Wednesday, August 24, 2005

ギイェルミの偉大さ:翻訳者、教育者、哲学者

 「今、フランスで人気のある、「売れ線」の、「旬」の哲学者っていうと誰なの?」と日本の友人たちによく聞かれる。聞くほうは別に悪意があるわけでもなく、ただ純粋な好奇心か、話題に困ってか、あるいはむしろ親切心か同情心で聞いてくれるのであろう。

 しかし、そういうことはパリの”トレンド・トレーダー”にでも訊いてもらいたい。私は大リーグ通になりたいのではなく、大リーグで勝負したいのである。パンチョ佐藤になりたいのではなく、3Aでも、1Aですらいいから真っ向勝負で自分の力量を試したいのである。ここに記しているのは、その練習メモのようなものかもしれない。



 フランスと日本では制度が根本的に違うのだから、羨んでみても仕方ないのだという。そんなことなら何十年も前から分かっているのだという。なるほど。しかし私がここでやりたいのは、ルサンチマンを吐き散らすことではない。いかに幼稚で、基本的なことであろうと、具体的に実行可能な対案を模索したいのである。

 例えば、マニュアル本以外に、過去の偉大な(「有名な」ではない)哲学者たちの講義録を可能な限り廉価で出版すること。例えば、哲学のさまざまな古典的テーマに関するアンソロジーを可能な限り廉価で出版すること。例えば、哲学のクラシックの原語との対訳版を可能な限り廉価で出版すること。

 しかし、古典的なテクストを原典で読むという作業を学生にますます課しにくくなっている(学生・大学・政府の「要望」に答えねばならないから、学生の語学力・読解力が限りなくお粗末なものになってきているから)現状の中では、このような出版では採算がとれないのだという。

 フランスでは、このような採算の見込めない学術書の廉価出版に対しても、しばしば「国立図書センターによる援助」"avec le concours du Centre national du Livre"がなされる。日本では、高価な学術出版に関してこの種の財政的援助が見られるが、廉価の出版に関しては(少なくとも私の知る限り)存在しない。学問とはいったい誰のためのものなのか。すると、こんな答えが返ってくる。

 フランスと日本では制度が根本的に違うのだから、羨んでみても仕方ないのだと。そんなことなら何十年も前から分かっているのだと。... da capo senza fine.



 哲学的アンソロジーが重要なのは、哲学において教育ということが本質的な位置を占めるからである。教育において哲学が本質的な位置を占めることもまた言うまでもない。「哲学の教育、教育の哲学」という表現が単なる言葉遊びでなく、哲学における最も重要な問題の一つを言い当てている所以である。

 この機会に、ギイェルミ(Louis Guillermit, 1982年死去。生年不明)の優れたアンソロジー『プラトン自身によるプラトン』の紹介をしておこう(Platon par lui-même, éd. de l'Eclat, 1989; repris dans la coll. "GF-Flammarion", 1994.)。


1.翻訳者ギイェルミ
 ギイェルミは、フランス哲学界ではまずもってカント翻訳者として知られている。ヴラン社から出ている『論理学』(1966)、『理論と実践』(1967)、『プロレゴーメナ』(1968)、『判断力批判第一序論』(1975)の翻訳は彼の手になるものである。権威あるEncyclopoedia Universalisの「カント」の項や、定評ある『シャトレ哲学史』第V巻の「カント」の章を執筆したのも彼である。彼のカント研究の集大成的な著作として、死後出版された L'élucidation critique du jugement de goût selon Kant, texte établi et présenté par E. Schwartz et J. Vuillemin, éd. du CNRS, 1986. また、18世紀後半のドイツ哲学ということで言えば、彼の博士論文 Le réalisme de F.H. Jacobi, Aix-Marseille, Publications de l'Université d'Aix-en-Provence, 1982.がある。

(せっかくの機会だから、ギイェルミのヤコービ研究について一言しておこう。

「神秘主義者ヤコービ」という流布しているイメージに対して、ギイェルミは「神秘主義的なものと実証的なものとを逆説的に組み合わせることである種の「実在論」を導き出そうとしたヤコービ」という解釈を対置する。哲学には「経験」を捉えきることはできないとしてその「不当」な権利主張を退け、むしろ神秘主義的なもののうちに経験の核となる客体=対象、すなわち現実的なものを探し求めたヤコービの思考を、ギイェルミは、「非哲学non-philosophies」の系列に属するものと見なす。

実証的なもの(positif)は、ベーコンの与えた意味(もはやそれ以上説明できない最終的な事実が自然の実証的な法則と合致するものと見なされる場合の実証的なもの)を引き継いでいるように思われる(…)。神秘主義的なもの(すなわち、ヤコービ自身が言うように「完全に神秘的なもの」)は、レヴィ=ブリュールの与えた意味(「神秘主義的なものとは、感覚には知覚されえないにもかかわらず現実的な力・影響・作用の存在を信じる場合に言われる」)と同時に、偽ドゥニが創出した狭義の宗教的な意味(「理性的推論ではなく愛による神との結合がもたらす学」)でもありうる。(p. 65, n.2.)
ギイェルミは、ヤコービの実在論(リアリズム)のきわめて独創的なあり方を強調しつつ、その実在論が必然的に経験と信仰との関係に関する反省を促す以上、ヤコービの思想は神学的伝統よりも、むしろ例えばレヴィ=ブリュールによる原始心性の分析など人類学的伝統のほうに近いのだと繰り返し指摘している。以上の記述は(とりわけこの最後の点に関しては)、友人フレデリック・ケックに負っている。彼の博論の註611を参照されたい。http://www.univ-lille3.fr/theses/keck-frederic/html/these_notes.html 


2.教育者ギイェルミ
しかし、ギイェルミには翻訳者以外にもう一つの顔がある。教育者の顔である。ジャック・ピジョーは、『プラトン自身によるプラトン』の序文でこう述べている。

ルイ・ギイェルミが偉大な翻訳者であることは、彼のカントの翻訳によって知れ渡っていた。彼は偉大な翻訳者であり、かつ偉大な哲学者であった。一方を抜きにして他方を語ることはできない。(p. 8.)

これはもちろん、哲学書を正確に翻訳するためには語学力のみならず根本的な哲学的素養が必要であり、哲学書を正確に理解するためには哲学的な素養でだけでなくしっかりとした語学力の裏づけがなければならないからである。より正確にこう言おう。「ルイ・ギイェルミは、偉大な哲学翻訳者であり、かつ偉大な哲学教育者であった。つまりは端的に偉大な哲学者であった」(Louis Guillermit était un grand traducteur de philosophie et un excellent professeur de philosophie, bref un grand philosophe tout court.)と。翻訳・教育・哲学を切り離して考えることはできないのである。

ピジョーはこう続けている。

ルイ・ギイェルミは、かなりの量のきちんと書き下ろされた講義ノートをあとに遺した。生前カーニュ(ノルマル準備クラス)や大学の授業で用いられ、絶えず改良を加えられていたこれらの講義は、彼の学生たちを虜にした。

このギイェルミの教育者としての本領が最もよく垣間見られるのが、彼の講義録『プラトンの教え』(L'enseignement de Platon, 2 tomes, Nîmes, éd. de l'éclat, 2001.)である。第一巻は、『カルミデス』『ラケス』『リュシス』『エウテュプロン』『大ヒッピアス』『小ヒッピアス』を、第二巻は、『ゴルギアス』『パイドン』『メノン』を扱っている(『国家』『ソピステス』を扱う最終第三巻は、2002年刊行予定であったが、未だ未刊)。

第二巻序文で、ジル・ガストン・グランジェはこう述べている。

ルイ・ギイェルミは、私も含め同世代の者たちの中でも抜きん出て優秀な研究者であったが、あまり多くの業績を残さなかった。にもかかわらず、私たちはカントやヤコービに関する彼の仕事を知っている。また、パリやエクサンプロヴァンスでの授業は、学生たちの心に比類なき哲学的遺産を残した。私は学生たちから非常にしばしばその名講義ぶりについて聞かされたものである。(…)

ルイ・ギイェルミは、同世代のプラトン注釈者たちのうちで疑問の余地なく最も優れたもののうちの一人であった――いや、おそらくは最も優れていた。彼の聴衆たる学生に向けられたこれら対話篇の解釈は、彼がいかに深くプラトン思想に馴染んでいたかを示すと同時に、彼の例外的な教育者としての才能をも示している。きわめて適切に『プラトンの教え』というタイトルを付された本書においても、ギイェルミが常々説いていた、話しかけるような、対話のような表現の長所が見出される。


par Jean BlainLire, mars 1995Cette anthologie constituée de textes extraits de l'ensemble de l'œuvre de Platon, regroupés autour des principaux thèmes de sa pensée, est l'une des meilleures introductions qui soient à la philosophie de l'auteur de La République. Ce grand professeur que fut Louis Guillermit, mort en 1982, ne s'y propose - rien de plus mais rien de moins - que de laisser Platon commenter Platon.Ces pages, choisies pour leur caractère exemplaire ou significatif et servies par une belle traduction, s'adressent à tous ceux qui désirent s'orienter dans la lecture d'un des plus grands penseurs de tous les temps.
http://www.lire.fr/critique.asp/idC=30611/idR=210/idTC=3/idG=7