Friday, February 23, 2007

近況(ゼミでやるべき三つのこと)

2月17-18日 合宿飛び込み参加。しゃべりまくって疲れる。自分としては一応「恩返し」のつもりなのだが、理解されているかどうか。まあ、「呼びかけ」はなされた。あとは、呼びかけられた人が気づくかどうかだが、こればかりはね。

ちなみに、その場で言ったことだが、ゼミなどでやるべきこと、ゼミの効用は三つある。一つは、発表そのものに関わることで、自分の考えを整理して発表をし、他人のコメントをもらうこと、あるいは他人の発表を聞くことだ。そのとき、ただ漫然と聴かずに、自分だったらどうするか、どこをどう直してあげるとさらにいい発表になるのかを考えながら聴くといい。

二つ目は、先生(方)、他の学生たちのコメントの仕方を観察すること。発表に対してコメントをするというのも一つの重要な技術であり、立派な教育だ。彼らはその発表をどんな風に良くしてあげようとしているのか、に注意しながら聴く。全体の構造をきちんと把握できている的確なコメントは、偉大な指揮者のinterprétationに似て心地よい。うまいinterventionをできる人を観察して「技を盗む」こと。

三つ目は、その盗んだ技を自分自身試してみること、つまり失敗を恐れず積極果敢に質問してみることだ。むろん、質問したいこともないのに質問するのは、百害あって一利なし。奮うべき蛮勇と、単なる野蛮の違いを知るべし。


2月19日 大学紀要論文校正。28日最終締め切りだそうなので、もう少しだけ手を入れるつもり。

2月21日 友人宅で集まって発表三本、そのうち一人が私。「隠喩」論文を二十分程度、レジュメのみ原稿なしで喋った。評判は上々だが、「ベルクソンの隠喩論はデリダの先駆者」という言葉に困ってしまう。それを乗り越えないと凡百の研究と同じになる。なぜならベルクソンにデリダを見てしまうのは、私の凡庸な隠喩理解のしからしめるところだからだ。終わった後は楽しく鍋パーティ。詩の暗誦大会、続けたいな。

したがって、この十日間でやるべきこと。
大・「ベルクソンの手」英語論文バージョンアップ(三月上旬まで)。技術論関係読み直し。
中・身体論進める。
中・「呼びかけ」論文最終直し(28日提出)。
小・「隠喩」論文準備進める。

Wednesday, February 14, 2007

正和ではなく不和を!(中教審新会長選任)

《哲学は誰も救済せず、誰も哲学に救済を求めない。たとえ政治家、法律家、医者、その他あらゆる職能集団が審議会を開く際に、考えること一般の専門家として哲学者を招聘する習慣が、社会的要求に合わせた諸規則によって制度化されているとしても。この招聘が、何らかの思想的成果を挙げるためには、この出会いによって不和(mésentente)の点が特定されなければならない。》(ジャック・ランシエール、『不和あるいは了解なき了解 政治の哲学は可能か』、松葉祥一+大森秀臣+藤江成夫訳、インスクリプト、2005年)

わが国に哲学教授ではなく哲学者はいるのか?哲学科ではなく哲学はあるのか?もっとはっきり響く哲学の声を!

中教審総会 評論家の山崎正和氏を会長に選任
2月7日9時50分配信 毎日新聞

 1日付で任命された第4期中央教育審議会の総会が6日、東京都内のホテルで開かれ、委員の互選により、評論家の山崎正和氏(72)が会長に選任された。中教審は山崎新会長のもと、安倍晋三首相が今国会の成立を目指している学校教育法、地方教育行政法など教育関連3法に関する審議を行う。

 伊吹文明文部科学相は教育関連3法の改正に向け、「国会の都合を申しあげると恐縮だが、できれば2月中か3月早々にまとめていただきたい」とスピード審議を求めた。これを受け、山崎会長は「大臣のみならず内閣からの諮問なので、精力的に間に合うように議論していきたい」とあいさつした。

 各委員のあいさつでは、教育再生会議の教育委員会改革の方向性について、石井正弘・岡山県知事が「(地方が)独自性を発揮できる改革にしてもらいたい」などと批判した。【高山純二】

◇「改正」から制度設計へ=解説

 中央教育審議会の会長が6年ぶりに交代し、評論家の山崎正和氏が就任した。前会長の鳥居泰彦・文科省顧問の3期6年は教育基本法の「改正シフト」とも呼ばれ、与党・自民党の悲願とされた同法改正を受けて役割を終えた。第4期中教審をリードする山崎氏は、同法改正後の具体的な制度設計を担う。

 安倍晋三首相は教育再生を最重要課題に掲げ、今国会で学校教育法など教育関連3法案の成立を目指している。しかし国会優先の強行日程に、文科省からも「改正案の提出はできる。ただし中身は保証できない」との声が漏れる。

 政治主導の教育改革が進む中、山崎新会長と第4期委員はどのような姿勢で臨むのか。1月30日の第3期最後の総会で、委員から「中教審の役割は教育の政治的な中立性を確保することだ」と指摘する声が挙がった。審議の継続性を求める意見も出ている。

 中教審は今、存在意義と位置づけが問われている。文部科学省組織令では中教審の役割として、「文部科学大臣または関係行政機関の長に意見を述べること」と明記されている。

 まず政府や国会審議、教育再生会議と一定の距離を保ち、文科相らと対等の立場に立って、大所高所からの意見が求められる。また、各委員は、教育現場の主役である子どもや保護者、教員の声に耳を傾けてほしい。永田町だけに目を向けて、間違っても「拙速」に加担してはならない。【高山純二】

Tuesday, February 13, 2007

カタカナコトバ(思想書翻訳における)

大したことではないのだが折にふれて思うことというのがあって、その一つに、

「思想系の翻訳書でカタカナ表記をするというのは一体どういうことなのか」

というのがある。話を分かりやすくするために、私の知る限り最も過剰な例を挙げておこう。渡邊二郎氏の手になるハイデッガー『「ヒューマニズム」について』(ちくま学芸文庫、1997年)である。

すぐに言い添えておくが、この「非難」は訳文に関するものではないし、個人攻撃が目的でもない。さらに言っておけば、翻訳能力とは一切関係ない。この例を挙げるのは、ひとえにその過剰さが問題の本質をはっきりと浮き立たせてくれるものであるからに他ならない。
《サルトルは次のように言明している。すなわち、プレシゼマン・ヌー・ソンム・シュール・アン・プラン・ウー・イリヤ・スルマン・デ・ゾンム〔正確ニハ、私タチハ、タダ人間タチノミガイルヨウナ平面ノ上ニイル〕、と(『実存主義ハヒューマニズムデアル』三六頁)。右の命題に代えて、『存在と時間』のほうから思索されるならば、次のように言い述べられねばならないであろう。すなわち、プレシゼマン・ヌー・ソンム・シュール・アン・プラン・ウー・イリヤ・プランシパルマン・レートル〔正確ニハ、私タチハ、原理的ニハ存在ガ与エラレテイルヨウナ平面ノ上ニイル〕、と。》(66頁)

「il y aは、《es gibt》を不正確にしか翻訳していない」という一節がこの後に続く重要な箇所であるが、率直に言って私にはフランス語の部分がカタカナ表記される意味が理解できない。

非フランス語使用者にとって、この部分はアルファベットで記されようが、カタカナで記されようが、同じように目障りである。フランス語使用者にとって、カタカナでフランス語を読むことに肯定的な意味があるとも思えない。したがって、訳文だけを記すか、アルファベット表記するか、のいずれかが望ましいと思われる。

以上は文章に関する、しかも極端な例なので、異論はそれほどないと思うが、概念や固有名の場合はどうであろうか?

これはケース・バイ・ケースだろう。例えば、「エンテレケイア」「コナトゥス」「エラン・ヴィタル」ならカタカナ表記でもいい気がするし、「プラトン」「デカルト」「カント」を必ずアルファベット表記せよ、というのもたしかに馬鹿げている。よく知られたものに関しては従来どおりカタカナ表記でよいと思う。

しかし、新造語、のみならず、あまり知られていない固有名(人物名・地名)、従来とは異なる用法で強調して用いられている語などに関しては、それらがアカデミックな文脈において有用であると判断される限りにおいて、訳語とともにカタカナでなくアルファベット表記されるべきであると考える。

これに関しては、折衷的な解決策もありうる。訳語の横にカタカナ表記のルビを振る、という手である。たしかに、翻訳書の種類、読者層によっては、この解決策のほうがより効果的である場合もあろうことは否定しない。

なぜこんな些細な問題をつらつら考えるかというと、まずは自分自身の実感から来ている。

私自身、ドイツ語にそれほど習熟していないので、カタカナ表記されたドイツ語の語彙・概念をよりよく知ろうとして辞書を引いても、すぐにその言葉にたどり着けないことがある。そんなとき、「ああ、アルファベットで書いていてくれたら」と思ってしまうのである。

このことを友人に話すと、「そんな奇特な人間はほとんどいないのだから、そんな人のことを考慮に入れて翻訳などしていられない」と言われてしまう。それも分からないではない。原文挿入ならアルファベット、原語挿入ならカタカナルビ、啓蒙書ならそもそも挿入なし、という原則でも良さそうな気もする。

しかしまた、翻訳はアマからプロになろうとする者の熱意を拒むものであってはならないのではないか、とも思う。カタカナ表記とは、アルファベットの異質さを隠蔽する似非民主主義的な折衷主義にすぎないのではないか、とも。

ハイデガーやデリダの文章のように、明らかに原文・原語で読むことを強いる文章というものがある。その場合、カタカナ表記で表層的に「読める」ものにしてしまうことは、本来その哲学が目指しているもの自体を損なっていはしないか。

結局、「学術書の翻訳はいったい誰のためのものか」、あるいは「アカデミックな学術書として翻訳する(あるいはしない)とはどういうことか」ということを考えてしまう。

一般に翻訳は「非専門家」ないし「非学者」のためのものであるが、しかしまた、学者が時間の節約のために翻訳書で済ますということも往々にしてある。学術書の翻訳はまさに学者のためと言えそうだが、しかしまた学術書を(啓蒙書とのグレーゾーンにある著作ならなおさら)いかにアカデミックに訳さないか、平明に砕いて訳すか、なるべくアルファベットを登場させず読者を萎縮・倦怠させないか、ということもまた、一つのポリティクスでありうる。

いずれにしても常に立ち戻るべきは、はじめて補助輪なしの自転車に乗れたときの喜び、かな。翻訳は、その喜びに至る手助けでなくてはならないのでしょう。

Friday, February 09, 2007

隠喩の退引(原語挿入、誤訳情報ページ)

締め切りが十日延びたので、思い切って「人格性」論文を解体し、本格的に組み立てなおすことにした。

焦眉の点は、長い序論―25頁中14頁。三回分載計75頁の序論だから、実はこれまでの私の基準からすると、それほど長くはないつもりだったのだが―をどの程度「隠喩」論文にもっていくか。しかしそうすると、逆に、「隠喩」論文の全体が見えないと「手術」にかかれない。

というわけで、以前からちらちら目を通していた隠喩論関係の本をふたたび読み始める。

『現代思想』1987年5月号「特集 メタファーの修辞学、意味の規則」。デリダとデイヴィッドソン、ある意味で二つの極を代表する隠喩論が日本語で読めるのは貴重である。デイヴィッドソンに関しては、畏友ssさんの文献解説もどうぞ。

それにしても、デリダの「隠喩の退-引」の翻訳(前半のみ。後半は翌月号に分載)は問題だ。翻訳の質が問題なのではなく、原語の挿入が甚だしいのである。

フランス現代思想を読んで思想形成を行なったので、私は原語の挿入には相当寛大なつもりだ。その私が言うのだから、かなりのものである。デリダの最終頁とデイヴィッドソンの冒頭を比較してみよう。緑の部分が原語挿入である(下の写真をクリックすると、拡大して読めるはずだ)。



デリダのほうの下段は、訳者付記なので、原語挿入はまだ他の頁より少ないくらいである。たしかに、難解な文を書き、複雑なレトリックを駆使することで有名なデリダのほかならぬレトリック論、隠喩論なので、デリダの「言葉遊び」がひどくなるであろうことは予想がつくし、訳者の苦労もひとかたならぬものがあろうとは思う。

だが、ハイデガーの反響を読み取ろうとして、デリダの原テクストにはないドイツ語を挿入するに至っては明らかにやりすぎであろう。しかも、訳注やルビを用いず原語挿入を選ぶという訳し方について説明するはずの「訳者付記その1」の書き方が、何と言えばいいのか、中途半端に思わせぶりで、いい加減にペダンティックなのである。要するに、ありもしない深みを匂わせようとして、こけている感じなのだ。「訳注」や「ルビ」について思うところがあるのなら、単純明快にそれを論じればいいではないか。
蛇足とは思うが訳者の理解した限りで以下に、議論の展開の跡を追い、あるいは通読に困難を感じられる読者の一助としていただくことで訳者としての務めを果たしたいと考える。(「デイビッドソン・メタファー論への註解」、上掲、68頁
デイヴィッドソンの訳者・高藤(たかとう)直樹さんのこのような姿勢のほうがよほど「健全」に知的だと思うが、如何?



ちなみに、上のデリダの件とは無関係だが、私があれやこれやの翻訳に注文を付けると「大した翻訳力もないくせに」という人がいる。しかし、それはちょっと筋が違うのではないか。

私に翻訳力があるかないかということと、いい翻訳を見分ける力があるかないかということは別である。問題が的確に指摘されているなら、それは批判であって非難ではない。

たしかに一般的に、文句をつけるのは容易い。それは、すでに数年前に「海の広さとerrata」(2000年12月26日の項)で述べたとおりである。また、たしかに誤訳をあげつらうのはいい趣味とは言えない。

が、また同時に、現在の学術出版の苦境に(少なくとも部分的には)由来する《誤訳の放置》という由々しい現状はどうするつもりなのか?

「出版社に誤訳を指摘した手紙を送ればいいんです。再版のときに直すでしょう」。なるほど、しかしそれは、もし再版されればの話である。それまで、読者はどうすればいいのか?出版社や訳者のproduct liabilityはないのか?

せっかく各出版社がHPを持つようになったのだから、それぞれの翻訳出版物に関して、誤訳情報ページを作ればいいのではないか。スレッド&チャート方式で、頁・行・誤訳のポイント(簡潔に)を読者に書き込んでもらうのである。これなら、忙しい編集者の手を煩わせない。もちろん定期的に訳者がチェックし(忙しいというなら、年に一回でもいい)、「たしかにこれは直したほうがいい」という指摘だけを「確定事項」にして、ページに残していく。

こうすれば、出版社としては、自社のPL精神をアピールできる。読者は、いつ来るか分からない再版を待たずとも、小規模の「バージョンアップ」を行なえる。パソコンのソフトであれば、小規模の(限定的)バージョンアップは無料で、大規模な(本格的)グレードアップは有料で、といった考え方が一定程度理解されていると思うのだが。要は、多少の誤訳は「セキュリティ・ホール」と考えて、無償で、早急に、対策を講じる、というスタンスだ。

これまで誤訳というもののあり方についてきちんと考えた人はいるのだろうか?どなたか面白い「誤訳論」をご存知の方はお教えください。

Thursday, February 08, 2007

百年の大計ではないのか(教育再生会議第一次報告)

今日は一日中「人格性」論文の直し。少しでも深く。苦手中の苦手なのだが、適切に深く。締め切りが十日ほど延びた。嬉しいやら、不安やら。

春のベル哲研(第21回)のお知らせ、hmさんどうもありがとう。困った、重なってる。他の人もいろんな情報お待ちしてます。



私がゆとり教育の反対者のように見えたとすれば、それは誤解である。「ゆとり教育」は必要な改革過程であったと思っている。ただ、親にも、何よりもまず親にこそ、ゆとりが与えられるべきであり、親が自覚的にゆとりを求めて闘うべきであったと思っているのである。

「ゆとり教育」の“戦犯”(Web現代、2003年10月22日)
論旨が読み取りづらいが、
マニュアル世代が多数を占めるようになってきた官僚・教員たちにこそ小・中学時代に「ゆとり教育」が必要だったのである。

そのとおりである。しかし、付け加えさせてもらおう。 数十年来の「会社至上主義」「仕事人間大量生産」によって、家庭で子供を育てていく力が衰えてはいないか。土日が休みとなると、親たちは子供を塾や習い事に通わせることで安心しようとしてはいないか。家庭が教育を学校に任せすぎるようになったとすれば、それはなぜか。マニュアル世代が多数を占めるようになってきた子どもの親世代にもまた、小・中学時代に「ゆとり教育」が、ただし親や地域共同体自身がゆとりをもって子どもの教育に参加できるような「ゆとり教育」が必要だったのである。たしかに、子どもは教師に教えられて育つものだ。しかしまた、子どもは親の背中を見て育つものでもある。


[教育再生報告] 百年の大計でないのか
『南日本新聞』、2007年1月27日付社説

 政府の教育再生会議が第1次報告を決定した。これを受け、安倍晋三首相は通常国会に教員免許法改正案など関連3法案を提出する方針を示すとともに「教育再生国会にしていきたい」と表明した。
 報告には、ゆとり教育見直しに伴う授業時間数増、教員免許更新制、教育委員会改革などさまざまな処方せんが並ぶ。だが、これまでの教育のどこがどう問題だったのかが見えてこない。
 肝心の現状分析が欠落したまま処方せんを並べても、説得力に欠ける。
「50年先、100年先を見据えた議論もしてまいりたい」(首相)というなら、腰を据えて取り組むべきだ。急ぐ背景には教育再生で政権浮揚のきっかけをつかもうという思惑が見え隠れする。夏の参院選に備える動きととられても仕方あるまい。
 問題はまず、ゆとり教育見直しとして掲げた授業時間数の10%増だ。「すべての子どもに高い学力を」という首相の意向をくんで盛り込まれたに違いない。だが、子どもたちの学力のどこにどんな問題があり、授業時間数という処方せんにたどりついたのか、判然としない。
 ゆとり教育については、文部科学省や中央教育審議会は「趣旨は間違っていないが、手だてに問題があった」として、学習指導要領の見直し作業を積み上げているところだ。どんな学力を目指すのか、十分な論議もないまま、政治の力で横やりを入れるやり方は乱暴すぎる。
 授業時間数を増やすことと学力との相関関係が実証されていないことは、文科省も認めている。それどころか、学力世界一といわれるフィンランドの授業時間数は、日本よりはるかに少ない。
 2003年の公立小中学校授業時間数は、日本の9歳から11歳が年間709時間に対してフィンランドは654時間、12歳から14歳が817時間に対し796時間となっている。
 また、報告は基礎・基本の反復・徹底など指導方法にまで言及しているが、これらは学校が子どもの状況に応じて判断すべき事柄であり、官邸が口を出す問題ではない。
かつての画一教育に戻そうというつもりなのか。
 ゆとり教育見直しなどいったん消えかかったテーマが、報告に次々と復活したのは「先送り、先送りでは首相の指導力が見えないということになる」という官邸の意向だったという。教育は政治の道具でなく、子どもや国民のためにあることを忘れてはならない。

Wednesday, February 07, 2007

近況

とうとう『物質と記憶』の新訳が出た。合田正人さんと松本力さんの訳。『試論』の新訳が出たのが2002年だから五年ぶりになる。どんな仕上がりになっているか楽しみだ。


文庫化されるというのは本当に大切なことだ。

最近の仕事。十二月末に目的論に関する論文を学会誌に投稿した。結果待ち。同じく十二月末、カッシーラー論文の校正現状報告受ける。『ベルクソン年鑑』第三巻は、今年春刊行予定とのこと。「時間がないので校正刷りを送らない」って。。『二源泉』における呼びかけと人格性に関する大学紀要論文の査読結果を受け取る。受諾とのこと。
今後の予定。
1)二月上旬、某ゼミにて博論の『試論』に関する部分の構成について発表させてもらう。昨日終わったが、まだまだ全然駄目だ。
2)二月中旬、大学紀要論文の直し。まだまだレベルアップの必要あり。および、某合宿飛び込み参加で『物質と記憶』について発表させてもらう。
3)二月下旬、「ベルクソンの手」を全面改稿し、英訳する。例の英語雑誌への投稿のため。
4)三月上旬、昨秋の仏文学会で発表した「催眠」論文の提出。
5)三月中旬、今春の仏文学会の要約締め切り。全体のプランだけでもまとめないと。
6)三月下旬、トゥールーズ篇の発表、すでに出来上がっているので、練り直しに取り掛かる。
「研究のストックを総ざらいしたいという気持ちはわかるが、論文のエレガンス(文章美学)にとっては、いかに言わずに我慢するかも重要なポイント」という指摘は、今の私にとって最も重要なもの。単なる書誌情報マニアにならず、散漫なエッセイ風にもならず、といって手堅いだけが売りの論文でもなく。面白い思いつきにとどまらず、それをどこまで具体化し、不要な部分を容赦なく切り捨てていけるか。自分のレベルをどれだけ上げていけるか、「鳴り渡る今この時が重大なのである」。

Tuesday, February 06, 2007

蛍雪(マラルメ斜め読み・2)

博論を書く傍ら、マラルメを読み、ドゥルーズを読む。友人との読書会や知り合いの先生のゼミに顔を出していたらお鉢が回ってきてしまったのである。しかし、これも何かの縁だろう。一人だとまず読まないものを読み、斜め読みしかしてこなかったものを多少詳しく読み直す機会を与えられたのだから、感謝している。

しかし、赤ん坊が泣くと思考が妨げられる。泣いても読める本を読み(柏倉康夫、『マラルメ探し』、青土社、1992年。読みやすい)、暇つぶしにブログを書く。これじゃ以前と変わらない。



難解、晦渋、孤高の詩人、特異な言語観、『骰子一擲』において到達した独自の《書物》概念、などのイメージがあるマラルメ。先に読んでもらった「芸術の異端、萬人のための芸術」は、若者の傲慢で実態のない単なる強がりと嗤うこともできる。ロマン主義から派生した高踏派の典型、そう文学史的にくくることもできるかもしれない。

五歳で母を失い、妹とともに外祖父母のもとで育てられたが、十五歳でその妹も失い、父は時を同じくして脳を患って病床についた。三年後、大学入学試験に通ったものの、進学を諦め、公証人事務所の臨時雇いとして働き始める。二十歳のことである。彼には詩があった。詩しかなかったというべきか。

『悪の華』に深く感動し、ボードレールを介してポーの虜となったマラルメにとって、ポーをよりよく理解し訳したい、英語に磨きをかけ、将来英語教師となって、その傍らに文学をやりたい、という気持ちは半端なものではなかった。

登記所管理官を長く務めた祖父の意見も頷けるものである。せっかく得た安定した仕事を捨てて、なぜ不安定な道を好んで選ぶのか。英語教師となるにはマラルメの英語の知識は初歩のものでしかないこと、「リセにおける現代語の授業は、お前が考えるほど魅力のあるものではなく、ごく初歩的なものだ。文法の域を出ず、文学的な意義などありはしない」こと、そのうえ収入も低く、のべつ話していなければならず大変疲れるので、丈夫とはいえないマラルメには向かない、というのが反対理由であった。

だが、マラルメの決意もまた固かった。祖父母の同意を得られないまま、1862年2月、二十歳のマラルメは個人教授について英語の勉強を開始する。

「週に五日、木曜日を除いて一日一時間の授業で、作文、仏文への翻訳、文法、会話を習い、宿題も多かった。公証人事務所での仕事は、もちろんそのまま続けていた。その上で、これらの個人授業も受けたのである。」(柏倉、上掲、78頁)

そして1862年11月、すなわち勉強開始の9ヵ月後、職業からの逃避、恋の逃避行をも兼ねたロンドン行きを決行する。後年、俗に「自叙伝」と呼ばれるヴェルレーヌ宛書簡で、当時を回顧してマラルメは次のように述べる。

「単にポーをもっとよく読もうとして英語を学んだ私は、二十歳のときイギリスへ旅立ちました。主として遁れ去るためでしたが、その一方、この国語を話せるようになって、これを学校で教えて世の片隅で生活し、他の糊口の手段を強いられるのを免れるためでもありました。私は結婚していたので、それは差し迫っていました。」

二十歳のマラルメが1862年9月に発表した「芸術の異端、萬人のための芸術」を読むとき、例えば以上のような状況を頭に入れて読むのと読まないのとでは、意味がぜんぜん違ってくる。

繰り返せば、若者の傲慢で内実の伴わない単なる強がりかもしれない。ロマン主義から派生した高踏派の典型、そう文学史的にくくることも間違いではないだろう。だが同時に、詩しかなかった八方破れの青年にとって、平凡ながらも幸せを手に入れた人々が「ついでに」「ちょっとした(偽善的な)好奇心で」詩集を購入し、気晴らしに詩を口ずさんだり批評家を気取ってくさしたりするのを見るのは憤懣やるかたないことだったに違いない。

現在、私たちはルサンチマンを胸に腐るマラルメも、努力するマラルメすらも、思い浮かべない。志ん生と精進もそうだが、マラルメと努力という言葉ほど一見懸け離れたものはない。そして、それは彼らの栄誉である。



言うまでもなく、私は自分の怠惰を弁護しているのである(笑)。

Saturday, February 03, 2007

「偽善的な好奇心…」(マラルメ斜め読み・1)

例えばこんな文章を読むと、どんな感想を持つだろうか。読後感をしばし省察しておいてもらいたい。マラルメ二十歳の詩論である。

《すべて聖なるもの、聖たらんと欲するものは、うちに神秘を含んでいる。宗教は選ばれた者にだけ神秘をあらわす。音楽がその一例を我々に提供する。

…こうした不可欠の性質が、なぜ唯一つの芸術、しかも最も偉大な芸術には拒まれているのかと私はしばしば自問した。それは偽善的な好奇心をもつ人々に対し、何らの神秘も持たず、無信仰な人々に何の恐怖をも抱かせない。何らなすところなく、無知な者、敵対する者の微笑や渋面のもとに晒されている。私は詩のことを言っているのだ。

…ずぶの初心者が土足でずかずかと傑作の中に入り込んでくる。そして、この闖入者たちといえば、覚えたばかりのアルファベットの一頁を、まるで入場券よろしく手にしているのだ!ああ、もの古りし祈祷書の黄金の留め金よ、パピルスの巻物の神聖な形象文字よ!

…ひとは民主主義者となりうる。だが、芸術家は二重人格なのであり、貴族としてとどまらねばならぬ。しかし、我々の眼に映るのは、およそ正反対のことだ。人々は詩人の著作の廉価版をつくって増刷する。しかも、それが詩人の同意と満足を得て行われるのだ。だが、貴方はそれで栄光を得られると信じているのか、夢見る人よ、抒情の人よ。大衆が安売りで貴方の本を買ったとして、彼らはそれを理解するだろうか。

…鳴り渡る今この時が重大なのである。教育は人々のあいだで行われ、さまざまの偉大な教義は普及していくだろう。それは一つの大衆化だが、あくまで富の大衆化ではあっても、芸術のそれではない。

…大衆が教訓譚は読んでも、後生だから、彼らに我々の詩を味わわせてはならない。詩人たちよ、貴方がたはこれまで常に誇り高くあった。そしてこれからもさらに尊大であれ!》(「芸術の異端、萬人のための芸術」)