

「大学淘汰」の波は着々と押し寄せてきている。実に4割超の私大が定員割れし、2009年度に入ってからは4年制の「小規模」私立大学が続々と10年度からの募集停止を発表した。その中の一つ、聖トマス大学(兵庫県尼崎市)に「敗戦の弁」を聞いた。

■入学者数の減少、歯止めかからず

 日本私立学校振興・共済事業団の2008年度「私立大学・短期大学等入学志願動向」によると、集計された私大565校のうち、47.1%の266校が定員割れ。07年度と比較しても定員割れの私大は42校増加した。

 そんな中、聖トマス大学(兵庫県尼崎市)、三重中京大学(三重県松坂市)、神戸ファッション造形大学(兵庫県明石市)、愛知新城大谷大学(愛知県新城 市)の4校が募集を停止する。6月18日には日本初の株式会社立であるLECリーガルマインド大学(東京都千代田区)も学部生の募集停止を発表。いずれも 1学部しか持たない単科大で、学生数800人未満の小規模大学だ。 

 聖トマス大学は、1963年に「英知大学」として創立した。96年には大学院人文科学研究科を新設するなど拡大を目指してきたが、2000年から定員割 れ。04年度は5学科を3学科に減らし、定員を250人に限定。07年には聖トマス・アクィナス大学国際協議会に加盟し、名称を現在の「聖トマス大学」と 改称、国際交流の推進を図ったものの、入学者数は07年度が182人、08年度が78人、09年度が110人と減少に歯止めはかからず、募集停止を決断し た。

 大学のホームページには「学生募集停止のお知らせ」が掲載されており、

  「全学をあげてさまざまな施策を講じ努力をして参りましたが、このように厳しい環境に打ち勝つことができず、将来にわたって教育研究を継続することが困難になってしまいました。このような決定に至りましたことを深くおわび申し上げます」

とある。

■有名校とそうでないところに二極化している

――学生数の「激減」はなぜ起きたのでしょう。

  聖トマス大学:一言でいえば「努力が足りなかった」ということ。受験生のニーズに合った学科・学部をつくれず、有名校に志望が偏ってしまう中で、本校 が肩を並べるところまではいけませんでした。それに、少子化の影響も非常に大きい。09年度については経済危機の影響で、学費の高い私立大学が敬遠され た、ということもあるように思います。

――09年3月末現在で、約20億円の赤字ということですが、赤字経営はいつから続いていたのですか。「経済危機」の影響はあったのでしょうか。

  聖トマス大学:1998年から赤字が続いていました。また、外貨建ての有価証券を保有しており、円高の影響もありました。

――今まで、どのような施策を講じてきたのでしょうか。

  聖トマス大学:04年には学科を減らし、定員を限定する改組を行って経営資源の集中を図ったと同時に、神学科を人間学科に改名するなど、親しみやすい 大学を目指しました。07年には聖トマス・アクィナス大学国際協議会に加盟し、「聖トマス大学」に改称、海外に興味のある学生のために留学システムの強化 を行いました。08年は文学部を人間文化共生学部に改組、教職課程の強化を行いましたが、校名を浸透させることも難しく、結論としては改善できなかったということ。結果がすべてですから…。

――今後、小規模大学の経営環境は厳しさを増してくるのでしょうか。

  聖トマス大学:少子化の余波で、有名校とそうでないところに二極化しているのは確かだと思います。当校も有名校に負けないよう頑張ってきたつもりでし たが、結果として失敗に終わってしまった。ただ、小規模でも特徴を出して頑張っているところはあります。小さい大学には小さいならではの良さもあるので は。

――一部で合併も検討との報道もありましたが。

  聖トマス大学:現時点では未定です。なくなる大学を卒業するのが嫌、と転校する学生もいるかもしれませんが、第一に考えるのは在校生の利益。卒業するまで、よりよい教育環境を提供し、就職支援を行っていきます。

Tuesday, June 23, 2009

『ベルクソン、政治と宗教』

ベルクソン『二源泉』をめぐる英語の論文集の続報が入った。c社とd大出版、二社手を挙げてくれている。近日中に決定の予定。

ケックと私を除いて、すべて英米系人脈だが、かなりいいラインナップ。キース・アンセル・パーソン、パオラ・マラッティ、エリザベス・グロス、スーザン・ガーラック、ジョン・マラーキー、ヘント・ド・フリース。その他若手の友人・知人数名。

彼らの論文仮タイトルなど詳細も分かっているが、総じてドゥルージアンである。

私の目標は、ポスト・ドゥルーズ的な方向性で彼らを超えること。高望みなのは分かっているが、自分にどこまでできるか、チャレンジしてみたい。

Sunday, June 21, 2009

「フェミニスム」という語の発明者はフーリエではない

一般に「フェミニスム」という語の発明者は、造語乱造者であったフーリエと言われているのだが、フレッス女史によると、「フェミニスト」という形容詞は、1872年にアンチ・フェミニストである共和主義者のデュマ・フィスが、「フェミニスム」という語自体は、1871年にFerdinand-Valère Faneau de la Courという無名の医学生が博論で、したがって医学的な文脈で、使用したのだという。

***

féminisme : appelation d’origine
par Geneviève Fraisse

Le mot « féminisme » est abusivement attribué depuis la fin du XIXe siècle à Fourier et le dictionnaire Robert de la langue française perpétue encore cette erreur.

On comprend bien pourquoi : outre que Fourier est un auteur enclin aux néologismes, il assiste en 1830 à l’apparition du premier mouvement féministe et joue bien évidemment un rôle d’éclaireur dans l’histoire de l’égalité des sexes et de la liberté des femmes.

Le curieux de la chose est que la création de ce néologisme est daté de l’année de sa mort. Or ce mot n’est pas dans ses textes, même si la chose s’y trouve. En revanche, l’apparition de l’adjectif « féministe » est remarqué chez un auteur connu pour son attitude passionnelle à l’égard des revendications des femmes de son temps, Alexandre Dumas-fils.

Il publie en 1872 L’homme-femme, pamphlet à propos d’une affaire de moeurs, débat sur l’adultère et l’interdiction du divorce. Derrière Fourier le socialiste et féministe, se trouve donc Dumas-fils, républicain et antiféministe. Il n’est pas anodin que le mot vienne de ce côté-ci de la vie politique du XIXe siècle.

Mais plus surprenant encore : le mot « féminisme » préexiste à l’adjectif politique, il appartient au vocabulaire médical, ce qu’attestent d’ailleurs encore certains dictionnaires médicaux du XXe siècle. En effet, en 1871 parait une thèse de médecine intitulée Du féminisme et de l’infantilisme chez les tuberculeux dont l’auteur est l’étudiant Ferdinand-Valère Faneau de la Cour, élève du professeur Jean lorain, en fait le véritable auteur du mot nouveau.

Saturday, June 20, 2009

真正面からぶつかる

フランス語とドイツ語の両方を交えたシンポジウム、これを日本でやるのはすごい。外野からごちゃごちゃ言うのは簡単だけど、やるとなるとかなり難しいだけに、現場を見てみたかった。ブログ報告を見ても、ヨーロッパの研究者と本気でぶつかろうとしているのが分かる。

こっちはプロ野球に入りたての新人選手みたい。ビッグマウスはいいが、肝心の基礎体力がないという感じ。地道に哲学の筋力トレーニングに励んでいる…。



サッカー日本代表の岡田監督は、前任者のオシム監督と比べて、その采配についていろいろ言われているが(そしてそれらの疑問点・批判点の大部分を私は共有するが)、少なくとも現状、および強化プロセスに関する認識については間違っていないように思う。

1)自国の選手および当面のライヴァルの実力に関する現状認識、

2)その「強敵」に、最終的に(すぐに、ではなく)、勝てるようになるために、今、何が必要か=正面からぶつかって負け、課題を見つけること

哲学研究はどうだろうか。「集団で、国際的に、強くなる」という視点を持たない限り、いつまでも私たちのレベルアップはないだろう。いつまでも「中途半端な個人主義、大したパースペクティヴもない国内市場、縮小再生産のデフレスパイラル」が続くだろう。いつまでも「流行りもの」と「訓詁学」の不毛な二項対立で終わるだろう。

***インタヴュー抜粋

オーストラリアはアジアの中で抜けていますよ。個人のレベルとしてね。ほとんどの選手がヨーロッパでレギュラーを張っているわけでしょう。今まで日本人でプレミアリーグでレギュラーを張った選手は過去に1人もいませんよ。プレミア、セリエA、リーガ・エスパニョーラの3大リーグでもレギュラーを張ったのは、唯一ヒデ(中田英寿)くらいでしょう。それもペルージャのときだけですよ。ローマ、ボルトンではなっていない。オーストラリアは、2人くらいはレギュラーではない選手がいるけれど、ほぼ全員がレギュラーですよ。個人レベルで比較すれば圧倒的に日本より上の、いいチームですよ。でも、フランスや、イタリア、ブラジルと比べれば格落ちします。少なくとも個人レベルではアジア・ナンバーワンかもしれないけれどね。ならば、そんなオーストラリアくらいは負かしたい。

――オーストラリアを負かせるくらいでないと、ベスト4というものには手が届きません 

だから、負かせなければならないし、敵地であろうが、できると思っていますしね。ただ、今のところ真正面からぶつかっていくつもりです。もし、ここで策を打って、そこそこいい試合をして勝っても何も見えない。真正面からぶつかって『何が足らない』『何ができるか』が見えてこないと意味がないわけですよ。この前のホームでやったオーストラリア戦でも、そうですけれど、僕は一切、策は打たないしパワープレーもしなかった。それは決めていたんです。だから見えてきたものがありましたしね。

――ホームのオーストラリア戦では相手が引き分け狙いで思い切り守備的でした。あれだけ守られると、FWにこじ開ける力はありませんね 

僕は、そういう見方はしていないんですよ。逆に言うとオーストラリアがアジアであれだけボールを相手にキープされたことは初めてですよ。僕は「こういう相手にもあれだけ回すことができるんだ」と思った。それに、あれだけ守られると、世界中、どのチームも、簡単には点は取れません(笑)。でも引き分けに満足してはいけない。

何が勝つために必要なものだったのか。1つ見えたポイントは、ゴール前に入っていかなきゃいけないということです。「中盤で回すのに人数をかけているのでゴール前に入れません」では、彼らに勝てませんよ。彼らは、中盤で日本みたいにボールを回すならば、きっとゴール前には入れないでしょう。でも、われわれは回したところからまた入っていく、だから勝てるんです。「前線でプレッシャーをかけているからゴール前にいけません」。それじゃあ勝てないんです。前線の選手も守備に参加し、なおかつ、ゴール前でシュートを打てなきゃダメなんです。そういうことが徐々に見えてきているので、僕は、あのオーストラリア戦をネガティブにとらえていないんです。

Thursday, June 18, 2009

ジュネット存命

今日はジェラール・ジュネットの新刊Codicille。まだ生きてたのですね…。

Wednesday, June 17, 2009

愚鈍さ(stupidity)

アヴィタル・ロネル(Avital Ronell)がstupidityについての新刊を出したらしい。「自分はメインストリームではない」と言っていたが、そうかなあ。デリダとドゥルーズ、レヴィナスやムージルを使って動物性とかbêtiseとかを論じるのって、まさにその業界のメインストリームでしょう。その照明は、カトリーヌ・クレマンが共感をこめて言うように、「オペラではなくキャバレー」のものだけれど。


Tuesday, June 16, 2009

新プラトン主義入門書リスト

熊野純彦さんの『西洋哲学史』、新プラトン主義の章は今一つ。

貫さんの、この個所は短いながら、健闘。「ヘレニズム・新プラトン主義関連地図」便利。

岩波講座は新プラトン主義なし。

新岩波講座(ヘレニズムに引き続き、水地さん)。相変わらず味気ない。

ヘーゲル『哲学史講義』中巻(長谷川宏訳)、河出書房新社、1992年。哲学史のお手本(というか、元祖なわけだが)。

山口義久「プロティノスと新プラトン主義」、『哲学の歴史』第2巻、中央公論新社。これが一番よかったが、アリストテレス主義者だからか、今一つ「一体感」が伝わってこない。

オーバンク「プロティノスと新プラトン派哲学」、シャトレ哲学史。同じアリストテレス主義者でも、こうも違うものか。躍動感はかなりあるが、山口氏に細かい点でダウンを奪われている。



ちなみに、これで古代ギリシア・ローマ哲学が一区切りする。このあたりの息抜き的な書物として、

山本光雄『ギリシア・ローマ哲学者物語』、講談社学術文庫、2003年。

中身は数十年前のもの。哲学者たちの逸話集。幾つかの章の、幾つかのパッセージを除いて、面白くない。

ロジェ=ポル・ドロワ&ジャン=フィリップ・ド・トナック『ギリシア・ローマの奇人たち 風変わりな哲学入門』(中山元訳)、紀伊國屋書店、2003年。

Saturday, June 13, 2009

キルケゴール読書リスト(3)

ヤロスラヴ・ペリカン(Jaroslav Pelikan, 1923-)『ルターからキェルケゴールまで』(高尾利数訳)、聖文舎、1967年。

この著者の名はどこかで見覚えがあると思っていたが、ヤーロスラフ・ペリカン『大学とは何か』(田口孝夫訳)、法政大学出版局、1996年。

前者の「あとがき」によれば、1962年秋、ライフ誌で「現代アメリカの最も重要な百人」に、プロテスタントとカトリックの対話に関するプロテスタント側の権威者の一人として選ばれた由であるが、この本をもってその実力を味わうことはできなかった。

なんというか、骨と筋だけのがりがりに痩せ細った本である。例えば、「キェルケゴールは、ルター以後、実存的洞察を、生きた批判的哲学に建設した最初の偉大な思想家なのである」とか、「ルター派神学がこれまで結びついてきた他の多くの哲学と比べるならば、キェルケゴールの哲学はルター派神学に語るべき多くのことをもっている」というのだが、肝心の論証がない。これでは、表題から予測されることを一歩も出ていない。

Friday, June 12, 2009

フーリエ関係書リスト

「詰め込みすぎないほうが学生のためにもいい」。それはそのとおりなのだが、それが準備を怠る言い逃れになってしまってはいけないだろう。パーフェクトな内容をつくってから少し間引く、それが理想だ。

哲学史では「ストア派」を終えて、新プラトン主義へ。

結婚論はヘーゲルとキルケゴールを対にして見せた後で、今度はフーリエとマルクス&エンゲルスを対にして見せてみようかと。

五島茂・坂本慶一編『オウエン、サン・シモン、フーリエ』、中公バックス『世界の名著』第42巻、1980年。「産業的協同社会的新世界」(1829)収録。

シャルル・フーリエ『四運動の理論』(1808)(巌谷國士(いわや・くにお)訳)、現代思潮社。

シャルル・フーリエ『愛の新世界』(福島知己訳)、作品社、2006年。

ロラン・バルト『サド、フーリエ、ロヨラ』(篠田浩一郎訳)、みすず書房、1975年。

Charles Fourier, Vers la liberté en amour, textes choisis et présentés par Daniel Guérin, Gallimard, coll. "Idées", 1975.

Charles Fourier, Hiérarchie du cocuage, Presses du réel, coll. "l'écart absolu", 2000.

Charles Fourier, Des harmonies polygames en amour, édition établie et préfacée par Raoul Vaneigem, éd. Payot & Rivages,coll. "Rivages poche/Petite Bibliothèque", 2003.

Charles Fourier, Vers une enfance majeure, textes sur l'éducation réunis et présentés par René Schérer, éd. La fabrique, 2006.

今村仁司、項目「フーリエ」、『フランス哲学・思想事典』、弘文堂、1999年。

ジョナサン・ビーチャー『シャルル・フーリエ伝――幻視者とその世界』(福島知己訳)、2001年。

Pacal Bruckner, Fourier, Seuil, coll. "Ecrivains de toujours", 1975.

クロソウスキー「サドとフーリエ」(1970)、『ユリイカ』総特集サド、1972年4月号。

クロソウスキー『生きた貨幣』(1970)、青土社、2000年。

ルネ・シェレール『歓待のユートピア 歓待神礼讃』、現代企画室、1996年。シェレールが複数のフーリエに関する書物を出していることは言うまでもない。

Wednesday, June 10, 2009

ストア派入門書リスト

ヘレニズム期の哲学からはストア派だけを取り上げる。時間がないので、エピクロス派と懐疑主義は割愛。

ラッセル哲学史は、ストア派に対してかなり辛辣である。彼にかかると、クリュシッポスは「ストア主義を、体系的で衒学的なものとした」輩である。『シャトレ』でストアを担当しているピエール・オーバンクはこう書いている。《本来の意味でのストア論理学は、今世紀初頭まで、すなわち人がそこにアリストテレス論理学の貧弱な焼き直ししか見出さないような見方に固執していた長い間、軽視されてきた。》ラッセルがストア派の「意味の論理学」にまったく関心を示していなかったのもこの文脈なのだろう。

シャトレ(さすがはピエール・オーバンク)、熊野さんはいい。『原典による』、いまいち。

加藤信朗(しんろう 1926-)「ヘレニズムの哲学」、『岩波講座 哲学』第16巻(哲学の歴史1)、1972年。この題名にして、約60頁にわたってひたすらストア派のみ!まあ何にせよ、詳しいのはありがたい。

水地宗明(みずち・むねあき 1928-)「ストア派、エピクロス派、懐疑派」、『新岩波講座 哲学』第14巻(哲学の歴史1)、1985年。まさにストア派的な「シュステーマ」に今一つ欠けている。

1.ロゴス、2.認識、3.プロレープシス、4.行為、5.善悪と価値、6.感情

内山勝利(1942-)「総論:地中海世界の叡智」、『哲学の歴史』第2巻(帝国と賢者)、中央公論新社、2007年。もちろんこの巻の神崎繁さんによるストア派論文も。

岩崎允胤(ちかつぐ 1921-)『ヘレニズムの思想家』(初版1982年)、講談社学術文庫、2007年。

Tuesday, June 09, 2009

キルケゴール読書リスト(2)


グレゴーア・マランチュク『キェルケゴールの弁証法と実存』(大谷長訳)、東方出版、1984年。
本書の内容は「キェルケゴールの思想一般の単純な紹介」ではなく、「これまでどの研究者によっても気づかれなかったキェルケゴールの重要な弁証法的思想の発見」であり、「諸段階説の構築についての完全な系譜的説明」を与えてくれる。

ベルンハルト・メールポール『絶望の形而上学――キェルケゴール『死に至る病』の問題』(尾崎和彦ほか訳)、東海大学出版会、1980年。
「キェルケゴール研究史全体を通しても、『死に至る病』を、キェルケゴール の著作活動の全体像との関連を見失うことなく、これほど鋭利・明快に分析した書は稀有なのではあるまいか。またこの書を「形而上学」の書と見なし、キェル ケゴールを「形而上学者」として捉えるヴーストやメールポールの見方は、われわれに大きな問題と新たな展望を投げかけるであろう。」(訳者後記より)

私にとってのこの本の長所は、1)キェルケゴールの「実存弁証法」を簡潔に説明してくれていることと、2)キェルケゴールの人格概念をロマン主義、ヘーゲル、およびアウグスティヌスにおけるそれと比較して説明していくれていることである。

工藤綏夫(やすお)『キルケゴール』、清水書院、センチュリーブックス(人と思想19)、1966年。
当時のデンマーク文化の基本的な説明が嬉しい。

Monday, June 08, 2009

キルケゴール読書リスト(1)

哲学史と結婚論にエネルギーのかなりの部分を割いている。哲学史はようやくアリストテレスに別れを告げ、ストア派へ向かう。

結婚論は、ルターの後、ルソー、ヘーゲルと重量級が続いたが、今度のキルケゴールも、これはこれで手強い。

キルケゴールなのか、キ「ェ」ルケゴールなのか、などというのは瑣末な問題のようだ。デンマーク語を正確に転記すると「キアケゴー」だそうなので。

とにかく大学図書館にある彼の著作全集すべてにざっと目を通し、できるかぎり関連図書を読む。

すでに言われていることであろうが、私の見るところ、『人生行路の諸段階』は、キルケゴールの『精神現象学』である。しかも、〈結婚の精神現象学〉だ。

藤野寛「キルケゴール」、『哲学の歴史』第9巻(反哲学と世紀末)所収、中央公論新社、2007年。ゆるい。この企画は確かに立派な企画だと思うのだが、やはり人による出来不出来がある。

久保陽一ほか編『原典による哲学の歴史』、公論社、2002年。 今一つ使いにくい。「原典による哲学史」を一冊でまとめるという基本コンセプトに無理があるように思う。キルケゴールの箇所もそうだが、頁数の関係でどうして「この」引用がその思想家にとって本質的なのかの説明がなかったり、あっても不十分だったり。

F.J.ビレスコウ・ヤンセン『キェルケゴール』(大谷長(まさる)訳)、創言社、1997年。
「本書は元はコペンハーゲンの市立博物館内のキェルケゴール収蔵品展示室を見学に訪れる人々のために、予備的解説書」として書かれたという。「この書は、透徹した把握の仕方とそれを表現するまったくのユニークさと我々が今まであまり気付かなかった多くの事実の指摘と、そして最近の世界各地での研究事情をまとめる卓越した技術とあいまって、キェルケゴールに関する小著としては近来における最良のものとなっている。デンマーク・キェルケゴール協会の前の会長でもあり、北ヨーロッパを代表する文芸史家である人の書いたものだけのことはある」(「訳者のあとがき」)。

オリヴィエ・コーリー『キルケゴール』(村上恭一ほか訳)、文庫クセジュ、1994年。
良い入門書。ただし、諸家口をそろえて、キェルケゴールのいわゆる三段階は単なる「段階」の漸進でない、というのだが、今一つよく分からない。先の藤野氏なども三つの異なる「領域」なのだというが、どうみても審美<倫理<宗教となっていると思うのだが…。

Sunday, June 07, 2009

アリストテレスの入門書(2)

藤沢令夫(1925-2004)「アリストテレス」、『岩波講座 哲学』第16巻(哲学の歴史I)、岩波書店、1972年。

田中美知太郎亡き後のプラトン研究の第一人者がアリストテレスを描いたらどうなるのか。関心を持って読んでみたが、後の『プラトンの哲学』(岩波新書、1998年)から予想された通り、露骨な「反アリストテレス」であった。最後が「残された問題」としてアリストテレスの不備を列挙して終わっている。

0.生涯と著作および序(3頁)、1.イデア論批判(4頁)、2.自然・メタ自然・人間――見取り図(9頁)、3.残された問題(7頁)

アリストテレス批判が彼の論文の眼目なので、そこを取り上げておこう。藤沢は三つの問題を指摘している。

1)「何であるか」というソクラテス的問いに対応するものを、それ自体で独立に存在する実体と考えたという点――いわゆる「イデアの離在」――こそイデア論の欠点だと考えたアリストテレスは、プラトンが切断したイデアと事物を「実体」概念につめこもうとする。

《かくてアリストテレスにおいて、「実体」という言葉は、「独立に存在するこのもの」と、「このものをしてこのものたらしめている本質的形相」という、しょせんは相容れぬ二つの意味を担わされたままで放置され、何が最もリアルなものであるかについて、アリストテレスの考えはこの両極の間を揺れ動く。》

2)「善」と「価値」の関係

3)『ニコマコス倫理学』は結局、至高の価値を扱いえていないではないか、と。これらについて、アリストテレス側から反論することは可能だと思う。

以下はざっと。

山本光雄(1905-1981)『アリストテレス――自然学・政治学』、岩波新書、1977年。

ジャン・ベルナール(Jean Bernhardt, 1927-)「アリストテレス」、『シャトレ哲学史』第1巻(ギリシア哲学)、白水社、1976年。

藤井義夫(1905-)『ギリシアの古典――よく生きるための知恵』、中公新書、1966年。

ジャン・ブラン(1919-1994)
『アリストテレス』、文庫クセジュ、1962年。

Saturday, June 06, 2009

アリストテレスの入門書(1)

プラトンに比べて、アリストテレスの適当な入門書がないという印象がずっとあった。岩波新書でアリストテレスの全体像を伝えてくれる新書がずっとなかったのが大きい気もするし――後述するが、1977年に岩波新書から刊行された山本光雄の『アリストテレス』は副題のとおり「自然学・政治学」に限定されている――、大阪府立大学の山口義久さんの『アリストテレス入門』(ちくま新書、2001年)が渡仏中に出版されていて気づいていなかったということもあるのだろう。

そういうわけで一から勉強し直し(没年はかなり調べたが分からないものが多かった)。

中畑正志(1957-)「アリストテレス」、『哲学の歴史』第1巻(哲学誕生)、中央公論新社、2008年。

コラム「プラトンとアリストテレス」もよかったが、最新の情報に基づき、ほぼトータルな解釈を与えてくれる良質の入門論文。「ほぼ」と書いたのは、美学的な側面への言及がないからである。ちなみに、彼の手になる参考文献には「簡便な入門書」として、出隆の古典的名著『アリストテレス哲学入門』(1972年)と山口義久の『アリストテレス入門』(2001年)は挙がっているが、今道友信『アリストテレス』はない…。

「トータル」とはいえ、分量は多少不均等で、

1.序および伝記的部分(26頁)
2.論理学(26頁) 3.自然の探究(13頁) 4.魂論(10頁) 5.形而上学(22頁) 6.倫理学・政治学(22頁)

となっており、論理学が比較的詳しく紹介され、逆に自然学の部分が薄いのは否めない。中畑氏は現在京大教授、京大出版で『魂について』を翻訳されている。


戸塚七郎(1925-)「アリストテレス」、『新岩波講座 哲学』第14巻(哲学の歴史1)、岩波書店、1985年。

上の『哲学の歴史』が少なくとも大哲学者に対してはかなりの頁数を割くことができ、小さな入門書の体をなしているのに対し、岩波の講座シリーズはどれも「論文」程度の長さという制約がある。アリストテレスのようにその学問的関心がきわめて多方面にわたっている場合、この短い頁数でそれらの多面性を紹介しようとすると、幕の内弁当的になってしまう。

その弊を避けるべく、戸塚氏は、それら諸分野の研究を貫く幾つかの中心概念や主要理論が、各研究独自の展開を妨げることなしに、相互に結びつき、全体としての統一を見せている点に注目し、「骨格となる主要理論に焦点を絞って、その展開として彼の思想の全体像を概観する」という戦略をとる。

1.生涯と著作(4頁)
2.実在問題――実体――(5頁) 3.原因(形相・質料)、現実態―可能態(4頁) 4.不動の動者(6頁) 5.結び(3頁)

私はラファエロの「アテナイの学堂」の中で、プラトンとアリストテレスが、緊張に満ちた対立関係を保ちつつも、互いの目をしっかり見据え、一緒に歩み続けている点を授業で強調したので、戸塚氏が「批判は単純にプラトンとの離反を意味するものではない」と言っているのを見つけたときは嬉しかった(ただし、彼はアリストテレスの「冷静な哲学者の目」、つまり師プラトンの教えをも単なる一先行教説として突き放して見ていることを強調するために、そう言っているのだが)。

Friday, June 05, 2009

ヴォルムスの新刊(2009年4月)

zoom
Frédéric Worms
La philosophie en France au XXe siècle
Moments
Folio essais


Il est deux manières désormais d'écrire l'histoire de la philosophie en France au XXe siècle. Soit en suivant l'ordre chronologique d'apparition de chacun sur la scène. Soit, à la manière de Frédéric Worms, à travers des moments distincts et cohérents, qui s'organisent autour de problèmes philosophiques précis. Cette histoire ne répond plus à un aboutissement prévisible ou logique, elle est faite de ruptures, d'échos et de reprises.
Assurément, l'importance des moments, avec leurs thèmes, leurs courants et leurs modes, tient au prestige de certaines ¿uvres et de figures individuelles, si fortes qu'elles en paraissent parfois solitaires. On parle du «structuralisme», de l'«existentialisme», du «spiritualisme», mais on se souvient de Bergson, de Sartre, de Deleuze comme autant de météores. Le retentissement de ces ¿uvres renvoie cependant toujours à des problèmes ou des enjeux communs, partagés entre plusieurs ¿uvres et positions différentes, en philosophie mais aussi dans la science, l'art, l'histoire.
Le XXe siècle philosophique en France a connu trois moments principaux : le moment «1900» (des années 1890 aux années 1930), avec le problème de l'esprit ; le moment de la «Seconde Guerre mondiale» (des années 30 aux années 60), avec le problème de l'existence ; le moment des «années 60» jusqu'au tournant des années 80, avec le problème de la structure et qui conduit, par une rupture nouvelle, au moment que nous vivons.


Collection Folio essais n° 518
Parution le 17/04/2009
656 pages
Prix : 9.6 €
ISBN : 9782070426423
Code Sodis : A42642

Thursday, June 04, 2009

同性性愛(homosexualité)と同性エロティスム(homoérotisme)

研究室にいる間はfrance cultureを流しているのだが、今日はパスカル・ピックの『性・人間・進化』の話。homosexualitéとhomoérotismeを区別しているのは面白い。日本のある種の猿のメス同士はきわめてsensibleな関係を持つが、それが必ずしも「同性愛」と言えるかどうかは分からないとのこと。

Wednesday, June 03, 2009

学問のグローバリゼーション

先日のサッカー日本代表とベルギー代表との試合後コメントより一部抜粋。学問のグローバリゼーションとの関連で。まだ日本の人文系は一般的にここまで来ていないけど。


■ベルギー代表には可能性がある

――監督が現役時代だった時、ベルギーはW杯でベスト4になったが、当時と今とでは何が違うのか

 あの時のサッカーは国内リーグが非常に盛んで、国内の2、3のトップチームが4~5人の選手を輩出することで代表チームがしっかりまとまっていった。その中で、チームにはオートマティズムもあったし、経験もあった。しかしその後、サッカー界で資金力の差が出てしまい、イングランドなどの外国に若い選手が流出してしまった。そして、各国に若い選手が散らばることで、代表チームを結成するときにまとまりがなくなってしまった。

 それから、いろいろな国でサッカーをするということは、トレーニングのやり方やサッカー教育が違うので、その影響もあった。代表になったときに、ベルギー代表として皆で擦り合わせることができたかというと、それだけの時間がかかる作業はなかなかできていなかった。代表を作り上げるという努力が足りなかったと思う。

 代表は大事だし、代表としての義務を果たすためにトレーニングをしたり、地元で優れたサッカー教育をしたり、選手を育てたり、そういった時間のかかる作業をしてこなかった。そして、それに対して必要な経験も不足していて、クラブも効率ばかりを求めるようになってしまったことが原因だ。

 ただし、現在の代表には可能性があると思う。若い選手が多いので、時間をかけて経験を積んで、努力をしていけば、可能性を高めることはできると思う。ただ、ほかの国も非常に速いスピードでサッカーを進化させている。

Tuesday, June 02, 2009

盆栽→仕切り直し

連休中、用事・雑事を除けば、実に久しぶりに研究に集中できるようになってきている。活躍していらっしゃる方々は、きっとこういう集中力を常に(どんなに忙しい中でも)、持続できているのだろうなと思う。頭が下がります。

日哲での発表の準備、今までやってきたことから理論的にさらに一歩を踏み出すのではなく(それはもう時間的にムリ)、博論でやったことのエッセンスをいかに説得的に――もちろん定められた時間内で――提示できるかを重視することにしたら、ずいぶん気が楽になった。

使った文献を読み直し、新たな文献を少し加え、論旨を組み直し…なんか盆栽のような(やったことはないが)感じがして、これはこれで気持ちがいい。

自分がやってきたことに誇りを持てるように、自分の考えてきたことたちが輝けるように、最善を尽くすこと。

…などと五月初旬には書けていたのだが、見事に低空飛行に移った。

若いプロ野球選手がスタメンで使われるようになる。疲れから、ミスをする。体調を崩す。プレイの質が下がる。そこからだ、本当の勝負は。仕切り直しがうまく(即座に)できるかどうかだ。

Monday, June 01, 2009

真言宗と天台宗 1200年ぶり交流

真言宗と天台宗 1200年ぶり交流 天台座主、高野山を来月訪問

5月29日8時0分配信 産経新聞

真言宗と天台宗 1200年ぶり交流 天台座主、高野山を来月訪問
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高野山・金剛峯寺=1999年9月9日(本社ヘリから)(写真:産経新聞)
 真言宗の総本山、高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)(和歌山県高野町)で来月開かれる行事に、天台宗の半田孝淳(こうじゅん)座主(ざす)が参拝すること が分かった。天台宗トップの高野山への公式な訪問は、日本に真言宗、天台宗が伝わった平安時代以来初めて。1200年間を通じて初めてとなる歴史的な参拝 をそれぞれの事務方では、「相互理解のためになる」と歓迎している。

  [フォト]凍てつくような水につかり行に励む修行僧

 両宗派のトップ交流をめぐっては、天台宗を伝えた最澄と、真言宗を伝えた空海の交流をめぐる逸話が有名。2人はともに中国(唐)で仏教を学んだ留学仲間 で、帰国後も交流を続けていた。しかし、晩年には教えや修行をめぐる考えの違いから確執が生まれ、絶縁状態になった経緯がある。経典を借りようと弟子を派 遣した最澄に対して、空海が激しい内容の手紙で貸し出しを拒否し、交流が途絶えたと伝わっている。

 天台宗務庁によると、天台座主の高野山参拝は、過去に私的にはあったようだが、公式訪問は約1200年間、一貫して確認されていない。歴代の天台座主の公式動向を記録した「天台座主記」にも記載がないという。

 高野山真言宗の宗務所の話でも、最澄と空海が絶縁する前に弟子が行き来した記録はあるものの、天台座主の訪問の記録はないという。逆に高野山真言宗の座 主の比叡山訪問は、平成17年の比叡山開宗1200年行事の際にあったが、その時は他の仏教教団トップらと一緒だった。高野山真言宗座主の比叡山訪問に は、天台宗が仏教やキリスト教、イスラム教など世界の宗教指導者らが一堂に会する「宗教サミット」にも力を入れていることが背景にあったが、逆に天台座主 が高野山を公式に訪れたことはなかった。

 今回の訪問は、天台宗の半田座主と、高野山真言宗の松長有慶(ゆうけい)座主の交流がきっかけとなった。宗教協力の催しなどで席を共にする機会が何度か ある中で親しくなり、半田座主側が訪問を打診。松長座主側が、「せっかく来ていただくなら、高野山の最大行事に」と「宗祖降誕会」に招待したという。毎年 6月15日に開かれる宗祖降誕会は、空海の誕生を祝う高野山の最大行事。

 天台宗では「過去はともかく、現代ではまったく確執はない。交流を深めさせていただくのはいいこと」。真言宗も「宗祖に関連する行事に参拝していただきありがたい。今後のさらなる交流につなげていきたい」と話している。

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 宗教学者の山折哲雄さんの話 旧仏教を代表する双璧(そうへき)が公式訪問し、理解を深めることは画期的だ。最近、近畿地方の有名神社と寺院の神職と僧 侶がともに伊勢神宮に参拝するなど、宗教間に共存の伝統が復活したことと同様、戦後の心の荒廃や教育の衰退が問題になる中、精神的基盤が見直されるように なるだろう。

                   ◇

【用語解説】真言宗

 空海(弘法大師、774~835)が弘仁7(816)年に開いた。高野山真言宗としての総本山は高野山金剛峯寺(和歌山県高野町)で世界文化遺産。現在の松長有慶座主は412代目。

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【用語解説】天台宗

 最澄(伝教大師、767?~822)が延暦25(806)年に開いた。総本山は比叡山延暦寺(大津市)で世界文化遺産。1571年には織田信長に焼き討ちに遭っている。半田孝淳座主は256代目。