Monday, February 20, 2006

ベルクソンのアリストテレス論(2)

では、まず全体の概要をおさえるところから始めよう。少し遠回りに見えるかもしれないが、ベルクソンの場所論が分析対象としているアリストテレスの『自然学』第4章を概観するところから始めることにする。

(1931年のCarteronの翻訳以来、実にほぼ70年ぶりに新しい仏訳が出た(tr. Pellegrin, GF, n°887, 2000 ; 2e éd. revue, 2002.)。日本でも、ハイデガーをして「西洋哲学の根本著作」と言わしめた本書が、文庫本で読めるようになってほしいものだ。

もう一つ、入手しやすくきわめて便利なのが、Press Pocketという出版社が出しているcoll. "Agora - les classiques"である。翻訳は1861年(!)のものであり、最初の2巻分しかないが、自然学に関する問題系を通覧できるアンソロジー(エンペドクレス、デモクリトス、プラトン、デカルト、スピノザ、マルブランシュ、ライプニッツ、パスカル、ヒューム、カント、コント、フッサール、パトチュカ、コイレ、シモンドン)が付されている。原典を読まずに語る風潮が蔓延する昨今、アンソロジーの復権は、「90分で分かる」とか「サルでも分かる」といったお手軽なマニュアル本などよりよほど望ましい。90分で分かってたまるか!)

ペルグラン版は、第4巻(208a29-224a16)に関して、以下のような14の章区分および節題を提案している。

第1章(208a29-209a30)
 場所の研究
 場所の実在を論証する4つの理由
 場所の本性に関する6つの困難

第2章(209a31-210a13)
 場所はある場合には形相であるように、またある場合には質料であるように思われる。
 これらの同一視がうまくいかないことを証し立てる幾つかの理由
 
第3章(210a14-210b32)
 「ある事物が別の事物のうちにある」と言える8つの場合
 第一義的には、ある事物は自分自身のうちには存在しえない
 ゼノンのアポリアに対する応答
 場所は今度は質料でも形相でもないこと

第4章(210b33-212a30)
 場所に認められる6つの点
 場所の定義に関する予備的考察
 場所の定義
 この定義は場所に関する複数の意見を正当なものと認める

第5章(212a31-213a10)
 全体の場所
 場所の定義は当初[第1章で]想定された諸々の困難を解決する

第6章(213a11-213b29)
 空虚の研究
 空虚の実在に関する不十分な反駁
 空虚を主張する者たちの論

第7章(213b30-214b10)
 「空虚」という語が意味するところ
 空虚の実在を主張する者たちへの応答
 
第8章(214b11-216b20)
 分離された空虚の実在を反駁する4つの論拠
 空虚の実在は運動と相容れない。5つの論拠
 可動的なもの(les mobiles)の速さの差に基づく論拠
 中間(le limieu)に由来する困難
 物体に由来する困難
 それ自身において考察された場合の空虚

第9章(216b21-217b28)
 物体の内部に空虚はない
 アリストテレスの立場
 結論

第10章(217b29-218b20)
 時間の研究
 時間の実在に関するアポリア
 時間の本性に関するアポリア:三つの理論

第11章(218b20-220a25)
 時間の定義に関する予備的考察
 時間の定義
 定義に対する5つの補足

第12章(220a26-222a9)
 時間の4つの特性
 時間のうちに存在すること
 時間は停止の尺度である
 あらゆる非存在者は時間のうちには存在しない

第13章(222a10-222b29)
 「今」という語のさまざまな意味
 他の諸々の表現
 時間と消滅(corruption)

第14章(222b30-224a16)
 時間に関する他の諸考察
 時間と魂
 時間とはいかなる運動の数であるのか
 円環的移動は基準となる運動である
 「数とは同である le nombre est le même」ということが意味するところ

***

こうして『自然学』第4巻の目次を眺めただけでも、ベルクソンの時間の哲学にとっての重要性が分かるが、念のため『自然学』全体の構造およびそこに占める第4巻の位置を足早に確認しておこう。

Ce qui constitue une cohérence théorique de la Physique d'Aristote, malgré sa hétérogénéité interne due à l'articulation de sujets différents et à la coexistence de terminologies divergentes, c'est une réelle unité d'objet de la Physique. Comme le souligne Pierre Pellegrin, "la Physique est une étude du changement" (voir l'"Introduction" à sa traduction de la Physique, p. 38).

Contrairement à ce qu'une lecture rapide pourrait laisser croire, dit Pellegrin, les deux parties de la Physique, dont les commentateurs ont proposée depuis l'Antiquité la division entre l'une traitant de la "physique" proprement dite et l'autre du mouvement, ne sont pas si hétérogènes qu'on ne croit. En fin de compte, et indépendamment de la querelle concernant la coupure entre les deux parties, qu'elle soit entre les livres IV et V ou entre les V et VI, la première partie consacrée à des questions générales de physique sert d'introduction à la seconde traitant plus particulièrement du mouvement. Précisons avec Pellegrin : les quatre premiers livres analysent ce que l'on pourrait appeler les caractéristiques générales et les conditions de possibilité du changement, le livre V attaque à même la notion de changement en donnant une définition générale et les principales caractéristiques, et enfin les trois derniers livres développent la théorie aristotélicienne du mouvement, notamment du mouvement local, en proposant, je cite Pellegrin, "une cinématique qui aura une immense importance historique, et en rattachant tout mouvement au mouvement de l'univers produit en dernière instance par le premier moteur immobile" (p. 38).

La lecture du livre II portant sur la causalité que Bergson va entamer plus tard dans son cours de 1902-1903 au Collège de France sera une autre histoire. Ici, nous allons nous concentrer uniquement sur le livre IV et la place qu'il occupe dans l'ensemble de la Physique d'Aristote.

C'est le changement qui va traverser ainsi un champ ouvert entre la physique et le mouvement. Et les notions de lieu, de vide et de temps, telles qu'elles sont analysées tour à tour dans le livre IV, jouent ainsi un rôle de charnière. (à suivre)

Sunday, February 19, 2006

ベルクソンのアリストテレス論(1)

(ちなみに、きりがないのでこれくらいにしておくが、ラテン語副論文に関して最後に三つ。

1)フランスの科学的心理学の祖といわれるテオデュール・リボー(Théodule Ribot, 1839-1916)の遺伝に関する1873年の博士論文(L'hérédité, étude psychologique sur ses phénomènes, ses lois, ses causes, ses conséquences.)の副論文は、
Quid David Hartley de associatione idearum senserit (1872).

2)リボーの弟子で、これまた重要なフランスの心理学者・医学者ジョルジュ・デュマ(Georges Dumas, 1866-1946)の博士論文は La Tristesse et la joie (1900) であるが、その副論文はオーギュスト・コントに関する
Quid Augustus Comte de suae aetatis psychologis senserit (1900).

3)現在忘れられがちだが重要な社会学者リュシアン・レヴィ=ブリュール(Lucien Lévy-Bruhl, 1857-1939)の主論文は L'idée de responsabilité (1884)であるが、その副論文はなんとセネカの神概念に関する
Quid de Deo Seneca senserit.
である。
 ちなみに、ラテン語の動詞 sentire に関して、友人フレデリック・ケックの博論のnote 149にはこうある。

La thèse complémentaire latine de Lévy-Bruhl s'intitulait Quid de Deo Seneca senserit, qui jouait sur l'ambiguïté du verbe latin « sentire », signifiant à la fois "penser" et "sentir", pour défendre la thèse selon laquelle Sénèque a su donner des éléments pour une conception de la Providence divine réconciliant les voies de la nature et les exigences de la raison, mais sans en avoir réellement démontré les fondements. Cf. ibid., Paris, Hachette, 1884, p. 64 : "Humanior fit Deus, amicus, et semper in proximo. Providentia autem qualis sit, quoque modo se in rerum natura deprehendi sint, optimo Seneca sensit, male demonstravit." C'était déjà réfléchir aux rapports entre lois naturelles et exigences de la liberté à travers le sentiment, réflexion dont l'étude de la mentalité primitive prend le relais.

むろん、senseritを用いたタイトルはきわめてありふれたものであり、ベルクソンがこの語を用いることで言葉遊びをしているとは思えないが。)


というわけで、ベルクソンの博士号申請用副論文 Quid Aristoteles de loco senserit (1889). である。

このアリストテレス論は、最初、Les Etudes bergsoniennes, tome II, 1948, pp. 29-104.にRobert Mossé-Bastide (Rose-Marie Mossé-Bastide) に仏訳が掲載され、のちに全集第二巻ともいうべきMélanges (PUF, 1972) に収められた。

この『補巻』に寄せられたアンリ・グイエの序文によれば(以下、p. IXによる)、「この学則に縛られた業績 ce travail scolaire」をベルクソンは決して自分の仕事と認めず、この小論は博論審査用にわずかに印刷されただけで、その後は彼の著作リストに載せられることもなかったが、にもかかわらず次の二つの点で「意義深い significatif」ものである。

1)哲学的・教説的(doctrinal)・内容(contenu)的な関心:ベルクソン哲学の形成期および前期における、アリストテレスとの対話の重要性。ベルクソンは少なくとも次の年度において直接的かつかなり入念にアリストテレスに関する講義を行なっている。

 1885-1886 クレルモン=フェラン大学文学部における講義
 1886-1887 クレルモン=フェラン大学文学部における講義
 1888-1889 クレルモン=フェラン大学文学部における講義
 1902-1903 コレージュ・ド・フランスにおける『自然学』第2巻の注釈
 1903-1904 コレージュ・ド・フランスにおける『形而上学』第11巻の注釈

このようなアリストテレスとの継続的な関わりの中で、1889年のアリストテレス論は、博士論文主論文との関連でとりわけ興味を惹くものである。なぜなら、「場所 lieu」に関するアリストテレスの諸テクストの分析の狭間から、彼自身の持続の哲学における「空間 espace」概念の位置づけが垣間見えるからである。

2)哲学史的・操作的(opératoire)・形式的な関心:ベルクソン哲学自体に興味のないものでも、ベルクソンのような大哲学者が他の大哲学者についてどのような読解を、どのような手続きを踏みつつ、提示するのか興味のあるところである。この点で、『アリストテレスにおける場所の観念』は、ベルクソンがどのように哲学史にとりくんでいたか、その所作について教えてくれるごく稀な好例である。

引用箇所の選択や、ギリシャ語の原文を採録している幾つかの長い註からは、彼の該博な知識や自分の解釈を正当化する際の繊細な配慮が、彼の他の著書よりもはるかによく見える。ベルクソンの読解は忍耐強いものである。一文一文に立ち止まり、その意味するところが究極的にはどこへ向かおうとしているのか、そこに立ち現れてくる困難はいかなるものであるのかを見定めようとする。

アリストテレス哲学の体系的な首尾一貫性を救おうとするために読むのではなく、そのような似非哲学的な配慮から離れて、そこに姿を現している問いをただひたすら鮮明な形で取り出そうと努めること、これがここでのベルクソンの目的に他ならない。(続く)

Saturday, February 18, 2006

ベルクソン、『アリストテレスの場所論』

これからしばらくベルクソンのアリストテレス論読解に向けて準備作業を行っていく。今回は余談。

***

『時間と自由』すなわち『意識の直接与件に関する試論』は、ベルクソンが1889年に提出した博士号取得のための主論文であり、処女著作として有名であるが、その時の副論文である『アリストテレスにおける場所の観念』は圧倒的に読まれていない。

国家博士号取得のための主論文・副論文の制度はその後も長らく続き、フーコーであれば主論文が『狂気の歴史』で副論文が『カント『人間学』の生成と構造』(未刊行)、ドゥルーズであれば主論文が『差異と反復』で副論文が『スピノザと表現の問題』といった感じで、主論文に自己の哲学的な営為の到達点を示すもの、副論文によりアカデミック("thèse d'érudition"と呼んでいる人もいるくらいである)、より哲学史的、より文献読解的なものを提示するという伝統があった。

とはいえ、ベルクソンの時代とフーコーやドゥルーズの時代の間にもすでに明確な違いがある。それは副論文はラテン語で書かれたという点である。

たとえば、ラヴェッソン(1813-1900)
の有名な『習慣について』(1838年)の副論文は、プラトンの甥でその死後アカデメイア学頭の地位を継いだスペウシッポス(Speusippe)に関する
Speusipii de primis rerum principiis placita qualia fuisse videantur ex Aristotele.
であるし、

ベルクソンが生涯にたった一度献辞を付したその宛先であるラシュリエ(1832-1918)の、これまた有名な『帰納法の基礎』(1871年)の副論文は、
De Natura syllogismi
であり(のちにRevue philosophiqueの1876年5月号に"Les conséquences immédiates et le syllogisme"という表題で掲載され、1907年にEtudes sur le syllogismeという論文集に収められたものの元になったのではないかと思われる)、

最後にブートルー(Emile Boutroux, 1845-1921)
の代表作『自然法則の偶然性について』(1874年)もまた博士論文であるが(これはラヴェッソンに捧げられている)、その副論文は、
De Veritatibus aeternis apud Cartesium.
である(本論文はその後、1927年にブランシュヴィックが序文を書き、カンギレムが仏訳して出版された。1985年の再版は現在でも原則的には入手可能である。Des Vérités éternelles chez Descartes, traduite par G. Canguilhem, Paris : J. Vrin, coll. "Vrin-reprise", 1985.)。

ちなみにきわめて細かい話だが、このとても有益なサイト - sublime, absolument sublime ! - からダウンロードできる"L'histoire de la philosophie"というのは、ブートルーの1908年の著作 Etudes d'histoire de la philosophie の巻頭に置かれた論文である。なんと著作全体がBNFでダウンロードできる。

Friday, February 17, 2006

それから

Aix-en-Provence大学での発表を無事終えた。主催者側のご好意で、単なるdoctorantとしては恐縮するほど至れり尽くせりの待遇であった。出席者は15人くらいで、ベルクソンの思想に(とりわけ『二源泉』に)共感を示すかどうかは別として、私の発表に関しては「明晰でとても分かりやすく、はじめて『二源泉』が分かった気がした」と好意的な評が多かったので、準備に手間をかけた甲斐があった。

とはいえ、口からでまかせのお世辞などお手の物の南仏気質。彼らの評価と好意が本当に分かって嬉しかったのは、ゼミを終えたあと。フランスでは通常(少なくとも私の知る限り)、教官や発表者を交えたゼミ後の飲み会などそうそうあるものではないし(教官の性格やゼミの性質にもよるけれど)、実際、彼ら自身も「めったにしない」と言っていたが、「一緒に飲みに行こう」と誘ってくれたこと。みんな何となく残って一緒に喋りたそうだったので、これはよかった。

中身は結局、こんな感じ。

1.『二源泉』の概観
(1)ベルクソン哲学における『二源泉』の位置
(2)各章ごとの争点

2.『二源泉』の一読解:人格・情動・合理性
(1)人格と個人性:ベルクソンからシモンドンへ
(2)情動:ベルクソンとカントにおける「熱狂」概念
(3)新たな合理性に向けて:グランジェの『非合理』を批判する

***

さて、その後は徹夜続きの代償として病気で倒れたり、事務作業に集中したりとろくに勉強できなかったが、今後の予定としては:

1)3月3日にリールで若手ベルクソン研究者の集いがあるので、そこでの小さな発表の準備。ベルクソンとアリストテレスにおける運動と場所の話にしようと思っている。

2)5月18日にやはりリールの有名なマシュレ・ゼミで発表することになっているので、その準備。こちらは遂に本格的にベルクソンの身体概念についての博論の概要を打ち出すことになる。

これから数ヶ月が山場になる。