Tuesday, February 26, 2008

噺を自分の言葉で語る(アマとプロ)

土曜日、シンポジウム《哲学と大学――人文科学の未来》に参加してきた。その様子はいずれUTCPのサイトで報告されるだろうから、せめて自分の発言くらいまとめておこうと思ったのだが、お馴染の方にはご推察の通り、翌日以降、アトピー症状が急激に悪化し、またもダウンしてしまった。

今日は遠くの病院に行ってきた。これまでは久しぶりの再発ということでステロイドを使っての短期決戦でケリをつけるという戦略だったのだが、それが失敗に終わったので、脱ステロイドという長期的で苦しい療法を選択せざるをえない。ステロイドは長期連用すると依存体質になったり他のところに副作用が出てくる惧れがあるからだ。薬で一時的に抑えるということができなくなると、これから今まで以上に苦しくなる。。

というわけで、自分のコメントの代わりに、ひと月ほど前に書いた雑文。他の仕事も少しずつやってますよ。。

***

九代目林家正蔵(元・こぶ平)の「生きてるうちにしたいこと」という記事を読んだ。「噺を自分の言葉で語る」ことなんだそうである。TBがついていて、「まずは実力をつけたら」「名前ばかり先行している」「名前負けしている」などと好き放題に書かれている。

正直に言えば、私も、八代目正蔵(彦六)が芝居話や怪談話を得意とする端正な話芸の持ち主であっただけに、「九代目はもうちょっと勉強が必要かな」と思う。けれども、話すこと、書くことを職業とし、その意味ではほぼ同じ土俵に上がる者としては、そう簡単に「まずは実力をつけたら」などとは言えない。それは、素人が素人として言う限りで許される言葉である。あるいは、プロとして自分の実力が彼より完全に上であると自覚し、周囲からも認められた限りでようやく許される言葉である。

「誰某は駄目だ」「もっと勉強したほうがいい」――巨大掲示板やsnsに哲学・思想研究に関する「コメント」や「批評」を書きつける。あるいは書きつけないにしても、談義に花を咲かせる大学院生を見ると、暗澹とせざるをえない。彼らは完全に勘違いをしている。彼らは素人ではない。それとも、「観客」や「批評家」でありたいのだろうか。

日本のいわゆる「一流大学」で哲学・思想研究に従事している大学院生と、フランスのいわゆる「グランゼコール」出身の哲学系大学院生を比べた場合、まず真っ先に思うのが前者のアマチュアリズム、後者のプロフェッショナリズムである――「大学」一般や「若手研究者」一般について語ることは本当に難しいとますます実感しているので、問題をここまで限定してみる。

フランスのいわゆる「グランゼコール」の学生たちには国家公務員として給料が支給され、文化機関においては各種の割引が用意されている。それは、彼らが国民のために奉仕する官僚(教員)候補生と見なされているからである。私にとっては、これが「エリート」という言葉の厳密な意味である。日本では旧帝大系や伝統ある私立大学が「一流大学」とされ、「エリート」と呼ばれたりもするが、彼らは少なからぬ入学金・授業料を支払って大学に通っているのである(下表)。この差は当然、学生の意識に決定的な影響を及ぼす。

国立:入学金(約28万円)、学部授業料(約54万円/年)、大学院授業料(約54万円/年)
私立:入学金(約28万円)、文系学部(約100万円前後/年)、文系大学院(約50‐100万円超/年)
(私立では、さらに施設費・実習費・諸会費の三つで約35万円/年がかかる)

《結局、アメリカ、ヨーロッパ諸国は公的資金の拡大を通じて大学拡張を実行したが、日本の場合には、私立大学が拡大し、そのための民間資金の導入が大幅に行われたことになる。その影響はその後も続き、高等教育に投入される公的資金は、GDP(国内総生産)に対する比率で見ると、日本は先進諸国の中では最も低い。》(潮木守一、『世界の大学危機』、185頁)

さらに、フランスの大学院では、研究者養成制度(3e cycle)と教育者養成制度(アグレガシオン試験制度)は、制度的に完全に分離されている。これが日本の大学院との最大の違いである、と私には思われる。フランス人が通常辿るコースは、二十代前半~後半でアグレガシオン免状を取り、教員として生活費を稼ぐことを保証されつつ、研究者養成コースに通う(博士論文を執筆する)、というものである。だが、日本ではこれが出来ない。研究と教育が制度的に完全に分離されていないからである――「制度的な分離」ということを強調するのは、実際にはもちろん学生は両方の制度を利用するからである。

フランスではアグレガシオン免状をとる学力が不足している場合、博士課程に進まず、研究を断念することもままある。これだと早めの進路変更も可能である。日本では二十代後半~三十代半ばで博士号まで取っても就職の見込みがない場合もままある。博士号を取るまでの数年間を自分の研究とまったく関係のないアルバイトをして大半の時間を潰すこともしばしばである。その途方もない忍耐の最終段階まで来て就職がない人々が沢山いるとしたら、それはそもそも大学院増設のプランニングがまずかったのだと言われても仕方がないだろう。

《18歳人口が減少する第一歩を刻んだ平成三年(1991年)から16年が経った今、短大や大学への進学者は予想された通りに激減した。だが、大学院だけは逆となった。少子化などどこ吹く風とばかりに、院生は大量に増殖した。

大学院生の数は戦後最大となり、昨年には26万人を突破した。わずか20年前には、7万人であったことを考えると、これは驚異的な成長率である。「大学院重点化計画」における院生増産が、文部科学省の主導によって”計画的に”達成された結果である。

自然の理に逆らうようなこんなパラドックスが続けば、どこかに歪みが生じることは火を見るより明らかだ。

現在、大学院博士課程を修了した人たちの就職率は、おおむね50%程度と考えていい。学歴構造の頂点まで到達したといってもよいであろうこれらの人たち。だが、その二人に一人は定職に就けず、”フリーター”などの非正規雇用者としての労働に従事している。

こうしたフリーター博士や博士候補が、毎年5千名ほど追加され続けているのが、日本の高等教育における”今”なのである。その生産現場は、もちろん「大学院」だ。》(水月昭道、『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』、光文社新書、2007年、4‐6頁)

私はこういった事態の進展をあたかも「天災」のように語ったり、すべての責任を文科省に押し付ける(同じことだが、何らかの形で回避策を模索しなかった)大学教員に怒りを覚える。その人々が「大学院重点化」が政策として決定された時点で教授であったのであればなおさらである。いつも言うことだが、暴力の振るわれている現場でNO!の声をあげない者はYES!と言っているのと同じである。申し訳ないが、声に出せない良心など良心ではない。



そのうえ、日本の大学の採用基準は、今もなお多くの場合、研究能力(論文の数)であって教育能力ではない(教員選考に際して模擬授業を課す大学が大半とは言えないし、そもそも大学院に大学教員養成用の授業はほぼ皆無である)。大学が「教育者」兼「研究者」としてある者を採用する場合の基準が、その者が「研究者」として行なった活動の質・量のみであるというねじれ――これは大学で行われている教育に何の影響ももたらさないと言い切れるであろうか?

アグレガシオンは様々な問題を抱えつつも(アグレガシオンの審査に携わる教授に学べるパリの学生が有利であると言われるし、「アグレガシオンは真に教育に必要な能力を測っていない」「試験が得意なだけ、器用なだけの学生に有利だ」との批判も根強くある)、国家統一試験であり、最低限形式的に「透明」であり、これを通過した者は最低限の教授能力を持っていると見なされる(長時間の口頭試験、模擬授業がある)。問題を抱えた者が通過してしまうこともあるが、制度の例外をつつき出せばきりがない(たしかにアグレグに落ちた私の友人たちの中には明らかに哲学的能力を備えた者もいる。しかし、マクロの視点を取った場合、アグレグの能力評価は概ね当たっている)。

自分は本当に大学に残れるのか、本当に研究者としてやっていけるのか、本当に大学教員になれるのか不安を抱え、ひとまず授業料を稼ぐためにアルバイトに精を出すか――塾講師や予備校講師で自分の専門を教えられる人がどれほどいるだろう?――、学生支援機構ないしは両親に「甘えて」研究を続けているというどこか後ろめたい気持ち、引け目を抱いたまま二十代・三十代を過ごす日本の人文系大学院生。

アグレガシオン免状を取って自分の教師としての力量を示し、自分の研究分野を教えて給料をもらいつつ、若いうちから誇りを持って研究者としての道を歩み続けるフランスの人文系大学院生――こちらのほうがよほど筋が通っていると思うのだが、どうだろうか。

(誤解のないように言っておくが、フランスの制度にまったく問題がないと言っているわけではない。「そもそも哲学のアグレグの数が激減している」「その結果、アグレガシオンを取った若い教員が正規職に就けず、代用教員の立場に置かれ続けるといった事態が急激に増加している」といった問題は深刻である。だが、研究と教育を制度的に分離するメリットが少なくとも一つある、と言っているのである。)

自分の研究・教育活動を経済基盤として安定的に生活できない者に研究者の自覚(それ以前に一社会人としての自覚)が容易に宿るはずもない。若手サラリーマンが自分の本来の仕事・働きに応じてではなく、上司の裁量(我々で言えば、学生支援機構=旧育英会の援助)によって給金を与えられたり、あるいは副業・アルバイトで、あるいは(残念なことに最も頻繁なケースだが)親の仕送りで、どうにか生活を支えているとしたら、彼らは誇りを持って仕事に臨めるであろうか?

なるほどたしかに日本学術振興会(学振)はおおよそ仕事・働きに応じて奨学金を与えている。ただし、サラリーマンのように基本的に社内にいてプロジェクトチームに入ることで業績アップを狙うというのが相対的競争主義であるのに対して、学振は絶対的競争主義であるという大きな違いがある。ここにはセーフティネットはない。若手研究者は正規雇用サラリーマンよりもフリーターに近い境遇に置かれている。高学歴ワーキングプアの問題は深刻化している。

日本の「一流大学」と呼ばれている大学でさえも厳密な意味で「エリート大学」と言えないのは、このような(純粋に経済的な)理由によるのである。このようなメカニズムを知らずに、このようなメカニズムの来歴や功罪を分析することなしに、大学院生の事をただ「モラトリアム」だ「怠け者」だ「学力低下」だと嘆く(あるいは自分を嘆く)のは実に容易いことだ。

どこから手を着けるべきだろうか、答えははっきりしている。NON RIDERE, NON LUGERE, NEQUE DETESTARI, SED INTELLIGERE.

皆が皆、「哲学と大学」論をやれ、とは言わない。しかし、いやしくも哲学・思想研究を志す者が、自分がどのような場に身を置いてものを考えているかを批判的に自覚することなしに、研究活動を続けていけるものだろうか?いつの日か噺を自分の言葉で語れるようのなるために、プロとしての自覚と誇りを持てるようになるために、今何をなすべきか、決して忘れてならないことは何か。

これは大学教員になったから「一抜けた」となるような問題ではない。たとえ今までそのようにしてこの問題が現に放置されてきたとしても。


■噺を自分の言葉で語る

 今年で45歳になる。平均寿命から考えればもうすでに人生の折り返し地点を通過した。私は15のときに、落語家になった。祖父も父も噺家(はなしか)という家に生まれ育った。(…)

 落語を知れば知るほど、ある程度の基本的な型をマスターすれば、その後は己(おのれ)の魅力のみがその噺家の価値になる。つまり何を話すかではなく誰が語るかなのである。正蔵を襲名する5年前から父が手がけていなかった古典落語を中心に、初心に帰り稽古(けいこ)に通った。

 ここ何年間でいろいろなことが解(わか)ってきた気がする。身についたもの、これからまだまだ覚え習得し、磨きをかけてゆかねばならぬこと。だから常に今週は何を、今月までにはどんな噺を仕上げること、など短い期間の課題と5年後の目標、10年後の理想、20年後の自分の姿を思い描いている。

 現実としてゴールラインが遠くに見え、それを多少なりとも意識してしまう年齢になった。すると不思議なことに肩の力は抜きながら、こうなりたいという噺家像に向かって全力で走れる。

 座布団一枚の制約の中においてどれだけ己の世界を生み出してゆけるのか、その唯一の可能性にかけて、日々生きていきたい。生きているうちにしたいことは、どれだけいい噺を自分の言葉で語れるか、ただそれのみである。

Thursday, February 21, 2008

ヘーゲルの三つの顔

・デュルケム、「ドイツの大学における哲学教育の現状」(1887年)、『デュルケム ドイツ論集』小関藤一郎+山下雅之訳、行路社、1993年、163-215頁。





《ヘーゲルは三つの顔をもっている。第一は、カント、フィヒテ、シェリングなどの哲学を批判的に自己同化して、絶対的観念論として独自の哲学体系を展開した哲学者としてのヘーゲルの顔である。

第二は、イギリスの産業革命、フランスの政治革命に示される世界史の転換期に生きて、祖国ドイツの近代化を目指して故国ヴュルテンベルクの政情を憂えたり、ドイツ憲法論を論じたり、イギリス選挙法改正運動を見守る政論家としてのヘーゲルの顔である。

そして第三は、哲学教師として、ギムナジウム校長として、視学官として、さらにベルリン大学総長として活躍した教育家としてのヘーゲルの顔である。[…]

ヘーゲルにとって、哲学者であることと、政論家であることと、教育家であることは、決して別々のことではない。これらは三位一体であり、このいずれの顔をも無視しないところに、初めて正しいヘーゲル像が結ばれると言わなくてはならない。》(『ヘーゲル教育論集』上妻精(こうづま・ただし)訳、国文社アウロラ叢書、1988年、304、306頁

Wednesday, February 20, 2008

大学だけいじっても

・大場淳、「フランスの大学における〈学力低下〉問題とその対応」、『広島大学大学院教育学研究科紀要』第52号、2003年、371‐380頁。
・大場淳、「フランスのエリート校の新しい入学者選抜制度
・ 園山大祐(2004)「フランス高等教育におけるアファーマティブ・アクションの導入─パリ政治学院の「多様性の中にみる優秀性」に関する一考察」日仏教育学会年報第10号、100-111頁。


・津崎良典、「フランス全国大学評価委員会による教育評価の基準策定に関するノート」(大阪大学『大学教育実践センター紀要』第3号、2006年) 津崎さん論文どうもありがとう!

西山雄二さんがUTCPのブログで、昨今の大学論のうち、雑誌で特集として組まれたものについてまとめてくださっている(「日本の大学の現在―競争による競争のための競争の減失?」、2008年2月15日)。中でも《生存のための闘争》の描写には目をひかれた。

《逆に、法人化以後、国立大学の運営費交付金は毎年1%ずつ削減されており、交付金だけで人件費を充当することができない大学がほとんどである。大学は自助努力で「競争的研究資金」を獲得して、運営の資金をも確保しなければならない。それは、いわば「基本給」が削減され、足りない部分は「歩合制」となり、同じ仲間との競争のなかで「能力のある者」が高い報酬を獲得できるというドラスティックな仕組みである。「競争」といっても、一定の生存が保障された上での競争ではなく、まさにお互いの生存を賭けた競争である。》

大学の問題を考えるとき、社会の問題、政治の問題を同時に考え続けること。下の記事と同じ文脈ではないが、「大学だけいじっても」「学校だけいじっても」「教育問題だけいじっても」という視点は常に必要だと思う。


【9月入学】大学だけいじっても
2007年07月27日08時26分

 大学九月入学が政府の思うように進んでいない実態が文部科学省の調査で明らかになった。

 二〇〇五年度、四月入学以外の制度を導入していた大学百五十三校のうち、四月以外の入学者がいた大学は約四割にとどまり、前年に比べて入学者のいた大学数、全体の入学者数ともに減少していた。

 安倍首相も九月入学を教育再生の柱の一つに掲げ、「骨太の方針2007」に盛り込むなど四月入学からの転換に意欲を見せる。だが、就職の不利が浮き上がるなど、条件整備もないまま旗を振ったところで制度が浸透しないのは当然だろう。

 九月入学は古くて新しいテーマである。一九八七年、中曽根内閣時の臨時教育審議会が答申に「検討課題」として盛り込んで以来、たびたび議論されてきた。

 二〇〇〇年の森内閣では首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が最終報告で「積極的に推進する」とさらに踏み込んだ。安倍首相が義務化を提案する三月の高校卒業から九月の大学入学までの間の社会奉仕活動はこの時、既に示されていた。

 転換の理由は過去の議論も安倍首相の持論も共通している。

 欧米の主流である九月入学に合わせ、互いが留学しやすい環境を整えることで大学の国際競争力を高める。少子化の時代、留学生を迎えやすくして経営の安定につなげる。社会奉仕活動をすることで「公」の意識を育てる。以上に集約されよう。

 だが、理念だけで乗り切れるほど軽い問題ではない。企業の通年採用が増えているとはいえ、新卒採用は三月卒業者に集中している。九月入学制では六月卒業が一般的であり、就職面で大きな不利を被る。

 しかも、日本社会は小・中・高校ともそうであるように「四月入学、三月卒業」が文化・伝統として根付いている。行政はもとより企業の会計年度も四月から翌年三月末までというケースが多い。

 大学の入学制度だけをいじり、社会全体の仕組みに手を付けないのでは混乱を招くだけである。

 社会奉仕活動も、本来は自発的なものであり押し付けは筋違いだ。四月入学のままでも大学のカリキュラムに組み込めば済む話である。また、進学しない若者との公平性をどう保つつもりなのか。

 実現にはあまりに課題が多い。理念先行の安倍改革を象徴する必然性に欠ける政策だ。慎重な議論がもっと必要である。

Tuesday, February 19, 2008

ゆとりを独占する者

2月16日(土)、第7回フランス哲学セミナーに参加。メルロとリクールについての発表を聴く。

最近の仕事。
・「bの転義論」再校。「暴力」概念再考。
・「b&lの物質性」仏語版。「有限性」概念再考。
・「哲学と大学」シンポ迫る。準備。

***

私はゆとり教育そのものに対してはさほど批判的ではない。受験戦争用の詰め込み教育をすべての子供に押し付ける必要はない、という意味においてである。だがまた、「ゆとりの理念はよかったが、実施段階(文科省官僚?日教組?現場の教員?)で間違えた」という言説に加担しようとも思わない。ゆとりの「理念」をあの時点であのような形で言い出したこと自体、やはり楽観的な姿勢だったのではないかと思うからである。

「『ゆとり』には、地域社会と大人が土日は時間のゆとりを持って子供たちと過ごし、子供を鍛えてほしいという意味も込めていた」(有馬朗人)。

そういうことは、日本の過剰労働社会の現状を改革することと同時でなければ意味がないどころか、有害にもなりかねないということを有馬氏は自覚すべきだったと思う。ゆとりをもった子どもを、ゆとりのない大人たちの誰が――親、教師、地域共同体?――、面倒を見るのか?親も、教師も、地域共同体も青息吐息の中で、過去最高の利益をゆとりをもって上げ続けているのは誰なのか。

銀行6グループ 最終益3兆円超、過去最高 のど元過ぎて…顧客軽視(産経新聞、2006年5月24日)
租税特別措置の企業減税、半数20年超 既得権化指摘も(朝日新聞、2008年2月17日)
母子家庭 重労働団らん犠牲(東京新聞、2007年12月20日)

教育問題はそれだけを眺めていても決して解決しない。教育の問題は社会の問題であり、政治の問題である。もちろん、この問題に政治的な視点だけをもって取り組むとえてして「利益誘導型」に終わりやすい。哲学的で批判的な分析が必要だ。《哲学・教育・政治》の不可分を言うゆえんである。


「ゆとり教育」の先に…自信も失った若者たち
2月17日16時4分配信 産経新聞


 「未来像…学力低下はさらに進む!!」。昨年12月下旬、福島県相馬市から県立相馬高校の2年生14人が、元文部大臣の有馬朗人氏(77)を東京に訪ねてやってきた。

 生徒たちは研究発表の資料を携えていた。「学力低下の要因の1つは『ゆとり教育』」「授業で習うことが社会で役に立たないから、学習意欲・関心が低下している」「教員の質も問題だ」…。資料には有馬氏を詰問するかのような学力低下の“分析結果”が並んでいた。

 物理学者で東大総長も務めた有馬氏は、平成8年に「ゆとり」「生きる力」を打ち出した中央教育審議会の当時の会長だ。

 生徒たちは、理数教育を推進する「スーパーサイエンスハイスクール」活動の一環として教育の科学的考察に取り組んだ。きっかけは、昨年12月上旬に発表された「生徒の国際学習到達度調査(PISA)」の結果で、「日本の順位がまた落ちた」という報道だ。

 「学力は下がっていない」。きっぱりと反論する有馬氏に、生徒は目を丸くした。熱弁は2時間近くに及んだ。

 有馬氏は内心ではこう嘆いたという。「分たちが悪い教育を受けてきたと思っている。過度の『学力低下』批判が、子供たちの自信を失わせた。学力の問題より、こちらの方が大変なことではないのか」       



 「お前、ゆとりだろ」。ネットの掲示板などで相手をおとしめるため使われる言葉だ。昨年12月、巨大掲示板「2ちゃんねる」のユーザーが中心となって投票した「ネット流行語大賞」では、銅賞に選ばれている。

 中教審委員として前回と今回双方の指導要領改定に携わり、私立有名進学校を経営する「渋谷教育学園」の田村哲夫理事長(71)は、ゆとり教育の目指したものについて「教育の目的は不測の事態への適応力をつけるための訓練。高めるには知識などの学力が3割、意欲や思考力などが7割-が心理学の定説だ。前回の改定は、学力訓練に注力しすぎた教育をただすためだった」と位置づける。

 だが、「時間を減らしたら、教える側が何もしなくなってしまったのが実情。できた余裕が現場でまったく生かされず、マイナスだけが出てきた」と、今回、30年ぶりに授業時間増に転じる理由を説明する。

 「『ゆとり』には、地域社会と大人が土日は時間のゆとりを持って子供たちと過ごし、子供を鍛えてほしいという意味も込めていた」と有馬氏は言う。

 「答申後、文部省(当時)の役人とともに全国を回ればよかった。ゆとりの意味はこうだ、とていねいに説明すべきだった。後悔している」               

 ◇

 今年1月16日、東工大のシンポジウムで有馬氏は、ここでも「学力が下がっていると言われるが、全く下がっていないことを証明する」と言い切り、「理工系学生の学力・学習意欲の低下が問題化している」と“弱気”なあいさつをした主催学生を勇気付けた。

 有馬氏は、昨年10月に文部科学省が発表した全国学力調査の結果などを引用し、小学校6年生の漢字で「(魚を)焼く」と正しく書けたのは70・9%で昭和39年調査の33・8%を大幅に上回ることなどから、「義務教育段階での知識型学力は落ちていない」とする。

 一方で中学で学ぶ2次方程式を解ける大学生が3割しかいない例をあげ、「大学はガタ落ちだ」とも認める。

 学力が身についていない。応用型の国際学力調査などで成績が伸びていない現状は否定できない。 冒頭の生徒たちは有馬氏の説明を受け、氏家由希子さん(17)は「ゆとりが目指したものを知らなかった」とし、「有馬先生の考えが、親や地域の人にどれだけ浸透していたのか。納得いかないところもあった」とも。

 「学習指導要領が改定されるなら、本当の狙いがちゃんと分かるようにしてほしい。でなければ誤解が二重になっていく気がする」。佐藤恵里香さん(17)はそう話した。

Saturday, February 16, 2008

有限性をめぐって(3)ダスチュール

さて、続いてダスチュールである。彼女とは何度か食事を共にしたことがあるが、しなやかでたくましい野生の猫、という感じをいつも受ける。これは本を読んだ印象とはかなり違う。というのも、ブーリオーの著作も「教育的」なのだが、ブーリオーの著作にはどこか「ガリ勉」の香りがするのに対して、ダスチュールは「優等生」な感じがするのだ。痒いところに手が届くというか、懇切丁寧というか。野性味、豪快に笑い飛ばすといった雰囲気は著作の中にはない。

著作と実際に会ってみた印象が最もかけ離れていたのはEric Dufourである。姿形だけを見て、彼が新カント派の研究者と言い当てられる人はこの世に存在しないのではないかと思うくらいだ。

とまれ。『死。有限性に関する試論』には2バージョンある。Hatier社の叢書Optiquesから1994年8月に出た版は、biblioまで含めても80頁足らずの小著。



ちなみに、Jean-Michel Besnierに率いられたこの叢書は実に優れた叢書だった。ダスチュールが13年後に振り返った時の言葉を借りれば、

"Cette collection, qui n'existe plus aujourd'hui, était destinée à donner à un large public - allant des étudiants d'université et des élèves de la classe terminale des lycées à tous ceux qui s'intéressent à la philosophie sans avoir reçu de formation spéciale à cet égard - un accès à une réflexion philosophique centrée sur un petit nombre de questions fondamentales. Les livres de la collection "Optiques" devaient porter chacun sur une des notions du programme de philosophie de l'enseignement secondaire et se présenter sous une forme compacte, ce qui veut dire que leur nombre de pages était précisément calibré. / Lorsque l'on m'offrit de publier un essai dans cette collection, en me précisant le cadre dans lequel il s'agissait de s'insérer, j'eus tout de suite envie de participer à cette entreprise..." (La mort, PUF, coll. Epiméthée, 2007, p. 7).

リシールの身体論、バディウの倫理学、バルバラスの知覚論、ピショの優生学をはじめ、他にもMichel Haar, J.-M. Domenach, R. Misrahi, A. Renaut, P. Canivez(エリック・ヴェイユの専門家)など、錚々たる名前が並ぶ。ついこの間言及したレステルの『動物性』もこの叢書である(表紙の美青年ぶり…)。


いつも言うことだが、どの出版社から出ているか、とりわけどの叢書から出ているかはどうでもいいことではない。「叢書の地政学 géopolitique de la collection」とでも言うべきものがあるからだ。叢書によって内容に関する多くのことが事前に分かり、どのような思想の水脈に位置づけられるべきかおおよその見当がつくからである。

この叢書が良質なものだった証拠に、この叢書が消滅した後、次々と他の出版社から再版が決定している。バディウの『倫理』はすでに2003年に「第二版への序」を付してNousという出版社から再刊されているし、レステルも2007年にL'Herneから出た。

2007年9月にPUFの名門叢書エピメテから出た『死。有限性に関する試論』の2バージョンめは200頁を超え、大幅にバージョンアップがなされている。



ブーリオーにとって有限性とは人間の可感的な認識の限界を指していた。ダスチュールにとって、有限性とは死である。「死と有限性とは私にとって本来的に結びついたものだ」(p. 8)。おそらくどちらか一方だけでは駄目で、この両面を見据えないと有限性という概念の十全な把握には到達できないのだが、とまれ。。



人は自分がいずれ死ぬと知っている。通常、この己の死に関する「知」は、人類の本質的特徴の一つに数えられる。宗教、形而上学、総じて文化全般は、死に「打ち克つ」ことを謳う。哲学もその例に漏れない。プラトンからヘーゲルに至るまで、西洋哲学もまた、思考の修練のうちでこそ死と有限性は「乗り越え」られうる、と主張してきたのだった。

そこでダスチュールは、まず古代神話や聖書にまで遡り、「死の彼岸」に関する形而上学的・宗教的・哲学的な思索の歴史をたどり直し、次いで、従来とは異なる死生観、死との関係を紡ぎ出すことが可能であることを示そうとする。

モンテーニュが言うように死と「慣れ親しむ」のでもなく、死をかわそうとするのでもない、第三の道。もちろんダスチュールにとって、それはハイデガーにほかならない。『存在と時間』における「死に臨む存在」などの分析から出発して、死の可能性の条件を、人間存在が自らの有限性を自由に引き受けることと見なす。

死という体験のもつ意味の変化は、無限と有限の関係にも変化をもたらす。従来の「死の形而上学」は常に、死を超越した存在の無限性、神的なものの時間を超越した無限性と対になる形で、人間存在の有限性を考えてきたが、ハイデガー=ダスチュール的な死の思想は、徹底して地上的で、時間的で、身体的である。

…これが本書の骨格であり、それはそれでいいのだが、「有限性」と言えば「死」という思考パターンには正直うんざりしている。哲学者ならぬ哲学屋は荘厳めかすのが好きなあまり、赤ん坊の鳴き声や血にまみれた「誕生」が有限性のもう一つの極であることを忘れているのだ。それだけにいっそうダスチュールが本書の終り近くで「有限性と出生 Finitude et natalité」に一節を割いているのは注目に値する。次回はこの点を見ていこう。

Friday, February 15, 2008

動物性(ドミニク・レステル)

2月14日、UTCPで行われたドミニク・レステルの「動物性」に関する講演に参加。良くも悪くも挑発的で刺激的な議論。[追記:以下、粗雑にまとめてしまったけれど、その後、郷原佳以さんによる的確なまとめがアップされたので、そちらを参照されたい]





チンパンジーがビデオゲームに習熟する、オランウータンが結び目を結ぶ、といった「規格外」の学習を通常の動物生態学者は嫌うのだという。純粋な行動環境が人間によって「汚染」されたのでは、「客観的」な観察が出来ない、と。この種の実在論的・デカルト主義的アプローチは、純粋状態の動物なるものが存在すると仮定し、その上で動物を型にはまったルーチン・反復的行動(comportement)を行なう「機械」と見なしやすい。

レステルは、透明で中立的な観察者という神話を拒否し、動物の創造的で発明に満ちた活動(activité)―規範的な科学者の「常識」から逸れたanecdotes(些細な細部)―に注目する科学者の存在を常に意識する―anthropomorphisme(擬人観)が不可避であるならば無意識に抑圧するのでなく、意識裡に制御するほうを選ぶべきではないか。動物の活動を構成的なものとして意識するだけでなく、その行動に積極的に働きかけ、構成に介入していくという意味で、「複合的な構成主義 bi-constructivisme」こそ、21世紀の動物生態学が採用すべきアプローチであり、20世紀の動物生態学が二つの恥ずべき罪として切り捨ててきたanthropomorphismeとanecdotesを積極的に活用していかねばならない、とレステルは言う。

要するに、人類学でなされたようなある種の解釈学的転回(「ガヴァガイ」など)、方法論的な反省を要請する批判的モーメントを動物生態学にも取り入れねばならない、ということであろう。動物生態学の人類学化、人類学の(かつてのような帝国主義的な形でなく、相対的な)動物生態学化の必要を説いていた。

私の質問は三つ。
1)動物性:科学とエピステモロジーの区別。ご説ごもっとも、でも現場の科学者はこういった正論的エピステモロジーに耳を傾けるんでしょうか。「特異なものの科学science du singulier」は果たして実現可能なのか?

2)人間性:レステルは人間の合理性と動物のそれとの差異を強調していたが、すでに人間の合理性と呼ばれるものの内部にも幾筋もの亀裂が走ってはいないか。動物生態学の人類学(ないし教育学?)への応用可能性はあるのか。

3)機械性(彼がmachinitéと呼ぶもの):テクノロジーの発達は、機械の動物化(animalisation de la machine)を促すとし、アイボの例を出していたが(ちょっと古い…)、そのようなものを機械の動物化と呼ぶのであれば、あらゆるアニミスム化はすでに人類の曙と共に存在していたのではないか。



挑発が好きな人は好きだろうし、嫌いな人は嫌いだろうなという議論だろう。自分の議論に似た部分を感じて(笑)、以て他山の石とすべし。

講演に行く時はいつも関連する書籍を持参し、電車で眺める。今日はこんな感じ。

Dominique Lestel, L'animalité. Essai sur le statut de l'humain, Hatier, coll. "Optiques", 1996.
Thierry Gontier, L'homme et l'animal. La philosophie antique, PUF, coll. "Philosophies", 1999.



フランス語理解を向上させたいという人には、こういった地道な努力(事前に本を読む、ネットで講演者のプロフィールを調べておくといった作業)をお勧めする。

レステルは、夜は日仏会館で「デリダの猫」(L'animal que donc je suis)について(多少批判的な)講演をすると言っていたが、私の現在の体調では一日に二つはとても無理なので断念。来週大丈夫かな…。

Thursday, February 14, 2008

フランス語と司法/正義

体の調子は悪いまま膠着状態。

2月10日、GEFCO(現代フランス研究会)に出席。友人の伊達聖伸さんの「フランスのライシテの歴史と市民宗教」を聴くためだったのだけれど、「ナチ支配下におけるアルザス自治主義者の役割―対独協力と抵抗」とか、「アレクシス・ド・トクヴィルの政治思想における〈アリストクラシー〉概念」などの発表も面白かった。

トクヴィルと言えば、トクヴィルでサントリー学芸賞をお取りになった宇野重規さんのフランス政治哲学に関する本は、誰にでも自信をもってお勧めできます。「ある学問分野についてパースペクティヴをもつ」というのはこういうことを言うんだな、と体感できるでしょう。

次回のGEFCOは、「フランス語と司法/正義」だそうです。転載自由とのことですので、ここに貼らせていただきます。


中央大学人文科学研究所「総合的フランス学の構築」チーム公開セミナー協力 
GEFCO現代フランス研究会、日仏会館フランス事務所
日時 2008年3月31日(月)18時~20時30分
場所 日仏会館6階601号室
(同時通訳付)
テーマ Le français et la justice「フランス語と司法/正義」
発題者 酒井 幸(弁護士)「石原フランス語訴訟」
    金塚綾乃(弁護士)「法曹養成制度と弁護士業の日仏比較」
    新倉 修(青山学院大学法科大学院教授)「裁判員制度と死刑廃止」
司会  三浦信孝(中央大学)

発題者の先生方はすべてフランス留学・実務研修の経験者で、金塚さんはパリ弁護士会の資格もお持ちです。比較憲法学の樋口陽一さん、東京都立大学の菅野賢治さんもフロアから討論に参加します。日仏会館フランス事務所サバン学長のご好意で日仏同時通訳がつきます。フランス人フランコフォンの方々もお誘い合わせの上いらしてください。なお3月20日は「国際フランコフォニーの日」です。

Wednesday, February 06, 2008

心身の合一(哲学と病気)

東京は何日か雪景色でした。

あまり人とも会いたくなく、ただぼーっとするために一人でふらっと三日ほど旅に出たいのだが、家族と仕事が待っている。

重病ではまったくないし、このブログを『病牀六尺』にするつもりもないのだが、しかし病疲れしている。久しく遠ざかっていたアトピーが突発的に再発するのは、《疲労・ストレス・風邪》によるのだそうだ。私の場合、とりわけ精神的疲労・ストレスから来ているのは明らかで、しばらく業界から遠ざかると次第に病状がよくなり、様々な事件に巻き込まれるとその一つ一つにダメージを受ける。

なるべく遠ざかりたいのだが、遠ざかれる程度のしがらみであれば精神的ダメージなど受けないわけで、押すことも引くこともままならない状況であるからこそ、精神的ダメージが身体にまで及ぶのである。心身合一論(そう言えば、メルロの『心身の合一』講義が文庫版で出た)や心身二元論を唱えた哲学者各々の健康状態との関係を知りたいものだ。

そういうわけで、長い文章も、筋道だった論理構成もままならないし、研究のための真剣な読書もできない。しばらく論文を書かなくていいのでまことに助かる。自分にストレスを与えないようにそっとそっと。濁った水の入ったコップをかき混ぜても濁りは増すばかり。piano piano...

結婚論はひとまず休止。学会論文の初校チェック。依頼された雑文の書き直し。

二月上旬は(もう半ばを過ぎたが)、
1)遅れに遅れたb&l論文(仏語)の完成
2)翻訳再チェック
3)企画書執筆

中旬以降、大学論に集中する(つもり)。

Friday, February 01, 2008

結婚の無名性

《哲学的思考は古代ギリシアの昔から、恋愛を理性では抑えられない不条理な情念と見なしてきた。哲学者が恋愛について語るとき、それは常にこの情念をいかに善的な目的に利用しうるか、という点に焦点を当てていた。

恋愛は本来的に社会秩序と相容れない、社会秩序を破壊する情念と考えられたから、社会秩序の枠内に慣習や制度として組み込まれ、秩序維持に寄与する結婚とは初めから別の次元にあった。恋愛は社会秩序を毀損しない範囲で、あるいは社会の側が自身の加える制度的圧力からしばし息抜きさせるために用意した装置の中でのみ許容された。

恋愛も結婚も社会を映し出す一種の文化型と言えるが、恋愛が常に文学のメインテーマとして豊かな想像力をかき立ててきたのに対し、結婚はお話にハッピーエンドをもたらすための終着点としてか、あるいは平穏無事な夫婦関係が不倫という第三者の介入によって亀裂を生ずる場合以外には、人々の関心を集め、記録されることがほとんどなかった。もちろん記録を残す人々にとって、結婚は日常で、恋愛は非日常である。日常はその流れが滞ったとき以外には書き記す意味がないというのが、一般的な感覚だったろう。[…]

結婚していた詩人も多いが、妻についての記録を残している詩人は極めて少ない。ベアトリーチェに対する永遠の愛を高らかに歌ったダンテも、妻については何も語ろうとしなかった。恋愛と結婚はまったく別の時空にあるものと考えられていたのである。

恋愛の有名性と結婚の無名性、この際立った対照性は、両者がもとより異なる時空に属するものだとしても、ともに男女の緊密な関係を作り出す文化型であるだけに、なおさら興味を惹く。》(前野みち子、『恋愛結婚の成立 近世ヨーロッパにおける女性観の変容』、名古屋大学出版会、2006年、3-4頁)

ゾラ、「ある恋愛結婚」(1866年、『テレーズ・ラカン』原型)、『ゾラ・セレクション』第1巻「初期名作集」、宮下志朗訳、藤原書店、2004年。読了