Monday, March 30, 2009

マシュレ、『ささやかなこと。日常的なものの轍と波立ち』

つい最近会った友人と哲学談義をしていると、「けっきょく君はPierre Machereyの弟子なんだね」と言われた。そのとおりである。

リール第三大学名誉教授マシュレ(1938-)は、アルチュセールの弟子と言われたり、その文脈で言及されたりすることに警戒感を示す。バリバールやランシエールと違って、現代思想系の派手な舞台に引っぱり出されることをあまり好まないからだ。

では彼がひとり閉じこもり、自らの存在と思惟の奥深くに沈潜し続けていただけかというと、まったくそんなことはない。彼はリールという地方都市で、大学の同僚、高校の哲学教師、院生や学生などとともに、多年にわたって自分のセミネールで地道な共同作業を続けてきた。

この彼の「実践」面での地味さは、「理論」面の地味さと表裏一体の関係にある。マシュレは主に、1)スピノザ研究、2)哲学と文学の関係に関する研究、3)19世紀・20世紀フランスにおける哲学実践に関する研究、4)マルクス主義研究を行ってきた。たぶん多くの現代思想系研究者にとって、彼の仕事は、ラディカルさを欠いた、地味で穏当なもの、さらには退屈なものという印象をさえ与えるかもしれない。

しかし私は逆にこう問いたい、彼らのほうこそラディカルであることを唯一無二の価値基準とするある種の強迫観念にとらわれてはいまいか、と。私はフランス現代思想をドイツ観念論と比べるより、ヘーゲル左派に比較することのほうに関心がある。フィヒテ、シェリング、ヘーゲルではなく、フォイエルバッハやシュティルナー、ブルーノ・バウアーといった、後にマルクスによって「超批判主義」として批判されることになる面々である(これについては最近書いた仏語版の大学論で言及してあるので、ご関心のある方はどうぞ)。

そうではなく、「前衛のための前衛」でも、ある時期の丸山のように「後衛」と韜晦してみせるのでもないポジショニングこそ、マシュレの選択した位置ではないか。地味なうえに、一見雑多にも見える彼の哲学的営為の総体を支えているもの、それはまさに理論的なものと実践的なもの、pratiqueとthéoriqueの関係についての執拗な問いかけにほかならない。そしてこの問いかけには系譜がある。

pratiques théoriquesはアルチュセールにとって重要な鍵語であり、後にそれはバリバールとルクールがPUFで指揮した叢書の名となった(この重要な叢書は現在、彼らの弟子のカルサンティとルブランに引き継がれている)。マシュレはアルチュセールの「名」とは違って、この実質的な代名詞には大いに執着を示している。私のこのちっぽけなブログの名もそこに端を発しているわけだ、知っている人には言わずもがなのことだけれども。だから初めに言ったように、「けっきょくマシュレの弟子」「そのとおり」なのである。

そのマシュレが彼の最新刊を送ってくれた。
Pierre Macherey, Petits riens. Ornières et dérives du quotidien, éd. Le bord de l'eau, coll. "Diagnostics", 2009.

私はベルクソン研究者としても、「無 néant」や「空虚 vide」、「隔たり écart」などの間の概念布置を考える上で、このpetit rienは案外重要なものではないか(『創造的進化』に登場する)と考え、昨年のシンポにおける発表でも言及したし、先日行われたベルクソン研究会でも触れたのだが、それはともかく。

本書の表題は、ひとまず『ささやかなこと。日常的なものの轍と波立ち』とでも超訳しておこうか。petits riensは本当に難しい。「なんでもないもの」「取るに足りないこと」「些細なことども」「ちょっとしたこと」などなど。否定のニュアンスをどれくらい入れ、と同時に肯定のニュアンスもどれくらい入れられるか、どの翻訳を選ぶにしてもポイントはそこにあるだろう。

「つまらない」という単語自体には否定的なニュアンスしかないが、「つまらないものですが…」という定型表現になると、一筋縄ではいかなくなる。rienも、それだけだと単なる否定だが、petitが加わるとかなり陰影に富んだ表現になる。Simon Critchleyのある著書のタイトルを借りれば、very little...almost nothingとでも言うべきもの、空間、あるいは場所が生じるのである。(続く、たぶん)

Thursday, March 26, 2009

エラスムス2009詳細

すでに関連サイトやブログなどによっても紹介されていますが、こちらでも。

概要とhttp://www.hosei.ac.jp/news/shosai/news_1030.html

詳細です。http://www.hosei.ac.jp/news/shosai/pdf/20090324news_01.pdf

講演会もございます。http://www.hosei.ac.jp/news/shosai/pdf/20090324news_02.pdf

どうぞ奮ってご参加くださいませ。hf

Tuesday, March 24, 2009

Erasmus mundus 2009

みなさま、ようやくerasmus mundusの詳細が固まり、全容をご紹介することができるようになりました。
詳細はこちらまで。

フランス哲学、フランス語で哲学・思想を展開することに関心をもつ人々にはぜひとも参加していただきたいと思います。私たちフランス哲学・思想に関係する若手が、私たち自身の歴史を少しずつ変えていく、そのような試みに自ら積極的に身を投じていただければ幸いです。hf

Thursday, March 19, 2009

他山の石

やはり昨年9月に思っていたこと。



どんなに「つまらない」思想家でも、最低三つ(三著書ないし三論文)読むまで全体的な評価を下してはいけないと思っている。そして、そのような視線はとても大事だとも思っている。

思想業界には、「誰某はつまらない」と名前単位(思想家単位)でばっさり切り捨てることが自分の見識の高さを物語ると思っている人々が多くいる。それが商業的に効率的で、見映えもいいからだろう。

だが、大事なのはそこから自分がヒントを得られるかどうか、それだけだ。「誰某の何とかという著作はここはいいが、ここは問題だ」、そういう言い方を心がける。見栄えが悪く、鈍重な印象を与えるかもしれないが、それがなんだろう。他人の研究に対するこのミニマリスト的な視線と、いろいろな解釈の存在を知り、それらを検討したうえで、自分の解答を導き出すという自分自身の研究姿勢とは、表裏一体の関係にあると思う。

評価は他人に示すより、自分の糧にすることが重要だ。

「僕が何かを自分のために生かすことというのは、人のことを見て学ぶことが多いんですよね。自分のなかから何かを生み出していくことっていうのは、あんまりない。人の行動を見ていると、すごく気になることがたくさん見えてきて、それを自分に生かすというやり方で、まあずっと、すごくいやらしいやり方ですけど、そうやって、今の自分があるような気がするんですよ。そうやっていくと今の自分ができた、みたいな。そのなかから自分の信じているものなんかが生まれてきて、それを生かしていく。

(…)要は『これを今、人が見ていたら許さないだろうな』という行動は、なるべくしないようにはなっていきましたよね。人のことも見ながら、自分を作ってきた。(…)アメリカに来てまた想像していたものと違う世界があったわけです、そこに。まあ、いいことも悪いことも。アメリカでは、分かりやすい。特にはっきりと答えが出るので。それは僕にとっては、すごく助けになりましたね。

『あっ、ああやってやらなければいいんだ』ということが、あまりにもたくさんあって。 あのね、こうした方がいい、というのは難しいですよ。答えが出づらいんですよ。でも、明らかに、『それはまずいよね』という中には、はっきりとした答えが、たくさんあるので」(イチロー)

Wednesday, March 18, 2009

四行教授(老人よ、荒野を目指せ)

朝日新聞が頑張って出しているGlobeという紙内紙の話を少し前にしたが、3月16日付で《なぜ東大からノーベル賞が出にくいか――「四行教授」のぬるま湯の罪》という記事が出ていた。頷けるところもあるが、全体としてがっかりさせられる記事だ。

「エリート教育」の話を強調してきたので、もしかすると東大とかノーベル賞といったものに関心を持っていると思われているかもしれないが、実はあまり関心がない。東大生は、これは挑発でもなんでもないが、私の定義する「エリート」の範疇には入らないし、ノーベル賞は私の専門である哲学・思想研究には(いずれにしても近年では)縁がないからである。しかも「なぜ東大からノーベル賞が出にくいか」など、読まなくてもはじめから論の筋道も結論も見えている話ではないか。

それでもこの記事が目を引いたのは、「四行教授」という(私にとっては)謎の言葉ゆえであった。

《四行教授とは、履歴書に「東京大学卒、東大助手、東大助教授、東大教授」(これからは[…]5,6行になる人も多いだろうが基本的には変わらない)の4行しかないという、純粋培養の道を歩んだ人のことだ。[…]。東大に限らず、役所、企業にもある硬直化した日本の組織の特徴をよくあらわしている。》

私の知る東大の諸学科には四行教授はいないように思うが、五六行教授はけっこういるようだ。しかし、では、国立私立を問わず、他の有力大学を見渡して、どこが胸を張ってそうでないといい張れるのだろうか。要するに、日本では(フランスでも)教授の大学間移動がまだまだ少ないというだけの話だ。

《いったん東大に入れば優越意識に駆られる。なぜわざわざ外に行くのか、とリスクをとろうとしない精神構造になりがちだ。しかし、チャレンジを避けるのは、世界のトップになれる可能性を摘んでいることに等しい。ぬくぬくとした羊水にくるまれた、ひ弱な秀才で終わってしまう。残念なことだ。》

これは、あるいはかつては当てはまったかもしれないが、現在の事態をまったく読み違えている議論である。問題はこうだ。何度も言うように、昔から大学への就職は困難だというが、現在のほうが桁違いに困難である。大学院が増え、院生が増え、博士号取得者が増え、そして少子化でポストは減る一方だ。哲学などの「食えない」学科は、とりわけ中小の大学で敬遠され、よりポストが減る構図である。

すると、大学院に入る際に、学びたいことと同時に、あるいはそれ以上に、「就職」のことを意識するようになる。研究がいかに浮世離れしたものであり、研究者が世事に疎いといっても、有力大学の大学院への進学を考えるようになるのはいわば当然であろう。

その結果、有力大学の院生ほど競争を強いられ、目の色を変えることになる(この点、中小の大学の院生がはじめから諦めるというか、「のんびり」ムードなのは、また別の深刻な構造的問題である)。発表を出来るかぎり多くし、論文を量産せねばならない。教歴をつけて、博論をできるかぎり短期間で書いて…。

海外留学が就職に絶対的なプラスになるならするが、留学しなくても就職できるなら、まずは就職が重要だ。のんびり「武者修行」などとんでもない――すでにこの院生たちのピリピリムードからして昔とは大違いだということが分からないのだろうか。もちろん、悪化の一途をたどるそのような状況を踏まえたうえで、しかしながら、院生たちの自然発生的な自閉・鎖国傾向、私が先に「天動説」と呼んだものを批判しつつ、「地動説」を支持し、鼓舞していくことは必要である。だがそれは、誤った現状認識に基づいて誤った非難を投げつけることとは違う。

著者の言う「ぬくぬくとした羊水」は、いつの時代も同じ温度であったわけではない。「リスクをとろうとしない精神構造」も、「チャレンジを避ける」理由も常に同質的であったわけではない。著者の家系・経歴は、《私自身、医者一家に生まれ、東大医学部を卒業後、助手になってから、初めて米国に留学した》というものだ。だが、彼が「冒険」できたのは、しっかりとした財政的な基盤、家族の(もちろんプレッシャーと背中合わせの)精神的・物理的援助があってこそだということ、今教授職にある者たちも多かれ少なかれ「時代」という風に背中を押されてきたのだということを忘れて、抽象的な精神論などぶってもらっては困るのである。

最大の問題点は、72歳にもなって、しかも数々の重要なポスト――UCLA教授、東大教授、日本学術会議会長、内閣特別顧問――を歴任してきたにもかかわらず、著者は少なくともこの記事の中で何一つ具体的な施策を提言できていない点にある。「東大教授がノーベル賞をとれない」ことが問題であるというなら――著者は東大教授も務めた――、「人づくりこそが日本にとって最も重要な課題」だというなら、自分が東大教授であった頃の知見や反省点を踏まえて、「グローバル時代の今」、東大は、若者は、具体的に何をするべきなのかを、それを問題としているこの記事の中で、簡潔にではあれ言うべきであろう。

次のような言葉は美しい。しかし、「自分」が抜け落ちている。いや、誇示すべき「自分」は記事の中でいやというほど誇示されているのだ――私は東大を飛び出し、アメリカで成功し、東大教授になれた、などなど。だが、問題の渦中にいる若者に対して真摯な「自分」が抜け落ちている。著者は「『既得権』をもつ方々の英断」に期待したいという。ならば、著者のせめてもの責務は、何を期待したいのかを言うことであろう。「既得権」を十分に持っているあなたが抽象論をもとにした説教話をして、どうするのだ。

《たとえノーベル賞には届かなくても、若いうちから世界の一流に身近に接し、薫陶を受け、多様な優れた若い研究者と切磋琢磨する環境で研究する。[…]到達できるかどうかは別にして、チャレンジする。自分はどの程度の位置にいるのかを知り、自分を探すのだ。若者は荒野を目指さないのか?

優秀な学生は多くてもチャレンジ精神が薄いように感じる。グローバル時代の今こそ「既得権」をもつ方々の英断と、若い人々の勇気に期待したい。日本の将来はここにかかっている。》

繰り返すが、この言葉が間違っているというのではない。問題は、これが彼の「問題」であるようには思われないということである。荒野を目指すかどうかは若者の問題であって、彼らに任せればよい。若者に荒野を目指してほしいのであれば、老人ができることは、若者が荒野を目指したくなるように、目指しやすくなるように、自分なりの尽力をすることである。それこそが、若者に荒野を目指してほしい老人にとっての「荒野」であろう。老人よ、荒野を目指せ。

私たちは近々、少しでも日本の若手フランス哲学研究者がフランス語でヨーロッパの若手研究者たちと議論できるような機会をつくろうと試みるだろう。これが今の私たちなりのささやかな答えであり、ささやかな「荒野」である。

Tuesday, March 17, 2009

鷲田、カント、フィロネンコ、ブノワ

久しぶりにフランス語に関する頁を更新。フランス語を勉強し(直し)たい人はどうぞ。

複数の目的のために幾つもの本を並行して読む。哲学概論や哲学史の授業では「聴く」ということを一つのテーマにしたいと考えており、そのため鷲田清一『「聴く」ことの力――臨床哲学試論』(TBSブリタニカ、1999年)を読んでいる。

すると、ふと反論というか、疑問が浮かんできて、それが今度、日本哲学会で行なう発表の一つの軸になるかもしれないと思い、なぜか(私には直線的な連関なのだが)カントと関連書を読み耽る。

カント「思考の方向を定めるとはどういうことか」(1786)

Emmanuel Kant, Qu'est-ce que s'orienter dans la pensée?, préface de Ferdinand Alquié, introduction, traduction et annotation par Alexis Philonenko, Vrin, 1re éd. 1959; repris dans la coll. "Textes et Commentaires", 2001.

Jocelyn Benoist, Kant et les limites de la synthèse. Le sujet sensible, PUF, coll. "Epiméthée", 1996.

フィロネンコの注釈は出来がいい。初版から実に42年(!)を経て、なお再刊される価値がある。

彼は1932年の生まれらしいから、初版の時には27歳。1968年生まれのブノワのこの博論も1994年に書きあげられ、1996年、つまり28歳の時に刊行されている。

一つの軸は見つけた、というか博論で書いていたのを思い出したが、これでは博論からほとんど進んでいない。さらに読書を続けてみる。…すると、授業準備が進まないことに気づく(笑)。

Sunday, March 15, 2009

KY=空気の読み過ぎ(町へ出よう、書を捨てずに)

「書を捨てよ、町へ出よう」という言葉はとても甘美だ。大衆民主主義社会にあって、おそらく誰もが首肯したくなるフレーズ。そこから「象牙の塔」批判、「講壇哲学」批判まではほんの一歩だ。

フランス人の友人が書いた68年論の帯には"La philosophie est dans la rue !"(哲学は街路にこそある!)とある。そういえば、構造主義者たちは、"La structure ne descends pas dans la rue !"(構造が街路に降り立つことはない!)と批判されたのではなかったか。

街に出て、例えば「浮浪者」「派遣社員」「不法滞在外国人」と呼ばれたりもする人たちと、時には寝食を共にしながら、共闘する。その誠実さにはもちろん賞賛の言葉以外にない。

しかし…。「空気に過敏な論壇」という構図、「さまざまなる意匠」や「掘っ立て小屋の思想」という構図は、ここでもまたあてはまるのではないか。

書を捨てるのでもない、町へ出ないのでもない、そんな態度は不可能だろうか。

中谷巌を支持するわけでは全くないが、以下で問題にされている事柄には興味がある。KY=空気の読み過ぎは論壇にも学会にも共通する「日本的」な原理なのかもしれない。

***朝日新聞3月14日付朝刊より抜粋

■空気に過敏な論壇
 論壇の停滞が久しい中、経済論壇は、不景気で逆に活況を呈したといわれる。
 だが、経済紙で経済論壇の時評を担当している東大教授の松井彰彦氏は、疑問も感じている。一つが論壇と学界が、「水と油」の関係になってきていること。学界の最前線では、中谷氏が単純化するような野放図な市場主義が礼賛されてきたわけではないのに、学者が大学に閉じこもっていることもあって、研究知識の蓄積が論壇に反映されない。その構造こそが問題だという。
 「気になるのは、日本の論壇に、KYならぬ『空気を読みすぎる』傾向があること。例えば今こそ自由の価値とは何かの議論をすべきなのに、構造改革批判のムードに覆われて、やりにくい気配を感じる」という。
 主張の変更が問題にされると、学者がますます発言しなくなる恐れもある。同志社大教授の浜矩子氏は、変えないこと、真理の前に謙虚であることとの間でバランスが不可欠だとし、そのうえで人々の側に立って臆(おく)せず発言するべきだ、と話す。

Saturday, March 14, 2009

保育園から大学まで

Michel Fichantから次のような情報が回ってきた。日本の哲学者にとってさまざまな意味で重要だと思うので、翻訳しておく。昨今激化しているフランスの大学のストは、決して大学教員の特権的な身分保証のためだけの動きではなく、事は中等教員の身分変更、ひいては教育全般にも関わるものなのだ、という点を中等教育教員に説明するための文章である。

この文章で「国民教育省」が槍玉に挙げられているのは、「高等教育・研究担当省」だけが問題になっているのではないと強調するためである。フランスの教育制度の名称は内閣が代わるたびにマイナーチェンジする。この件に関する必要最低限の詳細はこちら

***以下翻訳

初等・中等教育の教員養成課程
改革反対に共に立ち上がろう

現在、すべての大学が大規模な抗議行動とストライキにさらされている。パリでは、後期の大部分の授業が開始されなかった。数日来この動きは激しさを増しており、多くの大学が封鎖されるに至っている。ドーフィーヌで、ソルボンヌで、ナンテールで、サンドニで、ヴィエタヌーズで、教育活動の大部分が、ときにはすでに六週間にわたって、停止している。教員・事務職員・学生のストは増え続け、実に多くの組合やさまざまな組織に支持されている。何が問題となっているのだろうか。研究資格を持つ教員の資格変更に関する改革だけが、そしてその改革に対して既得権益を守ろうとするギルド的と見なされてよい防御反応だけが問題になっているのだろうか。事実はまったく異なる。数カ月来、大学関係者が総意として[ensemble de la communauté universitaire]求めているのは、とりわけ国民教育省[フランスの文科省]の教員養成・採用に関する現今の改革案の撤回である。現在、この件に関して、関係省庁に対して六カ月以上にわたって要請され続けているにも関わらず、ヴァレリー・ペクレスとグザヴィエ・ダルコスはあらゆる議論を拒否している。通称「採用試験の修士課程化」と呼ばれるこの改革案は特に以下のことを提案している。

1)これまで採用試験合格後、一年間与えられてきた研修期間を削除すること。新規採用教員は、したがって、一年目から生徒たちの前で通常の職務を行なうことになる。

2)これまで教員養成において認められてきたさまざまな次元の訓練が縮減されること(現行案によれば、例えば、今後採用される語学教員は決して当該言語を話す実践的な能力によって評価されることはない)。

3)あらゆる学問分野のあらゆる中等教員採用試験において、学科試験を一つ減らし、代わりに「教育の世界に関する知識」という試験が導入されること(今後採用される教員は、数学であれ、国語であれ、歴史であれ、語学であれ、専門分野の勉強時間を減らして、ある中学や高校の内規、すなわち国民教育省大臣の深遠な奥義を学ぶことになる)。

4)今後、修士課程の二年目に教員採用試験を組み入れること。したがって、今年の受験者は、一方で十月[フランスでは新年度の開始月]から研究者として研究を行ない、修士論文を執筆して、翌年の六月の諮問に合格すると同時に、他方で、一月に筆記、六月に口述が行われる教員採用試験の準備もしなければならない。このことが必然的に意味するのは、

・教員採用試験も修士論文も中途半端なものになるだろうということであり、これは「修士課程化による教員養成のレベル向上」を謳う国民教育省の目標にとってむしろ正反対の帰結をもたらすものである。

・従来より給料を得られるのが一年遅くなるわけだから、そのような延長された研究を継続する財政的な手段を持たない学生たちが不利を蒙ることになるだろうということ。

・不可避的に、かなりの数の「採用待機者 reçus-collés(註)」、つまり修士号は取得したが、採用試験には不合格となる学生たちが出てくるだろうということであり、彼らは国民教育省が増やし続けている非正規教員枠の労働力として利用されることになる。ここ数年採用試験で募集される教員数は目の眩むほど激減しているが、この傾向は続き、より安価で不安定な身分に留め置かれる教員の数の増加によって埋め合わされることになる。

明日の中学や高校は、その結果、教育という同じ使命を担うはずの教員が、一方では国家公務員であり、他方では、生徒たちが心穏やかに学ぶのに必要な、知的活動を行なう余裕をもはや享受できない、未来の不確かな臨時職員であるような場所になっていくだろう。中学や高校の職場の雰囲気は、生徒ばかりか、学校の全職員のやる気を削ぐ、殺伐としたものになるだろう。

このような政策は、教員の養成・知的訓練にとって後退であり、社会的な損害である。事は国のあらゆる構成員に関わる以上、中等教育の教員たちは、生徒の父母同様、このような政策に無関心でいられないだろう。この破壊的な現行案に対して三月に行われるデモ行進に多く参加されんことを。

最初のデモ行進「保育園から大学まで」は、3月11日(水)に行われる予定です。パリでは、レピュブリック広場を14時30分に出発します。3月11日のデモはすべての大学都市で予定されています。

Friday, March 13, 2009

素直な背伸び

「もっと頭を下げれば聴いてもらえるのにね」。そういった考え方がどうしても好きになれない。

別に私はひねくれた人間でも、高飛車な人間でもないので、もっともだと思う批判を受ければ素直に反省する。必要があれば自説を撤回しもするし、謝罪が必要であればする。

また、他人が土下座して前に進むことをとやかく言うつもりもない。人生は一度きりであり、自分が取りたい道をとればいいではないか、そう思っている。だから私も自分の進みたい道を進む。

言われるべくして言われていないことは言われねばならない。ただそれだけのことだ。もちろん、より説得的な言い方を工夫し続けても行くつもりだけれど…。

素直な背伸びを続けていきたい。そう願っている。

Thursday, March 12, 2009

時間の延び縮み(圓生の凄さ)

授業をするときでも、発表をするときでも、理想は、自分の語りたいことを制限時間にあわせて伸縮自在に操れることであろう。



六代目三遊亭圓生。昭和の大名人の一人である。持ちネタの数は有に三百を超えていたというが、弟子で新作落語の雄、圓丈によれば、その記憶力の凄さは数だけの問題ではなかった。

「50分の噺を30分で演るときには、ふつうは途中で切ってしまう。噺を再構成して、いったん短く縮めてしまうと、もう元には戻せない。でも、噺をばらばらにして、好きに取り出せたのが圓生です。あれは通常の記憶力ではない。さらに何段階も上の、次元の異なる記憶です」。

圓生自身は自伝『寄席育ち』のなかで、事もなげにこう言っている。「抜こうと思えば抜ける、入れようと思えば入れられるし、言い方を変えてみることも出来る。それが当たり前のことで、時間の延び縮みが自由に出来なければ商売人じゃァありません」。

この尋常ならざる噺の再構成の自在さは、いかにして培われたのか。圓丈は語る。

「圓生の凄さは、その稽古量です。歳をとれば、どんどん噺を忘れてゆくものですが、圓生は三百を超える持ちネタを片っ端からエンドレスで稽古し続けていた。少しでも時間があれば、稽古が始まる。ごちゃごちゃ口が動き始めるんです。僕らは努力して稽古をしますが、無意識で自然のうちに稽古できるようになるまで努力をしたのが圓生です」。

高座が終わって帰りの車に乗り込む。そのドアが閉まった瞬間に、圓生の噺の稽古、独り語りが始まるのが常だったという。

以上の話は、前述の『落語 昭和の名人決定版』第4巻に収録されている。

Wednesday, March 11, 2009

オーギュスト・コントの時代の生理学と心理学

Anne Devarieuxは、19世紀フランス哲学の、比較的若い、おそらく私と同年代くらいの研究者である。メーヌ・ド・ビランに関する博論を書き(Maine de Biran, l'individualité persévérante, Jérôme Millon, 2004)、ビランを久々に文庫化した(De l'aperception immédiate. Mémoire de Berlin (1807), le Livre de poche (LGF), coll. "Classiques de la philosophie", 2005)。

ENSで行われた『進化』ワークショップでは、私と同じセクションで « Évolutionnisme et psychologie : Maine de Biran, Gabriel Tarde et Henri Bergson » について発表した(『ベルクソン年鑑』第4巻所収)。関連するトピック(タルドのビラン論に序文を付したのが彼女であった)を2004年9月24日に書いていたので、興味のある方はどうぞ

そのadがシンポに参加すると知らせてきたのでご紹介。ちなみに、主催者の一人Laurent ClauzadeL'idéologie ou la révolution de l'analyse, Gallimard, coll. "tel", 1998. という優れたアンソロジーを編んでいる。

Physiologie et psychologie au temps d'Auguste Comte

Journée d'étude, le 27 mars 2009, de 13h30 à 17h30.
Organisée par Laurent Clauzade (Univ. de Caen) et Vincent Guillin (Collège de France)

- A. Devarieux (Université de Caen), « "Ce qui touche le moi sans être lui" :la psychologie physiologique de Maine de Biran ».
アンヌ・ドゥヴァリユー《「自我であることなしに自我に触れるもの」。メーヌ・ド・ビランの生理学的心理学》

- J.-G. Barbara (CNRS UMR 702 & RESHEIS)« Les recherches de physiologie cérébrale au temps de Comte ».
バルバラ《コントの時代の大脳生理学研究》

- L. Clauzade (Université de Caen)« La théorie cérébrale d'un naturaliste chrétien: H. M. D. de Blainville ».
クローザッド《あるキリスト教的博物学者の脳理論:ブランヴィル》

- V. Guillin (Collège de France)« Le rôle de la phrénologie dans la sociologie comtienne : le cas de l'égalité des sexes ».
ギヤン、《コント社会学における骨相学の役割:性的平等の場合》

- T. Dixon (Queen Mary University, London) « The Science of the Brain and the Religion of Humanity : Comte and Altruism in Victorian Britain ».
ディクソン、《脳科学と人類教:コントとヴィクトリア朝イギリスの利他主義》

Avec le soutien de l'équipe Identité-Subjectivité (Univ. de Caen), de la Maison d'Auguste Comte (Paris), et de la Chaire de philosophie des sciences biologiques et médicales (Collège de France).

Lieu : Collège de France, Salle 411, Pl. M. Berthelot, 75005 Paris

Tuesday, March 10, 2009

哲学入門一歩前

「哲学入門一歩前」という(たしか廣松渉の)言葉は結構気に入っている。その理由については前にこのブログ(の前身であるHP)に書いた



来年の授業を練っている。担当する7コマで一つの哲学教育のcursusを構築できればと願っている。

1年次に基礎ゼミで思考訓練を施しつつ、哲学史(知識)と哲学概論(概念の操作)で哲学研究の基礎を学ぶ。

2年次にフランス近代思想史演習(デカルトとライプニッツ)

3年次にフランス近現代思想史(デカルトからデリダまで)・フランス現代思想史演習(ベルクソンとドゥルーズ)

4年次に卒論ゼミでまとめとしてのフランス思想・哲学研究

私の奉職する大学に限らず、昨今どこの大学の学生にも難しすぎる感じもするが、それはやり方次第かもしれないとも思っている。知の離乳食から通常の栄養摂取へ――少なくとも一年目は、周りの意見をいろいろ伺った上で、自分の思うような形で授業を展開してみたい。それでダメなら、さらに周りの意見を取り入れていこうと思う。

偉そうなことを言っても、私自身の鍛え直しが先決である。そういうわけで、最近は手当り次第に入門書とギリシャ哲学関連の著作を読みあさっている。

・中村雄二郎、『哲学入門――生き方の確実な基礎』、中公新書、1967年(氏42歳の著作)。
・松浪信三郎、『哲学以前の哲学』、岩波新書、1988年(氏75歳の著作)。

・中村雄二郎ほか、『思想史――歴史的社会を貫くもの』、東京大学出版会、第二版1977年(初版1961年)。
・ラッセル、『西洋哲学史1 古代哲学』、みすず書房、1970年(原書1946年、刊行時74歳)。
・熊野純彦、『西洋哲学史 古代から中世へ』、岩波新書、2006年(刊行時48歳)。

・ディオゲネス・ラエルティオス、『ギリシア哲学者列伝』全3巻、加来彰俊訳、岩波文庫。
・『シャトレ哲学史I ギリシア哲学』、藤沢令夫ほか訳、白水社、1976年(原書1972年、刊行時シャトレ47歳)。
・内山勝利、『哲学の初源へ――ギリシア思想論集』、世界思想社、2002年(刊行時60歳)。
・古東哲明、『現代思想としてのギリシア哲学』、ちくま学芸文庫、2005年。

個別の哲学者については数が多すぎるので省略。

Monday, March 09, 2009

『哲学と大学』刊行間近

昨年来、西山雄二さんを始め、友人・知人たちと続けてきたプロジェクトが、いよいよ未来社から、『哲学と大学』というタイトルの論集として刊行されることになった。論集全体は、近代の哲学的大学論を総覧する第一部と、人文学の制度的矛盾を考察する第二部という構成をとっている。

昨年四月に行なった発表を基にした私の論文「条件付きの大学」は、第二部に属しつつ、第一部的な面も含んでいる。フランス人哲学者たちによる大学論不在の原因をフランスの高等教育・研究制度の特殊性に求めつつ、彼らの「沈黙」の意味を問う前半部と、ほぼ唯一例外的に大学論に取り組んでいるデリダの『条件なき大学』を取り上げて批判的に読解して見せる後半部からなるからだ。

デリダを読まずに「批判」する人々――彼らはえてして純粋な哲学研究を自称する――と、きちんと読まずに盲信する人々(ないしは自論の権威づけに利用する人々)――彼らはえてして活動家を自負しており、理論的な内心の不安を抱えている――の両方を同時に叩く戦略を展開してみた。

「哲学はすべての人に開かれてあるべきだ」、高らかにそう宣言する人々は、純哲系にも現代思想系にも多い。一般の人々からも賛同を得やすいこの手の発言は、しかし、哲学の唯物論的な基礎――日本の場合には大学――に目をやることなしになされる場合、ポピュリズム以上の意味を持たない。

哲学はすべての人に開かれてあるべきだとして、まずはそう論じる少なからぬ人々が拠点としている大学において哲学はどう開かれてあるべきなのか、そのことが論じられねばならない。

哲学は偏在する、それはそのとおりである。しかし、至る所に同じ仕方で在るのではない。要するに、心安らかに哲学の偏在性を唱える人々(往々にして大学人)には、論じる「自分」、自分が思索を展開するために拠って立つ「場」に対する感覚というものが抜けているのである。

大学における哲学教育を考えるうえでも、哲学者の大学論の系譜を辿る教科書としても最適な本書、店頭配本は23日の週になるとのことですので、ぜひお買い求めください(価格は2400円)。

Sunday, March 08, 2009

ラヴェルの夕べ

知らなかったが、ベルクソンについて幾つかの研究書を書いているアラン・パヌロは、ルイ・ラヴェル協会(association Louis Lavelle)の書記 secrétaire らしい(ちなみに、JLVBが会長)。その彼からのお知らせ。

Poésie et métaphysique
Le vendredi 20 mars 2009,
École Normale Supérieure, Salle des Résistants, 45, rue d’Ulm, Paris 5e
Entrée libre

14 h / Jean-Louis Vieillard-Baron : Discours d’ouverture
14 h 15 / Frédéric Worms : « La poésie de Jean Wahl »
15 h / discussion
15 h 15 / François Chenet : « Philosophie et poésie : une admirable concordia discors »
16 h / discussion puis pause
16 h 30 / Souâd Ayada : « Hafez, poète et philosophe »
17 h 15 / discussion
17 h 30 / Bernard M.-J. Grasset : « Poésie, philosophie et mystique »
18 h 15 / discussion puis cocktail

Saturday, March 07, 2009

m&m

同世代でありながら、仕事でははるか先を行っているという人々がいる(この年になれば、すでに年下にもそういう人々がいる)。

h大のmさん(のブログ)とh大のmさん(のHP)。同い年(のはず)の二人のmさんは、私より少し年上だが、仕事では何倍も上である。

このお二人、違いもいろいろあるのだが(批判の表現の仕方など)、共通点も多いように思う。何より仕事への真摯な打ち込み具合が似ている。家庭は大丈夫なんだろうかと余計な(実に余計な)心配をしたくなるほどだが、まずはその前に学者としての自分の心配をしないといけない。やはりこのくらい頑張らないと一流の学者にはなれないのかも。

しかし、今日も引っ越しの後片付け。primum vivere...

Friday, March 06, 2009

蔵書の荷解きをする(ベンヤミンとは別の仕方で)

新天地に着いた。ようやくネットにつながったので、段ボール箱に囲まれながら、必要なメールを書きまくっている。

もう何度目の長距離引っ越しだろう。大阪から京都、京都から東京、東京からリール、リールから東京、そして…

年をとるほど引っ越しが辛くなる。捨てるに捨てられないもの(あらゆるレベルで)が溜まり、ますます身動きが取りにくくなるからだ。文化が埃との絶えざる闘争であるとすれば、人として生きるということもまた、「降り積もるもの」に対する不断の抵抗であると言えるかもしれない。

若かりし頃、ベンヤミンの「蔵書の荷解きをする」にごく当然のものとしてのシンパシーを抱いていた。ことと思っていた。

《蔵書の荷解き作業を中途でやめるのがどれほど難しいかということほど、この作業の魅力をはっきり物語るものはありません。昼どきに作業を始めたのが、やっとの思いで最後の箱に近づく前に、真夜中になっていました。》

ベンヤミンのこのエッセイの初出は1931年だから、39歳のときのものということになる。元気だな…そもそも荷解きだけでも単純に疲れるのに。ともかく、結婚し、子供が出来ると、夢中で荷解きしまくれるのは一つの特権であることに嫌でも気づかされる。

《本来、遺産相続こそ蒐集を始めるための最も有力な方法であります。と申しますのも、蒐集家が自分の所蔵物に対してとる態度は、もともと、有産者がその財産に対して抱く責務の感情に由来しているからです。蒐集家の態度とは、したがって、最高の意味では相続人の態度なのです。》

子供より古書が大事と思いたい(必ずしも思っているわけではないわけだ)人間はいいのだが、ふつう子供がいると、相続人の立場に立つよりも、いずれ「役に立たないガラクタの山」として相続される(嫌な顔をされる)であろう自分の蔵書の行く末に思いを馳せるものではなかろうか。

蒐集という行為の反時代的な性質について語り、蒐集にとって「夜」の時代がやってきていることを語ると同時に、ベンヤミンは個人の行為としての蒐集の終わりについても語っている。「蒐集という現象はその主体を失うことによって自身の意味も失う」。しかし、子供や連れ合いがいる場合、蔵書としての意味は失われても、マテリアルなガラクタとしての「意味」は否応なく彼らにのしかかるのである。

蒐集家の幸福を「私人=金利生活者 Privatmann の幸福」と言い換えるベンヤミンは、特権階級がパトロンとして支えてきた芸術でも、大衆がファン・マニア・おたくとして支持するポップカルチャーでもない、過渡期の何かにきわめて敏感であった。しかし、この視点からは見えないものも当然ある。そこそこ裕福な金利生活者は「負の遺産」にそれほど怯えなくてもいいわけだ。

《さて、最後の木箱の本を半ば空け終えたところで、時刻はもうとっくに真夜中を過ぎてしまっております。今私の頭の中を満たしているのは、ここまでお話ししてきたこととは別の考えです。いや、考えといったものではなく、さまざまなイメージ、さまざまな思い出なのです。実に多くのものを見出したさまざまな都市の、さまざまな思い出…》

ここでもまた、今の疲れ切った私は共感することができない。蔵書の荷解きをしつつも、連れ合いと子供と共に新たな生活に飛び込んで、「降り積もるもの」に抗い続けた一日の終わりに、さまざまなイメージ、さまざまな思い出は、残念ながら私にはまったく浮かんでこない。夢の中ででもなければ。Sogni d'oro...