Wednesday, October 27, 2004

哲学の終焉?(Re: ルターとメディチ家)

ss: というわけで、先週のメールの話なのですが、

一般的なフランス人哲学者たちはもちろんのこと、いわゆる重要な現代思想家、バリバールは別だけれど、たとえばラクー=ラバルトなんかでさえも、日本人をせっせと自分の著作を自国に紹介してくれる気のいい翻訳者としてしか見ていない(もちろんお分かりのように、これは個人の性格の問題ではありません)。それも当然なんで、過去数十年来、そして未だに、私の同業者たちはフランス人と対等の位置に立とうとはしていない。彼らをスターか何かのように見ている。舞台に上がるのはいつも彼らで、自分たちは観客か、せいぜい舞台批評家。実際、ドイツ哲学はいざ知らず、少なくともフランス哲学の分野でフランスでも認められている日本人研究者(翻訳者として名前を知られている人、ではなくて)が何人いるでしょうか?客観的に見て、フランス人に勝てない。それは何故なのか。
大言壮語に響くのを承知の上で言えば、こういった理由を冷静に分析し、社会的なレベルでの底上げを図るにはどうすればいいかを模索することと平行して――私の「アグレグ」論文はこの文脈に位置しているわけです――、
私自身が個人のレベルで量的にも質的にもアウトプットを向上していかなければならない。そのこともあって(もっと本質的な諸理由もありますが)、仏語で思考し書くことにこだわっているんです。「世界に向かって開かれる」ということは、世界のさまざまな動向を知る(自国に翻訳紹介する)というだけではまった
く十分ではなく、その動向に自ら能動的に携わっていく(外に向かって発信していく)ということでなければならない。

私としては、hfさんの焦燥感もわかる気がするし、輸入超過の現状を何とか変えていかなければならないという至極当然の問題意識もある程度以上は共有しているつもりです(これはもちろん哲学に限ったことではありませんが)。

 が、それとは別の次元で、あらためて自分自身は「哲学者」だという意識が薄いのだなと思いました。これまで、文学でもなく、哲学でもなく、言語学でもない、という感じで、あっちに揺れ、こっちに揺れしながらやってきたので、特定のディシプリンに対する帰属感が希薄なのは、私の短所でもあり、いくぶんかは長所でもあるだろうと期待しているのですが、それだけではなくて、私にとってはどうも「哲学」というものがあまりはっきりとした像を結ばなくなっているのです。

 詳しく書き出すと長くなるし、結局、これまでも何度かhfさんにお話ししたことの繰り返しになりそうなので、大雑把に言いますと、この哲学像の希薄化は、私個人の資質の問題である以上に、哲学そのものの歴史的状況に由来するように思うのです。つまり、私にとって哲学がはっきりしなくなっているだけでなく、哲学自体がその輪郭を失いつつあって、しかも、そのことがほぼ歴史的・構造的に宿命づけられているのではないだろうか、と。

 他方で、少なくとも日本における知的言説の驚くべき衰退があります。これは、日本国籍の哲学研究者が海外でどの程度評価されているかという話より、私にとっては、はるかに深刻な問題に思えてなりません。「いや、そういうことを考えるのも哲学なんですよ」という答えが返ってきそうだし、それはある程度その通りなんでしょうけど。むしろ、私にとっては、輸入/輸出の関係より、いわば「内需拡大」のような形で、国内に向けての発信、国内での知的流通の活性化のほうが、より優先されるべき課題に思える。

昨日のarteの特集は、「ルターとメディチ家」でしたが、ご覧になりましたか?結構つぎはぎっぽい(無理やりくっつけたっぽい)構成でしたけど、ルターの生涯を描いても、「個人の解釈の自由を唱えつつも、後に権威主義に悪用される要素が彼の思想の中に存在するのだ」とちゃんと問題点を指摘しているあたりは、最低限の批判的視点を保持しててよかったです。

やってるのは知っていたのですが、帰ってきた後なので観られませんでした。そういえば、去年くらいにルターの生涯を描いた映画がありましたね。観てませんが。フランスでも公開されてたのかな?  映画といえば、「人間としてのヒトラー」を描いたということで話題になっている『滅亡(Der Untergang)』を観に行きたいと思っています。監督は、日本でも『エス』というタイトルで公開された『Das Experiment』のオリヴァー・ヒルシュビーゲル。ヒトラー役は、『ベルリン天使の詩』でおなじみのBruno Ganz。2時間半あるらしいです。

 ではまた。 ss

Tuesday, October 26, 2004

オクターヴ・アムランの生涯と著作

オクターヴ・アムラン(Octave Hamelin)は、1856年、Lion-d'Angers(Maine-et-Loire)生まれ。複数の中等教育機関で、次いで高等教育機関で(ボルドー大学文学部、ENS、ソルボンヌ)哲学を教える。博士号を取得して程ない1907年9月8日、溺れていた二人の人を助けようとして死去。享年51歳であった。アムランは、ラシュリエより24歳年下、ベルクソンより3歳年上である。

アムランの生前に刊行された著作は、博士号取得主論文と副論文の二冊しかない。しかも、どちらも一般的な形で刊行されたのは、死後数十年を経てからのことである。

Essai sur les éléments principaux de la représentation (1907), 2e éd. avec références et notes édité par André Darbon, Alcan, 1925 ; 3e éd. PUF, 1952.
Aristote, Physique, liv. II, traduction et commentaire (1907), 2e éd. Vrin, 1931.

論文に関しては生前に刊行されたものが十数本ある。帰納法に関するもの(ラシュリエの弟子としての面目躍如といったところか)、哲学史上のさまざまな問題に関するものが多い。それ以外には、1902年5月21日にFédération bordelaise de la Jeunesse laïqueの聴衆を前に行われた講演を収めた32頁の小冊子、『知育による徳育L'éducation par l'instructionがある。

死後刊行されたものとしては、次のものがある。
1910年、エピクロスの手紙(ヘロドトス宛、ピュトクレス宛、メノイケウス宛)を敷衍しつつ翻訳したもの(traduction paraphrasée)、E.デュルケムの手により、Revue de métaphysique et de morale, 18e année, n°3 bis (numéro supplémentaire).に発表。
1911年、『デカルトの体系Le Système de Descartes、1903-4年度にENSで行われた講義の講義録(アムランは講義をすべて執筆していた)、préface d'Emile Durkheim, publié par Léon Robin(レオン・ロバンは高名なプラトン研究者)で、アルカン書店から刊行。
1920年、『アリストテレスの体系Le Système d'Aristote、1904-5年度にENSで行われた講義の講義録、publié par Léon Robinで、アルカン書店から刊行。
1923年、「アリストテレスの道徳論La Morale d'Aristote」、Revue de métaphysique et de morale, pp. 497-507. 「ある点で先の著作を補うもの」であるらしいが、ミレーはどの点であるかを明記していない。
1927年、『ルヌーヴィエの体系Le Système de Renouvier、1906-7年にソルボンヌで行われた講義の講義録。 publié par P. Mouy chez Vrin.
1953年、『アリストテレスとその注釈者たちによる知性理論La Théorie de l'intellect d'après Aristote et ses commentateurs、Bibliothèque Victor-Cousin (Sorbonne)に保管されていた草稿に基づき、publié par E. Barbotin chez Vrin.1906年に執筆されたものと推測されている。

その他未刊のアムランのテクストのいくつかの次の著書に部分的に引用されている。
René Le Senne, Le Devoir, Alcan, 1930.(アムランの書簡の引用)
L.-J. Beck, La Méthode synthétique d'Hamelin, éd. Aubier, s.d.[1935].(未刊テクストの引用)

この他にも多数の完全に執筆された講義録が上記図書館に保管されているが、いずれも未刊。これらの書誌情報に関しては、ナベールによる報告が1957年のLes Etudes Philosophiquesに。

さらに時代を下ると、
1978年、Sur le "De Fato", publié et annoté par Marcel Conche, Villers-sur-Mer : Editions de Mégare.
1989年、Fichte, cours d'Octave Hamelin et cours de Henri Bergson, introduction de Fernand Turlot, Strasbourg : Association des publications près les universités de Strasbourg, n°spécial des "Cahiers du Séminaire de philosophie", 7.
1990年、Aristote, La nature : Physique, livre II, trad. d'O. Hamelin, introd. par Jean-Claude Fraisse, Paris : Hatier, coll. "Profil philosophie" Série Textes philosophiques 755.
1990年、Épicure, Lettres, trad. d'O. Hamelin, rev. et corr., présentation et commentaires, Jean Salem (1952-), Paris : Nathan, coll. "Les Intégrales de philo" 5.
2000年、Épicure, Lettres et maximes, trad. du grec par Octave Hamelin et Jean Salem, Paris : EJL[=Ed. J'ai lu], coll. "Librio" 363.

ラシュリエとアムラン

Lachelier, La nature, l’esprit, Dieu, textes choisis par Louis Millet, Paris, PUF, coll. « Les grands textes. Bibliothèque classique de philosophie », 1955.

Hamelin, Le Système du savoir, textes choisis par Louis Millet, Paris, PUF, coll. « Les grands textes. Bibliothèque classique de philosophie », 1956.

このシリーズは、大哲学者たちの複雑・膨大な哲学体系をできるかぎりコンパクトに再構成するような形で編まれたアンソロジーを提供しようとするものである。ドゥルーズ編集によるベルクソン『記憶と生』(原書1957年、前田英樹訳、未知谷、1999年)も、元はこのシリーズから出ている。

超メジャーな哲学者たち、たとえばデカルトの或るアンソロジーを他のシリーズのアンソロジーと比べるのも面白いかもしれないが、哲学者別に編まれたこの手のアンソロジーで最も興味深いのは、なんといっても他のシリーズでは扱われていないような「マイナー」な哲学者たちのセレクションである。このシリーズで言えば、上に挙げた二人もそうだし、クルノーだとかルヌーヴィエだとかいった存在もそうである。「マイナー」と鈎括弧をつけたのはむろん、ラシュリエもアムランも彼らの生前は高名であったわけで、現代的な興味関心の尺度の「偏り」に注意を喚起しておきたいからである。それにしても、1950年代中盤になぜラシュリエやアムラン?という驚きはある。

それはともかく、この二人の巻を担当しているのは、同じルイ・ミレーという人物である。身分に関してはアグレジェであるとしか記されていない。タルド研究の先駆的存在であるミレーかとも思ったが、あれはJean Miletであった。

ルターとメディチ家

この間、追悼企画として Arte でD'aieullers Derrida をやっていたので、偶然見ることができました。

あの映画、私も見ました。EHESSでだったかの講義風景の中に知ってる日本人がいたりして、やっぱ「パリのソルボンヌあたりうろついてるフランス現代思想好き日本人」って感じで恥ずかしいなと(冗談です。むろん真剣にフランス現代思想と格闘している方々も大勢いらっしゃるし、その中の数人は私たちの共通の友人でもあります)。昨日のarteの特集は、「ルターとメディチ家」でしたが、ご覧になりましたか?結構つぎはぎっぽい(無理やりくっつけたっぽい)構成でしたけど、ルターの生涯を描いても、「個人の解釈の自由を唱えつつも、後に権威主義に悪用される要素が彼の思想の中に存在するのだ」とちゃんと問題点を指摘しているあたりは、最低限の批判的視点を保持しててよかったです。
 ラクー=ラバルトは、マルクス的な「批判」の伝統は、その「脱構築」的派生形態まで含めて、ルター的プロテスタンティスムに由来すると考えているようなのですが、ナンシー的な視点から言えば、ルターもまたカトリック的「キリスト教の脱構築」を行なった一人だということになるのかな、などと夢想に耽りながら見ておりました。

Thursday, October 21, 2004

スシボンバーの憂鬱

ssさん、一点だけレスポンスを。

動き、というのは、雑誌などの媒体を作る、という意味ではないですよね?

 aaさんは以前、柄谷さんの「アメリカコンプレックス」を少しからかったりしていたけれど、柄谷さんが「日本人は世界でものを考えてると思われていない」と常々言ってるのは、そのとおりだと思うんです。私の場合は、まずはフランスに向けて(もちろん同時に英語でも、そしていずれは――warum nicht?――独語でも)発信したいと強く願っているんです。一般的なフランス人哲学者たちはもちろんのこと、いわゆる重要な現代思想家、バリバールは別だけれど、たとえばラクー=ラバルトなんかでさえも、日本人をせっせと自分の著作を自国に紹介してくれる気のいい翻訳者としてしか見ていない。

 それも当然なんで、過去数十年来、そして今もなお、私の同業者たちはフランス人と対等の位置に立とうとはしていない。彼らをスターか何かのように見ている。舞台に上がるのはいつも彼らで、自分たちは観客か、せいぜい舞台批評家。実際、ドイツ哲学はいざ知らず、少なくともフランス哲学の分野でフランスでも認められている日本人研究者(翻訳者として名前を知られている人、ではなくて)が何人いるでしょうか?客観的に見て、日本人哲学者の平均レベルはフランス人哲学者のそれと比べて、質的に劣っている。それは何故なのか。

 馬鹿げた比喩ですが、サッカーのFWには最低でも二つの能力が要る。巧みな技巧を使って相手DFをかわしていく能力と、多少強引にでも自らゴールを狙っていく能力。日本のFWには、後者の能力が欠けている場合がほとんどです。ゴール前までは何とかいけても、決定的なチャンスを自分で決められない。柳沢など、せっかくのシュートチャンスを得ても、「ゴールの確率をあげるため」と称して味方に余計なパスをして、挙句の果てに監督に「男に媚びる女のようなスタイルlezioso(ま、これは日本の週刊誌の扇情的な翻訳なんで、正確には「マニエリスト」という感じですけど)」だと評されている。欧州で活躍している(もちろん相対的に、ですが)日本人に中盤の選手が多いことは偶然ではありません。

 哲学にも最低二つの能力が要る。哲学史的・語学的な基礎教養と、ほとんど本能的と言ってもいいかもしれない図式を直感する力。どちらが欠けても国際的な舞台では活躍できない。例えば、浅田さんには自らゴールするという意欲が根本的に欠けているように思われるし、柄谷さんには――たいへん失礼ながら――強引にシュートを放って「決めた!」と自信満々だけれど、実はすでにオフサイドの笛が吹かれていた、というようなことが大変多いのではないでしょうか。日本の「哲学」にはエースストライカーがいない。むろんお二人は「私は批評家だ」とおっしゃるでしょうが、まさに誰も責任を持って「哲学」を引き受けないところにこそ問題があると思うのです。

 「サッカーと同じで、そもそもあちらの文化だから」「始めたのが遅く、向こうのレベルに到達するまでに時間がかかるから」という文化的・歴史的な理由。「日本にはノルマルにあたるエリート養成国家装置も、アグレグにあたる最低限の大学教育を保障する国家装置もないから」という制度的な理由。「哲学の場合、世界に向けて発信するには、英・独・仏のいずれかの言語で書かなければならないから」「そもそもフランスの哲学界は閉鎖的だから」という言語的・地政学的な理由。大言壮語に響くのを承知の上で言えば、こういった理由を冷静に分析し、社会的なレベルでの底上げを図るにはどうすればいいかを模索することと平行して――私の「アグレグ」論文はこの文脈に位置しているわけです――、私自身が個人のレベルで量的にも質的にもアウトプットを向上していかなければならない。そのこともあって(もっと本質的な諸理由もありますが)、仏語で思考し書くことにこだわってるんです。

 「世界に向かって開かれる」ということは、世界のさまざまな動向を知る(自国に翻訳紹介する)というだけではまったく十分ではなく、その動向に自ら能動的に携わっていく(外に向かって発信していく)ということでなければならない。前回「動き」といったのは、この思想のレヴェルでのムーヴメントということです。組織・媒体づくりももちろん重要なことだと思っていますが、今の私の主要目標ではありません。

註:「スシボンバー」は、2004年現在ドイツのサッカークラブ「ハンブルガーSV」に所属するFW高原直泰にドイツのスポーツメディアが付けた、なんとも芸のない渾名。頑張れ、タカハラ!

Tuesday, October 19, 2004

第四次『批評空間』

ちゃんとしたものの書ける書き手を欲しがってると思いますよ。

いずれそう言われるように、今は基本的なことが確実にかつ簡単にできるようになりたいですね。コンスタントに上質の論文が書けること。そのためには、まだまだやらなきゃいけないことがたくさんありすぎて。自分のbassesse d'espritを改善していかないと。

『前夜』

ssさん、それ、私も以前、某MLで紹介しましたよ(笑)。

おそらく第四次『批評空間』は実現しないでしょうし。

それに、やはりそろそろ私たち自身の手で新たな動きを作っていかないとね。浅田さんにも柄谷さんにも欠けていることはあるわけだし。柄谷さんに関して言えば、何年も前から言ってますが、福田和也の-もちろん私は福田和也には全般的に否定的ですが-「柄谷行人氏と日本の批評」(『甘美な人生』所収)の批判が白眉ですね。福田があそこで言ってることはすべて当たってると思います。

浅田さんについては、デリダ追悼で「要約に抵抗する哲学を貫いたことは賞賛に値する」って、「お前が言うな!」ってどっかで突っ込まれてたけど、私は結構いいとこついてると思うな。分かりやすい言葉で哲学を「乱暴に要約する」ことは、理解不可能な言語で哲学を韜晦に語り続ける一部の講談哲学や、日常言語で「私の人生哲学」を語るジャーナリズム哲学――「イチローは現代の武蔵」と語る自称「哲学者」とかね(笑)――と、悪い形で相補的に「日本の思想」を形成している。いずれも本質的に「哲学」を拒否することで成り立っていると思うんですね。

デリダ関係の情報ありがとうございました。この間、追悼企画として Arte でD'aieullers Derridaをやっていたので、偶然見ることができました。
あ、ssさんもarte見られるんですね(mgさんは見てらっしゃらないようだったから)。だったら、私が最近気に入ってる番組をひとつご紹介しておきましょう。毎週日曜日の午後8時から15分ほどやってる"Karambolage"という番組です。フランスとドイツの文化習慣の違いなどをきわめてミニマル(日常的)なレベルで-フランス人がpetits riensと呼ぶものですね-紹介しようというのが基本コンセプトですが、仏語と独語の相互影響の歴史を毎回ひとつ紹介してくれるので、きっとssさんの興味を引くのではないかと思います。ぜひご覧ください。
http://www.arte-tv.com/fr/connaissance-decouverte/karambolage/104016.html
これまでの回もすべてサイト上で見られるようです。

Sunday, October 17, 2004

デリダもフィガロにかかると

ssさん、

「日本の大学の紀要」云々とありますが、そういう意図なのでしょうか。

 今のところどうも日本語で哲学論文を書く気になれないんですね。「どうしても日本語で今書かねばならないこと」というと政治とか教育のことになってしまう。そういう自分の中でのモチベーションの問題など、諸々の理由からです。まあ他に発表媒体がないということが一番の理由ですね(笑)。私の主張は要するに「高等教育の将来を真剣に考えるならば、教員資格用の試験(各分野別のアグレグ)と研究用の博士課程の二本立ての制度にしたほうがいいのではないか」という純粋に制度的な提案に尽きるので、第一義的には大学関係者以外に向けられていないということもありますが。

それはそうと、デリダが亡くなったのですね。

 リベ(Libération左翼系)の特集に力が入ってたり、リュマ(L'Humanitéユマとも。共産党機関紙)がバリバールの追悼文を載せたりするのは分かるんですが、フランスの読売(時々産経)であるフィガロの取り上げ方には思わず笑ってしまいました。
"Jacques Derrida. L'homme qui a fait aimer la philosophie aux Américains"
まあこれなら保守派も気兼ねなく追悼できるという(笑)。ル・モンドのインタヴューもよろしければどうぞ。http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3230,36-375883,0.html

Friday, October 15, 2004

セリス、「ベルクソンと技術」

先週109日土曜未明、ジャック・デリダが死んだ。彼の哲学における生と死の問題、哲学と神学の関係、目的論、技術、動物性、性差の問題。いかなる偉大な哲学者にも言えることだが、同時代より早く、同時代より遅く、同時代から隔絶して、同時代と「斜めの」関係を結んでいた哲学者。

もう一度技術の問題に戻ろう。

Jean-Pierre Séris, « Bergson et la technique », in Bergson. Naissance d’une philosophie, Acte du colloque de Clermont-Ferrand 17 et 18 novembre 1989, PUF, 1990 ; La technique, PUF, 1re éd., repris dans la coll. « Philosopher », 2000.

専門家でないものが時として斬新な視点から大きな帰結をもたらすことがある。「travail労働・仕事」という概念の多様な用法を検討することによって、ベルクソンにおける技術の問題の核心に迫ろうとしている、このジャン=ピエール・セリスの場合はまさにそれである。

セリスは、ベルクソンにおける「仕事・労働」の比喩の重要性を強調するために、まず三つの予備的考察から論を始めている。

1)ベルクソンにおける「労働」の二つの意味。ベルクソンとプロティノスにおける「イマージュ」の様々なカテゴリーを比較したモセ=バスティッドによれば、ベルクソンにおいては、大方の予想に反して、生物学から借りられたイメージよりも、技術techniqueや手仕事métiersから借りられた(また同様に筋肉印象impressions musculairesから借りられた)イメージのほうがはっきりと優勢を占めている。ベルクソンはまた、きわめて頻繁に「仕事travail」や「仕事をするtravailler」 といった語を用いている。しかも、自分の哲学的な活動や自分自身の著作を指すためのみならず、これらの語の実に多様な含意を巧みに駆使しつつ、意義深い形 でこれらの語を用いている。「仕事」は主に、知性の活動を指す否定的な用法と、持続・生・自然・芸術などの創造的発明的練り上げを指す肯定的な用法があ る。後者は、「分かちがたく結びついている前者に、自分のリズムを押し付ける」「成熟ないし創造という内的な作業=仕事」である。

こ こで「しかし結局のところこういった語彙はすべて比喩的に用いられているだけだ。ただの比喩にすぎない」というありうべき誤解を反駁しておかねばならな い。「絶対的に新しいものの持続的な練り上げ」や「作業」といった語彙が、語源学的なつながりといういささか迂遠な関係によって生産的な仕事を喚起すると いうだけではなく、機械論と目的論を擬人主義的だとして同時に退ける態度を超えて、「仕事」という語自体がベルクソン哲学の中心において強く必要とされて いるのである。

仮に隠喩があるとしても、それはむしろ反対の方向にである。すなわち、むしろ道具に関心を寄せる「Homo faber」 の仕事そのもののうちに、分業され、目的論化され、勤勉な、骨折りの多い仕事のうちに、機械の操縦者や設計者の作業のうちに、エネルギーや疲労や怠惰と切 り離しえないある経験が顔をのぞかせているのである。そしてこの経験は、ただ創造のベルクソン的哲学のうちでのみ、その真の意味、その存在論的意味を明か してくれる。

だ が我々は、セリスのように、「仕事」という語彙はただ単に比喩的に用いられているのみではない、もっと重要な意味においても用いられている、というだけで は満足しない。問題になっているのはまさに、ベルクソンにおける「比喩」の哲学的な地位なのである。そして、これはひいてはフランス現代思想における「比 喩」「アナロジー」の地位というきわめて重要な問題へと(ソーカル&ブリックモンは無論のこと、ブーヴレスとも異なる形で)つながっていくのである。

2)ベルクソン哲学はこれまでたびたび創造の哲学une philosophie de la créationとして捉えられてきた。だが、むろん連続性continuité、自発性spontanéité、奔出する跳躍élan jaillissantと いった、ベルクソンが生の進化の主特徴を捉えるために用いた語だけでは、自由な活動、創造的なエネルギーをそのすべての作業において、そのすべての獲得し た広がりにおいて描くには十分ではない。そもそもベルクソンは生のうちに創造の第一原理を見て取るだけで満足するような物活論者ではない。したがって動詞 「生きるvivre」は、「仕事をする、作業するtravailler」へと引き継がれねばならず、「仕事、作業travail」は「生vie」という語と競合関係に入らねばならない。

3)ベルクソンが「仕事・労働」という語を用いていた当時の知的文脈。①スミスやリカルドー以来の経済学の文脈、②H.Milne-Edwards以来の生理学の文脈、③デュルケム社会学の文脈、マルクス以来ジョレスに至るまでの社会主義運動の文脈、④ゾラに代表される文学的表現の文脈などがある。「仕事・労働」に、生産と再生産、

生一般と社会生活一般が交差する地点を見て取ることは、ベルクソンに限らず、当時一般的であった。

少しだけ詳しく見ておくと、経済学から生理学へ輸入された後で、分業概念はまず、デュルケムによって「社会的分業division du travail social」として、すなわち「機械的連帯」から明確に区別される「有機的連帯」として捉えられる。Milne-Edwardsの発見(有機体における仕事の生理学的分担)には、とデュルケムは書いている、

「分業の作用領野を著しく 広げると同時に、無限に遠い過去のうちに分業の起源を求める態度を退ける効果があった。というのも、生理学的分業は、生が世界に到来したのとほぼ同時とい うことになるからである。もはや人間の知性と意志のうちにその根を持つのはただ社会的制度ばかりではない。生物学的現象全般の諸条件を、有機化=組織化さ れた物質の本質的な諸特性のうちに求めねばならないのである(?)。分業はもはやこの一般的なプロセスの一個別形態として現れるにすぎず、諸社会は、この 法則に適合しつつ、はるか以前に生じ、生の世界全体を同じ方向へ連れていくある流れに従属しているように思われる」。

だ が、デュルケムは同時に、社会的分業は、「ある本質的な特徴によって」生理学的分業から区別される、ということを示す。「有機体にあっては、各細胞は決 まった役割を担っており、それを取り替えることはできない。社会にあっては、諸々の仕事は決してそれほど固定的な形で配分されているわけではない[…]。 労働がさらに分担されるにつれて、この柔軟さと自由はますます大きくなる」。無論、この分業というテーマは、ハーバート・スペンサーにあっても進化の事実 という形で見出される。

いずれにせよ、仕事・労働という概念は、ベルクソンにあって、「努力の哲学」のためにかなりの拡張を受けることになる。

以上のような三つの予備的考察を経て、セリスは、順次「労働」概念のきわめて異なる二つの側面を見た後で、その連関を見ていく。

1)労働はまず、その中で用いられ展開される「努力effort、エネルギーの消費、苦労、骨折り仕事(besoigne)、労働(labeur)を含意する。

  2)労働は次いで「媒介médiation」「迂路détourという次元で発展する。Comme le dit une locution latine « Labor improbus », le travail maine la ruse.あるいはただ単に「道具outil。労働は、諸対象(物であれ記号であれ)の配置を修正しそれらを再配置する作用を伴う。この製作的再配置は、あるプランに合致した、ある人工物の骨の折れる実現に到達する。

1)最低限の努力、最低限のエネルギー消費、最低限の辛抱強さ=恒常性(constance)、最低限の覚醒状態=警戒(vigilance)、最低限の注意ないし緊張がなければ、労働はない。この意味で、「努力」は、仕事・労働の最小限の人間学的前提(présupposé anthropologique minimal du travail)である。まさにそれゆえにle travail fatigue.であり、「仕事をする・労働する」とは、絶えずこの疲労を乗り越えていくことに他ならない。労働の核心部分は、ベルクソン哲学にあっては、引き受けられるより前に課されており、選び取られるより前に要請されている。労働とは、必要と結びついた強制の事実なのである。

 ベルクソンは、メーヌ・ド・ビランやラヴェッソンの努力の哲学の遺産継承者である。ベルクソンのより直接的、より明示的な参照先としては、ウィリアム・ジェイムズ(例えば、彼の1880年の論文「努力の感覚」)やデューイ(例えば「努力の心理学」)を挙げることができるであろう。

だが、アンリ・グイエが述べている ように、メーヌ・ド・ビランと違って、「ベルクソンは努力の分析に留まっているわけではない」。いや言いたいのは、ベルクソンの目的が生きられた経験とし ての努力を反省的に描写することよりも、むしろ努力の感情のうちにある肯定的=実証的な力の印を認めることだ、ということである。そのためにこそ、知的労 働と結びついた知的努力は、ベルクソン哲学にあっては、筋肉努力や物理的努力の精髄としてあらわれるのである。これこそ、『物質と記憶』以来、「精神の通 常の仕事」と我々の精神生活の異なる調子を条件づける生への注意とその様々な度合いとして描かれているものである。ベルクソンは、序文の中でこう述べてい る。「これは本書を指導する思想の一つ、我々の労作の出発点の役に立った思想である」。ベルクソンの第一論文集『精神のエネルギー』も、この観点からする と、非常に示唆的なものである。1907年以前に発表された諸論文には「創造」の語は含まれていないが、その着想はすでに準備されていたと言える。1907年 の『創造的進化』以降の諸論文は、言ってみれば前期ベルクソンの「努力の哲学」を完成したのである。これ以後、もっぱら、「生の活動に特徴的な非物質的な ものの増大する物質化」の側面、「物質は努力を喚起し可能にする」という事実、物質的実現、物質なしに努力はありえないという側面が強調されることにな る。したがって、「知的努力」で満足しているわけにはいかない。

Thursday, October 14, 2004

Re: アグレグ

hfさん

ひとまずこの間のアグレグの試験の詳細だけまとめたので、お送りします。

どうもありがとうございます。早速読ませていただきました。完成稿を楽しみにしています。「日本の大学の紀要」云々とありますが、そういう意図なのでしょうか。いくつか気がついたことがあるので書いておきます。

p.1: 「独立行政法人化」とありますが、結局、独立行政法人化の適用は受けず、国立大学だけを対象にした特別法を作ったのです。正式名称は、「国立大学法人」です。制度設計上、中央の管理が強くなり、天下りは増え、大学の自主性はますますなくなるのだから、さすがに「独立」はまずかろうと名前を変えたのです(笑)。

「Q10 国立大学法人制度は、独立行政法人制度とは、どこがどのように違うのですか」: http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/houjin/03052702/010.htm

p.2: 「文部省」は、いわゆる省庁再編のため、科学技術庁と統合して「文部科学省」になっています(平成13年1月6日より)。

それはそうと、デリダが亡くなったのですね。もうずっと前から病気のことは知られていたし、ドゥルーズのときのような感慨はないけれど、漠然と、ひょっとしたら世界的に「哲学者」があれほど影響をもつのは彼が最後じゃないかという気がしています。 ss

Monday, October 11, 2004

哲学のアグレガシオン、アグレガシオンの哲学(序論断片)

 かつて大学教授と言えば、「黄ばんだ昔の大学ノートを誰にも聞こえないような声でぼそぼそ読むだけ」という紋切り型のイメージが流通していた。また、このような授業風景が大学の授業に魅力がないことの理由に挙げられてもいた。だが、このような紋切り型が定着した背景には、個人的な資質よりも――言う までもなく「大学教員になるような人間には社会性が欠如している」といった言辞自体、取り上げるに足りないもう一つの紋切り型である。非常識な会社員などいくらでもいる――、むしろ構造的な要因があるように思われる。それは、日本には「研究者」養成機関はあっても、「大学教員」養成システムは存在しない、ということである。より正確に言えば、実際には大学教員の大半を輩出する機関であるにもかかわらず、日本の大学院は、将来大学に奉職することを念頭においている研究者の研究能力を養成することを目的としているのであって、将来大学で教育に従事するために必要な知識・技術を習得させることを目的としてはいない、ということである。

 大学教員採用試験もまた、説得的に弁じられるという言説能力をさほど重視しておらず、模擬授業などの形で具体的に証明させることも増えてきたとはいえ、まだまだ完全に一般化したとは言えない。大学院で将来の大学教員候補生としての養成教育を受けたわけでもなく、大学教員採用試験で教育に対する一定以上の適性能力を証明させられる機会もない以上、誰が好き好んで教育能力の向上に時間を割くであろうか。その結果が、冒頭に上げた紋切り型である、ということは決してありえないことではない。長引く不況、少子化、独立行政法人(国立大学法人)化などによって、ただでさえ就職が困難であるといわれる現状では、大学教員になりたい者は、あくせくと自分の研究成果を論文で発表することに血道をあげるほかはない。なぜなら大学教員になるための条件は、多くの場合、教育適性能力を持っているか否かではなく、執筆した論文の数だからである。こうして高等教育のまさに中枢で、教育の根幹がないがしろにされている。

 私がここで、アグレガシオン[1]というフランスの高等教育資格国家試験制度の概要を説明し、その歴史を簡単に振り返るのは、このような危機的な状況に際して、ささやかな形であれ、理論的な介入を試みるためである[2]。最初にごく簡単に結論を言っておけば、次のようになる。フランスの高等教育においては、研究者養成機関としては3e cycleがあり、教育者養成機関としてはアグレガシオン準備クラスがあって、この区分は、少なくとも教授能力の適正化および研究者の質の向上には一定の役割を果たしていると言える。まず3e cycleは、主にアグレガシオン(ないしカペス)を取得して基本的な就職先を保障された学生たちが次段階のキャリアアップの過程として選択するもので、日本の大学院生のように常に将来の心配を抱え、同時に自分で現在の生計も立てつつ、現在の勉学を疎かにすることも許されないなどという「三重苦」を背負い込まされることはない。次に、アグレガシオンは、後に詳述するようなハイレベルな筆記・口述試験を課す全国一律の国家試験であることによって、1)大学教員の教授能力のハイレベルでの標準化、2)不透明きわまりない因襲的・地域的な人事の防止、という利点がある。

 むろん、アグレガシオン制度には弊害もいくつか指摘されている。たとえば、1)アグレガシオンの試験で要求される能力は、実際に教育現場で要求される能力と必ずしも一致するわけではないという意見。2)アグレガシオンを取れなかったがために有為の人材がリセでくすぶらざるをえないという意見。3)教師陣がアグレガシオン準備クラスを大学教育の中核と見なすあまり、学部生レベルへの教育が疎かになったり、教育資格は取れなかったが個人的に研究は続けたいという者に対する相対的な冷淡さが見られるという意見。4)同じようにアグレガシオンを取ったとしても、大学教員としての採用はノルマリアンが非ノルマリアンに対して圧倒的に優位であるという事実。しかし、これらの問題点はいずれも本質的なものではない。1に関して言えば、日本の現状との相対的な比較で言えば、問題にならない。2に関して言えば、教師の適正を測る完全な試験や完全な公平さを期す試験などそもそもありえないし、3に関して言えば、これは完全に教師一人一人の個人的な性向に依存するものであって、システム的な問題ではない。4に関して言えば、問題はノルマリアンたちによる過度のギルド的な独占のもたらすものであって、アグレガシオンという制度自体がもたらすものではない。

 むしろより現実的な問題点は、1)日本の教育制度がアメリカやドイツのそれに近い、国家試験やエリート主義(グランゼコール)のない、その意味では「民主的」な制度であって、フランスの独創的な制度とは程遠いものだという点にある。また、2)アグレガシオン制度を現在の日本に導入することの問題点を官僚機構の硬直に求めようとする意見もあながち穿ちすぎとは言えない。「仏像造って、魂入れず」ではないが、国家試験をつくってみても、それが共通一次やセンター試験のようなものであっては何の意味もないし、文科省官僚が思想家・作家やテーマの選択に関して随時圧力を掛けたり介入できるようなシステムであってはかえって事態は悪化するばかりだからである。最後に、3)このような事柄を大学人の間で論じようとする際にはお決まりの悲喜劇的な事態であるが、途端に疑問の声、いやむしろ無関心という「沈黙の声」があがる。「高邁な理念は結構だが、アグレガシオンを日本に導入すべきだといわんばかりの物言いは、あまりに理想主義的・非現実的ではないか」と言われるならまだましなほうで、「政治・制度論には疎いので何とも言えない」といった、政治的に去勢された「羊たちの沈黙」が場を支配する。「理念では食っていけない」という現実主義をニヒリスティックに標榜するにせよ、あるいはどんな小さな物音にも怯える草食動物のように非政治主義に徹するにせよ、いずれにせよ文科省に対しては、膨大にして無益な書類作成を押し付けられてただ俯いている。下には強く、上には弱い。

 しかし、意識が制度を規定するのではなく、制度が意識(研究態度、学問的身振り、habitus ou socius académique)を一定程度まで規定する以上、私たちは真の高等教育の蘇生のために、経済効率至上主義に幻惑・威嚇されて偽りの大学改革に消極的に盲従・追随するのではなく、むしろ積極的に内側から大学の教育制度を真に改革していかなければならないのではないか。事態の深刻さを鑑みるならば、いずれにせよ議論くらいは始まるべきではないのか。いかなる学問であろうと固有の制度を持ち、学問とそれを成立せしめている制度は不即不離の関係にある以上、自らを成立せしめている制度そのものに関する理論的考察抜きに根本的な発展はありえない[3]。とりわけ哲学のアグレガシオンは、アグレガシオンの哲学を必然的に呼び求める。哲学教師は、「哲学の授業」という大学における哲学活動の根幹にある営為のうちにも等しく理論的眼差しを注がねばならない[4]。Humanitiesにおける教育の問題は、教育に関するHumanitiesにおける分析を要請する[5]。しかし、事は一般論にのみ係るのではない。繰り返すが、真の問題は、現在の危機的な状況に際して、ささやかな形であれ、いかに理論的な介入を試みることができるか、ということにある。

[1] ここでは以下の章で詳述するアグレグシステムをすべて取り上げることは無論できないので、最低限の情報を提示しておく。

[2] 誤解のないよう念のために言っておけば、1)高等教育について論じることは、いささかも初等・中等教育を蔑ろにすることを意味するものではない。フレネ教育をはじめとする種々の初等・中等教育にまつわる「教育の哲学」についてはいずれ機会を改めて論じることにしたい。フレネに関してはたとえば、Célestin Freinet, Pour l'école du peuple, Librairie François Maspero, Petite collection maspero n°51, 1969. 資本主義社会における「初等教育-職業訓練」と「中等-高等教育」の分裂に関しては、Christian Baudelot et Roger Establet, L'école capitaliste en France, Librairie François Maspero, coll. "Cahiers libres" nos 213-214, 1971. またたとえば「自由としての知育」「与えられるものではなく、自ら選び取るものとしての知育」を柱とするランシエールの知育の哲学に関しては、Cf. Jacques Rancière, Le maître ignorant. Cinq leçons sur l'émancipation intellectuelle, Librairie Arthème Fayard, 1987 ; reprise dans la coll. "Fait et cause", 2004. 2)また、私の論は、日本でよく言われる「エリート主義」でもない。もし「エリート主義」であるとすれば、それはまったく別の意味においてである。 3)2005年は政教分離に関するフェリー法制定から百周年という記念すべき年に当たるが、教育におけるlaïcitéの問題はここではまったく触れることはできない。

[3] Cf. Marie-Claude Blais, Marcel Gauchet et Dominique Ottavi, Pour une philosophie politique de l'éducation. Six questions d'aujourd'hui, éd. Bayard, 2002 ; reprise dans Hachette Littératures, coll. "Pluriel", 2003.

[4] Cf. François Châtelet, La philosophie des professeurs, éd. Bernard Grasset, 1970. 大学における哲学教育との関係から言えば、一方で垂直的には、リセにおける哲学の授業の削除に反対する抵抗運動であったGREPH(Groupe de Recherches sur l'Enseignement PHilosophique)に関しては、Qui a peur de la philosophie ?, éd. Flammarion, 1977. を参照のこと。このムーヴメントの中心にいたデリダは同時にまた他方で、今度はいわば水平的に、大学外に追いやられていた辺境的・学際的な諸分野をinstitutionalisationしようとする動きをCIP(Collège International de Philosophie)によって実現した。CIPに関してはGREPHに関してと同様、Jacques Derrida, Du droit à la philosophie, éd. Galilée, 1990. を参照のこと。脱構築とはさまざまなinstitutionの脱構築に他ならないという点を強調してやまないはずのデリダ読みたちが、日本の哲学教育の現状について語ることかくも少ないのは、日本における哲学の現状を考えた場合、まことに象徴的であり、ほとんど徴候的symptomatiqueというべきではあるまいか。以上すべての点に関して、高橋哲哉の『デリダ』(講談社、1998年。新装版2003年)を見ておこう(33-36頁)。事は羨ましがったり諦めたるする次元の話ではないはずだ。

 フランスではほぼ日本の中学高校を合わせた期間に当たるリセで哲学教育が行われている。これもまたさかのぼればナポレオン一世の学制改革以来の伝統であり、さまざまな曲折を経ながらも、哲学は現代でもリセでの学習の総合的な仕上げとして重視されているのである。高校生にも哲学を学ぶ権利と能力があり、それは自由な批判的思考の能力を養うためにも望ましいことだと思っても、それを現実化する社会的条件がほとんどない日本の哲学教師である私から見ると、まことに羨ましいかぎりだ。ところが、その哲学教育の国フランスでも、教育の「現代化」や「効率化」などの名目で、70年代半ばにリセの哲学教育への抑圧政策が仕掛けられた。時間数を削減し、必修制を自由選択制にし、教員の数を減らして哲学への志願者を減らし、ひいては大学の哲学そのものを弱体化させて、産業界の要請にかなう技術的で実用的な教育に変えようというわけである。デリダはこの動きの中に、あの68年以来リセで増大した異議申し立てと哲学教育そのものに対する権力の圧力を見て取り、74年4月、教員と学生併せて30名ほどで、この問題に対処するための研究グループGREPH(「哲学教育研究グループ」Groupe de Recherches sur l’Enseignement PHilosophique)を結成した。
 翌年、文部大臣による「改革案」が発表されると、GREPHは公然と反対を表明し、学生、生徒だけでなく、父母やその他の関心をもつ人々をも含む反対運動を広範に組織し始める。デリダはこの過程で、過去の大哲学者たちの大学、学校、(哲学)教育にかんする言説を読み直し、そうした制度の問われざる諸前提を解明する一方、哲学教育を削減・廃止するのではなく、哲学教育の伝統的内容を批判的に見直しながら、逆に哲学の時間数を増やし、学習開始年齢を引き下げるという大胆な提言を行なった。「たとえば17歳か18歳以前に哲学を学ぶことは不可能であり、危険であると、プラトン以来信じられてきましたが、これには一体、どんな政治的ないし性的理由があるのでしょう?[…]実験的試みとして、フランスで第六学級・第七学級と呼ばれている児童、10歳や11歳の子供たちに哲学を教えてみましたが、非常に成功しました。若い少年少女たちは哲学に興味をもつだけでなく、哲学を必要とし、それを楽しんでいました。難解なテクストと思えるものにも十分取り組んでいました」(インタビュー「戯れする貴重な自由――脱構築と教育/政治」1986年)。この運動は、79年6月、ソルボンヌで1200名の参加者を集めて開かれた公開討論会「哲学の三部会」に結実する。この討論会の準備委員21名の中には、デリダのほかに、ドゥルーズ、リクール、ジャンケレヴィッチ、シャトレ、ナンシー、ラクー=ラバルトなどが含まれていた。こうした運動は海外でも関心を呼び、ヨーロッパ各国、南北アメリカ、アフリカなどにGREPHに呼応する動きが生まれ、一例を挙げれば、デリダは78年12月、仏語および英語圏アフリカ哲学者連合国際コロキウムに招かれ、「哲学教育の危機」と題する講演をしている(残念ながら日本では、呼応する動きはなかった)。
 この運動は、80年代に入ると大きな副産物を生むことになる。81年に登場した左翼のミッテラン政権は、一転してリセの哲学教育の拡大方針を打ち出しただけでなく、この政権の支援を得て、哲学のかつて例のない研究教育組織「国際哲学コレージュ」(CIP:
Collège International de Philosophie)が創設されたのである。デリダは準備段階で他の三人の哲学者とともに、国内外から集めた750に及ぶ提言を検討して政府に報告書を作成し、83年10月の発足とともに初代の議長に就任した(一年後に、J-F.リオタールに引き継ぐ)。世界の大学や著名な哲学者たちの協力を得て活発に活動しているこの組織の特徴は、既成の学科や文化の領域によって禁止されていたり、周縁化されているような研究テーマを発見し、積極的に取り組むことを奨励するという内容面だけでなく、各国から公募され、たえず更新される講師陣、セミナーへの参加にいかなる資格も問われないことなど多岐にわたるが、デリダはこのカレッジに、哲学の脱構築の制度的可能性を重ねてみているようである。
 GREPHの結成から国際哲学コレージュの創設にいたる過程でデリダが公けにした文書は、大学、学校、哲学教育に関する脱構築的考察のテクストとともに、650頁に及ぶ『哲学への権利について/法から哲学へ』(1990年)にまとめられた。
[5] 近代の西洋的大学制度に占めるHumanitiesの重要な理論的位置と現在の急務に関しては、Jacques Derrida, L'Université sans condition, éd. Galilée, 2001.を参照のこと。

Tuesday, October 05, 2004

ドイツのメディア

Pierre Albert et Ursula E. Koch, Les médias en Allemagne, PUF, coll. « Que sais-je ? », 2000.

あれは早二年前になるが、ドイツ語向上のためミュンヘンへ赴いたとき、持っていったのが、パンテオン-アサッス大学(Université Panthéon-Assas)名誉教授のピエール・アルベールとミュンヘン・ルードヴィッヒ-マクシミリアン大学教授のウルスラ・コッホによる本書『ドイツのメディア』であった。「本書は、ドイツ・メディアの歴史的な変遷と現在の状況を紹介している。繁栄し地方分権化を進めている新聞社の諸特徴や、1986年以前と以後のラジオとテレビの変化を指摘している。1986年は、これを機に商業的な民間メディアが公共視聴サーヴィスと競合するようになった年である」。

目次を見ておこう。

第一部:四世紀の歴史

第一章:神聖帝国下で

第二章:神聖帝国の終わりから第二帝国まで

第三章:第二帝国の黄金期(18711918年)

第四章:コンツェルンから隷属へ(19191945年)

第五章:二つのドイツ(19451989年)

第六章:再統合とテレビのうまく制御されなかった拡張(19891999年)

第二部:21世紀前夜のメディア風景

第一章:構造と組織

第二章:広告と新聞社の繁栄

第三章:ラジオ・テレビの沸騰

結論

参考文献

Monday, October 04, 2004

ミショー、『アジアの野蛮人』(1933)

Henri Michaux, Un barbare en Asie (1933), édition revue et corrigée, Gallimard, 1967.

アンリ・ミショーがアジアに旅立ったのは1931年、1899年生まれだから、三十二歳であった。インドについての130頁が最も長く、次いで中国の50頁、日本は20頁ほどで、マレーシアの17頁といい勝負である(インドネシアについてのごく短い記述もある)。最後の改訂版(1967年)への「新たな序文」では、日本、中国、インドの順で「昔とは全く変わってしまった」と言われている。高度経済成長による世界的な(むろんまたミショーの中での)日本像の変化だろうか。すでに20世紀初頭に、いや日露戦争以前に、日本に注目していたヴァレリーとは全く異なる「想像のアジア」がここにはある。 « Asie imaginaire » とでも呼ぶべき本が、ガリマールのL’imaginaireという文学系叢書から出るというのは、「まさにこれしかない」という感じがする。

この本を読んでみたいと思ったのは、私なりの日本(の思想)論、「exotismeの脱構築」に使えないかと思ったからだ。

"Philosophie", no 42, juin 1994.

Philosophie, no 42, juin 1994.

今までまともにクレジットを見たことがなかったので知らなかったが、fondateurs : Didier Franck et Pierre Guenancia, rédaction : Claude Romano, conseil de rédaction : J.-L. Chrétien, J.-F. Courtine, J.-L. Marion, J.-F. Spitz. 今回の特集« Théologie et philosophie »は不思議でもなんでもないわけだ。

ルドルフ・ブルトマン「解釈学的方法としての類型学の起源と意味」

ジェローム・ローラン「『アルキビアデス』と『法律』における人間的なものの尺度」

ジャン=ルイ・ヴィエイヤール=バロン「神の似姿としての人間に関する新たな考察」

ジャン=リュック・マリオン「ベルナルドゥスと神の似姿に関する仮説についてのヴィエイヤール=バロンへの返答」

ディディエ・フランク「神の影」

リュイエ、『大文字のユートピアと小文字のユートピアたち』

Raymond Ruyer, L’Utopie et les utopies, PUF, 1950 ; repris dans la coll. « Imago Mundi », Saint-Pierre-de-Salerne éd. Gérard Monfort, 1988 (Reprod. en fac-sim. de l'éd. de Paris, PUF, 1950).

レイモン・リュイエ1902-1987は、日本はおろかフランスでも再評価が進んでいるとは言えない著者の一人である(伝記的情報に関しては、La Gnose de Princeton (1977) ; D. Huisman, Dict. des philosophes (1984) ; Le Monde (1987-06-26) ; Les Vosgiens célèbres, sous la dir. de Albert Ronsin, 1990, p. 324。カンギレム、シモンドンまでは来たが、果たしてリュイエやプラディヌのレベルまで来るだろうか。それはさておき、本書によれば、「ナンシー大学教授、フランス学士院通信会員」。ビブリオ参照のこと。

精神-生物学系の前期(価値哲学系(ナベールとか?)含む)と、いかにも怪しげな後期(ニューエイジ系?)に分類できそうだ。1969年の『消費社会を讃えて』あたりから本格的におかしくなってきていると見ていいだろう。本書はこの奇天烈な軌跡からすれば割りと教科書的なつくり。昔、筑摩叢書からジャン・セルヴィエ著『ユートピアの歴史』というのが出ていたが、まさにあれに理論的な第一部を加えた感じではないか。ちなみに2000年にはBNで『ユートピアの歴史』展なるものが開催されていたようだ。

ルーディネスコ、『現実界のディスクール』

Elisabeth Roudinesco, Un discours au réel. Théorie de l’inconscient et politique de la psychanalyse, Maison Mame, 1973.

ルーディネスコは、日本でもラカンの伝記や、デリダとの対談本で有名。本書は彼女の処女作のはず。裏書を見ると、「パリ3の非常勤講師。EFP会員。Action poétiqueという雑誌の編集委員」と書いてある。表題はUn discours du réelではないので訳しづらい。ともかく副題は「無意識の理論と精神分析の政治」。背表紙「本書は、階級闘争に関する精神分析的イデオロギーを批判すること、無意識の理論に関するマルクス主義的イデオロギーを批判することを目的としている。間主観性と無意識-言 語というラカンの二つの提案を理論的に位置づけようとする本書は、言語科学の歴史的に規定された一時代の所産を参照しつつ、(心理社会学によって再び取り 上げられた)個人/社会を区分する実証主義的公理を批判し、観念論的哲学と心理学と心理療法的知見がその中で手を結ぶ想像的自我からの主体の脱出を可能に する」。マルクス主義と精神分析を同時に批判するというアイデアは、ドゥルーズ=ガタリの側だけでなく、ラカニアンたちの側にもあったわけだ。ちなみに同じコレクション« Repères »の同じsérie « Sciences humaines et idéologies »には、Michel de Certeau, L’Absent de l’histoire.別のsérie « Linguistique »には、Jean-Claude Milner, Arguments linguistiquesが見える。