Wednesday, May 31, 2006

最後の発表

とうとうフランスで最後の発表が終わった。これからもフランスで、あるいは海外で発表する機会があるといいけれど、ともかくも「武者修行」の一階梯としては終わった。

いろんなところで発表してきた。フランスのニース、イタリアのチッタ・ディ・カステッロ、ノルウェーのベルゲン…。リールでは小さい発表も含めれば、かなりやった。

もちろんやりのこしたことがないと言えば嘘になるけれど、後悔はしていない。自分なりにできることはやってきたと思う。

(サッカー選手の大久保が帰国したそうだけれど、彼のも含め、「欧州組」のインタヴューにはいつもいろいろと考えさせられた。)



最後の発表は、2006年5月17日水曜日。午後5時から7時まで、マシュレ・ゼミで行われた。与えられた発表時間は一時間、質疑応答が一時間。

外国人や新参者の作法は与えられた規則を完璧に守ることであり、望むらくは、それでいて、内容において、大方の聴衆の予想をいい形で裏切ることである。

バリバールなどの「権威」筋は悠々と与えられた時間をオーバーして喋るが、若手や新参者がそれをやるのは好ましくない。発表や講演は聴衆あってのものであり、聴衆の注意・忍耐力は若手や新参者に対してそれほど寛大ではないからである。もちろん発表の内容が格段に面白ければ別だが、それにしても限度はある。

数週間前にバリバールがマシュレ・ゼミに来たときは、1時間50分喋った。おかげで質疑応答がほとんどなかった。私が唯一の質問をする特権を得たのだが、まともに発展させられなかった。友人たちはそれでも「名人」のお話を長時間拝聴できて至極満足そうだったけれど。

私はちょうど一時間きっかりで終えた。これは少し後悔している。あと五分から十分延ばしてでも、具体例を交えて、論点を補強すればよかった。マシュレ・ゼミの常連でもあり、ある程度発言を認められてもいるので、そのように振舞うことは、発表の内容を豊かにするという意味でも、むしろ望ましいことであったろう。



発表後の質疑応答では、まずマシュレがこれまでの6年間を振り返り――私の6年間はまた、マシュレ・ゼミの6年間でもあった――、私の努力をずいぶん賞賛してくれた。これは本当に嬉しかった。なぜなら、彼こそは私がどのような努力をしてきたかを最もよく知る人だからである。

ゼミの最終回(5月24日)が終わった後の打ち上げ(仏語でpotという)で、マシュレは乾杯の音頭をとって、こう言った。「この乾杯は、6月に帰国してしまうわれわれの友人hfに捧げたいと思います。彼はこのゼミに本当に多くのものをもたらしてくれました」。

むろん彼だけではない。このゼミに定期的に参加している誰もが、私の努力と進歩の軌跡を知っている。私はこのリールで少しずつ友人の輪を広げてきた。遊び友達のことを言っているのではない(ここはそれを語る場ではない)。仕事のレベルの話をしているのである。この「知的な友情」はいくつかの形で花を咲かせた。これから実をつけていくだろうか?

それはともかく、質疑応答はいつの日かやってくる諮問を想定した形で行われ、その意味でためになった。主に、「ベルクソンと現象学の関係」「ベルクソンの傾向概念とシモンドンの個体化理論の関係」などが話題にあがった。これについてはまた後日。



発表後、ゲストスピーカーの恒例行事となっているマシュレとの晩餐に連れて行ってもらう。とはいっても、派手嫌いのマシュレのこと。リヨン料理を出すこじんまりしたレストラン(というか大衆食堂?)で、なごやかに食べ、しばし歓談にふけった。これも思い出になるだろう。



テキストは推敲を経て、昨日、研究グループ"Savoirs, Textes, Langage"のサイトに掲載されたので、ご興味のある方はどうぞ。

Friday, May 12, 2006

騎馬槍試合か、ボクシングか(質疑応答の作法)

発表が来週に迫ってきている。毎回、発表のたびに、課題をもって取り組もうとしている。少しでも内容をより豊かなものにしようといった一般的な注意点だけではなく、「めりはり、緩急をつけよう」とか、「聴衆の反応を見て難易度の調整をできるようになろう」とか。ほんのちょっとしたことなのだけれど、これがフランス語だと、日本語でよりもさらに難しくなる。

聴衆とのアイコンタクト以外にも大事なことはある。自分が発表者ではなく、質問者である場合。コロックのような場所での質問と、ゼミでの質問はやはり同じような仕方でするわけにはいかない。それぞれのTPOを考えつつ、掛け合いというか間合いを図るのが難しい。フランス語だから難しいというのもあるが、それぞれの分野の特徴のようなものを頭に入れておかないといけないので余計に難しいのだ。

私はしばしば「フランス哲学の質疑応答はjouteのようなものだ」と言う。joute(ジュート)とは、中世の騎馬槍試合のことである。この試合の目的は、相手をむやみやたらに突き殺すことにあるのではない。高度に儀式化され、形式化されたこのゲームの目的は、いかに優雅に相手の急所とされるところに軽く触れて見せるか、というところにあるのである。

フランス哲学者の保守本流たちの議論は、素人目には勝負がついていないように見える。お互いに優雅に称え合っているだけのようにも見える。しかし実際には、大抵の場合、勝負はついているのである。

科学哲学や古代哲学あるいはphilologieの分野では、事情はまったく異なる。これはボクシングである。すなわち、いかに的確に最も強い力で相手を打ちのめすことができるか、が重要なのである。しかし、さらに重要なことは、ボクシングはストリート・ファイト(喧嘩)ではない、ということだ。科学哲学者たちは「お前の言ってることはナンセンスだ」と言わんばかりの猛攻撃を仕掛けあうが、よほどのことがないかぎり、議論が終われば、後は仲良く飲み仲間になる。フランス哲学のほうは、飲み会のほうも限りなく社交界の縮小再生産である…。あんまり具体的に書けないけどね(笑)。

Tuesday, May 02, 2006

Penseurs japonais(日本の思想家たち)

店頭で見て驚いた。



今年の3月に発売になった本らしい。
http://www.lyber-eclat.net/nouveautes.html#kassile1

幾つもの懐かしい顔、よくメディアで見かける顔が見られてよかったし、彼らのフランス語力を知ることもできてよかった。中身は…。

しかし、いずれにせよ、dialogues du commencement ならぬ、commencement des dialogues が必要なことだけは間違いない。まだ始まってもいないのだから。